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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

カテゴリー「family」の記事一覧
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●今年も巡ってきてしまったゾ!

確定申告の書類書きをヒイヒイやっている間に、日付が変わり、お誕生日となりましたー。

おっかしいなぁ。
何もスペシャルな事がない
………σ(^_^;
 ↑
もっとも夜明け前から、
FBとmessengerで、
そりゃもう、コッテコテに
嬉しい「お誕生日おめでとう」メッセージをたくさん
頂いたんで、既に
嬉しくってしょーがないんですけどね! 皆様、ホント、お気にかけて下さり、
ありがとうございます!

スペシャルと言えば、
①インドネシアから
新しい譜面「Lagu Lagu Indonesia」(インドネシアの唱歌3曲をアレンジしたもの。ピアノ伴奏をいじられたそうな。カラーが
美しい、南国風景の表紙になった! 中身もパワーアップしているに違いない!)がデータ送信されてきた事と、
 ↑
※唱歌だからコワくないよー、と主張しているのだが、
インドネシア語であることと(ほとんどローマ字読みなんだが!)、S田印の編曲集は、編曲者の意図した通りに歌えれば、むちゃキレイなのだが、歌いこなすのがいつも難しい、と既に静岡組メンバーに恐怖されてたりする……。
 ↑
いや、ほんと、穏やかで美しい曲ばかりなんだがーσ(^_^;みんな、おびえすぎなんでは?

②今年の東京都合唱祭でやる
曲は、上田真樹さんの
混声合唱とピアノのための組曲『夢の意味』(林望さん作詞)から「夢の意味」と「夢の名残」に決定したゾー! というお達しがN山先生から一斉配信された。
 ↑
※古謡の趣のある素敵な歌詞で、朗唱法を用いて歌うよう指示されているところもあり、千原さんのもつ中世歌謡的な彩りがあって楽しい。「夢の意味」は現実感のある調性なんだけど、attacaで入る「夢の名残」は♯がうんとこせ付いていて、ほとんどショパンの調性感。美しいオーロラが緩やかに舞う印象。むっちゃキレイ。が、例によって半音階進行とか、課題はたくさんあったりする。

とまあ、こういう具合に、2大巨頭からの、
「さあ、サボっていないで、
とっとと練習しろ!」
というお知らせ(?)が
ほぼ同時に入った事が、まずはスペシャルであったのであった。

うん、きっと、
これらはお誕生日プレゼント
なのでしょう!

そうに決まった!!
 ↑
ムリヤリだなぁ……。
(^◇^;)

●今回の誕生日は、個人的にはとても意義深いモノ、と実は思っているのでアル。

誕生日など、年1回のもので、とりあえずスペシャルなモノなんだけど、

今年は特別。

何が特別って、
自分が5並びの年になったこと。これがスペシャルなんであります。

なんでかってぇと、
母が55の誕生日を迎えた
ところで、急にこちらの世界から
アチラの世界へ飛び立ってしまったから。
 ↑
ホントにこーゆー雰囲気の
夢を見た。きれいな虹色の夢で、「あ、母は良い世界にいったんだ。大丈夫なんだ」と思いました。悲しかったけど、ホッとした。

身びいきですけど、
本当に太陽のように明るい人で、たくさんの人に愛され、
ちょっと短かったけど、実り多い人生を歩んだ人だと思います。

私にとっては、
生んでくれた母、
というよりも、
誰よりも自分をわかってくれる無二の親友のような存在でしたから、亡くした時は本当にショックでしたし、
3年間ぐらいは、何かと
いうと思い出しては
涙、涙、でした。

けど、そういうツラい
時期を過ぎてみると、
今度は自分が母に
なり変わって、
この家の太陽にならないといけないんだな、と感じました。

1人っ子ですから、
残された父を盛り上げてやらなくちゃならないし、
 ↑
娘の前でよくもまあ
恥ずかしげもなく、
超仲良しサンだったので、
母を亡くした直後は
本当に可哀相でしたね。

そのうち自分にも娘が出来た。

そうなってみると、
あ~、この子には
親を亡くす辛さは、あまり
若いうちに経験させたくないなぁ………と。

まぁ、年寄りになってから
逝くなら、面倒だな、とは
思われても、何とか付き合ってくれるでしょうから(多分)、
それまではガンバって
生きていかないとな……。

などなど、ツラツラ
年ごろ考えておりまして、
まずは母が生きた年までは、
とりあえず元気ハツラツで
いかねばっ!

