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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

カテゴリー「本とか」の記事一覧
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●月末のせいか、雑用多し!

先週は模様替えに一週間かかり、
そしてまだ、細かい書類整理はてんで滞っているというのに、

今週は細々した用事が目白押しで、
結局片付けが進まないままに、
明日はソーニョ練習に備えて上京してしまうー。

で、練習終わって帰ってきた翌日は、法事が入ってしまったー!

で、着々と(?)東京都合唱祭とジョイオブの本番が近づいてくる
……というのに、どーやら7月アタマからは、著者校正本読みのお手伝いも入ってしまうらしい。

なんだかなー。

常に大忙しの私ですが、また
大忙しのスケジュールが押し寄せ、
このまま真夏に突入してしまうのでしょうねー。

今日はちょいとお疲れさんなので、
新しくゲットしたマンガで和む、と。



一応これで大団円、なんだけど、
どうやら第二集の連載が開始されるらしい。その上、また阿部寛と上戸彩で映画の第二弾もやるらしい。

フフフ。楽しみ。

●スーパーなムーンらしきものを見た

この間中、アメリカで話題だった
スーパームーンらしきものを、
夜のお散歩で見かけました。





確かに、ちょっと大きいわ。

アップにしてみたら、ちょうど
月の周りの雲が、
駆け足してる人みたい。

●一応、少し落ち着いたんだ、これでも。

いつものよーにいっぺんに
全てを片付けよーとすると、
熱中症になりそうな陽気なので、
片付けは、ともかくなるべく
ボチボチやる、をモットーに
進めています。

どーいう模様替えをしているか?
と言うと、この間まで仕事スペースにしていた空間を癒やしスペースに
変更し、ワークスペースを別の場所にする………というプラン。



荻窪から運んできたお気に入りのソファ、これまで活用できてなかったのがもったいなく、まずはこれを
えっちらおっちら移動。

昔作った編みぐるみが鎮座ましまして、勝手に和んでいるような風情。



ソファの前のテーブルには、癒し系(なのか?)グッズを並べ、



一応音楽も聴ける体制を作った。

これで、ソファでゆっくりくつろぎながら、本を読んだり、音楽を聴いたり、時にはアロマテラピーしたり~(≧▽≦)

くつろぎ空間演出の一助に、
鉛筆画も新しく買ってきた枠に入れてみた。枝豆一丁!



……なんだけど、このソファ、
気持ちよすぎるんだよねー。

チビなので、ここにまぁるくなると、ジャストサイズ。

で、グレゴリオ聖歌なんか
かけっ放しで、すぐお昼寝してしまうんだよねー。

いかん、仕事になら~ん!!


ちなみに、お仕事机は、こんな感じ。パソコン載せると、ほとんど余裕なし。


ホントはもっと横に広いデスクが欲しいんだけどな~。

元は、医療器具が載ってた鉄製のヤツ。とりあえず、やたら頑丈。

●ちょいとお祝い事もあった

私の俳句の師匠である伯父の
第二句集が発刊されました~(≧▽≦)





第一句集は『山塊』というタイトルで、平成五年六月刊行。今回のは、ここ十年くらいの作品から選んだもので、村上鬼城賞受賞作品とか、白露賞受賞作品とかが入っている。

そろそろいい年なんで、ここらでまとめておくか~σ(^◇^;)みたいな感じなんだそうですけど、身贔屓ながら、ヤッパ、いいわ~。

タイトルの滝谺(たきこだま)は、高校教師として初めて赴任した伊豆の国の天城七滝(あまぎななだる)にちなみます。

表紙帯の
 寒林の にはかに暮るる 滝谺

も好きですが、

 谺して天城七滝明け易し

 青梅雨の谿(たに)をいでざる滝谺

も好き。

 滝音に天城冷えくる寒暮かな

というのもあった。

帯裏に、自選の句が10句並んでいまして、みんな好きなんだけど、

 月光のあまねき空を年移る

 間をおいてとどく波音蟻地獄

が特に好きだなぁ。

というわけで、一冊献本してくれたので、お礼に磯自慢を持って行きました~(≧▽≦)

