カテゴリー「本とか」の記事一覧
- 2024.11.23 [PR]
- 2014.06.28 ギリシャ神話は生きている……らしい。
- 2014.04.18 いい仕事にいい刺激受けてますー
- 2014.03.26 チビ台風、東上す!
- 2013.08.08 頭で数えるべきか、尻で数えるべきか、それが問題だ。
- 2013.07.19 「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」が届いてしまった!
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●いやぁ、なんでも調べてみるもんだ。
ここしばらく、何度目かの
ハリポタ一気読みをやってたんですが、
2巡目になったら、
さすがにちょっと飽きてきて、アメリカものファンタジーのPercy Jacksonシリーズに移動。(こちらも死ぬほど一気読みしているのだが)
ただ今第2巻。
こちらもジュブナイルものなので、主人公の年齢は、ハリポタとほぼ同じくらい。
で、シリーズ1巻ごとに、
1学年が過ぎる、という形なので、成長するタイプのお話。
ハリポタが魔法学校での寮生活が主な舞台であるのに対して、パーシー・ジャクソンの舞台は、通常の学校がお休みになる夏休みのサマーキャンプ。
主人公は、難読症dyslexiaで、ADHD(attention deficit hyperactive disorder)のため、普通の学校では、手のかかる問題児扱い。成績もふるわず、毎年放校処分に遭っている。
この少年、実はギリシャ神話の海神ポセイドンと人間の女性との間に出来た半神半人half bloodで、さまざまな特殊能力を持つ。難読症で読めないのは現代の英語で、なんと古代ギリシャ語は読めてしまう。現代社会では、落ち着きがなく、人の話を聞けない病気とされるADHDも、戦闘の場では、瞬時にさまざまな状況に対応するために必要な能力なのだそうだ。
↑
実はこの作品の作者さんの息子さんが、dyslexiaとADHDで悩んでいたんだそうです。元々は大人向けの推理小説を書きながら、学校教育にも携わっていた作者さんは、息子さんを勇気づけたいがために、このシリーズを書き始めたのだそうです。
↑
大ヒットとなったシリーズは、第1巻を中心とした形で映画化もされました。(けど、だいぶ端折った感じのものになってしまい、映画としてはあまり成功しなかったみたい)
↑
ただ今第2シリーズに突入中で、
新巻が出るのを心待ちにしてるんですけど、最新作の中には、なんと、息子さんが書いた物語も入っている。お父さん譲りのなかなかのストーリーテラーで、将来が楽しみ♡
で。
主人公が夏を過ごすサマーキャンプは、半神半人half bloodたちを保護し、彼ら特有の匂いに惹かれて襲撃してくる怪物たちから身を守ることが出来るようにするため、さまざまなトレーニングをほどこす場であります。
物語には、ギリシャ神話でおなじみのヘラクレスやイアソンの逸話などがたくさん出てくるわけで、それらを巧みに紡ぎ、最終的には、オリンポス12神と、復権を狙って暗躍するゼウスらの父クロノス一派の大戦争へと発展する。
イギリスもののハリポタに比べると、登場人物たちは、いかにもアメリカンで、セリフ回しがイギリスものとは違った雰囲気でおもしろい。
ハリポタによく出る表現で、
女の子が驚いて、思わず口元に手を当てる、というのがある。日本人の女の子もよくする仕草である。
また、陰口を叩く場合に、
口元に手を寄せて、コソコソ、と話す、というのもある。これも日本人がやる仕草。
かなり見かけるので、
そうか、イギリス人って、日本人に似てるのかもなぁ、と毎度見かける度に感慨にふけっていた。
と言うのも、アメリカでは、
手で口元を隠す動作というのは、非常によろしくない、失礼である、とされるので、
驚いた時も、口元を手で覆う人は、ほんと、ごくまれ。
手で口元を隠しながら他人を批判するのは、アカン!
というのがアメリカ風らしく、悪口を言う時は堂々と(?)開けっぴろげに言ってしまうらしい。
このへん、アメリカ的な率直さなのか、フェアプレイ精神なのか、わかりませんけど、
イギリス人とアメリカ人の心性の違いはこういうところにも出てくるのかもしれません。
手で口元を覆うのは、良くないことだ、というのは、実際にアメリカで人に言われました。当時は、びっくりしましたね。日本では当たり前の動作だし、むしろ女性らしい動作として評価されたりしますから。
●今回のメウロコ
で、パーシー・ジャクソンシリーズの話に戻りますが、
ゼウスがアテナに与えた盾(真ん中に、見ると石になってしまうという、髪の毛が蛇うじゃうじゃの妖女ゴルゴンの首がついている、最強の盾)Aegisというのが出てきたんですよ。
多分、古代ギリシャだと、
「アエギス」とか読むんだろうけど、現代英語では何て発音するのかな~?
他にも何か意味があるのかな?
と思って辞書を引いたら、
びっくり~~!
①中央にゴルゴンの頭がついている盾
↑
うんうん、これがオリジナルの意味だよね。
②保護、庇護、後援、後ろ盾
↑
まぁ、そりゃゴルゴンの頭がついていれば、最強の盾だよね。誰だって、あえて敵対したいとは思わない。思わず裸足で逃げ出したくなってしまうから、味方にすれば、怖いものなし。
例文に、
under the UN''''s aegis(国連の保護の下に)というのがありました。「強力な保護」というニュアンスなんだな。
ふうん、ナルホドねー。
あ、そうそう、見過ごしてたけど、何て発音するのかな?……と発音記号をよくよく確認してみたら、
どー見ても、「イージス」なんだ、これが!
試しに発音してくれる電子辞書で引き直してみたら(ここまでは、Kindle内臓のプログレッシブで引いてる)、やっぱり「イージス」と言っている。
なんか、どっかで聞いたことあるけど、何だっけ、イージスって?
と頭をひねりながら、もう一度Kindle内臓辞書の先の方を見たら、
③[米海軍]イージス艦: 総コンピュータ化巡洋艦
と書いてある!
えええっ!
「イージス艦」って、
元を辿ると、
ゴルゴンの首付き盾なわけ?!
今までニュースなどで
「イージス艦」と見かけても、特にどういう意味だろう? とか考えた事がなかったんで、まぁったく気がつきませんでしたが、そーゆーモノだったトですねー。
ナルホド、最強に強そうであります。
どうも私たち日本人は、ギリシャ神話の神々の名前などは、(多分)ギリシャ語に近いカタカナ語で認識しているので、
英語読みには、全く馴染みがない。
スニーカーで有名なNike(ナイキ)が、実はギリシャ神話のニケだというのは、割と知られているような気がするが、
ブランドで有名な「エルメス」が、実は「ヘルメス」Hermesのフランス語読みだとは、なかなか気がつかなったりする。
ちなみに英語では、「ハーミス」に限りなく近い発音。
パーシー・ジャクソンシリーズでは、宅配便サービスをやってて、その辺を走ってるごく普通のジョガーのようなスタイルで、携帯片手に仕事をしてたりする。その辺、お茶目で笑えるのが、好き。
このシリーズを読み出してから、それぞれの神様の名前を英語ではどー読んでいるんだろう? と初めて発音を確認しましたが、
ゼウスは限りなく「ツォース」、
ポセイドンは「ポザイドン」、ハデスは「ヘイディース」で、耳で聴いたら、絶対わからない!
アフロディーテは限りなく
「アーフロダイテ」で、
アメリカでは、美の女神は
アフロなのか?
とか思ってしまう。
もっとも、古代ギリシャ人が聴いたら、日本語訛りも英語訛りも、どっちもヘン! と言われそうな気はするんだけどね。
昔、ギリシャ人の友達が2人いましたが、彼らが話すサウンドは、ものすご難しくて、てんでついていけませんでした。彼らの名前すら、正確に発音できず、短いニックネームで呼んで、許してもらってました。何せ長くて、発音が複雑なんだもん。
英語で、相手の話がチンプンカンプンで、さっぱりわからん! という表現に、It''''s Greek to me.「ギリシャ語にしか聞こえん!」というの、ありますが、ものすごぉくナットクしますデス!(^_^;)
●本日のオマケ
アンサンブル練習も、
余すところあと1回。
その後はもう本番前日練習で、指揮者さまがいらしてしまう。
というわけで、昨夜は
久しぶりで練習に参加した
I東クンの特訓日となり、
とりあえず全曲見てみたんですが、
さすがに浜松辺りの
厳しい団体(それも2つも!)でしごかれまくっているせいか、すっかり発声が変わっていて、びっくり。
えらい!
頑張っているんだねー!
(^_^)ノ""""ヨシヨシ!
