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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

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実は、この本にハマっている。
●音楽史の本に大当たり!

磐田で先生が時々解説して下さる
「マッテゾンの調性格論」が載ってる本を、
図書館で見つけたヨ~ヽ(^0^)ノ
とAちゃんが言うので、ちらっと見せてもらったら、

左ページに調性の性格論(バロック時代、調が変わると、
音の性格も変わる、としたもの)の一覧表があり、
右ページにはバッハの「シンフォニア」ヘ短調BWV795
のアナリゼがあり、「ため息の音型」とか「十字架の
音型」とか「嘆きの低音」とか書いてある!

「ため息」「十字架」「嘆き」も、
先生が教えて下さったヤツで、

こ、これは、買って勉強しないとっ!

と急いで購入。

『文化としての西洋音楽の歩み
  ~わたし探しの音楽美学の旅』
田村和紀夫著 音楽之友社刊 2013年


  ↑
今、この本が一番のお気に入りなのでアル(*^▽^*)

●実は、音楽史の姿を借りた思想史の本っぽい!

副題となっている「わたし探しの~」
というのが、クセモノです。

「わたし探し」では、いかにも女性向けの
心を元気にするシリーズか?
みたいな気がするんですけど、

何の事はありません。
古代から現代に至るまでの、
音楽美学のバックグラウンドにある
その時代その時代の哲学、
時代を作った思想思潮をも、
コンパクトに解説してくれたもので、
私には絶好の教科書でした!

「わたし探し」というと柔らかいけど、
要するに「自分とは何か」とか「存在とは何か」とかとかの、昔っからある哲学の根本テーマのお話を、
音楽史の中でグングン語ってくれているのです。

つい面白いんで、既にモーツァルトまで
読んじゃって、次はベートーヴェンに突入デス。
本の最後までたどり着けば、ジョン・レノンの
お話まで読める。お得!(なのか?)

たいていの音楽史の本は、
古代の美学哲学については詳しく解説
してくれていて、実は音楽とは、
音を奏でるとか、歌うことが主体ではなく、
天上界やら天空やらの形而上世界の
バランスを数学的に突き詰めていく学問だった………

みたいな話が載っているワケで、

数学まるでだめ子の私などは、
「そうかー、古代だったら音楽なんて
小難しくて、パスだったなー」みたいに
スルーしてしまうかも……という感慨を抱くのみ、
なんですけどね。

この本は、音楽史の重要な時代を支えた
各時代の思想について、ズバズバと
解説してくれてるんですヨ!
そのヘンが、すごく新鮮!

思想史と音楽史って、私の中では
別の柱だったみたいで、あんまり
繋がっていない。(ダメじゃん!)

バッハの時代に、「我思う故に我有り」の
デカルトが出てきて、

「あ! そうかー、そういや、ルネサンスの
後だもんね! そうかー、バロックって、
デカルトかぁっ!」

と、ミョーにウケちゃったりしている。

知ってる人にとっては、
何を今さら驚いているのか?
なんだけどさ………(-。-;)

モーツァルトの時代が
フランス革命の時代だってことは、
子供時代のモーツァルトが、
子供時代のマリー・アントワネットに
プロポーズしたという有名な逸話で
知ってたんだけど、

この本を読みながら、
『フィガロの結婚』が出来たのが
フランス革命の3年前であるとか、

ハイドンの時代はカントの『純粋理性批判』に
始まる三大批判集(「批判」と訳されてるけど、
要は理性とは何か、判断力とは何か、みたいな
事をせっせと書いた本。意外と読みやすくて、
確か昔、『純粋理性批判』の前半1/2をイッキ読み
した覚えがある)の時代であるとか、

哲学史の勉強をするのに、
避けては通れないグレートな哲学者たちの
話がチョロチョロ出てくる。

ちなみに「デカンショー、デカンショー、で
半年暮らし~、ヨイヨイ♪」の「デカンショ節」は、

前述のデカルト・カントに、
ショーペンハウエルが加わり、
「デカンショ」(acronymだー)になってる
んだけど、現象学の大家ショーペンハウエルは、
ベートーヴェン時代、ロマン派の頃に登場
してくる哲学者。掲載写真、眼光鋭い、
強面のオジサン…………(^-^;)

そうかー、ベートーヴェンとショーペンハウエルかぁ。

シュトルム・ウント・ドランクっぽいなー。
激動・激情、任せておきなっ!
みたいなお二方の面構えを見ているだけで、
なんか、ナットクー!

●あ、ナルホドー、で嬉しかった事。

ジョスカン・デプレの辺りを読んでて、
ものすごーくナットクした事がありました。

このヘン、ルネサンス美術から
バロック美術への発展段階とタイアップ形式で
解説されてて、これがわたくし的には
すごくナットク。

ルネサンスで、ギリシャ的理知的なモノが
脚光を浴び、それまでキリスト教中世で
抑えつけられてきた自由な人間性が一気に
解放され、美術の表現もだいぶ変わったんですが、

あまりに何でも明確に、クッキリはっきり
描いてみたら、なんか、画面の統一感がなくなっちゃった!