磯自慢、ついこの間、全国大会で金賞とっちゃったので、(さすが、私の磯自慢!)酒飲みの伯父上にはコレだな! というわけで、一本贈呈。日本酒党なんで、いつでもどこでも、すぐ日本酒いっちゃう。

「えへへ~、ありがとう」なんて、照れるところが可愛い。

このところ、芭蕉の『奥の細道』(原文版)をKindleで読みつつ、お習字の練習用に時々書き写している。これがまた楽しい。芭蕉も句会で作ったものを後で校正して、
いろいろ試行錯誤してから、完成作品として『奥の細道』に載せていて、そういう研究書がたくさんあり、昔、父がハマって読んでいました。やっぱり良い作品に仕上げるために、みんな苦労しているんだなぁ、とつい親近感を覚えてしまう。

最近伯父の家に行くと、あっちこっちの部屋にノートや本が広がっていて、うーむ、だんだん我が家のよーになってきたなぁ、と思います。

若い頃は小説も書いていた人なんで、この際芭蕉みたいに紀行文も書いたら? と、ますます忙しくなるよーなサジェスチョンをしてきてしまった。

ま、とりあえず、元気に文学しててくれるのが、ともかく嬉しいのでした。
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●アイデアを練りながら、なんとなく気に入った本を読む

・・・みたいな状態が続いているんですが、書きたいものが少しずつ
形になっていく段階って、
不思議なことに、「なんとなく、今、コレが
読みたい!」
と本をぺらぺらめくっていくと、ズガーン!

欲しかった映像的イメージとか、言語的イメージが火花を散らして
くれる! 状態に入っちゃったりする。

なんででしょうねー。

その時々で、読みたいモノは漫画であったり、エッセイであったり、
科学読本系であったり、哲学的随想・・・だったり、ともかくあんまり
脈絡はないのです。

なんか、野生のカンだけで本に走っているのですが、
たいていそれらの本の中で、「うん、これこれ!」
みたいなモノに出会うっつーか、出くわす。

これが、なんともうれしい今日この頃なのでした。

●『寅さんとイエス』

という本を昨日読み終えたところです。

タイトルからして、何じゃ、こりゃ~~!

なんですが、これが、とんでもなく
おもしろいエッセイ集だった。


そもそも、これを読もう、と思った発端はですね。
これをお書きになった著者の方を存じ上げているから。
母校の教授で、カトリックの神父さんで、
在学中に講義を受けたんではありませんが、
研究室でお話したり、先生の講演会に伺ったりして、
そのお人柄がだぁい好き♪♪♪
になった方だったこと。

で、うちの母校では、毎年各地の同窓会に、
母校の教授をお招きして、一緒にご飯を食べた後は、
ちゃっかり短い講義をしてもらっちゃう・・・という
ミョーな、つーか、他の大学ではこーゆーの、
ないだろーな、の催しがありまして。

で、今年の静岡支部の同窓会には、
『寅さんとイエス』の著者米田彰男神父さまを
お呼びしちゃうことになっている。
この同窓会お知らせ通知で、最近先生がお出しになった
本は、これですよ~、というお知らせがあった。

で、米田先生ファンである私は、
早速ゲットして、大喜びして読んでおったのでした。

●寅さんから、ピカートへ、北森へ

フーテンの寅さんと、イエスって、
実は似ている、というお話がこの本のテーマ。

何が似ているかってぇと、
どちらも、社会の既成概念を打ち砕くキャラクターであること。

社会的には敗者かもしれない立場なんだけど、
だからって打ちひしがれてない。
それどころか、どんな人にも分け隔てなく接し、
出会う人たちの心の花園にほっと明かりをともしてくれる。
お金も権力もないけど、出会う人一人一人の気持ちを
大切にしてくれる。