もうしばらくしごかれれば、
もっと鳴らせるようになるだろうし、音取りの苦手なところも、よくなるでせう。
頑張ってしごかれてくれたまい。
一口に発声を変える、と
言っても、これはなかなかどうして、大変な事だと思います。長年身に付けたクセを、かなり頑張ってなくさないと、発声の根本は変わらないです。
何よりスゴイな、と
思ったのは、
喉(声帯)を締めて
声を出そうとするクセが、 ほとんど解消されていたこと。全て、柔らかい、
まぁるい発声になっている。
これはスゴイことですよ!
やはり、久しぶりに
会う人には瞠目せねばネ。
人間というのは、いくつになっても伸びしろがあるのかもしれません。
で、写真はI東クンのお土産。
仕事で、名古屋方面で缶詰めになっていたそーで、
お伊勢さんに行ったおみや。
長寿せんべいだって。
2つももらってしまったので、相当長生きになるのだろーか。なんか伊勢エビっぽい香りでゴマとかいろいろついている。ごちそうさま~ハグハグ。
で、帰りがけに
みどりおねーさんから、
コーヒーももらってしまいました。
いつもここで挽いてもらうのだそうで、ブラジルの陰干しだって。炒り立てを車の中で渡して下さったんで、もうもう、車の中がいい香りの、アロマ充満状態~♡早速今朝いただきました(^_^)vいい香りでなごむ~。
アンサンブル練習の時は、たいてい私の車でみどりおねーさんをお送りするので、気を使われて、時々貢ぎ物(?)をいただくのです。うまくもない運転のところ、ガマンして乗っていただき、プレゼントまでもらっちゃって、悪いなぁ。
みどりさんといろいろおしゃべりしながら、小一時間ドライブするの、好きなんですよね~。
それぞれに楽しませてもらって、
プレゼントももらって、
私って、どーしてこうラッキーなんだろうね。
ここしばらく、何度目かの
ハリポタ一気読みをやってたんですが、
2巡目になったら、
さすがにちょっと飽きてきて、アメリカものファンタジーのPercy Jacksonシリーズに移動。(こちらも死ぬほど一気読みしているのだが)
ただ今第2巻。
こちらもジュブナイルものなので、主人公の年齢は、ハリポタとほぼ同じくらい。
で、シリーズ1巻ごとに、
1学年が過ぎる、という形なので、成長するタイプのお話。
ハリポタが魔法学校での寮生活が主な舞台であるのに対して、パーシー・ジャクソンの舞台は、通常の学校がお休みになる夏休みのサマーキャンプ。
主人公は、難読症dyslexiaで、ADHD(attention deficit hyperactive disorder)のため、普通の学校では、手のかかる問題児扱い。成績もふるわず、毎年放校処分に遭っている。
この少年、実はギリシャ神話の海神ポセイドンと人間の女性との間に出来た半神半人half bloodで、さまざまな特殊能力を持つ。難読症で読めないのは現代の英語で、なんと古代ギリシャ語は読めてしまう。現代社会では、落ち着きがなく、人の話を聞けない病気とされるADHDも、戦闘の場では、瞬時にさまざまな状況に対応するために必要な能力なのだそうだ。
↑
実はこの作品の作者さんの息子さんが、dyslexiaとADHDで悩んでいたんだそうです。元々は大人向けの推理小説を書きながら、学校教育にも携わっていた作者さんは、息子さんを勇気づけたいがために、このシリーズを書き始めたのだそうです。
↑
大ヒットとなったシリーズは、第1巻を中心とした形で映画化もされました。(けど、だいぶ端折った感じのものになってしまい、映画としてはあまり成功しなかったみたい)
↑
ただ今第2シリーズに突入中で、
新巻が出るのを心待ちにしてるんですけど、最新作の中には、なんと、息子さんが書いた物語も入っている。お父さん譲りのなかなかのストーリーテラーで、将来が楽しみ♡
で。
主人公が夏を過ごすサマーキャンプは、半神半人half bloodたちを保護し、彼ら特有の匂いに惹かれて襲撃してくる怪物たちから身を守ることが出来るようにするため、さまざまなトレーニングをほどこす場であります。
物語には、ギリシャ神話でおなじみのヘラクレスやイアソンの逸話などがたくさん出てくるわけで、それらを巧みに紡ぎ、最終的には、オリンポス12神と、復権を狙って暗躍するゼウスらの父クロノス一派の大戦争へと発展する。
イギリスもののハリポタに比べると、登場人物たちは、いかにもアメリカンで、セリフ回しがイギリスものとは違った雰囲気でおもしろい。
ハリポタによく出る表現で、
女の子が驚いて、思わず口元に手を当てる、というのがある。日本人の女の子もよくする仕草である。
また、陰口を叩く場合に、
口元に手を寄せて、コソコソ、と話す、というのもある。これも日本人がやる仕草。
かなり見かけるので、
そうか、イギリス人って、日本人に似てるのかもなぁ、と毎度見かける度に感慨にふけっていた。
と言うのも、アメリカでは、
手で口元を隠す動作というのは、非常によろしくない、失礼である、とされるので、
驚いた時も、口元を手で覆う人は、ほんと、ごくまれ。
手で口元を隠しながら他人を批判するのは、アカン!
というのがアメリカ風らしく、悪口を言う時は堂々と(?)開けっぴろげに言ってしまうらしい。
このへん、アメリカ的な率直さなのか、フェアプレイ精神なのか、わかりませんけど、
イギリス人とアメリカ人の心性の違いはこういうところにも出てくるのかもしれません。
手で口元を覆うのは、良くないことだ、というのは、実際にアメリカで人に言われました。当時は、びっくりしましたね。日本では当たり前の動作だし、むしろ女性らしい動作として評価されたりしますから。
●今回のメウロコ
で、パーシー・ジャクソンシリーズの話に戻りますが、
ゼウスがアテナに与えた盾(真ん中に、見ると石になってしまうという、髪の毛が蛇うじゃうじゃの妖女ゴルゴンの首がついている、最強の盾)Aegisというのが出てきたんですよ。
多分、古代ギリシャだと、
「アエギス」とか読むんだろうけど、現代英語では何て発音するのかな~?
他にも何か意味があるのかな?
と思って辞書を引いたら、
びっくり~~!
①中央にゴルゴンの頭がついている盾
↑
うんうん、これがオリジナルの意味だよね。
②保護、庇護、後援、後ろ盾
↑
まぁ、そりゃゴルゴンの頭がついていれば、最強の盾だよね。誰だって、あえて敵対したいとは思わない。思わず裸足で逃げ出したくなってしまうから、味方にすれば、怖いものなし。
例文に、
under the UN''''s aegis(国連の保護の下に)というのがありました。「強力な保護」というニュアンスなんだな。
ふうん、ナルホドねー。
あ、そうそう、見過ごしてたけど、何て発音するのかな?……と発音記号をよくよく確認してみたら、
どー見ても、「イージス」なんだ、これが!
試しに発音してくれる電子辞書で引き直してみたら(ここまでは、Kindle内臓のプログレッシブで引いてる)、やっぱり「イージス」と言っている。
なんか、どっかで聞いたことあるけど、何だっけ、イージスって?
と頭をひねりながら、もう一度Kindle内臓辞書の先の方を見たら、
③[米海軍]イージス艦: 総コンピュータ化巡洋艦
と書いてある!
えええっ!
「イージス艦」って、
元を辿ると、
ゴルゴンの首付き盾なわけ?!
今までニュースなどで
「イージス艦」と見かけても、特にどういう意味だろう? とか考えた事がなかったんで、まぁったく気がつきませんでしたが、そーゆーモノだったトですねー。
ナルホド、最強に強そうであります。
どうも私たち日本人は、ギリシャ神話の神々の名前などは、(多分)ギリシャ語に近いカタカナ語で認識しているので、
英語読みには、全く馴染みがない。
スニーカーで有名なNike(ナイキ)が、実はギリシャ神話のニケだというのは、割と知られているような気がするが、
ブランドで有名な「エルメス」が、実は「ヘルメス」Hermesのフランス語読みだとは、なかなか気がつかなったりする。
ちなみに英語では、「ハーミス」に限りなく近い発音。
パーシー・ジャクソンシリーズでは、宅配便サービスをやってて、その辺を走ってるごく普通のジョガーのようなスタイルで、携帯片手に仕事をしてたりする。その辺、お茶目で笑えるのが、好き。
このシリーズを読み出してから、それぞれの神様の名前を英語ではどー読んでいるんだろう? と初めて発音を確認しましたが、
ゼウスは限りなく「ツォース」、
ポセイドンは「ポザイドン」、ハデスは「ヘイディース」で、耳で聴いたら、絶対わからない!
アフロディーテは限りなく
「アーフロダイテ」で、
アメリカでは、美の女神は
アフロなのか?