と、心に期していたのでした。

で、めでたくその年を迎える
ことが出来ました。
父も、先年アチラへ送り出すことが出来ました。今頃は、
また2人でベタベタしていることでしょう。

振り返ってみると、
ああ、もう十分生きたなぁ、
みたいな気もします。
はるばると遠く来にけるかも、
みたいな?

母の年に追いついたんですもんね。

数えてみたら、母が逝ってから、26年も経ってました。

どうも、この世のどこにも
いない、という感覚ではなく、どこかへちょっと遊びに行ってるような気がするんだけど、
もう26年間も、現実には
あの声にも、あの笑顔にも
出会えてないんだよなー。

けど、多分、私の中では
いつも生きていて、
いつも隣にいて、
一緒に笑ったりなんか
してるんでしょう。

古代エジプト人は、
魂の形をいくつかに
分けて捉えていたそうで、
その人の名前renは、
その人を形作るアイデンティティーとして捉えていたそうです。だから、その人の名が
人の記憶にあるうちは、
その人が本当に死ぬことはないんだって。

うん、そういう感じだね。

自分としては、
もう十分生きた気もする瞬間もあるんだけど、
ヤッパリもうちょっと
頑張ってみたいこともある。

母は日本画を描いていた人で、亡くなる直前には、
結構認められてきてて、
いわゆる号いくら………と
値段がつくプロ作家の入口に
入っていました。
今残されている作品を
見ても、光るものが
あると思います。
だからこそ、きっと
もっと描きたいものが
たくさんあったでしょう。

母のやり残したこと。

それを少しでも
私が受け継いでいきたいな。

もっとも絵の方では、
てんで追いつけそうもないんで、別のものになっちゃうんだけどね。

でも、何がしか、
私が毎日頑張っていけば、
それは母が生きた証に
なっていくんじゃないかな、
と思う。

私が精一杯生きて、
母が生きられなかった
時間も、うんと充実した
時間にして生きていけたら、
私の中の母も、
一緒に輝いていけるような気がする。

今日は、私と母の、
新しい道の記念日。

また1年、1年、
2人で歩いていこう。
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●前回更新時から、恐ろしく間が空いてしまった。

今までのうち、最長不倒距離(?)かもしれないなー。

概して書きたがりなので、
寝込んで人事不省にでもならない限り、何がしかblogを書く、というのが習い性になっているのだが。

確かに、前回アップの演奏会フィーバーの後、また風邪を引いてゲホゲホ、エホエホしたり、校正真っ只中に放り込まれてヒイヒイ、ゼイゼイもしてはいたのだが。(あ、確定申告の準備でビービー、もあった)

書きたいのは山々なんだが、どうにも結果が判明せず、
書くに書けない事態が発生。

自分の力じゃ、
どーにも動かせないので、
ひたすら連絡を待つ………
みたいな、このせっかちの塊みたいな私には、これがまた苦行の日々だったりして。
(誰だって、そうか)

●踏まれたり、蹴られたりしてるのは………

実は娘の方でありまして、

親の方は、話を聞いて
1日ガックリ(゚◇゚)ガーンと
落ち込んでみたりしてたのです。

無事大学の卒業は認定されたのですが、本人が希望していた進学の方が、本人の思い通りにはならなかった。

中学受験は一般入試だったが、高校は持ち上がったりなんかで無試験、大学もAOの類で入ったので、久々のペーパー試験で、何かやらかしたらしい……デス(ToT)

