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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

カテゴリー「本とか」の記事一覧
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●これを外して何とする!

奈良旅行で大騒ぎしていた
火・水・木・金の後は、
初めてののぞみ乗車(静岡から乗る時はひかりが標準)で
東京へすっ飛んで行き、

ソーニョ練習でしごかれ、
一泊して翌日は
小石川の凸版印刷ビル内の
印刷博物館で25日から開催されている

「ヴァチカン教皇庁図書館展II」へGO。

宗教学専攻なら、行くしかないっ!





●まずは、トッパン様の偉容を見よ~(≧▽≦)






 ↑
フツーのビルと比べると、
その巨大さが分かる!

デカい!

スゴい!

この中に、ミュージアムも、
コンサートホールも、
さらにオシャレな
レストランも、喫茶店も入っている。

これまでトッパンホールでの
演奏会に来る機会がなかったので、初体験のトッパンビルに、ただもう、唖然。
いやー、豪華だわ。

●ともかくすさまじいお宝三昧なんですヨー(@_@)

まず、メイン展示会場に
入る手前のエントランスホールに、

印刷の歴史をたどる展示がある。これがまた、楽しい。

羊皮紙やらパピルスやらの
レプリカ満載の上に、
古代から現代までの
印刷歴史がステキな
フィギュアで綴られている。
もうこれだけで、
へーへーほーほーして、
結構な時間をかけて
観てしまった。





いかん。

この調子では、
いつまで経っても
トッパンビルから
出られない!

メイン展示に行っくぞぉ!

●まずは、カトリックの資料でワクワク!


 ↑
1511年版のラテン語聖書。イタリアで作られたもので、
旧約聖書の「創世記」冒頭。

左頁の挿画は、
天地創造の図。
なんか、その辺のオジサンが
庭仕事でもやっているような
雰囲気で、天地万物が
創造されとる!

きれいな絵柄なんですが、
ちょっとイメージ、
違うんですけど(^◇^;)


 ↑
で、いきなりの重要文献、
来た~~~~(≧▽≦)

1546年の「トリエント公会議決定集」。

カトリック教会の、いわゆる全体会議を「公会議」と言って、「三位一体論」を教会の公式見解とする決定………のような最重要テーマを決める会議を指します。

この1546年のトリエント(イタリア語でトレント)の会議は、カトリックとプロテスタントの和解を図ろうとして、延々とすったもんだした歴史的会議。ルターの宗教改革に対して、カトリックはどういう立場をとるか、プロテスタントをカトリックの中に、受け入れるのかどうか、みたいな話し合いがもたれました。

結局のところ、プロテスタントとカトリックは、これ以降別々の道を辿る事になり、20世紀になって、やっと融和が図られて、カトリック・プロテスタント双方で使われる新共同訳聖書が出来る、と。

●ヘブライ語で書かれると、雰囲気、違う~!



1610年出版のヘブライ語聖書。羊皮紙。

オランダのライデンで作られたものだって。

当時、ヘブライ語・アラム語(イエス在世時の世俗語。イエスはもっぱらこのアラム語を使っていた。ヘブライ語は、神聖語で、エジプトで言うなら神官が使っていた神聖文字ヒエログリフ)・アラビア語研究の最先端を行っていたのが、このライデンだったんだそーです。

にしても、ヘブライ語って、
ほとんどメソポタミアの楔型文字みたいだよね。大昔、聖書考古学の初歩で、アルファベットだけは見たことあるけど、ものすごく中東の匂いを感じる字体です。読むのも、
右→左だったような。(ひょっとしたら、
一行目は右→左で、その次は左→右とか、教えられたよーな気もします。どっちにしろ、てんで読めない世界………。






 ↑
アルブレヒト・デューラーによる黙示録! 迫力~。

他にもボッティチェリが描いたダンテの『神曲』に出てくる地獄の階層図、なんてのもあって、うわー、うわー。

美術史的にもお宝の山です。



美術と言えば、
広大なヴァチカンのどこに、どんな風な雰囲気で
この図書館があるか?

を3D映像を駆使して
紹介するデジタルマッピング映像も見もの。

あ~、こんな
図書館が自宅にあったら
いいのになー。



ルネッサンス時代に、
古代ギリシャ・ローマの文献を大量に収蔵したヴァチカン図書館は、アリストテレスやホメロスやプリニウスや
ガレノスや、ともかく
古代の「ここは押さえとけ!」みたいな文献だらけ~。

上の写真は、ローマの博物学者で有名なプリニウスの「博物誌」。





こちらは古代ローマの建築家
ウィトルウィウスの「建築書」。

元々は、紀元前33~22年頃に書かれた土木・機械・軍学などの技術辞典で、素材論、方位学、天文学などなど多岐にわたる分野をカバーしたもの。

ウィトルウィウスって、初めて聞きましたが、こぉんなものを紀元前に………とても、勝てません。

やっぱりローマ帝国は偉大なのでアル!


