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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

カテゴリー「本とか」の記事一覧
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●蒸し暑くなったり、梅雨寒になったり………

で、家族がしっかり風邪を
引いてしまい、あっちで
ゴホゴホ、こっちで
グズグズやっている
今日この頃。

自分は軽く済んだみたい
なんだが、喉をやられ
ちゃうと、仕事にも
練習にも差し支えるので、
何とか自衛中。

で、東京でのソーニョ練習を
サボって、とりあえず
家で読書三昧の
週末です。

●うっかり、またクリスティーにハマっている。

耳で聴く本、という
事で、このところ
Audibleを楽しんで
います。

ハリポタ全巻朗読の
Stephen Fryにニマニマし、
オリエント急行殺人事件の
David Suchetにまた
ニマニマし、

あー、向こうの役者さんたちは
英語ばかりでなく、
時々ポワロが叫んだりする
フランス語も、雰囲気いいなぁ、
スゴいもんだなぁ………

とか感嘆しているうちに、

またまたクリスティーを
読みまくりたくなり、

マープルさんの
13 Problems(邦題『火曜クラブ』)を読み直し、
ポワロさんの
Orient Express読み、
ABC殺人事件読み、
次はやっぱり
スタイルズ荘かなぁ……
とか思っていたところに、

むっちゃおもしろい
クリスティー評論の
本にぶち当たってしまいました。

東秀紀さん著の

『アガサ・クリスティーの大英帝国』(筑摩選書)



という本で、
日本推理作家協会賞受賞作。

これが超おもしろくて、
困る!
クリスティー好きなら、
必携である。

長年イギリスものを
読んできて、
やっぱりビクトリア朝時代とか、第一次世界大戦前後とか、
その時代背景がまたおもしろく、

ビクトリア女王と
ドラキュラ伯爵が結婚して、
世はバンパイア全盛の
時代、という途方もない
舞台設定のアン・ライスの
『ドラキュラ紀元』シリーズまで愛読しちゃってる
わたくしとしては、

大英帝国の盛衰という
時代背景は憧れでもあり、
常に興味の対象なのです。

同時代を書き続けた
作家として、
第一次・第二次世界大戦を
目の当たりにし、
さらに戦後の大いなる
変化を実体験した
クリスティーは、
1975年に八十代で
亡くなるまで、
世界的著名作家として
生きたわけですが。

その長いキャリアの中で、
現代にもつながる
グローバルツーリズム的
舞台装置を駆使した
グランドオペラ的名作と、

古き佳き田園生活という
イギリス人の心のふるさと、
日本で言うなら里山的な
世界に展開する
人間ドラマと、

2つのテーマを
追い続け、書き続けた
作家ではなかったか?
という観点から
論評したのが、この
『アガサ・クリスティーの
大英帝国』。

なるほど、ツーリズムという
観点から見ると、
意外とこの時代の
イギリスの歴史が
すっきり見えてくる。

それと、
門外漢なので、
これまで敬遠していた
都市計画論のさわりが
紹介されていて、
戦後のイギリスが
何を求めてきたのか、
少し分かってきた。

過去を懐かしみ、
その品格を惜しみつつも、
失われた大帝国ではなく、
新しい時代の
新しい骨格を作り上げよう、と
試行錯誤を続けている国。

今もなおBrexit問題や
移民問題など、
荒波はいつ果てるともしれない
けれど、
時を越え、さらに進まねば
ならない国。

そんなイギリスの
波乱に富んだ同時代に
肩を並べるようにして
書き続けたクリスティー。

その眼差しは、
決して大向こう狙いの
ものではなく、
むしろ、
普通の人の、普通の暮らし
の中に渦巻くさまざまな
感情にこそ注がれている。

そして、
自身が生きている国の、
今、現実に人々が
経験している変化の
大波の中で、
自分はどんな作品を
書いていけるのか、
常に自らに問い掛けて
いた作家だったのではないか。

………と、そういった事を
考えながら、ぐいぐいと
読み進めてしまい、
うっかり1日で
読み切ってしまいました。

しまったー!!

おもしろい本って、
途中でやめられないんだよね。

そして、
本論中にチラチラと
紹介される
クリスティー作品の
あれも、これも、のおかげで、

「また読みたいよ!」

の気持ちが沸き起こってしまった。

こうなったら、
ポワロもマープルさんも、
トミーとタペンスも、
また次々読んでやるー。

それにしても、まだ
読んでなかった
『ポケットにライ麦を』で、
お気に入りのキャラが
殺されてしまうのだ、と
知らされてしまった衝撃!

うーん。
読むしかないな。













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●久々に新しい本にハマりました。

Amazonでヒット中の
『世にも奇妙な医療の世界史』というのを読みました。



内科医で小説家の女性と、
ルポライターの男性の共著で、
要するにトンデモ医療オンパレードの医学史トリヴィア集。

よっぽど評判が良い本なのか、
原著発行からすぐに
日本語版が出ており、
原著オーディオ版まである。



例によってKindleで
読んだんですが、
医療モノなので単語が
難しいかなぁ?
と最初はサンプルを
ダウンロードして試し読み。
(要するに立ち読み)

便秘とか通風とか下痢とか、
てんかん発作とか、
まあ、その手の言葉が
繰り返し出てくるのだけど、
だいたい知ってるヤツだった。
Kindleだとその場ですぐ
辞書も引けるので、
これなら何とかなるでしょー、
という事で英語版購入。
 ↑
原著のKindle版が
一番安いのも決め手!(^_^)v



かなりの分量があったので、
ほぼ10日かかって読みましたが、か~なり楽しめました!