遠近法創出で、人間の目が見ている感じが
尊重されるようになり、ナルホド、人間の目は、
目の前に起こる全ての事を均等に、明確に
認識してるんじゃないんだ、という事が
分かってきた。

そこに、ダ・ヴィンチが考え出した
「スフマート法」というのが現れて、
これでなおさら、人間の目に嬉しい絵が出来た。

スフマートというのは、要するに輪郭線を
ほわほわほわ~、とぼかす手法。

それまでの絵は、物を描くのに「線」と「面」で
描いてきたのだけれど、人間の肌なんか、「線」で
捉えると、はなはだ硬質。で、線をぼかす
手法が考え出されたワケ。一番の実作例は、
「モナリザ」の手の表現かなぁ。あれ、
見てると吸い込まれちゃうよねー。

で、このスフマート的な手法を
音楽でやったのが、ジョスカン・デプレだ、
っていうのが、この本の主張。

全てのパーツを均等に目立たせるのではなく、
目立たせるところと、そうでないところの
「対比」(これ、バッハでも重要!)
をつけることによって、描きたいテーマに、
自然と人の耳が、人の目が引き寄せられる。
それがジョスカンの起こした革命的な部分………
だったらしいデス。

ナルホドぉ~ヽ(^0^)ノ

そう言われてみると、
なんとなく分かったような気がするー。

●さらに嬉しかった事。

古代ギリシャの音楽を解説しているところで、

ニーチェの『音楽の精神からの悲劇の誕生』(1872)
の話が出てきて、いっぺんにウキウキ♪

この本は、短大の美学ゼミで読まなきゃいけなくなり、
恐る恐る紐解いた、人生初の哲学的な本でした。

ニーチェが27だか28歳で出した(天才って、やーねー)
本で、実は古典文献学の本で、哲学書として
書き出したモノではないらしい。ところが、
文献学的には、典拠があいまいで、
こんなモノ、認められない、と当時のドイツ
文献学界からは大ブーイングを受けてしまい、
大学の教授だった(再び、天才って、やーねー)
ニーチェは、教職を追われてしまうんだけど。

この本で示された芸術の2大要素というのがある。

アポロン的なもの(理知的、光り輝くイメージ)と
ディオニュソス的なもの(情動、情念的、光に対する
影のうごめき的なイメージ)、の2つです。

芸術は、2つの
相反するものを内包することで、より美しくなる。

陰と陽の示す人間性の深遠。

ニーチェが
残したテクニカルタームは、今でも
しっかり生きています。

ちなみに書名に出てくる『悲劇』とは、
『ギリシャ悲劇』の事で、オイディプスの
物語などを演劇と音楽で演出するモノです。

※最初、ゼミの先生に「これを読め」と
言われた時には、まだ「ギリシャ悲劇」の
存在すら知らなかったんで、
一瞬「メロドラマ? 昼メロ?」とか
イメージしちゃったものですが………(^。^;)

で。

短大生当時、決死の覚悟で読み始めた
ニーチェでしたが、なんか、意外とツボに
はまってしまい、夢中になって読んでしまいました。

『悲劇の誕生』を読み終わった後も、
ニーチェ熱が覚めず、確か2、3冊目を通した
覚えがありますが、「ニーチェはハマりやすい
んで、注意が必要でアル」という噂なんで、
そのヘンでやめておいた。(三島もハマって
読みまくったけど、こーゆー天才肌の人の本って
ハマりやすいよねー)

とまあ、そんな思い出の本が、
音楽史の本の中に出てきたもんだから、
ちょっと嬉しくなっちゃって、
つい引っ張り出してみた。

Kindleを捜したら、英訳版
もあったので、第1章の1項まで、ざっと
見てみた。

そしたら、Elysiumという単語が
目に飛び込んできた。

え? あれ?

これ、ベートーヴェンの第九に
出てくる「エリュージウム」(天国の楽園を指す)
だよね?!

なんで、ニーチェに出てくるの?!

で、慌てて西尾幹二先生訳の日本語版に
戻って解説を読んだ。
※昔は岩波文庫で読んだような気がするのだが、
Kindleでは、中公クラシックスというので出ている。
解説によると、ニーチェの『悲劇の誕生』は
西尾先生にとっても若き日の初めての訳本で、
記念碑的なモノなんだそうだ。そうかぁ~( ´艸`)←ファン

ニーチェのワーグナー崇拝は有名な話で、
この『悲劇の誕生』も、後半はワーグナー崇拝
論調なもんで、そのヘンも学界で叩かれる要因
だったのだと思うけど、

フレデリック・シラーとベートーヴェンへの
思い入れも並々ならぬモノがあったようで、
よくよく「エリュージウム」辺りを読み返して
みたら、

なんだ、これ、
第九のバスソロ冒頭部分、
ほとんどそのまんまじゃん!

でした。

短大生当時は、まだ第九未経験だったんで、
沁みなかったんだなー。

第九、1回でもやると、
Elysiumの発音とか意味とか、
徹底的に教えられるもんねぇ。

そうかぁ、ニーチェ先生も、
第九で、
シラーの詩に燃え上がったクチなんだ。

なんか、一気に親しみ湧いちゃったよ。

ちなみに『悲劇の誕生』発刊の1872年は、
ベートーヴェン没後45年。

ほとんど同時代の大先達って感じだったのかも。

哲学者なんて、まあ、自分とは
全くレベルの違う人々なんだけど、
思想の根底にあるのは、
実は心の経験で、

ちょいと小難しい事を言ってるみたい
だけど、きっとこういう事を言いたかった
んじゃないかなぁ、というのに行き当たる
事がある。

うん、なんとなくワカルよ、
そうか、そんな事考えたんだ。
じゃ、言葉ではうまく言えないから、
音で表現してみようかな。
いやいや、絵の方がうまく表現できるんじゃないか。

………なんて、みんな考えて、
いろんな作品を作ってきたのかもしれないなー。



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