専門分野のテストで、
苦手なところにぶち当たり、
頭が真っ白になって、
大ポカをやらかした……らしい風情デス。

実際のところは、どこで
ポカをしたのかは、私が自分で受けたのではないので感触が分かりません。

先生方の覚えもめでたく、
卒論はとっても良い評価を
頂いて、ホクホクしていた矢先だっただけに、親子揃って大ショック状態_| ̄|○
 ↓
で、ふと自分の大学受験当時の大ポカを思い出す、と。
 ↓
日本史のテストの時の事でございます。「幕末外交史のうち、日英関係について、4つの条約名(設問内に記載あり)を全て盛り込んで論ぜよ」みたいな問題が出て、

え? 日英?
日米でなく?
ペリーさんじゃなく?
プチャーチンさんでもなく?
イギリス?!

誰が、いつ、どこの港に来て、どんな条約を結んだのか、てんで勉強してません!
その辺、全く知識の空白地帯です~~~~(ToT)

もちろん、頭、真っ白になり、ゴー沈。

自分の勉強がてんで足りてないことを、思い知らされてしまったのでしたー。
 ↓
で、次の編入試験前。

3年次の専門課程に、外部から潜り込む、というのが編入の基本なので、そこの大学でノホホンと(ホントにノホホンとしてるかどーかはわからんが)教養課程をやってる人たちより、相当出来てないと、取ってもらえないとオドされました。どこも編入規定があるところは、1人とか2人しか合格してませんでしたから、ま、そーですよね。

短大の2年間は、むしろ大学受験を控えた高校時代よりも、シャカリキになって勉強してましたねー。
 ↓
(高校時代にやってりゃ良かったんだよ!)(*`Д´*)

結局、編入できたところは、2年次編入だけ、という大学だったので、専門分野はそこまでやってなくても通してくれた……らしい雰囲気はありましたが、

その頃から、純粋に勉強する事そのものが楽しくなり、それが何の役に立つのかは分からないけど、

とりあえず好きなものを
夢中になって勉強する、
というのが、私の生活の中心にセットされたような気がします。で、一生勉強状態が当たり前………みたいな業種の端っこにしがみついている。

大学受験に失敗した事が、
周り回って、自分の道を
見つける手助けをしてくれたような気もします。

禍福はあざなえる縄のごとし、って言うけど、まさにそれ………が自分の力になってきてくれた。人生、何が良いのか、悪いのか、よーわかりません。

●てなわけで、娘は只今苦労中なのでアル。

やはりカエルの子はカエルで、娘の方も、何が好きか?って、ともかく図書館に入り浸る事だそーで、勉強だ、研究だ、の面白さに目覚めてしまったクチである。

出来れば研究生活を提供してくれる院で、勉強にのめって楽しんでもらいたかったのだが、本当に残念な事だった。

院に行きたいと考え始めた時期が多少遅くて、準備不足だった、というのは否めないだろうと思う。

こーらちゃんとお食事しながら勉強の話をしてたのだが、
自分では「こんなに頑張ってるのに!」と思っていても、思ったように結果にはつながらない、という話になった。

彼女もフランス語の検定がなかなか通らなくて、ここ1年、「今までこんなに勉強したことないよ!」と思う位猛勉強していたんだそうな。
 ↑
学生時代、我が家に来ても猛勉してた人なんで、どんだけ勉強するか、は誰よりも知っている。その彼女をして、こんなに勉強したのに、結果が出ない! という事も、世の中、けっこーザラにあるものなのでアル。まっこと、理不尽。
 ↑
こーらちゃんのフランス語検定は、無事通ったそーなんだが、さらに上の段階のアレやらコレやらの検定を狙っているそーでアル。ほんまに勉強が好きな奴じゃ。ついてかれん(と、お互いに思っていたりする。でも、とりあえずたまに会って、ちょっと話をすると元気が出るんだよなー)

1年間頑張ったんだから、点数にして30~40点位上乗せ出来たんじゃないの~?(≧▽≦)と、ワクワクしながら、件の検定問題の答え合わせをしてみたら、なんと、上がった点数は、2ケタ程度のモノだったんだと。