だからこそ、寅さんに出会った人も、
イエスに出会った人も、その春風のような存在を
忘れることができない・・・。

とまあ、そういうお話。

寅さん映画を詳しく引用しながら、イエスの話をしてくれる
楽しいエッセイ風の一冊です。

帯のところに、
「人間と世界を温かく包み込む『聖なる無用性』の根源へ」

と書いてありますが、これ、大事。

どういうことなのか、というと、現代生活の中では特に、
物や人は、「役に立つかどうか」「便利かどうか」
そういった基準だけで価値判断されることが多い。

効率化優先社会では、寅さんやイエスのような、
いわば「はみだし者」は「役立たず」「無用の人」
でしかないのです。

けど、その「無用性」こそが、実は人間の根幹に
関わる大切なことなんじゃないの?

●本文の中にも引用されていますが

この「聖なる無用性」という話、実は
マックス・ピカートという人の『沈黙の世界』
の中で語られています。


この本は、言葉と沈黙について、
音楽と沈黙についてなど、
さまざまな角度から「沈黙」って一体何?
なぜそれが存在するの?
それは、私たちにとって大切なことなの?

を哲学的に考える・・・という一冊。

たとえば無用性については、こんな具合です。

「沈黙は今日では『利用価値なき』唯一の現象である。沈黙は、現代の
効用価値の世界にすこしも適合するところがない。沈黙はただ存在している
だけである。それ以外の目的はなにも持っていないように思われる。だから、
人々はそれを搾取することが出来ないのである。
 一方、その他のあらゆる偉大なる現象は、効用の世界によって併呑されて
しまった。天と地とのあいだの空間でさえ、飛行機がそこを航行するために利用
される一種の明るい竪穴のようなものでしかない。水や火など、これらの四大
原素も効用価値の世界のなかへ奪い込まれていて、それらがこの効用世界の
一部をなすかぎりにおいてのみ意識されるにすぎない。それらはもはや独自の
存在を持ってはいないのである。」

要するに、沈黙そのものは、現代社会では、全く何の役にも立たないものであり、
人は、沈黙に価値を認めることはあまりありません。どころか、それが存在する
と意識することも、まれ。

じゃあ、沈黙はなくてOKのものなのか?

というと、そうじゃないんだよ、沈黙があるからこそ、
言葉はより深く心に響き、音楽はより心に沁みるんだよ、
見えないし、意識もされないものだけど、そこにこそ
人間にとって大切なものがあるんだよ・・・

と訴えている本なのです。

この『沈黙の世界』という本が、米田先生の著書の中に
引用されているのに、実はものすごく感激したのです。

●若い頃には読めなかった本

『沈黙の世界』、たぶん19歳くらいの頃に、
タイトルに惹かれて買ったんだと思います。

ですが、その当時はどうしても理解できず、
一行読んでは首をひねり、一体何を言いたいのか、わからない、
ついていけない・・・で、結局ほとんど読めなかった。

それでも、何となく捨てられず、ずっと本棚に
置いていました。学生時代に住んでいた部屋を
引き払い、実家に荷物を運んだ時も、やっぱり
何となく捨てられず、持ってきました。

実に30年以上経った今になって、
やっとしっかり読み出せるようになりました。
ともかく一行一行が、含蓄に富み、
どこもかしこも、読み飛ばすことが出来ない。
それに太刀打ちできず、タジタジとなって
若い頃は読めなかったのでしょう。