どーしてこう、ヘンな
ネタに目がないのか、と
我ながら思うが、
語り口が軽妙なので、
つい、へーへーホーホー
しながら先に進む、と。

ちなみに日本語版Kindleのも、
サンプルを立ち読みしましたが、楽しそうでした❤

詳しい内容は、ネタバレに
なっちゃうので割愛しますが、

こーゆー医療トリヴィアものが
大好きな私も「初めて見たよ、こんなの!」というのが
たくさんあり、

多少気持ち悪いのも、
字面なら大丈夫………の方、
オススメします。

読んでみると、

人間って、つくづく
病気には弱いものなんだなぁ、
と思いました。

具合が悪い時って、
ともかくパッ、と
治って、シャカシャカ日常に
戻りたい、と切実に
思うものじゃありませんか。

けど、なかなか
そうはいかなくて、
ちょっとした風邪でも、
薬を飲んだ瞬間に
「全快!」
になったりはしません。

ましてや、難しい病気では、
ちゃんと治るのか、
いつ治るのか、
元のようになれるのか、
と、不安は尽きません。

現代のように
身体の中のことも、
どうして病気になるのかも、
かなり分かってきている
時代ですら、
人間は病とは無縁では
ありませんから、

身体の仕組みも、
細菌感染の仕組みも、
ガンやその他の大病発症の仕組みも、
全く五里霧中の時代には、

「あれが効くそうだ」
「こっちが効くそうだ」
というあやふやな噂に
右往左往して、
ホントに藁にもすがる
思いでキミョーキテレツな
薬にハマるしかなかった
のかもしれません。

万能薬、あったら
ホント、うちにも欲しい………
と思うもんなぁ。

●もう一つハマってるヤツ

最近流行っている
本をラジオのよーに
耳で聴くヤツ。

Amazon系列のAudible
というのを導入しました。

日本語の詩集の朗読とかも
いいが、とりあえずは
やっぱり英語練習モード
なもんで、英語の本を
聴く、と。



最初に入れたのは、
Heidegger and a Hippo Walk Through Those Pearly Gates
というお気に入りの
哲学おもしろ解説書。

死について
いろんな哲学者たちが
考えた事を、
ジョークを交えつつ解説。
なつかしのキルケゴールとか
ハイデッガーとか出てくる。
(ハイデッガーがハイジとか
呼ばれてたりして、それだけで
爆笑できる!)

このシリーズ、
タイトルが必ず言葉遊び
(つーか、ダジャレ?)に
なっていて、アメリカン
ジョークの定番の形を
踏襲している。
ちなみにPearly Gatesは
「天国の門」のこと。

●で、今楽しんでるのは……

やっぱり大好き、
ハリポタシリーズ。



これ、イギリスの俳優で
コメディアンで、クイズ番組の
司会から映画監督、作家まで
こなすStephen Fryさんという
超名人上手が全巻を読んで
いて、それはもう、
これでもか、の名人芸の嵐。

オーディオ版は、
どうしても普通の本より
お高くなってしまうんだけど、
この名人芸一人芝居を、
いくらでも好きなだけ
繰り返し堪能出来る、と
考えれば、一人芝居の舞台に
行くよりはお得かなぁ、とか
思う。

ただいまハリポタ第1巻賢者の石を聞いているところですが、

スネイプ先生やダンブルドア先生もいい味出しているのはもちろんのこと、

どもりがちのクィレル先生の
どもりとか、
ペットが逃げ出して泣いている
ネヴィルの泣き声とか、
ドラコ・マルフォイの
妙に気取って、スラーを
かけたような話しっぷりとか、
ハグリッドの笑いとか、
ちょっと正規っぽくない
話し方(my fatherが
me fatherになったりする)
ハーマイオニーが早口で
まくし立てるところとか、

いやもう、
お~み~ご~と~なり!

ともかく、登場人物全てを
1人の読み手が
やってるものだから、
聞きながら思わずブラボー
してしまう。

男性の読み手だけど、
頑張って女性も個性を
分けて演じていて、楽しい。

(ちなみに映画版に登場する
マクゴナガル先生が、
ボストンの秘書科学校で
お世話になった先生に
すごーくよく似てて、
すごーく懐かしい。
タイピングと文法を
習いましたが、性格も
見た目もマクゴナガル先生。
厳しいけど、ちゃんと
生徒をよく見てくれている方で、いろんな事をこの先生
から習いました。)

日本語版ハリポタは、
なんと、風間杜夫さんが
全巻を朗読!
Audibleで探すと、
サンプルを聴けます。
やっぱり、いい声で、
いい味~。
こちらもそのうち
聴いてみたい。

●で、ハリポタでイギリス英語

を聞いて、なるほどなぁ、
アメリカ英語とはこういう
ところの発音が違うのね、
とかとか楽しんでいるんですが、

最初に習った英語が
アメリカ英語なので、
やっぱりアメリカ英語も
聴きたくなる。

Dan Brownの『ダ・ヴィンチコード』とか、Rick Riordanのファンタジーシリーズとか、

好きで何度も読んでる本が、
実はアメリカ英語と
イギリス英語の両方を
うまく使っていたりする。

主人公がアメリカ人、
物語を動かすサブキャラが
イギリス人、みたいな作り
になっていて、どっちの
英語も堪能出来る!