とか思ってしまう。
もっとも、古代ギリシャ人が聴いたら、日本語訛りも英語訛りも、どっちもヘン! と言われそうな気はするんだけどね。
昔、ギリシャ人の友達が2人いましたが、彼らが話すサウンドは、ものすご難しくて、てんでついていけませんでした。彼らの名前すら、正確に発音できず、短いニックネームで呼んで、許してもらってました。何せ長くて、発音が複雑なんだもん。
英語で、相手の話がチンプンカンプンで、さっぱりわからん! という表現に、It''''s Greek to me.「ギリシャ語にしか聞こえん!」というの、ありますが、ものすごぉくナットクしますデス!(^_^;)
●本日のオマケ
アンサンブル練習も、
余すところあと1回。
その後はもう本番前日練習で、指揮者さまがいらしてしまう。
というわけで、昨夜は
久しぶりで練習に参加した
I東クンの特訓日となり、
とりあえず全曲見てみたんですが、
さすがに浜松辺りの
厳しい団体(それも2つも!)でしごかれまくっているせいか、すっかり発声が変わっていて、びっくり。
えらい!
頑張っているんだねー!
(^_^)ノ""""ヨシヨシ!
もうしばらくしごかれれば、
もっと鳴らせるようになるだろうし、音取りの苦手なところも、よくなるでせう。
頑張ってしごかれてくれたまい。
一口に発声を変える、と
言っても、これはなかなかどうして、大変な事だと思います。長年身に付けたクセを、かなり頑張ってなくさないと、発声の根本は変わらないです。
何よりスゴイな、と
思ったのは、
喉(声帯)を締めて
声を出そうとするクセが、 ほとんど解消されていたこと。全て、柔らかい、
まぁるい発声になっている。
これはスゴイことですよ!
やはり、久しぶりに
会う人には瞠目せねばネ。
人間というのは、いくつになっても伸びしろがあるのかもしれません。
で、写真はI東クンのお土産。
仕事で、名古屋方面で缶詰めになっていたそーで、
お伊勢さんに行ったおみや。
長寿せんべいだって。
2つももらってしまったので、相当長生きになるのだろーか。なんか伊勢エビっぽい香りでゴマとかいろいろついている。ごちそうさま~ハグハグ。
で、帰りがけに
みどりおねーさんから、
コーヒーももらってしまいました。
いつもここで挽いてもらうのだそうで、ブラジルの陰干しだって。炒り立てを車の中で渡して下さったんで、もうもう、車の中がいい香りの、アロマ充満状態~♡早速今朝いただきました(^_^)vいい香りでなごむ~。
アンサンブル練習の時は、たいてい私の車でみどりおねーさんをお送りするので、気を使われて、時々貢ぎ物(?)をいただくのです。うまくもない運転のところ、ガマンして乗っていただき、プレゼントまでもらっちゃって、悪いなぁ。
みどりさんといろいろおしゃべりしながら、小一時間ドライブするの、好きなんですよね~。
それぞれに楽しませてもらって、
プレゼントももらって、
私って、どーしてこうラッキーなんだろうね。
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●ウグイスが毎日鳴いてるー
海外では大地震が続いたり、悲惨な海難事故があったり、で毎日ニュースでドキドキびくびくしてるんですけど、
うちの周りは、今ウグイスが
これでもか~、と美声を披露してくれてて、聴いてると、和やか~な
気持ちになってしまう。
で、和やか~になったところで、
縫い物。
アズキを入れたエコカイロです。
ミニタオルを手縫いして、真ん中で区切って、2つポケットを作り、
中に
アズキを詰めるだけ、という
単純なものですが、レンジで
1-1分半チンすると、中のアズキが
蒸されてホカホカぬくぬくになります。小さいサイズなので、アイマスクにしたり、肩に乗っけてみたり、
腰に乗っけてみたり。
漢方の鍼をやられる方のオススメ、というのを
FBで又聞きして、喜んで作っています。
お腹に載せるのも気持ちがいいので、イースターでお泊まりする叔父の家にも一組持って行く予定。この叔父が、お腹、弱いのです(T^T)
ぬくぬくさせなければー。
久々にリンゴも煮てみましたが、
旬を過ぎているせいなのか、
買ってから日にちが経っているからか、も一つ水分の出が悪い。
焦げ付かせるのもイヤなので、
こういう時はお菓子用の
ブランデーなどを少し足すのですが、あいにくブランデーが切れていた(ToT)
何かないかな~、と見回したら、
ジンがあった!
うん、これでもいいよね!
で入れてみたら、もんのすごく
佳い香り~~~(≧▽≦)
さすが、タンカレだー!
このお酒、アメリカで教えてもらって、以来ファンなんですが、
特有の香りとコクがあって、
一度知るとヤミツキになる。
アメリカ製……。
だから、というわけではなく、
この味がともかく好き!
というアメリカ人が多かったです。
レストランやバーで、カクテルを
頼む時も、必ずこの銘柄で、
というお客さんが多かったですねー。
というわけで、私もたまに
晩酌したい時は、これを
マンゴージュースで割ったりします。
今回はリンゴ煮が
いいフレーバーになって、
フフフ、幸せ。
●で、表題に戻る、と。
先日ブログを書いた後に
読み出した本がものすごぉく
お気に入りで、夢中で読んでいるうちに、自分も急に書きたくなって、
小さい物語を書いてみました。
枚数制限をしないで
書くと、冗長に流れてしまいそうなんで、
(この話は冗長でない方が良さそうな気がしまして)、原稿用紙80から100枚のうちでまとめよう、と決定。
校正お手伝いもあるし、他にも書いてるのがあるので、
とりあえず最後まで一気に書く、
というところまでを10日ぐらいで、と計画を立てました。
6日の夜中に急にアイデアを
思いついたので、メモを取り、
7日から少しずつ書き出し、
最後の方はヘタヘタしながら、
あー、早く手を切りたい!
とつぶやきながら、目をショボショボさせつつ、昨夜ゴールイン。
まだまだ粗いので、これから
バッサバッサと校正添削かけないと、ダメなんですけど、
ちょうど12日で百枚書けましたー。
やれば、出来るじゃん!
途中、書くのに疲れてくると、
今日はパソコン、開けたくないなー、になっちゃうんですけど、
いかん、いかん!
そんなとこでは仕上がらないゾ!
と自分にムチを打ってみました。
書きたいな、と思った時が
その話の旬だと思うので、
ともかく、やる!
ということで、今回は
やってみましたー。
でも、書いてるうちに、
この話、おもしろいんだか、
おもしろくないんだか、
てんでわから~ん(ToT)
の気持ちになっちゃうんですよねー。で、ともかく早く大団円まで
書いてしまい、手を切りたい。
まずは、一回形にしておいて、
数日寝かせてから、今度は
バサバサきって捨てる。
……って言うか、ゆうべ印字したのを
見て、1ページ目を朱だらけにしてしまったのですが!
明日は浜松行って練習して、その足で埼玉行って、翌日はイースターをお祝いして、の予定なんで、しばらくこのお話のことは寝かせるしかありません。
で、埼玉から帰ってきたら、
心置きなくバッサバッサと
直しに入ってやるのだー!
↑直すのが前提………なのが、
ちょっと情けないのであるが。
自分の作品って、やっぱりいとおしいんで、実はなかなかメスを入れられないモノなのである、と言われます。確かに気に入った表現なんか、
「くーっ! これ、捨てるのか。もったいないー!」
と思っちゃったりしますよね。
んだけど、やっぱりちゃんと
見直して、客観的に修正を
かけないと、1人よがりで
終わっちゃうんだよねー。
勝負は、どれだけ自分を
突き放せるか、のよーな気がする。
というわけで、今日は
疲れてるんで、まったり
ウグイスを聴きながら、
本を読んでいるのであります。
●刺激は本から!
というのが私の基本スタンスなので、ここ数年、ほとんどテレビを見る事がなくなってきてしまった。
緑内障傾向のおかげで、
テレビやらパソコンやらは、
チラチラしてしんどい、という
のもあるので、もっぱら本とKindle様に刺激してもらうことになる。
ここ3年くらいは、FBも
入るかなー。
で、今喜んで読んでいるのが、
梨木香歩の作品集。
「西の魔女が死んだ」という作品で有名な方なんだけど、
昔、このタイトルを聞いた時は、
「オズかいっ!」
で拒否反応が出てしまい、
結局手に取る機会がありませんでした。
って言うか、このフレーズで
すぐ「オズの魔法使い」だ、と
思っちゃうところが、実は私の好きな傾向と梨木さんの方向性が近い……ってことだったんだよなー。
後でネット検索していたら、
このタイトルは、
オズに触発されて選んだものだ、
というご本人の談話が載ってました。うーん、やっぱりそうかー。
で、今回梨木さん初体験で、
「家守奇譚」を読み出して、
おもしろくって、
一気読みしてしまい、
さらに「F植物園の巣穴」に
入ってしまった。
「蛇を踏む」の川上弘美さんや、
漫画「蟲師」の漆原さんに似た方向性で、
文体も、展開も、発想も、
困った! ものすごく好みだ!