今やっと読みだして、
一行一行が染み透るのを感じています。

●年月を過ごすことで

やっと何とか、見えてきたものがあるのかなぁ、と思います。

翻ってみると、若い頃は、ほんとに何も考えられてなかったんだなぁ、
と思います。ああ、穴があったら入りたい。

若い頃も、毎日が新しい経験に充たされていたはずなんだけど、
それらから学び取ることが、まったくできていなかったんだよなぁ。

どうも、成長が遅くて遅くて、
我ながら嫌になりますが、
今これらの本に出会い直すことができて
良かったのかもしれませんね。

米田先生の引用されている本は多岐にわたり、
和辻哲郎の「風土」とか、
北森嘉蔵の「神の痛みの神学」とか、
あるいはシモーヌ・ヴェイユだとか、

完璧に理解が及んだ、とはとても言い難いのだけど、
昔から興味をもっていたものが続々現れる。
もちろん、私の神様・遠藤周作の「沈黙」も出てきます。

人の中にある沈黙のダイナミズム、
あるいは神の沈黙のダイナミズム、
そういったものに思いを馳せています。

●で、他のランダム読書のターゲットは

みょーな形態のいきものを紹介するシリーズ
『へんないきもの』(早川いくを著・寺西晃絵)

江戸時代の生活をイラストで解説した
『図解江戸の暮らし事典』(学研 歴史群像シリーズ)

なんてのも見ています。

が、その一方で、『ダ・ヴィンチ・コード』で有名な
ダン・ブラウンの新作"Inferno"もおもしろく読んでたりします。

ああ、あっちこっち乱読。

"Inferno"はこの5月に出たばかりなんで、まだまだ
邦訳は出ないんじゃないかな~と思いますが、

内容は、ダンテの神曲地獄篇と、フィレンツェとヴェニスと
黒死病・・・がモチーフで、前半はフィレンツェが舞台、
後半はヴェニスが舞台で、もーそれだけで、
嬉しくってしょーがない。

ダンテのデスマスクが出てきたり、
ポンテ・ベッキオやら何やら、
去年イタリア旅行で自分が実際に
歩いたところがやたらに出てくるので、
それだけで大いに盛り上がり。

ちなみにポンテ・ベッキオ付近を
散策した時には、こっそり小声で
「わたしのお父さん」(歌詞の中にポンテ・ベッキオが出てくる)
を歌うのを忘れませんでした~♪

●で、乱読・並読をしながら

いろいろアイデアを練って、あれかな、これかな、とか
書いています。

だいぶ前から温めていたアイデアが一本あり、
それを今年は何とか形にしてしまおう!
というのが目標であります。

アイデアを練っていくと、ああしよう、こうしよう、
あ、こっちもおもしろい、おお、この資料は使える、
え、こっちもいいじゃん!

といろいろ自分の頭の中だけで妄想が広がり、
これはこれで楽しいのですが、

いざ、物語に落とし込んでいく時に、
考えたり、調べたりしたことの全てを
ぶち込むわけにはいかず、必ず剪定作業が必要になる。

調べたり、考えたり、練ったりしたことは
みんないとしくて、それらの中で取捨選択するの、
ちょっとつらい時もある。

んだけど、一冊の完成度を考え、
えいや、で大ナタふるって、
要らないものを見極め、テーマを絞り込む。

これが楽しいって言えば楽しいし、
苦しいって言えば苦しい。

けどまあ、ここで使わなかったことは、
また別のところで使えるかもしれない、
書く機会はないかもしれないけど、
ここで悩んだことは、きっとどこかで、
何かの時に自分の役に立つものかもしれない。
いや、役には立たないかもしれないけど、
それに出会ったこと、それを考えた時間こそが、
心の財産になっていくのかもしれない。

そんなことを思ったりします。

このネタも、あのネタも好きだし、
おもしろいと思うんだけど、
だからと言って、全部をぶち込んでも仕方がない。
結局、今、自分が一番書きたいものは何か?
を基準にして、ナタをふるう。

ナタをふるうために、
自分の中にまず、栄養を入れる。
取り入れた栄養の中から、
これ、というものが出てくる。

そーいうことを野生のカンで、
今、やってるらしい。

米田先生の本や、ピカートの本の栄養を
ともかく詰め込んで、なんとか咀嚼したい。
そこから今度は
どんな形で出てくるのか。
どんな形で出せるのか。

ワクワクと同時に、
自分に出来るのか? とドキドキする日が続いている。

●三島駅前に大岡信ことば館

という美術館がある、という情報を
今朝I東君からもらった。

昨日の夜から、ちょっと一つ書き出していて、パソコン持ってお散歩に行って、書いてもいいかも……と思っていたので、ぶらっと三島に行ってみることにした。

さすがに東海道線じゃ、書けないよね~(ToT)と思っていたのだが、やって来た電車は、かつての東海号。

えええ?! 鈍行にこれ、使われてるわけ?