すっかり英語オタク。



兄がアメリカ育ち、
妹がイギリス育ち、という
設定。朗読は男女2人体制。

まあ、こうやって、
アメリカ英語・イギリス英語の
両方に接しておけば、
例えばイギリスに留学したい、
アメリカに留学したい、
という生徒さんが
来ても、違いとか説明できる
かもしんない。
おそらく、どんとこい!
であろう、とか思ったりする
わけで………。
 ↑
仕事のため、というのは、
ほぼ言い訳に過ぎない、とは
分かっているが、
多分、
けっこー、役に立つに違いない!(^-^;




●(火)は練習だー! 声出しだー!

先週の練習では、キーボードを弾くことに
終始して、てんで声を出せなかったので、
今週は声出し、声出し。

開始時間の7時に練習会場に入ったら、
ソプラノはセカンドさんが2人だけ。
仕事のシフトの関係で、どうしても
開始時間には間に合わない人が多いので、
ちょっと寂しい。
ファーストは自分1人しかいない。

で、座席が空いててスカスカするので、
みんなが来るまでセカンドさんの隣にいこうっと………で、
いつもと違う場所に座っていたら、
曲の途中とかでだんだん人が増えてきて、
いつもの場所に戻れなくなりましたー。(^◇^;)
アハハハ、バカだねー。

まあ、上下に別れる曲じゃなければ、
問題ないかー。

と、ノホホンとしていたら、
いきなりモテット3番に入ってしまった!

ヤバい。

2番とか、バカ速い上に、
ソプラノ1とソプラノ2はカンペキに
独立して動く作り。

座席位置からすると、2をやらないと
お隣のセカンドさんが迷ってしまう。
で、後から入ってきた、普段は
セカンドを主にやっている人々に、
『ゴメン、ファーストやっといて!
今日はセカンドやるー』
と勝手な事をほざいたのだった。
(鬼のよーなヤツである。泣いていた友達、多数………)

途中で場所を移動しようか、とも
思ったんだが、サクサク進めてらっしゃるので、
椅子をガタガタやってると先生に怒られちゃうし。

ワタクシ的には、久しぶりにセカンドをやってみて、
「なんだ、セカンドの方がおもしろいし、
ハモりの要じゃないか!」と気づくシーンが
たくさんあり、非常に勉強になりました。

ファーストばかりやっていると、
和音の中での自分の役割なんか、
考える余裕もなく、ともかく高い音を
出さなくちゃ、と夢中になっちゃいますが、
ソプラノ1のカウンターをやりつつ、
アルト的な役割も担い、さらに
アルトとのハモリに常に注意を払わないと
お役目が果たせないセカンドをやると、

やっとハモリ組の中に入れた!
みたいな感じになりました。

今、どういう音色が必要とされているのか、
今歌っているこのフレーズは、どこのパートに
つながるものなのか、一瞬一瞬確かめながら
進んでいける。

うーん、すごく勉強になった!
おもしろかった!
おもしろいんで、自宅学習で
セカンドも全部取っておこうっと(^_^)b

●ヤバい。ノンフィクションものはハマる。

で。

仕事も押せ押せ状態ではあるんですがぁ、
直近の大急ぎの分は、先程一応終わったので、
夜は珍しくのんびりムード。
 ↑
ここんとこ、夕食終わると、ヘタヘタと
洗い物して、コーヒー淹れて、また仕事に
戻る………というブラックな毎日で、
料理をしてる時とお風呂に入る時だけが
息抜き………というヤバい状態。

けど、料理をしていると、脳がリラックス
するのか、急に妙なアイデアが浮かんだり、
スクワットしたくなったりする。
つくづくミョーな奴である。

で。

ついこの間、息抜きにBBCニュースを
アプリで見ていたら、

Adolf Hitler was the ''''Fuhrer of drugs'''' - http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-37592253

「ヒトラーは、実はドラッグ漬けだった!」

というドッヒャーなノンフィクションの本の
紹介にぶち当たりまして。

困った事に、忙しいと言いながら、
サクサクとKindleでダウンロードして
読み始めてしまい、ちょっと止まらなくなって
るんですよー。(≧▽≦)(≧▽≦)(≧▽≦)
  ↑
てんで困ってない。

この本に引かれたのは、まず、タイトル。

元々作者はドイツのライターさんで、
この作品が本格ノンフィクション作家
としてのデビュー作で、華々しく英訳本の
宣伝がBBCニュースに載ったわけ。

作者ご本人の動画付きで、
緊張しているのか、可愛くどもったりしてて、
好感持てちゃう。

で、試しにKindleで探したらヒット。

"Blitzed:  Drugs in Nazi German"
by Norman Ohler
translated by Shaun Whiteside

という本です。

このタイトルが、実はスゴく洒落れてるんですヨ!