いやぁ、今までうっかり
読まずにいて損したー!
というわけで、いくつか
続けて読みたいな、ルンルン、と。
●で、も一つものすごい刺激が!
こちらは、アメリカの
動物学者の人の本。
かなり人気の高い書き手なので、
日本語訳もたくさんある
テンプル・グランディンさんの本。
この方は、ご自身が自閉症で、
子供時代はいろいろ苦労されているみたいなんだけど、
高校時代に馬と出会い、
いろんな動物を見ていくうちに、
動物の認知の仕方、感性、
感情、そういったものが、
実は普通の人間よりも自閉症の
人に近い、ということを肌で感じとり、動物の研究に没頭するようになった。
普通、人間が動物を見る時には、自分の感覚で、これはこういう動物だ、と認知しているわけだけど、
動物の側が、人間と同じ感覚、同じ認知をしているわけではない。
なぜ動物はこんなすごい事が出来るんだろう?
なぜ動物は、こんな単純なことができないんだろう?
そういう素朴な疑問の数々を、
この時、動物は何をどう知覚して、
こういう行動をしているのか?
徹底的に動物の目線に立って解明していく。その過程で、テンプルさん自身が、普通の人間では気づけない、自閉症だからこそ気づける点に意識を集中していく。
例えば、普通の人間の空間認識は、
ディテールには全く気がつかず、
いわば、一種の図式の中にその空間の像をはめ込む、という感じ。
ところが動物や自閉症の人は、全てのディテールを瞬間的に認識してしまう。
農場の柵に、レインコートが掛けてあったとする。風が、その裾を時折煽り、チラチラと生地の裏側が光ったりする。
普通は、柵に、レインコートが掛かっている、などという図式からはみ出したものは、認識されにくい。そこにないはずのモノは、無いのだ、と普通の人間の脳は切り捨てて、本人に「レインコートが掛かってますよ」と通知すらしないものなのだそうだ。
だから、レインコートのチラチラなど、普通の人の意識にはのぼりにくいのだ。
ところが、常にディテールで見る動物や自閉症の人は、他の事はともかく、そのチラチラが気になって仕方がないのだそうだ。
一体全体、人間と動物は、同じ世界に生きていると言えるのかどうか。
上の認識のお話は、この
「動物翻訳」のほんの一部を要約したものなんだけど、
ともかく盛りだくさんに、
いろんな事例がちりばめられていて、
そうか、自分が「見ている」と信じている「世界」というのが、物事の全てではてんでないんだ!
と目から大量にウロコが
落ちちゃいます。
この本と、梨木さんの「家守~」を
同時に読んでたんで、ヘンに(?)刺激されて、書き出しちゃったんだなー(^◇^;)
日本語訳、ちょっとお高いですが、
内容はものすごく面白いです。
ちなみにKindleの英語版は、値段半額。
アメリカの人なんで、あんまり小難しい単語がなく、英語でも読みやすいかと思います。
久々の、オススメ本コーナーでしたー(*^▽^*)あー、またウグイスが鳴いてらー。
海外では大地震が続いたり、悲惨な海難事故があったり、で毎日ニュースでドキドキびくびくしてるんですけど、
うちの周りは、今ウグイスが
これでもか~、と美声を披露してくれてて、聴いてると、和やか~な
気持ちになってしまう。
で、和やか~になったところで、
縫い物。
アズキを入れたエコカイロです。
ミニタオルを手縫いして、真ん中で区切って、2つポケットを作り、
中に
アズキを詰めるだけ、という
単純なものですが、レンジで
1-1分半チンすると、中のアズキが
蒸されてホカホカぬくぬくになります。小さいサイズなので、アイマスクにしたり、肩に乗っけてみたり、
腰に乗っけてみたり。
漢方の鍼をやられる方のオススメ、というのを
FBで又聞きして、喜んで作っています。
お腹に載せるのも気持ちがいいので、イースターでお泊まりする叔父の家にも一組持って行く予定。この叔父が、お腹、弱いのです(T^T)
ぬくぬくさせなければー。
久々にリンゴも煮てみましたが、
旬を過ぎているせいなのか、
買ってから日にちが経っているからか、も一つ水分の出が悪い。
焦げ付かせるのもイヤなので、
こういう時はお菓子用の
ブランデーなどを少し足すのですが、あいにくブランデーが切れていた(ToT)
何かないかな~、と見回したら、
ジンがあった!
うん、これでもいいよね!
で入れてみたら、もんのすごく
佳い香り~~~(≧▽≦)
さすが、タンカレだー!
このお酒、アメリカで教えてもらって、以来ファンなんですが、
特有の香りとコクがあって、
一度知るとヤミツキになる。
アメリカ製……。
だから、というわけではなく、
この味がともかく好き!
というアメリカ人が多かったです。
レストランやバーで、カクテルを
頼む時も、必ずこの銘柄で、
というお客さんが多かったですねー。
というわけで、私もたまに
晩酌したい時は、これを
マンゴージュースで割ったりします。
今回はリンゴ煮が
いいフレーバーになって、
フフフ、幸せ。
●で、表題に戻る、と。
先日ブログを書いた後に
読み出した本がものすごぉく
お気に入りで、夢中で読んでいるうちに、自分も急に書きたくなって、
小さい物語を書いてみました。
枚数制限をしないで
書くと、冗長に流れてしまいそうなんで、
(この話は冗長でない方が良さそうな気がしまして)、原稿用紙80から100枚のうちでまとめよう、と決定。
校正お手伝いもあるし、他にも書いてるのがあるので、
とりあえず最後まで一気に書く、
というところまでを10日ぐらいで、と計画を立てました。
6日の夜中に急にアイデアを
思いついたので、メモを取り、
7日から少しずつ書き出し、
最後の方はヘタヘタしながら、
あー、早く手を切りたい!
とつぶやきながら、目をショボショボさせつつ、昨夜ゴールイン。
まだまだ粗いので、これから
バッサバッサと校正添削かけないと、ダメなんですけど、
ちょうど12日で百枚書けましたー。
やれば、出来るじゃん!
途中、書くのに疲れてくると、
今日はパソコン、開けたくないなー、になっちゃうんですけど、
いかん、いかん!
そんなとこでは仕上がらないゾ!
と自分にムチを打ってみました。
書きたいな、と思った時が
その話の旬だと思うので、
ともかく、やる!
ということで、今回は
やってみましたー。
でも、書いてるうちに、
この話、おもしろいんだか、
おもしろくないんだか、
てんでわから~ん(ToT)
の気持ちになっちゃうんですよねー。で、ともかく早く大団円まで
書いてしまい、手を切りたい。
まずは、一回形にしておいて、
数日寝かせてから、今度は
バサバサきって捨てる。
……って言うか、ゆうべ印字したのを
見て、1ページ目を朱だらけにしてしまったのですが!
明日は浜松行って練習して、その足で埼玉行って、翌日はイースターをお祝いして、の予定なんで、しばらくこのお話のことは寝かせるしかありません。
で、埼玉から帰ってきたら、
心置きなくバッサバッサと
直しに入ってやるのだー!
↑直すのが前提………なのが、
ちょっと情けないのであるが。
自分の作品って、やっぱりいとおしいんで、実はなかなかメスを入れられないモノなのである、と言われます。確かに気に入った表現なんか、
「くーっ! これ、捨てるのか。もったいないー!」
と思っちゃったりしますよね。
んだけど、やっぱりちゃんと
見直して、客観的に修正を
かけないと、1人よがりで
終わっちゃうんだよねー。
勝負は、どれだけ自分を
突き放せるか、のよーな気がする。
というわけで、今日は
疲れてるんで、まったり
ウグイスを聴きながら、
本を読んでいるのであります。
●刺激は本から!
というのが私の基本スタンスなので、ここ数年、ほとんどテレビを見る事がなくなってきてしまった。
緑内障傾向のおかげで、
テレビやらパソコンやらは、
チラチラしてしんどい、という
のもあるので、もっぱら本とKindle様に刺激してもらうことになる。
ここ3年くらいは、FBも
入るかなー。
で、今喜んで読んでいるのが、
梨木香歩の作品集。
「西の魔女が死んだ」という作品で有名な方なんだけど、
昔、このタイトルを聞いた時は、
「オズかいっ!」
で拒否反応が出てしまい、
結局手に取る機会がありませんでした。
って言うか、このフレーズで
すぐ「オズの魔法使い」だ、と
思っちゃうところが、実は私の好きな傾向と梨木さんの方向性が近い……ってことだったんだよなー。
後でネット検索していたら、
このタイトルは、
オズに触発されて選んだものだ、
というご本人の談話が載ってました。うーん、やっぱりそうかー。
で、今回梨木さん初体験で、
「家守奇譚」を読み出して、
おもしろくって、
一気読みしてしまい、
さらに「F植物園の巣穴」に
入ってしまった。
「蛇を踏む」の川上弘美さんや、
漫画「蟲師」の漆原さんに似た方向性で、
文体も、展開も、発想も、
困った! ものすごく好みだ!