うっひゃー、ラッキー。

三島までの一時間、パソコン広げてパコパコ打ち込みしちゃいました。

●三島駅北口からすぐ

と地図には書いてあるんだけど、どーももひとつわからないので駅員さんに聞いて確認。

北口ロータリーを出て、線路に反って右に行く。なぜか日大国際関係学部の校舎が建っている。で、その次のビルが予備校で有名なZ-KAIのビル。実はここの1~2階が美術館なのである。





モダーンできれいなビルですねー。

早速入ってみることに。

料金は、大人500円!

や、安い!

さらに、65歳以上は200円!



ちょっとしたワークショップが出来るこんなラウンジや、



オシャレなソファーのある休憩室もある。

で、ここ、



目の前に新幹線ホームが見える!

穴場?

家に帰ってきてから、パンフをよくよく見たら、フレンチビストロレストランなるものまであった! ランチとカフェタイムと、ディナータイムがあるんだって。今度はこっちも寄ってみなくちゃ!

●で、肝腎の展示ですが

今回の展示は、
「若き日の大岡信 西湖詩篇」。
同時開催で、三島時代の大岡さんに焦点を当てた「ふるさとを歩く」とか。

展示の雰囲気は、こんな感じ。
さすがに展示会場を撮影するわけにはいかないので、ショップで購入してきた絵葉書でお見せしますねー。















詩という文字の芸術を、美術館という空間で、どうやって見せるのか。

普通は、まあ、文学館的な展示しか考えられませんよね。

そういう展示もないわけではありませんでしたが(直筆原稿とかも見られた)、言葉や文字の持つ視覚性を前面に押し出して、空間をいっぱいに使った展示になっていて、すごく面白かったです!

嬉しいことに、ステキな椅子やソファーや、さらに磨き抜かれた木の床の上に、ちょこんと座れるように、クッションがあちこちに配置されている。

文字の展示に見入ったり、メモを取ったり(メモを取りたい人用に、ちゃんと入口に鉛筆が用意されている!)で、実にゆったりとした時間を過ごして参りました。



文字を床にも散らしたりする展示が面白かったな~。マンガ『蟲師』の中に、文字につく蟲の話があって、それが素晴らしくて唸ったことがありましたけど、あれに近い感覚かなぁ。

館長さんが造形家の岩本圭司さんという方なので、これからも大岡さんの言葉をおもしろく見せて下さるのではないか、と大いに期待!

●気に入った詩をいくつか。

「夢のひとに」

 あなたは
 あしうらで
 白い貝を
 踏みつける
 うつむいたきり

 わたしは
 砂をにじりながら
 半球の彼方
 燃え落ちる雲を
 見つめていた

    ※

 あなたのピアノ
 窓をへだてるだけなのに
 遥かなところで鳴っている
 わたしをおいてその室内は
 蒼空にうかびあがる

 壁にもたれて
 麦藁帽子を灼けるにまかせて
 わたしは
 眺めることを許されぬ
 空のピアノを聞いている

 わたしの心は荒れているのに
 海のうねりは穏かすぎる!