 ↑
ユークリッドの「幾何学原論」。


 ↑
アリストテレスの「自然学」。ギリシャ語の活字が、この上なく美しい。

●ルネッサンスの次のコーナーは、ローマカトリックと東洋のつながり

イエズス会を創設したロヨラやザビエルらが、ローマ教皇に承認されて、晴れてカトリックの宣教のために、世界中に散っていった話は、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズの中にある「南蛮の道」で超・詳しく書いてくれてあります。感動します。ご興味ありましたら、是非ご一読を……なんですが、

メイン展示の最後は、
日本にやって来た宣教師たち、またキリシタンとなった日本人をテーマにしたコーナー。


 ↑
「イエズス会士日本通信」というのがありまして、要するに日本へ宣教に渡ってきたパードレたちがローマへ書き送った報告書集。

写真は、「殉教報告書」!

Gloriosa Morte Novem
と書いてある。

Novemが何なのか、
ちょっと私には分からないんですが、

「グロリオーサ」+「モルテ」で「栄光ある死」だと思う。「殉教」って、神の教えに従って死んだワケだから、その死がどんなに痛ましくとも、神の栄光のうちに死んだのだ、という事になるんだね。うーん。いろいろ考えさせられる言葉でした。


 ↑
天正少年使節から、お世話になったヴェネツィア共和国政府への感謝状。

左端の方に訳文が付いていますが、美しい筆の日本文字。
ちゃんと4人の花押もありますね。


 ↑
こちらは、既に迫害が始まっていた頃のもの。迫害に苦しむ日本の信者たちに宛てて、当時の教皇が励ましの教書を送ったそうです。この豪華な金蒔絵風の手紙は、日本のキリシタンたちから、教皇へのお礼の手紙として送られたもの。先に挙げた天正少年使節であった中浦ジュリアンが、この時には神父として、日本の信者たちを導いており、この手紙作成にも深く関わっていたとされています。日本から送る事が出来る最高の美によって、自分たちの堅い信仰の決意を表明したのかもしれませんね。

●オマケ

とりあえず、図録からの抜粋写真で早回しで御覧頂きましたが、この他にも浮世絵の刷りや彫りの実際を見せるビデオシリーズなど、メイン展示以外も、お楽しみがたくさん。これで800円の入場料というのは、破格です。

古い活字を使って、グリーティングカードを
パソコン画面で作成する
コーナーも、とっても
楽しかった!

まだまだ会期は始まったばかり。7月までやってますので、行ってみてくださ~い(≧▽≦)

にしても、ラテン語とか読めたら、もっともっと楽しいよねぇ‥……。
ああ、勉強しとくんだった( ̄。 ̄;)


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●今さらなんですがね。

調べ物をしていると、いかに自分が物知らずであるか、を
再認識させられる。

いや、その、知らない事が多い方がこれから知る楽しみがある、その方がワクワクする。既に知っている事には、誰もワクワクしない………

という話もありますから、
知らなくてちょうどいいのかもしれませんけどね。

それにしても、知らない事って、私の場合、やたら多いよーな気がするんだよなー。_| ̄|○

●真綿色したシクラメン~♪

という歌詞がありましたが、ワタクシ、生まれてこの方、
ン十年以上、

「真綿とは、フツーの木綿の上等なヤツを言うのだろう……」

と、漠然と思い込んでおりまして、調べてみようという気にもならなかった。

ちょうど「ふとん」の歴史を調べていた………と思って下さい。

現代では当たり前の
「敷き布団+掛け布団+枕」で1セットの
おやすみセット、実は
江戸時代も大分後になって、やっと一般的になったのだ………というのを調べておったトです。

大昔、
小野篁(802~852)の話を
書いていた頃、
昔は掛け布団というものが
存在しなかった、というのを調べてました。

敷き布団も、現代のような
フカフカで適度に弾力がある
素材など夢のまた夢で、
ま、かなり、おやすみ事情はよくなかった……というのが分かりました。

大まかに言うと、
薄いシートのようなものの上にゴロン、と横になり、
昼間着ていたものを上に
掛けたり、あるいは
いわゆる1つの「着の身着のまま」状態で就眠するのが
ほとんどの庶民のスタイルだったらしいです。

そりゃー、
長生きできないわな。
身体、冷え冷えだよ。

ところが、
どーしてそうなのか?
もっとフカフカの布団を
作ればいいじゃないか!