うーむ、勉強は難しい……。

娘の場合も、卒論が誉められちゃったもんだから、上への階段は着実なもの、に思えたのかもしれない。それが、ハシゴを急に取っ払われた感じで、自分の立ち位置をどうしてよいのやら、正直なところ、皆目見当も付かないのかもしれません。

にわかに就活したりしてますが、ここは、自分がやりたい事、やれる事が何なのか、焦らず、じっくり考えて欲しい。

研究やら勉強やらを捨てたくなければ、バイトしながら勉強主体にするとか、社会人入試とか、道はある。

もう勉強はイヤ、逃げたいというのであれば、思い切って知らない世界の仕事に飛び込むのもチャレンジで良いと思いますが、ヒマがあったら、図書館に行きたい、と未だに言ってる人なんで、そりゃあ、生活の中心はそーいうところに据えないと、息が出来ないでしょー。

ここんとこ毎日電話で、ああでもない、こーでもない、とアドバイスはしてるんですけど、親というのは、本当にスタンスが難しい。

手を出しすぎてもいけないし、
全く不干渉でもいけないし、
心配しすぎて、あれダメ、これダメじゃ、本人のためにならないし。

かと言って、今までほとんどバイトらしいバイトすらした事がない世間知らずなので、
うっかりブラック企業にちゃっかり就職しちゃって、泣きの涙になったら、どーしよう………( ̄。 ̄;)

いやはや、気の揉める事、おびただしい。

前述の評判の良い卒論ですが、なんと、優秀論文とかいうのに選ばれてしまって、(学年で数人選ばれるみたいね)講堂で下級生(1、2年必修、3、4年自由参加だって)を前にして発表したり、文集(紀要かな?)に載せたりするので、準備、よろしくネ! というお達しが来ているんだそーな。

それはそれ、コレはコレ、ってゆー事なんだろうなぁ。

本人にしてみれば、
試験に落ちちゃったのになぁ、とちょっと居心地悪い気もしないではないよーなんですが、根が手抜きの出来ない超生真面目タイプなもんで、またせっせとやるんだろーなー。
 ↑
先日はっ、と気がついた。
この性格、亡くなった父そっくり。そーかぁ、私じゃなくて、あっちかぁ。見た目はおばあちゃんに近いしなぁ。
うーむ、隔世遺伝のようである。

ま、ともあれ。

世の中とは、何ともままにならないモノなんだよね。

大人になるという事は、
自分の都合の良いよーに
ならない事の方が、
どんどん増えていくものなんだ、と悟っていく事のようにも思えます。

そうやって、次第に
自分の気持ちを抑えて、
ちょっと引いたり、
ガマンしたり、を覚えていく。

自分が子供を育てる年代に入って、やっとそういう
人並みの世間智が付いてくる。

そうなると、子供のやる事なす事が危なっかしく、見ちゃあいられない、と泡を食う。

親の立場からすると、
子供に勝手にやらせるよりは、親がやれば、子供が
一番生きやすい道を用意してあげられるのに……と、思う。子供の立場から見たら、
ウルサいなぁ、だろうけどねー。

子供が、その子らしく生きられる道は、最終的にはその子自身が、何度も滑ったり、転んだりしながら、探り出していくしかない。

私達だって、ホントのところは、滑ったり、けつまづいたり、うんと遠回りしたりして、一歩一歩、遅々とした歩みを重ねてきて、今があるんですよね。

ひょっとすると、今でも毎日、転んだり、滑ったりしながら、何とかやってるのかもしれない。

それでも、自分の足で、
自分の道を歩いていくのは、自分しかいない、という事は知っている。

親が子供にしてあげられる事は、毎日頑張っている自分の背中を誇りをもって、子供に見せる事だけだ。そこから何を拾い上げるかは、子供自身の問題なんだよね。

娘が、大人の入口で四苦八苦している今、古びた大人の私の後ろ姿から、「何か」を見つけてくれる事を、切に祈っている。



↑オマケ画像
エールを送る、つーか、
花束を贈る。フレー、フレー!
●週末は、浜松練習あーんど埼玉詣で

毎週土曜日は、恒例の磐田バッハ練習日なんですが、先日書きましたよーに、今回は公開レッスンとかいうやつで、浜松の遠州病院近くのクリエート浜松というスペースへ、えっちらおっちら遠征。