この詩は、白い吹き抜けの壁に、まるで浮き彫りのように展示されていました。

若い頃の詩のような感じですね。

年譜展示の中に、
1993年、62歳の時の作品がありました。6月から11月までの滞独中に、母の訃報に接した時のもの。

「母を喪ふ」

ベルリン芸術会館の屋上テラスを
青空が覆つてゐる
青葉がざはめき
その風の上を 暗くもなく
寂しげもなく むしろ明るく 
   張りをもつて
おれの名を呼びながら
声になつたおふくろが昇っていくのを
おれはテラスの椅子に座つてありありと見た

この詩のような夢を、母が亡くなった後、三日目くらいに見ました。以来、母は夢に現れません。あちらの世界に、いったんだなぁ。もう帰って来ないんだなぁ……と思いました。今でも時々思い出して、泣きながら寝てたりするんですけど、やはり「昇っていったのだ」という強い思いが、私の中にもありますね。

昇っていった人たちには、ただ言葉を捧げることしか出来ない。言葉を捧げることでしか、私たちは世界を感じることが出来ない。

この詩、メモに書き留め、幾度もかみしめてしまいました。

言葉の力って、どこまでも深い。

●今日は、水辺散策はしなかったんですけど

桜川沿いに建てられた大岡さんの詩碑に、こんなのがあるそうです。

故郷の水へのメッセージ
(水辺の文学碑)

 地表面の七割は水
 人体の七割も水
 われわれの最も深い感情も思想も
 水が感じ 水が考へているに
           ちがひない

自分の中に
湧き上がる水が
見える。


●おまけ



清水に帰りつき、駅から家までお散歩して帰りました。
浜田の踏切脇に、こんなお花が。
初めて見ました。何て言うんでしょうね。



で、自分ちの隣の神社で、森林浴。

ぶらり途中下車の旅……みたいな1日でしたが、何か大事なものを与えられたような気がします。出掛けてみて、良かった。

書くのに迷った時、また来よう。

●……という口実の下、

ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」、また読んじゃった~(≧▽≦)

で、引き続き、「天使と悪魔」に入っちゃえ~………と。

一応、なるべく音読して、英語の口慣らしもやっときました、ハイ。

この人の作品、まあ、ネタが好みなもんですから、時々無性に読みたくなります。

細々したところは、ちょっとこの文体が、なんか~…とか、このプロット、詰めがどうよ~…みたいなの、ないではないんですが、ヤッパリ読ませる。

主人公をiconographyの専門家で、ハーバードの教授、と設定したのが秀逸だよね。いろんなうんちくを無理なく解説できる。

それにしても、映画でハリソン・フォードのイメージが固定されてるんで、読んでても、ああ、ハリソン・フォードがうんちくたれてる、ああ、ハリソン・フォードが悪者に殴られて転がってる、とかイメージしてしまう。(ちゃっかり本文中にハリソン・フォードに似てる、と講演会で紹介されてたりする)

●Kindle仲間の従姉に

先日長野で、新しいKindleを自慢してたんですけど、彼女も日本語の本や、マンガをKindleにしようかなぁ、と考え中。(彼女がマンガを読むなんて、今まで知らなかった!)

日本語の表示はお気に召したんだけど、マンガがコミック本よりもちょっと小さめになっちゃうのが、「う~ん(T^T)」。

思ったよりキレイなんだけど、ヤッパリ小さくて見づらいそーです。

従姉は、出先で読むことはない人なんで、コンパクト化より、二倍くらい大きいサイズが出れば、マンガも読めるのに! と主張しております。

ま、確かにちょっと、マンガを読むには小さめだよねー。

けど、紙のマンガは、どうしても場所を取るんで、それが困るんだよねー、とのこと。私も、紙の本を増やさないように、ということでKindleを活用してます。紙の感触が、ホントは一番しっくり来るし、paperwhiteでは白黒なんで、カラー原稿の美しさをじっくり鑑賞することは出来ないし………なんですけどねー。

ま、second bestってことで。

あ、そうそう、先日のボストンマラソンの爆破事件追悼の式典での、オバマさんの演説というのも、読んだ。この人の演説は、ヤッパリ元気でるわー。

●で、練習地獄は、まだ自主的に続けている、と。

火曜日の夜、練習の後に役員会?
みたいなのをやっていて、で、帰りがけに、次の5月の本番の時にやる曲が増えたってぇ話を聞きまして~

(^。^;)ま、また増えましたかー。

ま、うちのマエストロでは
ひじょーにありがちなんですが。

ロ短調ミサの最終曲
Dona novis pacem

がちゃっかり追加になりましたー。

キャーッ!