とは思わなかった。

へー、ナルホドねー。
今風のモノはなかったのね。
ふんふん。

………で思考停止してしまった。アホや。

で、今回別件で調べに入り、
やっと、どーしてフカフカがなかったのか、分かりました。
(←遅すぎ!)

●木綿革命、来たる!

フカフカを得るためには
何が必要か?

と言うと、ま、
現代じゃあダウンだけど、
古い時代にそれを求めてもムリ。

まずは綿入れの布団です。

ところが、綿の元たる
ワタの木が、日本にはなかった! 海外輸入品!

8世紀ぐらいに
木綿がちょろっと紹介されたことはあったらしいんだけど、それはあくまでも渡来品として上つ方が賞翫されただけ。

ワタの木の種が輸入され、
栽培が本格化したのが
17世紀のことだそうですから、江戸時代初期。

その後どんどん普及し、
おかげさまで綿100%の
肌にフィットしやすい
着物が大量に出回り、
布団も次第に一般化。
これでやっと、
憧れのフカフカ睡眠が
とれるようになったのです~♪

それまでの日本の繊維と言えば、絹や麻。上流階級はきらびやかに絹をまとえるけど、庶民はもっぱら麻。

現代でも、夏のファッションに麻は欠かせない素材なので、夏場は良かったと思うんですけど、冬場はさぞや寒かっただろうなぁ。ゾクゾク。思わず「貧窮問答歌」の情景を思い出しちゃうね。

そもそも麻は、繊維が固く、木綿のように肌に柔らかくフィットしてはくれない。

木綿は身体の動きに合わせて柔軟に伸び縮みしてくれるから、ともかく動きが楽。

その上、どんな色にも染められる、染めやすい繊維なもんで、これまでは華やかな衣装と言えばおエラいさんだけだったのに、庶民でもいろんなファッションが楽しめるようになった。

江戸時代、あのようにカラフルな縞や柄が着物を飾るようになったのは、ひとえに木綿サマのおかげだった………んだそうです。

資料を漁っていたら、
柳田国男も「木綿以前のこと」というのを書いているのを発見。読んだら上記のような事が書いてありました。

とまあ、こんな具合に、
木綿は江戸時代の日本の
大ヒット商品になりました。

生産に余裕が出来たから、
綿入れの布団やら衣料やらも
作られるようになったんですね。

どてらとか、掻い巻きとか、
歌舞伎の舞台にも登場するけど、江戸時代の風物だからこそ、歌舞伎にも出てくるんだねー。

現代の衣料では、
綿100%も多いけど、
いろんな機能を持たせるために混紡にしてあるものが多いよね。綿だけだと、シワになりやすいから、ナイロンを混ぜて、とか、絹と綿を合わせて、とか、いろいろあるけど、江戸時代じゃ、そもそも
混紡なる先進テクノロジーは存在しなかったんだなぁ。

こうしてみると、私たちの生活って、1つ1つのディテールに歴史の積み重ねがある。先人たちの発明工夫によるテクノロジーの集積物で、毎日やってるわけだ。

江戸時代の人には想像も付かないような生活が、ごくごく当たり前の日常っての、
もったいないような、
有り難いような。

よくよく心して
生活しないとバチが
当たるゾっ!
 ↑
と、肝に銘じておく、と。

●で、真綿の話。

大分脱線しましたが、
真綿の話に戻ります。

えー、今回調べていて、
初めて「真綿は、ワタの木からは採れない!」ということを悟りました!

木綿とは、全く縁もゆかりもないヤツだったんです!
   ↑
  じゃ、どーして
  「綿」の字をキープする
  んじゃー!(ToT)

実は真綿とは、
おカイコ様の繭から
採れるモノだったトです!

要は、絹!
シルクの端くれなのだ!

植物性と思い込んでいたら、意表をついて、動物性!

真綿はまたの名を「絹綿」と言うそうで、

「繭を引き伸ばして作った綿。屑繭などから取る。白く光沢があり、やわらかくて軽い」

と、ちゃっかり広辞苑にも書いてある!