ミニコンサートも出来そうな感じの、吹き抜けスペースをお借りして、ロ短調ミサの合唱曲を全曲通す、という地獄(?)のよーな特訓日。

曲数が18曲もあるんで、なるべく止めずにやろう、とマエストロもお考えだったみたいですが、どーしても気に入らんところは、やっぱり止めて、檄を飛ばす、と。

前半の練習だけで、腹筋が痛くなりましたー(ToT)

早い曲なんか、ほとんどprestoで振られちゃうんで、メリスマが超しんどい! 途中で「ええい、もう口が回らないところは、歌詞なんかつけないでいってやるー!」状態。

2月に富士Beethovenでやった時も、早くて口が回らないところの練習で往生しましたが、それより早いかもしんない。くー(ToT)

一応このロ短調ミサは、静岡バッハ主宰の演奏会にかける、という話になっていて、狙いは来年秋以降……なんで、まだ余裕がある、といえばあるんですが、何度練習しても、体力勝負のよーな。

実は磐田バッハ主宰事業の方が演奏会、早い時期にあるんですけどー(間に合うのか? 私)

●磐田バッハ演奏会はオールブラームスプログラムに決定しましたー!

こちらは、来年2月7日に市ヶ谷ルーテル教会、28日に浜松アクト、の2回公演が決定しました。

メインはピアノ連弾版のドイツ・レクイエムと、アルトの北條さんソロと男声による「アルトラプソディー」。

これだけじゃ、プログラムとしては短いんで、も1つ何か、てんで、
ブルックナーのモテット(Locus isteが入っているやつ)なんか、
練習してたんですが、どうももう一つバランスが、とか、音響が、とか、いろいろ意見が出て。

最終的に、
ブラームスのOp92、4声による
4つの曲集というのに落ち着きました。これ、伴奏のピアノがいいんですよねー。



これの1曲目、以前S田さんが
ご自身編曲された「TSUNAMI」と一緒にやろう、と静岡に持ってきて下さったもので(調べてみたら、2006年のJoy of musicでやってます。なんと、ほぼ8年前! ひょえー! そんなに時間が経ってるんだぁ)、

その当時、むっちゃ難しくて、
歌えなくて往生したのでしたー。
ワハハー。

まさか、磐田バッハで歌うことに
なろうとは! 巡り合わせってあるんですねぇ。(ちゃんと出来るのか? 私)

●しごきの後は刀削麺を食べる、と。

で、浜松しごきでヘトヘトになったんですけど、翌日がイースターなもんだから、その足で埼玉の叔父の家に行かねばならない。

3時間ほど練習が続いたので、
お腹が空いてしまい、
飛び入りで練習に参加した
I東くん(ホントは見学するつもりで来たらしーが、Iヶ谷さんに捕まって、一緒に歌わされていた)と2人で駅に向かって歩いていたら、
刀削麺のお店を発見してしまった。

で、飢えていた2人は、
そのままフラフラと店内へ。



豚骨刀削麺とゴマ団子を食べましたー(≧▽≦)ものすごくマイルドでおいぴー!