いやぁ、今までうっかり
読まずにいて損したー!
というわけで、いくつか
続けて読みたいな、ルンルン、と。
●で、も一つものすごい刺激が!
こちらは、アメリカの
動物学者の人の本。
かなり人気の高い書き手なので、
日本語訳もたくさんある
テンプル・グランディンさんの本。
この方は、ご自身が自閉症で、
子供時代はいろいろ苦労されているみたいなんだけど、
高校時代に馬と出会い、
いろんな動物を見ていくうちに、
動物の認知の仕方、感性、
感情、そういったものが、
実は普通の人間よりも自閉症の
人に近い、ということを肌で感じとり、動物の研究に没頭するようになった。
普通、人間が動物を見る時には、自分の感覚で、これはこういう動物だ、と認知しているわけだけど、
動物の側が、人間と同じ感覚、同じ認知をしているわけではない。
なぜ動物はこんなすごい事が出来るんだろう?
なぜ動物は、こんな単純なことができないんだろう?
そういう素朴な疑問の数々を、
この時、動物は何をどう知覚して、
こういう行動をしているのか?
徹底的に動物の目線に立って解明していく。その過程で、テンプルさん自身が、普通の人間では気づけない、自閉症だからこそ気づける点に意識を集中していく。
例えば、普通の人間の空間認識は、
ディテールには全く気がつかず、
いわば、一種の図式の中にその空間の像をはめ込む、という感じ。
ところが動物や自閉症の人は、全てのディテールを瞬間的に認識してしまう。
農場の柵に、レインコートが掛けてあったとする。風が、その裾を時折煽り、チラチラと生地の裏側が光ったりする。
普通は、柵に、レインコートが掛かっている、などという図式からはみ出したものは、認識されにくい。そこにないはずのモノは、無いのだ、と普通の人間の脳は切り捨てて、本人に「レインコートが掛かってますよ」と通知すらしないものなのだそうだ。
だから、レインコートのチラチラなど、普通の人の意識にはのぼりにくいのだ。
ところが、常にディテールで見る動物や自閉症の人は、他の事はともかく、そのチラチラが気になって仕方がないのだそうだ。
一体全体、人間と動物は、同じ世界に生きていると言えるのかどうか。
上の認識のお話は、この
「動物翻訳」のほんの一部を要約したものなんだけど、
ともかく盛りだくさんに、
いろんな事例がちりばめられていて、
そうか、自分が「見ている」と信じている「世界」というのが、物事の全てではてんでないんだ!
と目から大量にウロコが
落ちちゃいます。
この本と、梨木さんの「家守~」を
同時に読んでたんで、ヘンに(?)刺激されて、書き出しちゃったんだなー(^◇^;)
日本語訳、ちょっとお高いですが、
内容はものすごく面白いです。
ちなみにKindleの英語版は、値段半額。
アメリカの人なんで、あんまり小難しい単語がなく、英語でも読みやすいかと思います。
久々の、オススメ本コーナーでしたー(*^▽^*)あー、またウグイスが鳴いてらー。
●こき使われ続けた1ヶ月半であった………(^◇^;)
27日に在学生の健康診断がある、ということで、昨日やっと(というか、ついに?)我が家のチビ台風こと娘が、東京へ出発しましたー。
はー、やれやれ。
やっぱり、いないとちょっと寂しいんだけど、まあ、いればいたで、死ぬほど(?)こき使われるので、今日はちょっとのんびりしてます。
京都旅行も楽しく行けましたし、
卒論資料を探すために、
車で県立図書館に連れて行ったり、
パソコンの調子悪いから、
修理に連れて行け、と
トトロちゃんの会社の支店まで
お出掛けしたり、
外付けHDDだの、大容量の
USBデバイスだの、いろいろ買わされた上に、
自分のパソコンのCD-DVD挿入口の
調子が悪くて使うのがコワい、と
私の外付けのヤツを取り上げていきましたー(T^T)
あ、そー言えば、帰ってきてすぐに、私とお揃いのAndroidスマホ
新機種も買わされたんだっけ。
で、日本語検定料やら、
通信教育の資格講座の受講料とかも、ふんだくられたんだっけ。
ううう、これから今年度分の
学費も収めにゃならん、というのにー。
ああ、春は物入りでかなわん(/_;)。
で。
何かお手伝いをしてくれるのか?
ってーと、これが何にもやらない!
「実家に帰ってきた時ぐらい、
のんびりしたいもーん」
と、あたかも東京ではせっせと
料理したりなんか、しているよーなことをほざきつつ、ノホホンとしている。
うーむ。こんなことで大丈夫なのだろーか。
………と、自分の親も、思ってたのかねぇ………などと、つらつら考えてみたところ、
私の場合、大学時代の春休み恒例行事は、青色申告のための帳簿整理を1ヶ月かけて、ヒイヒイ計算することであった………というのを思い出した!
あれ?!
母にも娘にも、こき使われてる?
で、文句をたれると、
「あたしは、いいの。許されるの」とかとか、
おんなじ口調で、おんなじよーな声でのたまわれる。
おかしい。何か、間違っている……。
まあ、母の方は、私が高一くらいの頃に、腎臓をやられちゃったので、あまり頑張りがきかない身体で、下手にこき使うと高熱を発してぶっ倒れるので、帳簿整理ぐらい、やりますけどさー。
おかげさまで、急に亡くなった時、
うちの病院の経理事務の基本が
分かっていたので、その後も
大過なく、父が閉院するまで
経理事務が出来て良かったんですけどね。
が、娘の方は、も少しチャカチャカと動けるよーになって欲しいものである(切実!)。
お料理も、ちゃんと習おうとしないんで、果たして東京では何を食べているのか、とっても不安でアル。
まー、こっちも、なかなか気合い入れて教えている余裕がないので、
仕方ないんですけど。
ちゃんと教えて、出来るよーになってるのは、
ホワイトソースぐらいなんで、
もっといろいろ作れるよーになってもらいたいなー(そしたら、毎日作ってもらって、左うちわで過ごせるのだが!)
●今年の花粉症
今年も、花粉飛散真っ盛り(ToT)で、
鼻水たれ子ちゃんになっています。
昨年は、目がショボショボするのと、喉がいがらっぽいのが辛かったんだけど、今年は神戸で買ってきたハーブティーのおかげで、目と喉は
セーフ!