ちなみに、Wikipediaには、

「綿(わた)は、繊維、または繊維状のものが絡まりあってひとまとまりの状態になっているもの。

現代日本では、通常、ワタ(アオイ科ワタ属の総称。ここでは、カタカナで書くときはこの意味で使う)から取られた木綿を意味する。しかし、戦国時代に木綿綿が普及する以前の古代や中世では、蚕の繭から作られた絹の真綿を意味するのが普通である。

現代でも、布団や座布団の詰め物は、繊維の種類を問わず「綿(わた)」と呼ばれる。」

という説明もありました。
「ワタ」と来たら、
「木綿」というのは、
どーやらワタクシの勝手な先入観だったんですね。「ワタ」と来たら、「かたまり」で覚えときゃ良かった。
 ↑
 ともかく、最初に調べていれば
 良かったのだー_| ̄|○

にしても、このネーミング、何とかならないもんだろーか………。

生産工程を知ってる人には、
常識なのかもしらんけど、現代生活では、カイコの繭すら目にすることはまれですからねぇ。

いや、すっかり長年ダマされてました。

………ってか、またしても、
己の物知らずぶりに打ちのめされた一件でございました。
マル。



 ↑
ネットで見つけた真綿の写真。「背負い真綿」というのは、背中に背負って、背中を温めるためのモノ、だそうです。結構あちこちのサイトで売り出されてた。隠れた人気商品なのかもしんない。

とりあえず、
ぬくぬく、フカフカが好き~♪(≧▽≦)♪な私は、
木綿も真綿もバンザイ! なのだった。

●磐田でしごかれて帰ってきたら

ポストに待望の「チェーザレ」新刊が。

うほほ~い(≧▽≦)

さらに郵便物の束をチェックしたら、

「七十六歳 一日一句」(by Y氏)という驚異の御本が届いていた。

うほほ~い(≧▽≦)×2!

●これは大変なことですヨ

一口に1日1句作ると言っても、なかなかその1句が出てこないもので、

いくら書き慣れていらっしゃるからとは言え、毎日毎日作品として仕上げ、それを三百六十五日続けるなんて、

これはもう、超人の世界です。

文章の世界でも、
音楽の世界でも、
毎日練習する事が
一番大事、と言われますが、
気がのらなかったり、
体調が悪かったり、
仕事やら何やらでバタバタしてて、夜寝る前になって、
「あ! 今日は練習してない! ひえー!」
とか思っちゃうものだ
というのに、

この句集は、
毎日書くことなんか、
へでもない、軽みの極地で
スイスイと進む。

そして恐ろしい事に、
ものすごい秀句が
並んでいる。

達人の域というのは
かくもあろうか。

舌を巻きつつ、
一気に読んでしまい、

真似して1日1句……は
無理としても、
1週間に1~2句ぐらい
作れないものか……とか、
無謀にも、ムラムラと
俳句を作りたくなっている
わたくしなのであった。
 ↑
すぐノセられる安易な体質。

●気に入った句がうんとこせあった

1日1句で一年間という構成なので、順を追って読んでいくと、一年間の日記を拝読しているような楽しさがある。

詞書きに目を留め、
写真や挿絵にイメージを
喚起され、より興趣が増す。

◆孫来たり去って三日の書三昧

嵐のように襲来(?)し、
笑いと輝きに満ちたお正月を盛り上げてくれた天使が去った後。ほっと訪れた静けさの中で本を開くお姿が目に浮かびます。

◆ふらここや二歳の元気来る報せ

もう1つ、お孫さん関係の句。「ふらここや」の音と柔らかいリズムが大好き♡
ちなみに「ふらここ」は「ブランコ」のこと。

◆糟糠の炬燵でありし解体す

「解体す」できっぱり収めたところがすごい。

◆無為もまた命の一部夏の風邪

この達観。常に何事も前向きに受けて立つY様の面目躍如。

◆梅雨寒や喉を過ぎゆく内視鏡

「梅雨寒や」を持ってくるところが、何とも。

◆遠雷や二つ並べた旅鞄

◆迷い蠅ソフィアの森に放ちやる

◆カウベルの人恋うて行く霧の中

◆見送りのやがて無口に夏惜しむ

上の4句は、ソフィアの方へのご旅行中の句。何度も訪ねた思い出の地、思い出深き人々との別れ。互いに齢を重ね、次はいつ会えるかと思うと、つい口をつぐんでしまう、そんな瞬間。目の前に情景が浮かびます。