最初見た時、
「あれ? Blitzって、なんか、見た事あるなぁ」と
思って調べ始めました。

で、すぐに普通の英和で当たりがついた。

これ、第二次世界大戦の時のドイツ空軍による
ロンドン大爆撃(1940~1941)の事なんですって。

ちなみにGoogle翻訳で、元々のドイツ語では
どんな意味? と引いたら「稲妻(Lightning)」だった。

あれ? モテット3番にあったな、コレ………
 ↑
と、やっと気づく、と。
※Facebookに載せたら、gackyがマタイにもある事を指摘してくれた! さすが、gacky!
歌った事があるのに、スッコーンと忘れていた。

さらに、今並行して読んでるMagnus Chaseシリーズ
という北欧神話ファンタジーに出てくるキャラクター
名でもあった! もー、すぐ思い出せー!
  ↑
※ちなみにコレ、舞台は現実世界のボストンと
北欧神話の世界とがつながっているというお話で、
ご当地モノとしても超ウケている。
自分がよく知ってる通りの名前や建物が
たくさん出てくるので、いちいちウケている。
先日読んでたところでは、New Burry Streetという
オシャレな通りのカフェでThinking Cupという
何やら意味深な名前が出てきたので、つい
Googleマップで調べた。ちゃんと実在している
人気のカフェであった!(お店のURLもある。
何やらオーガニックな雰囲気であった)

いかん。また脱線してる。

ヒトラーの本のタイトルに戻りまーす。

Blitzは、元々がドイツ軍の作戦暗号か何か、
だったような気がするんですが、
肝心の本のタイトルになってるBlitzedは、
後ろに「-ed」が付いて形容詞になっている。

で、この単語も、普通の英和に、
Blitzと並んで出てきます。

意味は、(主にアメリカの俗語)で、

「酔っ払った」!

ドラッグとからめると、
「ラリってる!」みたいなニュアンスかな?

ナチ帝国は、実はラリっていたのだった!

的なタイトル。1単語でビシっと、
稲妻的に決めているのであった。いいなぁ、これ。

●かいつまんで解説

第一次世界大戦で負け側になったドイツは、
ベルサイユ条約でがんじがらめにされ、
国外に資源を求める事が難しく、
国内資源は少なく、失業者は町に溢れ、と
国民全体が暗い失意の底にありました。

これを盛り返そうと、
資源がないドイツは、科学力で
他国と対抗する道を突き進みました。

ちょうどビタミンやら
抗生物質の開発競争が盛んな時代です。
この頃合成に成功したのがメタンフェタミン、
いわゆるスピードと呼ばれる中枢神経刺激剤。

ヒトラーも、掛かり付けの医師を
常に身近に置き、疲れが出ると
こういった化学製剤を注射してもらっていたらしい。
独裁者としては、疲れた、とか、身体の調子が
悪い………なんてシーンは、絶対国民に見せられ
なかったのでしょうね。ましてナチスは、
イメージ宣伝力で国民を鼓舞し続けるしか
なかったし。

そう思うと、あのヒトラーの、両腕を振り上げつつ、
早口にまくし立てるカリスマ的な演説も、
ドラッグのなせるワザだったのか……と、
ちょっとガクゼン。

SSとかじゃなくても、ごく普通の庶民も、
ごく普通にこういった薬を常用していた
らしいんです。

ものすごく元気になる!
頭が冴える!
力も出る!
だるくならないし、睡眠不足でもパッチリ!
食欲も抑えられるので、ダイエットにも最適!
まさに、万能薬!

…………アブナー(ToT)

ドイツ車のフォルクスワーゲンVolkswagenが
「国民車」という意味である、というのは有名ですが、

このメタンフェタミン入りの錠剤、
Pervitinという、
何やらビタミンっぽいネーミングの市販薬
として大流行しました。

Volkes Droge=people''s drug(国民薬)
とまで呼ばれたそうで、一家に1箱の
常備薬になっていたんだそうです。

こ、こわ…………。

これら化学合成麻薬がもてはやされた時代、
ナチスが権力を握り、それと同時に
経済も上向きになり、失業者も激減。
ドイツ社会は、「それいけ、やれいけ!」
の雰囲気だったようです。
そのアッパーな雰囲気についていくためにも、
元気が出る薬、脳に効く薬、それも、
飲んだらすぐ効く、というのが常に求め
られていたのだそうです。

当時の人々には、この奇跡の万能薬が
実は人間を根本から蝕む麻薬だ、ということが
分かってなかったんでしょうね。

どうしてそうなっていったのか、
その背景は、その発展は、
というのを、豊富な資料でしっかり
検証した大著デス。

そのうち邦訳が出るかもしれませんが、
今読むなら、Kindle版がオススメ。
Kindle端末がなくても、アプリで
読める上に、わざわざ自前の辞書を
引っ張り出さなくても、画面上の気になる
単語から、すぐに辞書に飛べるし、
wikipediaにも飛べるんで、薬品名なんかが
出てきても、コワくない!