朝一番でハーブティーを飲むと、
涙目も収まってしまうので、大助かり。
でも、そろそろ最盛期になってきたせいか、くしゃみが止まらない。
去年はそれほどでもなかったんだけど、今年は皮膚の痒みが強くて
やるせない。時々ミミズバレ状態になったりする~(T_T)
どうもPM2.5のおかげさまでもあるらしい。
元々父譲りの体質で、寒冷アレルギーやら、ほこりアレルギーやらあるもんだから、花粉症も毎年出る。
娘も同じ体質を受け継いでいるので、2人揃って紅ふうき茶をがぶ飲みである。で、2人で、こんな体質なのはオジーチャンのせいだー、と
父の写真に文句を言ってみる、と。
今のところ、歌う声はちゃんと出るんで、その点はストレスフリーで嬉しい。が、昨夜練習会場でしごかれてたら、いきなり鼻水たれ子ちゃんになったので、大変恥ずかしかった。
早く花粉の季節が終わってくれないかなー。
●とりあえず、本にのめっている
仕事と申告と花粉症のために、
も一つ威勢がなくなり、大分長い間ブログをお休みしちゃっているのに気づき、やっとぼちぼち書き始めてみたのですが。
今日は雨降りなのをいいことに、
のんびりいろんな本を引っ張り出してのめっています。
先日A嬢が、「これ、おもしろいから」と教えてくれた山伏モノやら、怪談モノやら、江戸モノやら、そして、ハリポタその他やらの英語の本、さらにコンビニで見つけた世界の不思議生物ファイルやら、並べては、ニヤニヤ。
で、いろんな本をランダムに一章ずつ読んでは、ニヤニヤ。
山伏モノでは、A嬢が図書館で見つけたのは、「山伏と僕」(坂本大三郎著 リトルモア)という本。で、私が地元の図書館で見つけたのが、同じ著者の「山伏ノート」(技術評論社)という本。
著者の方は、元々はイラストレーターで、ある時一念発起して山伏になったそうで、「山伏と僕」の方は、実際に山伏とはどういう装束をして、どういう事をするのか、みたいなことをイラスト付きで分かりやすく解説しています。(この本も、ただいま図書館で予約中)
で、プラクティカルな方は、「山伏と僕」で書いたので、「山伏ノート」の方では、山伏という生き方とはどういうものか、その文化史的意味や、存在論的意味は? みたいな話を主に書いている。民芸運動の柳宗悦やら、鈴木大拙やら、いろいろ出てきて、なるほどそーいうことなのかー、で、とっても読みやすくおもしろい。
これと並行して読んでいるのが、
「江戸の妖怪革命」(香川雅信著 角川ソフィア文庫Kindle版)。
娘が、ゼミの発表で江戸時代の妖怪モノをやっていたので、家中に散在するそのたぐいの資料を引っ張り出して、2人でおもしろがっていたのだが(そもそも、なぜそのよーなミョーな資料が山ほどあるのだろうか? ←自分で集めてるんだってば!)、
妖怪譚というものが、一気に花開いたのが、実は安政五年頃のことなんだそーです。
それまで、日常生活の中で時折体験される、普通ではないような出来事(例えば、ある池ではやたらに水死者が出るとか、誰もいないはずの山の中に、ぼうっと明かりが見えた、とか)に対して、人は恐怖し、それに対して何か合理的な説明をつけて納得しようと試みた。訳の分からない現象、として何となく不安なままいるよりは、あれは池の河童に引き込まれたのだとか、あれは狐に化かされたのだとか、理由付けをして、そういうものだ、とある種の安心を得ようとしたのが、古くからある怪異譚だったわけ。
ちょうど身体の具合が悪い時に、なんでかわからないけど、調子が悪い、という不安を、病名を告げられることで、なんとなく納得して、ほっとしたりする感覚に近い。名前が付いたからと言って、説明が付けられたからと言って、その病気や怪現象が雲散霧消するわけではないんだけどね。
で、江戸も末期になると、こういう化け物話を、ただコワい、コワいと思う感覚より、(生活の安定による余裕なのか)ちょっとおもしろいキャラクターものの話、というように捉えるようになってきた。
それに一役買ったのが、有名な鳥山石燕の「画図百鬼夜行」で、これが安政五年に出ている。
元々、化け物とか怪しのモノというのには、あまり形というものが与えられていませんでした。
名前は決まっていて、「早く寝ないと、オトロシが来るよ」みたいな感じで、始終口の端に上るんだけど、具体的にどんな姿形をしている、みたいな事は、ほとんど決まっていませんでした。
ところが、石燕の百鬼夜行の絵が出て、(元々の絵柄は、いろんな絵巻物にあるモノを採用したようですが、一般の人はほとんど見たことがなかった)ぱあっと印刷物として広まった。この妖怪はこれこれの姿、といわば妖怪大図鑑のような感じで、紹介されたわけで、
このおかげで、この妖怪は、こういう姿をしたものである、というコンセンサスが出来てしまい、それにそぐわない姿のものは、「なんか、ちがう」と排除される。
こうなると、もうキャラクターもので、ゲゲゲの鬼太郎にいたるまで、日本の妖怪はこれこれ、こういうモノである、と決まってくる。(ゲゲゲの……に出てくる妖怪オールスターズも、基本は石燕から採られている)
そうなると、当初は姿はわからないけど、ともかく恐ろしいモノ、と考えられてきた化け物が、人間の姿形から逸脱した、ちょっとコワいけど、むしろおもしろいキャラクター、となっていった。
18世紀は、ヨーロッパでも博物誌的なものが大いにもてはやされた時代で、アヤシゲ~なヴンダーカンマー的なモノがたくさん残ってますが、日本もそうなんですねー。
ただただコワい、というのではなく、コワいからこそおもしろい、みたいな。
お化け屋敷はコワいけど、ちょっと入ってみたいかも……的な、私たち現代人と似通った感覚が醸成されていた時代らしい。
ちなみにこの安政五年は、
平賀源内が活躍した時代。
また、「雨月物語」もこの年に
出版されているんですって。
いやー、おもしろい時代なんですねー。
てなわけで、ホクホクと
石燕の画集を取り出してみる、と。
ぬらりひょんとか、
何ともよい絵柄でありますー(≧▽≦)
27日に在学生の健康診断がある、ということで、昨日やっと(というか、ついに?)我が家のチビ台風こと娘が、東京へ出発しましたー。
はー、やれやれ。
やっぱり、いないとちょっと寂しいんだけど、まあ、いればいたで、死ぬほど(?)こき使われるので、今日はちょっとのんびりしてます。
京都旅行も楽しく行けましたし、
卒論資料を探すために、
車で県立図書館に連れて行ったり、
パソコンの調子悪いから、
修理に連れて行け、と
トトロちゃんの会社の支店まで
お出掛けしたり、
外付けHDDだの、大容量の
USBデバイスだの、いろいろ買わされた上に、
自分のパソコンのCD-DVD挿入口の
調子が悪くて使うのがコワい、と
私の外付けのヤツを取り上げていきましたー(T^T)
あ、そー言えば、帰ってきてすぐに、私とお揃いのAndroidスマホ
新機種も買わされたんだっけ。
で、日本語検定料やら、
通信教育の資格講座の受講料とかも、ふんだくられたんだっけ。
ううう、これから今年度分の
学費も収めにゃならん、というのにー。
ああ、春は物入りでかなわん(/_;)。
で。
何かお手伝いをしてくれるのか?
ってーと、これが何にもやらない!
「実家に帰ってきた時ぐらい、
のんびりしたいもーん」
と、あたかも東京ではせっせと
料理したりなんか、しているよーなことをほざきつつ、ノホホンとしている。
うーむ。こんなことで大丈夫なのだろーか。
………と、自分の親も、思ってたのかねぇ………などと、つらつら考えてみたところ、
私の場合、大学時代の春休み恒例行事は、青色申告のための帳簿整理を1ヶ月かけて、ヒイヒイ計算することであった………というのを思い出した!
あれ?!
母にも娘にも、こき使われてる?
で、文句をたれると、
「あたしは、いいの。許されるの」とかとか、
おんなじ口調で、おんなじよーな声でのたまわれる。
おかしい。何か、間違っている……。
まあ、母の方は、私が高一くらいの頃に、腎臓をやられちゃったので、あまり頑張りがきかない身体で、下手にこき使うと高熱を発してぶっ倒れるので、帳簿整理ぐらい、やりますけどさー。
おかげさまで、急に亡くなった時、
うちの病院の経理事務の基本が
分かっていたので、その後も
大過なく、父が閉院するまで
経理事務が出来て良かったんですけどね。
が、娘の方は、も少しチャカチャカと動けるよーになって欲しいものである(切実!)。
お料理も、ちゃんと習おうとしないんで、果たして東京では何を食べているのか、とっても不安でアル。
まー、こっちも、なかなか気合い入れて教えている余裕がないので、
仕方ないんですけど。
ちゃんと教えて、出来るよーになってるのは、
ホワイトソースぐらいなんで、
もっといろいろ作れるよーになってもらいたいなー(そしたら、毎日作ってもらって、左うちわで過ごせるのだが!)
●今年の花粉症
今年も、花粉飛散真っ盛り(ToT)で、
鼻水たれ子ちゃんになっています。
昨年は、目がショボショボするのと、喉がいがらっぽいのが辛かったんだけど、今年は神戸で買ってきたハーブティーのおかげで、目と喉は
セーフ!