◆トマトの香に埃の匂い雨来たる

帰国し、我が家の菜園に目をやれば………。トマトの香に埃の匂いが混じるそのリアルさ。夏の熱気を閉じ込めたトマトの姿が立ち上がります。

◆ご褒美は満月妻歴五十年

いつも仲良しのご夫婦。「妻歴」に夫婦の確かな歴史。お二人の笑顔で乗り切ってこられた幾山河に、ふと思いを致す。

◆鍬持つか図書館行くか野分去る

晴耕雨読。悠々自適。

◆親というかなしさを聴く青蜜柑

詳しい事情は語られていない。五七五に込められた重み。青蜜柑の存在感。そのすがしさ。

◆風呂という天国日本に冬来る

この句は、以前別の句集でも拝見したものだけど、大好きなので、また取り上げ。

◆ほろりその甘さ洋梨賜りぬ

上手い。洋梨の甘さのしっとり、ねっとりした質感が、「ほろりその」のリズムに満ちている。

最後は、師走の日々の句。

◆逢いたいねを重ね幾年賀状書く

◆断ち切れぬ今生の縁賀状足す

◆小晦日(こつごもり)の空のひろびろ窓開ける

◆家族という平和の初め晦日蕎麦
●久々に陰陽道の資料

を読み漁っているんですけど、

『陰陽師たちの日本史』
斎藤英喜著
角川選書546

というのをKindleで見つけ、
一気に読み切ってしまいました。

底本になっているのが
平成26年10月初版で、
電子書籍出版が
同年11月なので、
出版と同時に電子書籍化された最新データの本ですねー。

著者の先生、初めて読みましたが、小松和彦さんが
『憑依信仰論』で紹介した
物部いざなぎ流などを
フィールドワークでかなり
研究されている方のよう。
 ↑
以前東京で、このいざなぎ流神事のdemonstration舞台があり、ワクワク見に行きました。超おもしろかった!

古代から江戸時代までの
陰陽道の展開を駆け足で
紹介してくれている本ですが、

最近の研究論文を豊富に
引用していて、
そうか! 今、ここまで
進んでいるのか!
とメウロコ落としながら、
喜んで読みました。

岡野玲子版『陰陽師』も
もちろんチェックしていて、11巻のここに、この儀式が
描かれている、とか口絵付きで紹介されている。

困るじゃないか。
また読みたくなっちゃうじゃないか!

野村萬斎さん主演映画や
岡野版ですごいブームになったのは、もう10年くらい前になっちゃうんだけど、

研究の方は今でも
着々と進んでいるんですねー。

噂の(?)安倍晴明は、
役目柄陰陽道をやってただけのごく普通の官吏のオジサンで、別にスーパーマンではなかったのではないか?

という説が当時も出ていたんですが、

実は陰陽師として声望高く、
藤原道長など時の権力者の
専任陰陽師的な活動をしていたのは、陰陽寮(陰陽博士やら暦博士やらがいる。朝廷の役所の一つ)から転任し、大膳大夫(天皇のお食事関係を司る役職。てんで陰陽道に関係がない!)になった頃の話なんだそうな。で、かなりの高齢までバリバリの現役陰陽師として活躍し、道長には大いに頼りにされていた。

前半生については、未だに伝説の中に包まれている人です。信田の狐の子供であるとか、童の時に見鬼(けんき……普通の人には見えない魑魅魍魎を見る能力)の才能を発揮して、師の賀茂保憲に目を掛けられた、とか、さまざまの逸話があるんだけど。

実際には、天文得業生という、いわば陰陽師の見習いになったのが40歳の時なんだって! ものすご、遅咲きです。それまで、何をやってたか分からないんで、余計に伝説に彩られてるんですなー。
 ↑
な訳で、岡野版のような
バリバリに若くてイケメン
ではなかったらしい(^◇^;)もっとも、岡野版は、
年齢不肖で妖しい雰囲気にしてあるが。

で、見習いの時にめきめき頭角を表し、陰陽博士に出世。以後、他の部署に配置された後も、プロの陰陽師として大活躍し、晴明発案によって行われるようになった儀式も多い。

有名な泰山府君祭も、元々の中国伝来の儀式を日本風に改めて、盛んに行うようになったのは、安倍晴明以来のこと。要するに、現代の私たちがイメージするような陰陽師の姿というのを創り上げた人が安倍晴明らしい。

で。

京都にある有名な晴明神社は、安倍晴明の旧宅跡である、と言い習わされているんですが、実際の旧宅跡は、
現在ブライトンホテルの駐車場辺りなんだそーです。
 ↑
ち、駐車場………ちょっとカナシイ_| ̄|○

で、
この神社は、ずぅ~~~っと
晴明の子孫に当たる土御門家が持っていたもんだ、と単純に思い込んでいたんだけど、
そーじゃないんだって。

室町だったか、戦国だったかぐらいは、民間陰陽師である法師陰陽師たちが住んでいた所だった。この頃、全国の陰陽師を組織して、土御門家を先生として、陰陽道をやる人はみんなその弟子になって、先生に上納金を出してネ、というシステムが土御門家によって作られた。で、それを天皇が勅許、将軍も朱印状を出した。

このシステム構築によって、
戦国時代には被災して疎開したりして、勢力が衰えていた土御門家が盛り返し、江戸時代を通じて国家公務員的に天皇や将軍に奉仕した。

現在の晴明神社は、こういう具合にして、土御門家のものに収まったんだそーです。

いやー、ずいぶん研究が
進んでいて、さまざまびっくりでした。

●こっちはまだ読み切ってないが

もう1冊ハマっているのが
こちら。

Cat Sense
~How the New Feline Science Can Make You a Better Friend to Your Pet
by John Bradshaw
2013
Basic Books
A Member of the Perseus Books Group, New York