まだまだ読み始めたばかりのところで、
先はう~んと長そうなんだけど、
すごく読みやすい。
ノンフィクションものがお好きな方に
オススメします!

つい、グイグイ読んでしまうので、
仕事はとどこおるけど、
ま、いいか。

後で泣こう。





●まだジョイオブの余韻覚めやらず………

ありがとうメールとか
楽しかったメールとか、
飛び交いまくっているんですけど。

東京では、ジョイオブ本番翌日に、ソーニョの三善練習があって、
高い声部の人々は、Hを出せ、
出すんだ~攻撃を受けたようで。

でも、T井さんのメールによると、
ソプラノは声が伸びてきて、
良い仕上がりになっていたそうです。やった。安心して
ノンビリ構えていこうっと(^_^)ノ

ともかく難しい2曲で、
それも年がら年中週1で
練習があるワケでもない
季節性集団なので、
皆さん自主トレをせっせと
やられているに違いない。

これだけの難曲だと、
この先またステージに
掛ける機会が巡ってくるか
どうかアヤシイので、
ともかく一生懸命準備はしないと………と思ってはいる。

(火)の静岡バッハ練習で、
当たりも戻ってきたので、
少ししっかり譜面と
取っ組み合ってみよう。

●とか思ってるんだけどー

また別の絶壁が来るらしい……
という話がジョイオブ本番前夜に
来ましてね。

ちょっとアタマ、抱えてます_| ̄|○

何が絶壁か?

って言うと、11月13日に
予定されている磐田の演奏会。

※11月12日が東京都男フェスと君津合唱祭のダブルヘッダーで、東京だけでも応援に行っちゃおうかな~(*⌒▽⌒*)と、画策してたのだが、13日本番ってことは、12日はリハだよね! (゚◇゚)ガーン

オ・サ・ボ・リして
東京に逃避行するか?
とか思ってみたが、
磐田メンバーはそもそも人数
ギリギリなんで、そんなこたぁ
許されないフンイキ。

さらに、恐ろしい事に、
経費節約も兼ねて、
メンバー内でいろいろ
ソロもやらせる、と先生が
のたまっているという!

ギャー!!(^0^;)

もちろん難しいのは
磐田メンバー内のプロソリストが
やってくれるのだが、
そこそこの曲はやらせてみよう、
という先生のありがたい(?)
仰せがあったのだそうな。

で。

このコンサートでやるのは、

MozartのRegina Coeli
VivaldiのGloria
FaureのRequiem

で、モーツァルトのソロは
超絶難しいのがゴマンとあるので、これはソリスト任せ。
考えることは何もない。
 ↑
が、最近練習に出られてなくて、
合唱部分の音取りを全くして
なかった。ジョイオブ本番前夜に
あわてて全部音取りしたのは
私デス。

また、フォーレのレクイエムの
ソプラノソロも、候補が
決まっているらしいので、
多分、考えることは何もない。

で。

問題はVivaldiにいくつか
あるソプラノソロ。
この辺を修行のために
やれ、と言われる可能性がある
のであった。
 ↑
で、これも譜面買っただけで
てんで見ていなかったんで、
あわてて見る、と。

ああ、高い絶壁。

割り当てが決まって、
指導が始まっちゃえば、
結構落ち着くと思うんですが、

どれが来るのか、
あるいは来ないのか、
全く未知数………というのが
ノミの心臓にはこたえるのであった。

●それでも、ちょっと良い事もあった。

(火)の静岡バッハの練習は、
日本語の発音練習用に
武満の「小さな空」の通し、

シュッツの「十字架上の7つのイエスの言葉」の合唱曲2曲、

さらにバッハのモテット3番の
うち、後半部分(Gute Nacht以降)。

ここまでやって、ほぼ規定の時間満了に近かったのだが、

抜き打ちテストがあった。

モテット6番の
Lobet den Herrn, alle Heidenの
前半部分を、いきなりの
in tempo攻撃!

うわぁ、しばらく歌ってないけど
覚えてるかどーか(っていうか、
静岡バッハのメンバー、これ、
ほとんどやった事ないんじゃ?!)………とか考えているうちに振り始められてしまった。

…………で。

これがその、むっちゃくちゃ
楽しかったのでした!(≧▽≦)

この曲、ソプラノは
軽々しく音を回して回して、
いつもより回しておりま~す状態
でいかないと、途中で乗り遅れて
しまう。息つくヒマもない。

けど、その分集中できるのか、
やってるうちに、
やたら楽しくなってきた。

しめた。高い所の当たりが出る!
対・三善作戦に最適か?