朝一番でハーブティーを飲むと、
涙目も収まってしまうので、大助かり。
でも、そろそろ最盛期になってきたせいか、くしゃみが止まらない。
去年はそれほどでもなかったんだけど、今年は皮膚の痒みが強くて
やるせない。時々ミミズバレ状態になったりする~(T_T)
どうもPM2.5のおかげさまでもあるらしい。
元々父譲りの体質で、寒冷アレルギーやら、ほこりアレルギーやらあるもんだから、花粉症も毎年出る。
娘も同じ体質を受け継いでいるので、2人揃って紅ふうき茶をがぶ飲みである。で、2人で、こんな体質なのはオジーチャンのせいだー、と
父の写真に文句を言ってみる、と。
今のところ、歌う声はちゃんと出るんで、その点はストレスフリーで嬉しい。が、昨夜練習会場でしごかれてたら、いきなり鼻水たれ子ちゃんになったので、大変恥ずかしかった。
早く花粉の季節が終わってくれないかなー。
●とりあえず、本にのめっている
仕事と申告と花粉症のために、
も一つ威勢がなくなり、大分長い間ブログをお休みしちゃっているのに気づき、やっとぼちぼち書き始めてみたのですが。
今日は雨降りなのをいいことに、
のんびりいろんな本を引っ張り出してのめっています。
先日A嬢が、「これ、おもしろいから」と教えてくれた山伏モノやら、怪談モノやら、江戸モノやら、そして、ハリポタその他やらの英語の本、さらにコンビニで見つけた世界の不思議生物ファイルやら、並べては、ニヤニヤ。
で、いろんな本をランダムに一章ずつ読んでは、ニヤニヤ。
山伏モノでは、A嬢が図書館で見つけたのは、「山伏と僕」(坂本大三郎著 リトルモア)という本。で、私が地元の図書館で見つけたのが、同じ著者の「山伏ノート」(技術評論社)という本。
著者の方は、元々はイラストレーターで、ある時一念発起して山伏になったそうで、「山伏と僕」の方は、実際に山伏とはどういう装束をして、どういう事をするのか、みたいなことをイラスト付きで分かりやすく解説しています。(この本も、ただいま図書館で予約中)
で、プラクティカルな方は、「山伏と僕」で書いたので、「山伏ノート」の方では、山伏という生き方とはどういうものか、その文化史的意味や、存在論的意味は? みたいな話を主に書いている。民芸運動の柳宗悦やら、鈴木大拙やら、いろいろ出てきて、なるほどそーいうことなのかー、で、とっても読みやすくおもしろい。
これと並行して読んでいるのが、
「江戸の妖怪革命」(香川雅信著 角川ソフィア文庫Kindle版)。
娘が、ゼミの発表で江戸時代の妖怪モノをやっていたので、家中に散在するそのたぐいの資料を引っ張り出して、2人でおもしろがっていたのだが(そもそも、なぜそのよーなミョーな資料が山ほどあるのだろうか? ←自分で集めてるんだってば!)、
妖怪譚というものが、一気に花開いたのが、実は安政五年頃のことなんだそーです。
それまで、日常生活の中で時折体験される、普通ではないような出来事(例えば、ある池ではやたらに水死者が出るとか、誰もいないはずの山の中に、ぼうっと明かりが見えた、とか)に対して、人は恐怖し、それに対して何か合理的な説明をつけて納得しようと試みた。訳の分からない現象、として何となく不安なままいるよりは、あれは池の河童に引き込まれたのだとか、あれは狐に化かされたのだとか、理由付けをして、そういうものだ、とある種の安心を得ようとしたのが、古くからある怪異譚だったわけ。
ちょうど身体の具合が悪い時に、なんでかわからないけど、調子が悪い、という不安を、病名を告げられることで、なんとなく納得して、ほっとしたりする感覚に近い。名前が付いたからと言って、説明が付けられたからと言って、その病気や怪現象が雲散霧消するわけではないんだけどね。
で、江戸も末期になると、こういう化け物話を、ただコワい、コワいと思う感覚より、(生活の安定による余裕なのか)ちょっとおもしろいキャラクターものの話、というように捉えるようになってきた。
それに一役買ったのが、有名な鳥山石燕の「画図百鬼夜行」で、これが安政五年に出ている。
元々、化け物とか怪しのモノというのには、あまり形というものが与えられていませんでした。
名前は決まっていて、「早く寝ないと、オトロシが来るよ」みたいな感じで、始終口の端に上るんだけど、具体的にどんな姿形をしている、みたいな事は、ほとんど決まっていませんでした。
ところが、石燕の百鬼夜行の絵が出て、(元々の絵柄は、いろんな絵巻物にあるモノを採用したようですが、一般の人はほとんど見たことがなかった)ぱあっと印刷物として広まった。この妖怪はこれこれの姿、といわば妖怪大図鑑のような感じで、紹介されたわけで、
このおかげで、この妖怪は、こういう姿をしたものである、というコンセンサスが出来てしまい、それにそぐわない姿のものは、「なんか、ちがう」と排除される。
こうなると、もうキャラクターもので、ゲゲゲの鬼太郎にいたるまで、日本の妖怪はこれこれ、こういうモノである、と決まってくる。(ゲゲゲの……に出てくる妖怪オールスターズも、基本は石燕から採られている)
そうなると、当初は姿はわからないけど、ともかく恐ろしいモノ、と考えられてきた化け物が、人間の姿形から逸脱した、ちょっとコワいけど、むしろおもしろいキャラクター、となっていった。
18世紀は、ヨーロッパでも博物誌的なものが大いにもてはやされた時代で、アヤシゲ~なヴンダーカンマー的なモノがたくさん残ってますが、日本もそうなんですねー。
ただただコワい、というのではなく、コワいからこそおもしろい、みたいな。
お化け屋敷はコワいけど、ちょっと入ってみたいかも……的な、私たち現代人と似通った感覚が醸成されていた時代らしい。
ちなみにこの安政五年は、
平賀源内が活躍した時代。
また、「雨月物語」もこの年に
出版されているんですって。
いやー、おもしろい時代なんですねー。
てなわけで、ホクホクと
石燕の画集を取り出してみる、と。
ぬらりひょんとか、
何ともよい絵柄でありますー(≧▽≦)
●暑さでバテてまーす♪
自分もちょっと忙しくて熱中症気味だったんだけど、東京住まいの娘が
かなりグロッキー……みたいなもんだから、急遽帰省させ、女王様のよーに上げ膳据え膳してお仕えしている昨今です。
それにしても、いつまで続くんでしょうねぇ。予報では20日頃までこの状態が続く、とのことで、まだまだ先があるんかいっ!
と思うと、さらにヤッキリ(静岡方言である。「萎える」に近いかな?)なのでアル。
あ、それにしても、今日の
地震速報、びっくりしましたねぇ!
そこら中のスマホが
ビービー唸り出し、
奈良でマグニチュード7.8とか言っている!
ど、ど、どうしようっ!
今、目の前の校正原稿の事で
頭が一杯で、何も出来ないぃっ!
青くなっちゃいましたよ。
幸い誤報で事なきを得ましたけど、
ほんとに来ちゃったら、何にも
出来ないなぁ、をまたも実感。
でもなぁ、ちょっと前まで、
こんな予知は全く出来なかったわけですから、科学というのはほんと、
スゴいもんです。尊敬します。
●で、例によって
校正地獄にハマっているわけですがー。
自分の原稿でもないのにねぇ………とは思うんですけど、本人が見て、私が見て、校閲部が見て、でもまだ、
ああっ!
なんでこんな事に誰も
気がつかない!
みたいなことが結構あるんですよね。
で、見る人によって、
見る角度が違うもんだから、
1人が見て気がつかないことを
別の人が気がついて、
何とか直しが進んで行く。
けど、上下巻なんで、やたら
量があり、
遅々として進まず……なんだわ、これが。
土曜日はオケ合わせがあるんですが、どーもこりゃ、出掛けるのは難しいなぁ、ということで、先程「すみませんごめんなさい」メールを出したとこ。
ああ、繰り返される悲劇。
●で、何が頭と尻の話かってぇと
動物の数え方の話でございます。
作品の中で、重要なキャラとして動物が出てくるんですが、
これを「一頭」とするべきなのか、
「一匹」とするべきなのか、で先日悩み、いろいろ調べていたのです。
感覚的には、大きな動物は「頭」、ちょっと小さめな動物は「匹」だよね?
と思っていたんですが、調べてみると、日本では古来動物を数える単位は「匹」が主流だったらしいんです。
源氏物語や今昔物語を見ると、
牛も馬も「匹」で数えられている!
でもでも、学術書では、
たいてい「頭」だよ?!
で、さらに調べてみると、
なんと、「頭」で数える方式は
明治時代からだ、という説にぶち当たりました。なんか、夏目漱石辺りからだそーで、英語で動物を数える時にhead「頭」で数える方式が導入されたとか。
なるほど、それで現代の学術書では、動物をカウントするのに頭を数えて、一頭、二頭……とする方式が定着したんだな、とナットク。
じゃ、「匹」って何なのよー?
と漢和辞典で調べてみると、
この字は元々、2つで1つのもの、
a pair ofを指す形象文字でした。
動物のお尻を後ろから見ると、
右のお尻と左のお尻のカーブが
合わさって、1つのお尻になってる形なんですねー。
で、動物を数える時、古代中国や古代日本では、後ろから見て、お尻の数を数えて、一匹、二匹……と。
ちなみに、最初は「2つで1つ」の意味だった「匹」は、後には「これで1つ」=(単に)「1つ」を指すようになり、おかげで「匹夫の勇」なんて言葉が出来たんですとー。
へええー。
というわけで、古代日本人は
お尻で数え、現代日本人は頭で数えている、という結論に至りましたデス。
どうも、物の見方って、昔も今も変わらないような気がしてましたが、こうやって拾っていくと、意外と細かなところに思想の変遷が感じられるのかもしれません。
ちなみに、今回の本に登場する動物は、時代小説でもありますから、古代の息吹きを伝える「匹」を採用し、尻から数えることに落ち着いたのでありました。
ま、どーでもいいネタなんですけどね。わたくし的には、ヒッジョーにウケました。まる。
自分もちょっと忙しくて熱中症気味だったんだけど、東京住まいの娘が
かなりグロッキー……みたいなもんだから、急遽帰省させ、女王様のよーに上げ膳据え膳してお仕えしている昨今です。
それにしても、いつまで続くんでしょうねぇ。予報では20日頃までこの状態が続く、とのことで、まだまだ先があるんかいっ!