『ネコの感覚』と一応訳しておきますが、カバーしているのは、遺伝学、歴史学、旅行移動論、医学生理学部門などなど、やたら広く、やたら詳しい。当然、大著。せっせと読んでるけど、まだ1/4。先は長い。

●閑話休題。

えー、今、英語の副題を
入力していて、ああ、こういうcapitalizationのルール、
秘書科学校で習った、習った! と急に懐かしくなったので、脱線します。

日本語では、大文字小文字の区別がないので、アメリカで習った大文字にするべき字のルール、最初はなかなか身に付かなかった。

文章の頭は、大文字にする、というのは日本の中学英語でも習いますけど、
上の副題のようなパターンの時にはどうするか?
というのは習った事がなかった。

実は、コレ、ちゃんとしたルールがあるのです。

簡単です。
覚えておくと、
英語で論文なんて時に、
迷わなくて済みます。

要は、
タイトルで大文字化する時には、
「前置詞」と「冠詞」「定冠詞」以外は全部、アタマを大文字にするのであります。

上の副題を見ていただくと
分かりますが、

先頭にないa, the, of, toだけ
小文字になってるでしょ?

コレだけ守ればいいのです。

迷うのは、
初っ端にa やtheが来る場合ですが、これは小文字にするルールより、「アタマは大きく」ルールが優先されるので、

the Terminator(ターミネーター)
ではなく、
The Terminator
が正しくなるのです。

今話題のSF「火星の人」は、
A Martianが原題ですが、
アタマに来てる冠詞は大きく、のルール通りの表記です。

ちなみに、aとtheの使い分けって、難しくて迷いますが、

要は話の最初に出てくる時は、a。話の続きに出てくる時はtheで、さらに対象のブツなり人なりが、1個、1人である事を強調するのがaと覚えておくと使いやすいみたいデス。

「あるところに1人のおじいさんがいました。そのおじいさんは、まんじゅうが大好きでした。」

という昔話風のセンテンスを思い浮かべると分かりますが、最初の「おじいさん」には「a」がついて、次は「the」が付く。

そうやって見ると、
「火星の人」の原題、なかなか含蓄があっていいなぁ、と思います。火星にたった1人で取り残された………というニュアンスが、もうタイトルに出てますよね。そのために、The Martianではなくて、A Martianにしているんじゃないか、と思います。その辺のニュアンス、日本語に訳すのが難しい……。

●で、Cat Senseですが

まだ読み切ってもいないし、
やたらに詳しいんで、
概括できないんだが、

へーへーへーへー(゚◇゚)ガーン

てな感じで、いろんなところでメウロコ、ぼろぼろ落として楽しんでます。

面白かったものをちょっとピックアップすると、

・古代エジプトでは、ネコの女神さまが篤い信仰を集めており、普通の家庭でも高位高官宅でも猫が可愛がられていた。
 ↓
んだけど、その一方では、
神殿には大量のネコが飼育され(養鶏場なるぬ養ネコ場があったんだそーな)、何にするか?と言えば、神殿で生贄にしていた! 殺してミイラにして、神殿にお供えしてたんだって。古代エジプト人、わからん!

・魔女狩り全盛時代、ヨーロッパでは魔女が黒猫に化けるとか、悪魔の使いだとかで、大量に殺された。当時は黒猫は珍しく、そこが不吉なイメージにつながったそう。
  ↓
なんだけど、今じゃ、遺伝子のイタズラで、ヨーロッパでは黒猫はゴロゴロいたりする!
  ↓
これが野生だったら、黒はそんなに生き残れなかったハズ。何となれば、黒は、自然の中では目立つ色で、逆に縞猫なんかの方が目立たずに獲物に近寄れるので、生存率が高い。確かに、クロヒョウなど、絶滅危惧種である。