やっぱりラーメンは
豚骨が好き♡

●で、新幹線に飛び乗る、と。

浜松チェンバーの練習に出るという
I東くんを見送り、こちらは一路東京へ。

近年亡くなった叔母(母の妹)の追悼礼拝も兼ねて、ここんとこ毎年イースターには叔父の家に前泊し、一緒に礼拝に出る、というのを慣例化しているんですが、1人暮らしで寂しがっている叔父は、これがすごく嬉しいらしいです。

元々叔母は、薬剤師としてうちに勤めていたりしたもんだから、私の乳母のよーなもので、人に話す時も
「うちの長女なのー」とか言ってたくらいなんで、(ちゃんと他に2人娘がいるんだが、その子たちが生まれる前に私を育てた、という気持ちがあるらしいです)

叔父も私が行くと、娘が実家に帰ってきたような感覚で、せっせと世話を焼いて喜んでいる。まあ、セカンド・パパ? みたいなものなので、こちらも甘えています。



朝ご飯も、作ってもらっちゃいますーo(^-^)o

さすが薬剤師夫婦のうちなんで、
お食事は超健康的!
お豆さんのご飯にシラスが
おいしかった!



↑今回は、この間神戸で
みなこちゃんにもらった
小さいロザリオもお供に
連れて行きました~(≧▽≦)
礼拝の時、1人でこっそり
「めでたし」(聖母マリアの祈り)を唱えちゃったよー。

叔父の所属する教会は、
日本キリスト教団なので
プロテスタント系なんだけど、
典礼などはカトリックに近いので、
特に違和感もなく、
毎年ちゃっかり聖歌隊に
入れていただいて歌ってきます。

が、プロテスタントの賛美歌って、
知らないのが多くて、毎回初見の
嵐ですー(ToT)今回のは、歌いやすい曲が多くて、何とかなって、ほっ。



↑手作りイースターエッグも、
大量にいただきましたです!
おいしかったです。

●で、おねだりもしてきた!

叔父叔母は、学生時代から
ずっと合唱をやってるものだから、行くと叔父と2人で、
夜中に音採りしてたり
するんですが、

叔母の残した譜面のうち、
女声合唱の譜面は、
叔父には歌えないんで、
欲しいのがあればあげるよー、
と言うもんだから、
ちゃっかり大量に選び出し!

あまりに多いので、
大半は宅急便で送ってもらうことに
したんですが、



9月の慰問で必要な「菩提樹」が
入ってるのだけ、取り急ぎ持ち帰りましたー(≧▽≦)

やったぁ!

持つべきものは、合唱オタクの
セカンド・パパママだな!

……なんか、叔母の苦笑している
顔が目に浮かびますが、

そして、赤いコートと白いコートも、「もらった!」とツバをつけてきたんで、何をか言わんや、ですが。

こうやって叔父叔母が大事にしてきたものをもらって、また私が使っていけるのって、なんか、嬉しいんですよね。

えー、ちなみに叔父へのお土産は、健康的に梅昆布茶とアズキのカイロと静岡バッハの演奏会CD。超ウケました(≧▽≦)

今回の埼玉訪問も、喜ばせたり喜んだりで、とってもとっても実り多かったです♡

同じ合唱人という点、親戚中でも一番話が合うしなー。

ニセ長女の境遇、はい、とても気に入ってます。


●実に21日間!


当初の治療計画書を見ると、
入院は一週間程度……となっているんですが、フタを開けてみたら、丸々三週間が経っていた!

が、ともかく、ほぼ完治!
の状態になり、めでたく
本日、娘が退院いたしましたー。

拍手~(^_^)ノ(^_^)ノ(^_^)ノ

上の写真は、ナースセンターと
担当のA先生へのお礼のお菓子。
A先生は、あの「あまちゃん」のモデルと言われる可愛すぎる海女さんに
よく似た感じの、若くて美人の
女医さんで~(≧▽≦)