で、夜中にあわてて譜面を
読みましたデス。

うう、磐田オリジナルメンバーは、
みんな本番で歌っているので
危なげないですが、
私はロ短調は本番、まだ載ったこと
ないんで、これから勉強デス。

幸い、音採り的には、
それほど苦しくはない曲なんで、
ま、まあ、そのうち何とか
なるだろー……と。
今週土曜日には練習があるんで、
それまでにきっちり見ておかねばねー。

うーむ、またやる曲が増えている。

少しは仕事もしなくちゃいけない、と頭の中でネリネリはして
るんですけどぉ、まだネリネリが
足りないみたいで、書き出せてません。ネリネリが足りてくると、自然と一気に書き出す、というのが私のやり方で、ネリネリ、ネリネリの時間が結構かかる。自然と発酵するまで待たないと、書いてももう一つノリが出なかったりする。仕方がないので、またしばらく、ネリネリ、ネリネリ、………。

まー、そのうち何とかなるだろー。
●またKindleの話です。

昨夜ブログを書いた後、また
フラフラとKindle shopに
行ってしまい(24時間いつでも
本屋に行けるってのも、コワい
罠だよなー)、またエラいモノを
発見してしまった。

●目黒寄生虫館、行ったことありますか~?

以前行って、ワクワクしてきた
ミョーな奴は、私です、はい。

ショップで寄生虫のホルマリン漬け写真満載のクリアフォルダをお土産に買ったりしちゃいました。一部のコアな人々にウケました。

で、その、寄生虫館の藤田先生がモデルの「カイチュウ先生」というマンガがKindle配信されているのを発見してしまったのですー。

で、とりあえずサンプルをダウンロードして、うん、ちょっといいかなぁ……で、サンプルじゃない方に手を出して、えぇとその、一気にハマりました。

●藤田先生が超イケメンになってる!

なんか、お人形のよーに可愛い美しい男女ばかり出てくるんだけどね。実際の藤田先生がそのよーなイケメンかどーかはともかく、演出としては楽しいね。超イケメンで、超ヘン(ヘンであることが重要!)なところが、とっても魅力的です。

で、超イケメンの藤田先生は、顔に全く似合わず、日夜寄生虫採集に燃えてて、はたから見れば、超ヘンなんだけど、本人は大真面目。で、超ヘンな格好をして早朝から動物の糞採集のために出動。配属された美人助手がげんなりしながらついていく、と。

とまあ、こんな話から寄生虫によって引き起こされる病気とか、腸内細菌とうまく付き合わないと健康になれない、の話とか続いていくんですが、最後にインドネシアの話になる。

これが面白かった。

お若い頃にインドネシアで働く企業派遣の日本人の人たちのために、健康診断をしにいき、日本とはまるで違う環境、また考え方などを知り、寄生虫学に開眼?!したというお話。

日本社会では常識になっている機能とか効率性とか、あるいは極度の清潔指向とか、そういった文明社会的なモノを、インドネシアの奥地で全てひっくり返された藤田先生は、闇雲に細菌や寄生虫を殺して無菌状態にしようとする現代社会は、何かどこか、間違っている、と警鐘を鳴らします。

実際に藤田先生のように生きるとか、インドネシアの人たちのように自然とまさに一体化して生きるのは、私たちにはムリかもしれないけど、ナルホド、といろいろ考えさせられます。

寄生虫とか気持ちワルくてダメ、絶対ダメ! の方にはあえてオススメしませんが、こういう研究者もいるんだ、すごいもんだ、と読んでみるのもいいんじゃないかなー。
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