・人類が狩猟採集生活から、定住して作物を作り、保存するようになった時から、ネコは人類に有益な動物になった。作物を貯蔵すれば、必ずネズミがお邪魔するからだ。
  ↓
で、交易やら戦争やらで船に乗って人間が移動する時には、必ずと言ってよいほどに、ネコをお供とした。バイキングも、フェニキア人も、ローマ人も、みんなネコ連れ。おかげで、いろんな土地に、バイキングネコ由来、フェニキアネコ由来の遺伝子がばらまかれた。
 ↓
アメリカなどでは、植民した国(イギリスやスペインなど)から連れてきたネコが子孫を増やしていったために、地域によって、スペインネコやイギリスネコの遺伝子を持つネコが偏って生息しているとか。(そーいう地道な研究をせっせとやってる学者がたくさんいるようである)
  ↓
ネコ以外にも、マングースやらフェレットやらのネズミの天敵もいたのだが、ネコが一番便利、ということで、ネコの天下が来た。
  ↓
雑食性のイヌとは違って、純然たる肉食系のネコは、全ての必要な栄養素及び水分を、ネズミオンリーで摂取できる上に、ビタミンCを必要としないので、壊血病にならない。
  ↓
この食性が、航海にピッタリ。人間のための貴重な食糧や水を分けてやらなくても、ネズミさえいれば、ネコは元気にやっているのでアル。
  ↓
ナルホド!
そりゃあ、世界中に広まりますよ!

さらに小ネタだが、
ネコがいさえすれば、大切な食糧は守れるので、ある地域では、離婚する時、他の全ての財産は妻に渡し、夫にはネコだけが残される、という習慣まであったそうである。

童話『長靴を履いたネコ』で、どーして3男には、
ネコしかあげないのよー?!
と思ってましたが、
ネコさえいれば、何とか
やっていける、という
事だったんですネ(゚o゚;

いやはや、ネコ、侮るべからず!
可愛いだけじゃなかったんだなー。


 ↑
最初に出たハードカバー版。
現在Amazonでは取り扱いなしだって。


 ↑
Kindle版はこれ。


  ↑
日本語版はコレ。Kindleエディションだけみたい。
●静岡バッハ練習に、ムッシュ復活!

ほぼ1ヶ月間、静岡遠征をお休みしてらしたムッシュが
昨日火曜日の練習から
お帰りになりました~(≧▽≦)

もっとも、既に私は、
東京と磐田でしごかれ始めを
やりましたけどねー。

で、こないだの磐田レッスンで出来なくてしごかれた
にっくき相手がまた
静岡でも出てきて四苦八苦
してきたところでーす。

●「K」が憎い!

先週土曜日の磐田レッスンで、

くー!
コイツが邪魔だぁっ!

という発音に
ブチ当たった。

いやね、今までも
出て来てた、いつも
見てるヤツなんですけど、
改めて指摘されたら、

くーっ!
出来てないっ!

……みたいな、哀しい自分の現実を知ってしまった……
っつー事なんですヨ。

その憎いヤツというのが、
[K]の発音なワケです。

ドイツ語の曲だと、
それこそあちこちに
出て来る。

土曜日に引っかかったのは、keine(カイネ。「無い」という意味)。

どう引っかかったか?
というと、頭のKが
破裂音なもんだから、

カッ!!

と発音した瞬間に
喉が締まって、
次に来る母音の[a]が
きれいに鳴らない上に、
そこで息の流れが滞ってしまう。

他にも
kleine (クライネ。ご丁寧にも、二重子音で余計難しい)とか、kinder(キンダー)とか、ま、いろいろ
ある。で、これらの[K]が
出てくる度に、ポジションが
狂うのだ。うえーん(ToT)

おかげで個人しごき、
受けちゃったよー。

レッスンの後に、
N本さんとお話してたら、

「Kと思わず、
Qでやるといいかもよ」
というヒントが!

あ、これ、何となくワカル。
実際には英語やドイツ語の
QはKの発音なんだけど、
破裂させないで、どっちかってぇと、フランス語の
鼻に抜けるQueのイメージに
持っていけば、次の母音に
スムーズに入りやすいって
事なんだと思う。

どうもアメリカ英語に
馴れてて、バリバリ
破裂させる音でやってる
から、うまくいかないんだな。ナルホド!

で、家に帰ってから、
フランス人のQ………
を意識して練習したら、
これがツボにはまって、
かなりやりやすい!

やった~(≧▽≦)

………と喜んでいたら、
火曜日の静岡バッハの
練習で、ロ短調ミサの
クレドCredoで
いきなり、つまずく、と。
_| ̄|○

二重子音で、頭が[K]で
次が[R]で、鳴らす母音が
[E]……………タシュケテー(ToT)

おっかしいなぁ。
Crucifixusの頭はそれほど
怖くないんだけどな。

よく見ると、同じように
C→Rの二重子音なんだけど、次に来る母音が[U]なので
助けられてるのかもしれない。

とりあえず火曜日は、
Credoがうまく鳴らせなくて
往生しました。
来週までに直しときます。

だいたいこのCredoって言葉、
英語のcredit(クレジット)の
語源なんだよなー………( ̄。 ̄;)
と、ふと思うと、
うまく発音出来なくなるよーな気が。毎月のカード請求、金額見るのが怖いもんね……。
 ↑
そのせいで苦手意識が?!