というわけで、ニコニコで
歌いまくって喜んで
帰ってきました。

うん、これだけ当たりが出れば、
三善のHも何とかなるでしょー。

なんだかんだ言って、
根っからの歌いたがりなんだな、うん。

きっとそのうち、Vivaldiも
あれやりたい、コレやりたい~、
とか、ほざき出すに相違ない。

●良い事その2

つい先日Kindleで偶然
見つけたマンガがすごくお気に入り。

『応天の門』灰原 薬著

平安初期モノ。

主人公はまだ文章生で二十歳くらいの菅原道真。ろくに人にも会わず引きこもって本ばかり読んでいる。人間嫌いっぽい目つきのワルーイ道真。天才肌で小生意気でアル。

これにからんでくるのが四十代の在原業平。「伊勢物語」の主人公であるとか、光源氏のモデルさんであるとか言われている元祖イケメン。酸いも甘いも噛み分けた渋いオジサマで、女性関係は未だにかなりお盛んなご様子ではあるが、実はかつて駆け落ち騒ぎを起こした藤原良房の姪高子(後の清和天皇妃)が忘れられない。

両極端な2人の中を取り持つ形で登場するのが、道真と同年輩の紀長谷雄(きのはせお)。ごくフツーの感覚の持ち主で、可愛いフンイキの狂言回しといった風情。長谷雄草紙というマニアックなモノがあることを知っていると、妙にウケるキャラである。

この3人が物語を動かしていくのだが、平安時代にありがちなモノノケ的事件を、怨霊などアタマから信じていない道真が、あくまでも理詰めで解いていくという連作推理モノ。遣唐使によってもたらされる文物が日本にどんな影響を与えたのか、かなりキッチリ描き込んであるところも秀逸。

まず目からウロコだったのが、道真と業平が同時代に生きていた、というところ。そー言えばそうだ!

ちゃんと調べれば分かる事ではあるんだけど、業平の物語と、道真の物語が同時進行的に語られる事はまれで、なんか結び付いていなかった。

業平は、平城天皇の孫に当たるので、それなりに高い身分の人。
駆け落ちしようとした相手は、当時既に政界を牛耳っていた藤原氏の本家筋の姫君で、入内して天皇妃になるべき身の上。

そういう女性に手を出したのみならず、駆け落ち騒ぎを起こしたんだから、身分が低ければ殺されていただろう。身分が高かったからこそ、命が助かったんだろうけど、その後も政界でちゃんとそれなりの地位を得て生き残ってたんだ、というのに思い至らず、かなりビックリした。

紀長谷雄は、広辞苑を見ると、道真と同い年なのに、その道真に師事して、後に文章博士になり、道真が遣唐使に任ぜられた時には、遣唐副使になったんだとか。へぇぇ、この可愛いキャラが……。史実ってフシギ。

で、時代はちょうど藤原良房が人臣で初めて摂政関白になろうかな、という頃で、既に藤原氏に逆らったら、イノチが危ない時代……。応天門の変で有名な伴善雄が迫力満点の強面オジサンで、藤原氏何するものぞ、と対抗している(んだが、まんまと毒を盛られたりして、道真に助けられる)。

ブキミでこわーいのが、
藤原良房の養子に入り、後継ぎとなっている藤原基経。高子の兄で、先に亡くなった良房の兄の子。白面の貴公子で一見女性かと思えるほどの面立ちで平安貴族らしく紅を付けてたりするんだけど、冷たい笑みが超コワい。義父の良房は、笑顔の裏で睨みをきかせている感じの悪役で、まだコッチの世界の人っぽいが、基経は、ちょっとアッチの世界にイッちゃってる雰囲気。コワくて、いいんだぁ。「ハンターvsハンター」のヒソカっぽいデス♡


 ↑
最新刊の5巻表紙を飾る基経サン。
コワくてステキ。

応天門の変で滅ぼされることになる伴善雄は、有名な歌人の大伴家持の子孫にあたります。かつての大伴氏は朝廷の軍事面を司る有力氏族でした。「大伴」から「伴」氏に改名したのは、大伴皇子の御名をはばかったからとか。

善雄が生まれた頃の伴氏は、政界の第一線からは遠ざけられ、地方長官クラス。二流・三流どころに落ち着いていた一族を叱咤し、中央政界に返り咲きし、1人気を吐いていたのが善雄さん。大納言にまで出世していた。

史実では、応天門に放火したかどで一族もろとも滅ぼされることになっていますが、ほぼ冤罪でしょう、と言われていますね。

この辺りに道真が、業平が、長谷雄がどう関わっていくのか、先がとっても楽しみであります。o(^-^)oワクワクo(^-^)oワクワク
 ↑
現在Kindle版では5巻までで、まだ応天門は焼かれてません。o(^-^)oワクワクo(^-^)oワクワク

以前は、マニアックな平安モノなんて、
なかなか書かせてもらえませんでしたが、
こ~んな濃いモノも堂々とヒットする時代に
なったんですね~。

「陰陽師」大ヒットのおかげかもしれません。

やっぱり傑作が道を切り開いていくんだな。
よかよか。

●オマケ写真



蒸し暑いので、冷凍みかん。

恒例ジョイオブの朝のお接待の残りデス。
はー、冷たくって和む~(≧▽≦)




●音楽史の本に大当たり!

磐田で先生が時々解説して下さる
「マッテゾンの調性格論」が載ってる本を、
図書館で見つけたヨ~ヽ(^0^)ノ
とAちゃんが言うので、ちらっと見せてもらったら、

左ページに調性の性格論(バロック時代、調が変わると、
音の性格も変わる、としたもの)の一覧表があり、
右ページにはバッハの「シンフォニア」ヘ短調BWV795
のアナリゼがあり、「ため息の音型」とか「十字架の
音型」とか「嘆きの低音」とか書いてある!