と思うと、さらにヤッキリ(静岡方言である。「萎える」に近いかな?)なのでアル。
あ、それにしても、今日の
地震速報、びっくりしましたねぇ!
そこら中のスマホが
ビービー唸り出し、
奈良でマグニチュード7.8とか言っている!
ど、ど、どうしようっ!
今、目の前の校正原稿の事で
頭が一杯で、何も出来ないぃっ!
青くなっちゃいましたよ。
幸い誤報で事なきを得ましたけど、
ほんとに来ちゃったら、何にも
出来ないなぁ、をまたも実感。
でもなぁ、ちょっと前まで、
こんな予知は全く出来なかったわけですから、科学というのはほんと、
スゴいもんです。尊敬します。
●で、例によって
校正地獄にハマっているわけですがー。
自分の原稿でもないのにねぇ………とは思うんですけど、本人が見て、私が見て、校閲部が見て、でもまだ、
ああっ!
なんでこんな事に誰も
気がつかない!
みたいなことが結構あるんですよね。
で、見る人によって、
見る角度が違うもんだから、
1人が見て気がつかないことを
別の人が気がついて、
何とか直しが進んで行く。
けど、上下巻なんで、やたら
量があり、
遅々として進まず……なんだわ、これが。
土曜日はオケ合わせがあるんですが、どーもこりゃ、出掛けるのは難しいなぁ、ということで、先程「すみませんごめんなさい」メールを出したとこ。
ああ、繰り返される悲劇。
●で、何が頭と尻の話かってぇと
動物の数え方の話でございます。
作品の中で、重要なキャラとして動物が出てくるんですが、
これを「一頭」とするべきなのか、
「一匹」とするべきなのか、で先日悩み、いろいろ調べていたのです。
感覚的には、大きな動物は「頭」、ちょっと小さめな動物は「匹」だよね?
と思っていたんですが、調べてみると、日本では古来動物を数える単位は「匹」が主流だったらしいんです。
源氏物語や今昔物語を見ると、
牛も馬も「匹」で数えられている!
でもでも、学術書では、
たいてい「頭」だよ?!
で、さらに調べてみると、
なんと、「頭」で数える方式は
明治時代からだ、という説にぶち当たりました。なんか、夏目漱石辺りからだそーで、英語で動物を数える時にhead「頭」で数える方式が導入されたとか。
なるほど、それで現代の学術書では、動物をカウントするのに頭を数えて、一頭、二頭……とする方式が定着したんだな、とナットク。
じゃ、「匹」って何なのよー?
と漢和辞典で調べてみると、
この字は元々、2つで1つのもの、
a pair ofを指す形象文字でした。
動物のお尻を後ろから見ると、
右のお尻と左のお尻のカーブが
合わさって、1つのお尻になってる形なんですねー。
で、動物を数える時、古代中国や古代日本では、後ろから見て、お尻の数を数えて、一匹、二匹……と。
ちなみに、最初は「2つで1つ」の意味だった「匹」は、後には「これで1つ」=(単に)「1つ」を指すようになり、おかげで「匹夫の勇」なんて言葉が出来たんですとー。
へええー。
というわけで、古代日本人は
お尻で数え、現代日本人は頭で数えている、という結論に至りましたデス。
どうも、物の見方って、昔も今も変わらないような気がしてましたが、こうやって拾っていくと、意外と細かなところに思想の変遷が感じられるのかもしれません。
ちなみに、今回の本に登場する動物は、時代小説でもありますから、古代の息吹きを伝える「匹」を採用し、尻から数えることに落ち着いたのでありました。
ま、どーでもいいネタなんですけどね。わたくし的には、ヒッジョーにウケました。まる。
●実は次の本番が、もう待ったなしで!
昨日はヒイヒイしながら、
チラシを大量に手紙で
送り出し、その前日は
静岡組の最終練習で、
「ダメだ、ヤッパ、相澤直人作品が
てんで出来てない~(ToT)」と泣き、
で、明日は清泉で理事長の講演会を娘と聴くことになってて、夜は清水駅前に高速バスで乗り付け、北欧から里帰りしている美人盲導犬訓練士の歓迎会に参加してしまおう、という、毎日何やってんだか~、遊んでばっかじゃん! 仕事してないじゃん! 状態なんですけどぉ。
………どーして我から進んで
こーゆースケジュールにするのかなぁ。
ヤッパリ、常日頃から「戦闘モード」なんだろーか。誰に挑発されてるわけでもないんだけどなー。
そーか、きっと自分で自分を常に
挑発してるんだな。
ふっ。分かってたけどね(T^T)
そんなかわいそうな私を慰めてくれるのは、
これ。
くみちゃん手作りの梅ジャムと、
梅ジュース。
お庭にたくさん梅が成ったので、
初めて作ってみた、と静岡組練習の
時に持ってきてくれた。
甘酸っぱくて、美味しい!
特にジュースは、熱中症になりかかったヘロヘロ気分の時に飲むと、これがまた、なんともいい。
水で割って飲むんだけど、
濃いめにすると、梅酒みたいな感じ。お風呂上がりなんか、最高であります。
ありがとね! また来年も頼むね~(≧▽≦)
●で、発売日前日なんですけど!
予約注文していた青木薫さんの
書き下ろし、
『宇宙はなぜ
このような宇宙なのか
~人間原理と宇宙論』
講談社現代新書 本体価格 ¥760
が到着しちゃいました~(≧▽≦)
帯の表側に、
「一気読み必至!!!(←!が3つも!)
スリリングな科学ミステリー
パラダイムが
変わった!
科学著の名翻訳で知られる
著者初の書き下ろし」
と書いてありまぁす。
キャーキャー、カッコイい!
青木さんは、Facebookでお友達になっていただいた方で、
切り口鋭く、またユーモアたっぷりなコメントをいつも楽しませていただいています。
理系翻訳家の雄である上に、
お料理もガーデニングも
プロ級で、知的美女。
も、最強のお嫁さんですねー。
天は二物を与えず、とか言いますが、こと青木さんに関して言えば、
三物も四物も独り占めしているような~(≧▽≦)というわけで、ひそかに
憧れていまぁす。
で、どのよーな内容の本なのか?
というのが、帯の裏に書かれています。
「この宇宙は、人間が
生まれるようにできている!?
一見、トンデモ科学のような考え方が、21世紀に入った現在、科学者のあいだで急速に支持を拡げているーー。
いったい何が変わったのか?
激変しつづける宇宙像のいまを、
2000年以上におよぶ
人類の知的格闘の歴史から読み解く。」
ほらほら、そこの理系のアナタ、
もう読みたくなってきたでしょー。
●純粋文系の私に歯が立つものなんだろーか!?
と、こわごわ手に取ってみたんですが、
一気に一章を読み切ってしまい、
今、二章のニュートンまで終わっちゃって、ついにアインシュタイン登場まで行っちゃいましたよ、青木さん!
困るじゃないですか、おもしろくて!
特に一章のコペルニクスのところが、目からウロコでした。
私たちは、コペルニクスと言えば天動説から地動説への劇的な転換、と習い覚えてますよね。
それまで地球こそが世界の中心で、「我こそはー」と思っていた人類は、「実は太陽が中心で、地球なんて、ケッ、なんだよー」と言われてしまって、ガクゼン! となった………とまあ、理解してたんですが、
コペルニクス自身の考えは、
地球を下に見下す、というのとは違ったんだそーです!
見下すどころか、それまでは
神の領域で、人間には到底手が出ない至高の領域だった天空と星の世界の中に、実は自分たちの地球も含まれているんだよ、ということで、
至高の世界の中に、格上げした、という視点なんですって。
私たちが習い覚えていた考え方は、実は17世紀くらいになってから言われ始めたことだそーです。啓蒙時代ですよねぇ。コペルニクスの意図とは違う解釈が始まり、キリスト教の中世的支配も終わり、人は古代・中世とは違った視点から、「じゃ、人間て何なんだ?」「人間が生きるよりどころって何なんだ?」と悩み始めた……らしい。中世は、神と神の創造した世界が人間のよりどころだったわけですけど、それが啓蒙時代になって、その思想の根底がグラグラし始めたんですねー。
二章の方では、ストア派の宇宙論がおもしろかった~(≧▽≦)ストア派って、そんな考え方をしてたんですねぇ。宇宙論として正しいかどーかはともかく、なんか、イメージ広がりますねー。
まあ、あまり内容にタッチしても、これから読む方々に悪いし、でこの辺にしときますが、
楽しく読ませていただいてます!
ステキな本を書いて下さり、ありがとうございました!
さあさあ、皆さんも、書店に走って下さぁい!
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地球を下に見下す、というのとは違ったんだそーです!
見下すどころか、それまでは
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至高の世界の中に、格上げした、という視点なんですって。
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