●小さい活字が憎い!

今年も新年早々、
いろんな本に溺れて
喜んでいるんですが、
Kindleの大きな活字に
馴れきってノホホンとしてるので、

たまに必要があって
古い専門書なんか引っ張り出すと、小さい活字に打ちのめされる!!!

理系の文献なら、
最新データが載ってる
新しい本を揃えるのが
良いんだろうけど、

文系の方は、
古ければ古いほど
価値がある資料だったりすることも、ままある。

必要に迫られて、

『日本陰陽道史総説』(村山修一著 塙書房)

を読み直してるんですが、
これ、出版が1981年。昭和56年ですねー。

陰陽道を調べるのに、これほど詳しい本はなく、いわば
基本資料なんだけど、

と~も~か~く、
字が小さい!

昔はこんな活字を
ごく普通に読んでたんだよなー。

最近読んでるKindleの
活字と比べると唖然とします。



大著になると、
一冊の紙媒体に収める
ためには、小さい活字を
詰め込むしかなかったんでしょうね。

でも、こんな研究書は
なかなか電子化されないんで、ヒイヒイ言いながら、
小さい活字を読むしかない
んですよね。ヨヨヨ(ToT)

内容は、いちいちメウロコで、めっちゃ面白いんだけどなー。

●電子化が進んで嬉しいこと。

最近気が付いたんですけど、
国会図書館の蔵本がデジタル
アーカイブズとして、
Amazonで安く手に入れられるようになっているんです。

いろんなところで
デジタルアーカイブ化が
進んでますけど、
PCでしか見られないよなぁ、
と思っていたら、
そんな事はなかったのである。
 ↑
まあ、何10冊もあるような、
例えば『本草綱目』みたいなものから目的のブツを探し出すには、PCで見ていく方が便利なんですけど、

お楽しみも兼ねて、
資料読み込みをするには、
Amazonのアーカイブズが
便利。

国会図書館まで行かなくても
いいんだもんね~(≧▽≦)
 ↑
毎週毎週、国会図書館に通って、資料に埋もれて喜んでいる女子大生を私は知っている。
 ↑
はい、うちのチビ・本の虫娘です。これぞ、親の因果が
子に報い、か?

で。

暁斎の百鬼夜行図とかぁ、




 ↑
大好きなぬらりひょん!

雅楽の資料とか、見つけて大喜び中。

『舞楽解説』雅楽講究会
君見ずや出版
国会図書館所蔵本復刻シリーズ





 ↑
この資料、昭和初期のもので、なんと原本は謄写版!

前書きに「謄写版なんで、読みにくくてすみません」なんて、律儀に書いてあって、
イエイエ、とんでもなく
キレイでございます~(≧▽≦)
有り難いです~!

と拝礼しつつ、
せっせとノートを取らせて
いただいております。

一般の人にわかりやすいように、と当時の伊勢神宮内宮の楽人の方々が、真夏の暑い盛りに1ヶ月で仕上げられたものなんですって。





美しすぎる。

活字じゃないんだよー。手書き文字なんだよー(/_;)
小学校の頃、鉄筆で書いて、
わら半紙に刷ったアレですよね。
母の実家を継いでる伯父が
元教師で、今は俳句の
お師匠さんなんだけど、
つい最近まで句会で選に上がった句の一覧を、せっせと
鉄筆で書いてたなー。

手書き文字のこの美しさには、感動すら覚える。昔はこーゆーガリ版切りのプロがおったんだよなー。

難しい字には、丁寧にルビが振ってあるし、図版もたくさん。ほんと、ありがたや。

世の中には、
読むべき本が、
まだまだゴマンとあるんだなー。うん、うん。
もっと勉強せにゃー。

●オマケ



今回、新しいKindleを購入するのに伴って、Kindle正規版だけど、すごく軽いカバーを発見。ものすご、調子よく使っています。

前からあるカバーシリーズは、キレイで丈夫なんだけど、重いもんだから、せっかくKindle本体が軽くなったのに、カバーを付けた途端に
ズシッと………_| ̄|○

軽くてしっかり者のカバーが見つかって、良かった、
良かった。お気に入りのオレンジ色を付け、ご満悦デス。
 ↑
単純。





何せ内蔵容量が4GBもあるので、
マンガ「ちはやふる」を
20巻入れても、
まだ余裕綽々!

ああ、なんて
有り難いんだ!
神様、仏様、Kindle様~(≧▽≦)
 ↑
大げさ。

紙の本の美しい印刷には
負けるけど、
いつでもどこでも、
あの本もこの本も、
すぐ読める、って至福です♡

あー、この世に本が
なかったら、どーやって
生きていくんだろう、私。


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