「ため息」「十字架」「嘆き」も、
先生が教えて下さったヤツで、

こ、これは、買って勉強しないとっ!

と急いで購入。

『文化としての西洋音楽の歩み
  ~わたし探しの音楽美学の旅』
田村和紀夫著 音楽之友社刊 2013年


  ↑
今、この本が一番のお気に入りなのでアル(*^▽^*)

●実は、音楽史の姿を借りた思想史の本っぽい!

副題となっている「わたし探しの~」
というのが、クセモノです。

「わたし探し」では、いかにも女性向けの
心を元気にするシリーズか?
みたいな気がするんですけど、

何の事はありません。
古代から現代に至るまでの、
音楽美学のバックグラウンドにある
その時代その時代の哲学、
時代を作った思想思潮をも、
コンパクトに解説してくれたもので、
私には絶好の教科書でした!

「わたし探し」というと柔らかいけど、
要するに「自分とは何か」とか「存在とは何か」とかとかの、昔っからある哲学の根本テーマのお話を、
音楽史の中でグングン語ってくれているのです。

つい面白いんで、既にモーツァルトまで
読んじゃって、次はベートーヴェンに突入デス。
本の最後までたどり着けば、ジョン・レノンの
お話まで読める。お得!(なのか?)

たいていの音楽史の本は、
古代の美学哲学については詳しく解説
してくれていて、実は音楽とは、
音を奏でるとか、歌うことが主体ではなく、
天上界やら天空やらの形而上世界の
バランスを数学的に突き詰めていく学問だった………

みたいな話が載っているワケで、

数学まるでだめ子の私などは、
「そうかー、古代だったら音楽なんて
小難しくて、パスだったなー」みたいに
スルーしてしまうかも……という感慨を抱くのみ、
なんですけどね。

この本は、音楽史の重要な時代を支えた
各時代の思想について、ズバズバと
解説してくれてるんですヨ!
そのヘンが、すごく新鮮!

思想史と音楽史って、私の中では
別の柱だったみたいで、あんまり
繋がっていない。(ダメじゃん!)

バッハの時代に、「我思う故に我有り」の
デカルトが出てきて、

「あ! そうかー、そういや、ルネサンスの
後だもんね! そうかー、バロックって、
デカルトかぁっ!」

と、ミョーにウケちゃったりしている。

知ってる人にとっては、
何を今さら驚いているのか?
なんだけどさ………(-。-;)

モーツァルトの時代が
フランス革命の時代だってことは、
子供時代のモーツァルトが、
子供時代のマリー・アントワネットに
プロポーズしたという有名な逸話で
知ってたんだけど、

この本を読みながら、
『フィガロの結婚』が出来たのが
フランス革命の3年前であるとか、

ハイドンの時代はカントの『純粋理性批判』に
始まる三大批判集(「批判」と訳されてるけど、
要は理性とは何か、判断力とは何か、みたいな
事をせっせと書いた本。意外と読みやすくて、
確か昔、『純粋理性批判』の前半1/2をイッキ読み
した覚えがある)の時代であるとか、

哲学史の勉強をするのに、
避けては通れないグレートな哲学者たちの
話がチョロチョロ出てくる。

ちなみに「デカンショー、デカンショー、で
半年暮らし~、ヨイヨイ♪」の「デカンショ節」は、

前述のデカルト・カントに、
ショーペンハウエルが加わり、
「デカンショ」(acronymだー)になってる
んだけど、現象学の大家ショーペンハウエルは、
ベートーヴェン時代、ロマン派の頃に登場
してくる哲学者。掲載写真、眼光鋭い、
強面のオジサン…………(^-^;)

そうかー、ベートーヴェンとショーペンハウエルかぁ。

シュトルム・ウント・ドランクっぽいなー。
激動・激情、任せておきなっ!
みたいなお二方の面構えを見ているだけで、
なんか、ナットクー!

●あ、ナルホドー、で嬉しかった事。

ジョスカン・デプレの辺りを読んでて、
ものすごーくナットクした事がありました。

このヘン、ルネサンス美術から
バロック美術への発展段階とタイアップ形式で
解説されてて、これがわたくし的には
すごくナットク。

ルネサンスで、ギリシャ的理知的なモノが
脚光を浴び、それまでキリスト教中世で
抑えつけられてきた自由な人間性が一気に
解放され、美術の表現もだいぶ変わったんですが、

あまりに何でも明確に、クッキリはっきり
描いてみたら、なんか、画面の統一感がなくなっちゃった!

遠近法創出で、人間の目が見ている感じが
尊重されるようになり、ナルホド、人間の目は、
目の前に起こる全ての事を均等に、明確に
認識してるんじゃないんだ、という事が
分かってきた。

そこに、ダ・ヴィンチが考え出した
「スフマート法」というのが現れて、
これでなおさら、人間の目に嬉しい絵が出来た。

スフマートというのは、要するに輪郭線を
ほわほわほわ~、とぼかす手法。

それまでの絵は、物を描くのに「線」と「面」で
描いてきたのだけれど、人間の肌なんか、「線」で
捉えると、はなはだ硬質。で、線をぼかす
手法が考え出されたワケ。一番の実作例は、
「モナリザ」の手の表現かなぁ。あれ、
見てると吸い込まれちゃうよねー。

で、このスフマート的な手法を
音楽でやったのが、ジョスカン・デプレだ、
っていうのが、この本の主張。

全てのパーツを均等に目立たせるのではなく、
目立たせるところと、そうでないところの
「対比」(これ、バッハでも重要!)
をつけることによって、描きたいテーマに、
自然と人の耳が、人の目が引き寄せられる。
それがジョスカンの起こした革命的な部分………
だったらしいデス。

ナルホドぉ~ヽ(^0^)ノ

そう言われてみると、
なんとなく分かったような気がするー。

●さらに嬉しかった事。

古代ギリシャの音楽を解説しているところで、

ニーチェの『音楽の精神からの悲劇の誕生』(1872)
の話が出てきて、いっぺんにウキウキ♪

この本は、短大の美学ゼミで読まなきゃいけなくなり、
恐る恐る紐解いた、人生初の哲学的な本でした。

ニーチェが27だか28歳で出した(天才って、やーねー)
本で、実は古典文献学の本で、哲学書として
書き出したモノではないらしい。ところが、
文献学的には、典拠があいまいで、
こんなモノ、認められない、と当時のドイツ
文献学界からは大ブーイングを受けてしまい、
大学の教授だった(再び、天才って、やーねー)
ニーチェは、教職を追われてしまうんだけど。

この本で示された芸術の2大要素というのがある。

アポロン的なもの(理知的、光り輝くイメージ)と
ディオニュソス的なもの(情動、情念的、光に対する
影のうごめき的なイメージ)、の2つです。

芸術は、2つの
相反するものを内包することで、より美しくなる。

陰と陽の示す人間性の深遠。

ニーチェが
残したテクニカルタームは、今でも
しっかり生きています。

ちなみに書名に出てくる『悲劇』とは、
『ギリシャ悲劇』の事で、オイディプスの
物語などを演劇と音楽で演出するモノです。

※最初、ゼミの先生に「これを読め」と
言われた時には、まだ「ギリシャ悲劇」の
存在すら知らなかったんで、
一瞬「メロドラマ? 昼メロ?」とか
イメージしちゃったものですが………(^。^;)

で。

短大生当時、決死の覚悟で読み始めた
ニーチェでしたが、なんか、意外とツボに
はまってしまい、夢中になって読んでしまいました。

『悲劇の誕生』を読み終わった後も、
ニーチェ熱が覚めず、確か2、3冊目を通した
覚えがありますが、「ニーチェはハマりやすい
んで、注意が必要でアル」という噂なんで、
そのヘンでやめておいた。(三島もハマって
読みまくったけど、こーゆー天才肌の人の本って
ハマりやすいよねー)

とまあ、そんな思い出の本が、
音楽史の本の中に出てきたもんだから、
ちょっと嬉しくなっちゃって、
つい引っ張り出してみた。

Kindleを捜したら、英訳版
もあったので、第1章の1項まで、ざっと
見てみた。

そしたら、Elysiumという単語が
目に飛び込んできた。

え? あれ?

これ、ベートーヴェンの第九に
出てくる「エリュージウム」(天国の楽園を指す)
だよね?!

なんで、ニーチェに出てくるの?!

で、慌てて西尾幹二先生訳の日本語版に
戻って解説を読んだ。
※昔は岩波文庫で読んだような気がするのだが、
Kindleでは、中公クラシックスというので出ている。
解説によると、ニーチェの『悲劇の誕生』は
西尾先生にとっても若き日の初めての訳本で、
記念碑的なモノなんだそうだ。そうかぁ~( ´艸`)←ファン

ニーチェのワーグナー崇拝は有名な話で、
この『悲劇の誕生』も、後半はワーグナー崇拝
論調なもんで、そのヘンも学界で叩かれる要因
だったのだと思うけど、

フレデリック・シラーとベートーヴェンへの
思い入れも並々ならぬモノがあったようで、
よくよく「エリュージウム」辺りを読み返して
みたら、

なんだ、これ、
第九のバスソロ冒頭部分、
ほとんどそのまんまじゃん!

でした。

短大生当時は、まだ第九未経験だったんで、
沁みなかったんだなー。

第九、1回でもやると、
Elysiumの発音とか意味とか、
徹底的に教えられるもんねぇ。

そうかぁ、ニーチェ先生も、
第九で、
シラーの詩に燃え上がったクチなんだ。

なんか、一気に親しみ湧いちゃったよ。

ちなみに『悲劇の誕生』発刊の1872年は、
ベートーヴェン没後45年。

ほとんど同時代の大先達って感じだったのかも。

哲学者なんて、まあ、自分とは
全くレベルの違う人々なんだけど、
思想の根底にあるのは、
実は心の経験で、

ちょいと小難しい事を言ってるみたい
だけど、きっとこういう事を言いたかった
んじゃないかなぁ、というのに行き当たる
事がある。

うん、なんとなくワカルよ、
そうか、そんな事考えたんだ。
じゃ、言葉ではうまく言えないから、
音で表現してみようかな。
いやいや、絵の方がうまく表現できるんじゃないか。

………なんて、みんな考えて、
いろんな作品を作ってきたのかもしれないなー。



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