こんなに可愛いのに、
ハキハキしてて、テキパキしてて、
一日中忙しく手術やってたりするー。いいなぁ。

というわけで、先生の雰囲気に
合わせて、可愛い感じの菓子折りを
差し上げました。まる。

●大変な闘病生活……では、
てんでなかった。ほっ。

発見が早かったおかげか、
失明したり難聴になったり、
という大事には至らず、 
念のために受けたMRIもCTも
髄液検査も、異常なし。

対症療法で、ステロイドを
3日に渡って点滴で大量投与
するパルス療法というのを三回
受けたため、入院期間が長く
なってしまっただけで、
ごく普通の日常でした。

ステロイドで副作用が出た場合に備えて、このパルス療法の時は
基本的に入院して患者の体調管理を
する、ということになっているのだ
そーです。

パルスの時だけ入院して、他の日は
自宅療養、というのも出来なくはないんだそーですが、この猛暑の中、
病院と家の行き来をするだけで、ヘタヘタになりそうな体調だったので、ずっと居続け。ほとんど、牢名主状態になっておりました。4人部屋で、お隣のベッドに入院した白内障手術のオバチャマと話し込んで、メアド交換ならぬ住所交換したりしてて、なんだかんだ言って、
楽しんでいたような……。



これ、病院食の冷やし中華。
もんのすごく美味しそうでしたー。

食事は、常食というヤツで、普通の健康な人用メニュー。1日
1600kcalのヘルシーメニューで、
なんか、お魚メニューが
とても美味しかったとか。
今、魚がマイブームだ、とか
言ってます。東京に帰っても、
ヘルシーに
食べてくれるといーんだが。

とりあえず明日から
ルイボスティーだな、うん。



病棟は十階建てビルの九階で、眺望絶佳。パノラマでいい景色を楽しめた。この空も見納めだなー。

●まだ通院はしなくちゃいけない

21日間の治療のおかげで、
視神経乳頭(視神経の根元のこと)の腫れは、ほぼ解消。

視野検査をすると、暗点(見えない部分)が三カ所くらいあったのですが、これも解消。いわゆる盲点以外はクリアーな視界を確保することが
出来ました。

症状は左目の方に主に出たのですが、目の奥が痛み、左目の視界だけ、「色が抜けて白く」見えた!
んだそうです。右目だけで見ると、天然色フルカラーなのに、左目だけで見ると、白くぼやけてたり、白黒画面だったりしたそーです。治ってくると、次第次第に色がついてきて、例えば右目で真っ青な空が見えている時、左目で見ると、ブルーに灰色のもやがかかってるような感じ……になっているんだとか。

今日聞いたところでは、色の方は、ほぼ回復したみたいです。

「なんか私、今ものすごく
珍しい体験をしてるみたいなんだよー!」とか言ってまして、
結構面白がってもいましたね。

入院したばかりの頃、
ふっ、と見たら、縦に並んだ活字が
フワフワ~と、その辺の空間に浮かんでいるのが見えたりして、ギョッとしたそーです。

あ~、多分脳が、今まで見て
記憶に残っている活字を
自分の目に見せてるんだろうな~。
ちょっとブキミだけど、
オモシロイもの見たなー………

とか言ってました。

ミョーに冷静なところが
私の血、って感じです。

まぁ、ほぼこういう病気だ、と
診断がついたっていう段階で見えたもんだから、冷静に受け止められたんでしょうね~。

何の病気か、てんでわからん、
という不安な時に、
ヘンな画像ばっかり
見えたら、パニックになってたかも
しれませんが。

今後は経過を確認しながら、
徐々にステロイド投薬量を
減らしていく、というところです。
来週はまたA先生に診ていただく
のですが、それ以後は大学の
新学期も始まってしまうので、
東京の病院を紹介していただき、
通院を続ける、という予定。
だいたい年内は通わないと
ダメなんだって。結構長いよねー。



こちらの写真は、めでたく退院し、
病院内の喫茶店で、勝利の(?)
いちご練乳ミルクを頬張っているところ。ゴキゲンです。

さらに夜は、近くのお気に入りの
中華「さくらやさん」で
ささやか~な、酒池肉林!





これは、私が頼んだ
麺抜きのワンタン、煮卵プラス。
お~いしかったぁ!

ワンタンって、ミョーに好き
なんだなぁ。

おなかいっぱいになって、
ニコニコしながら帰ろうとしたら、
レジの所でご主人が、
「これ、持ってく~?」
と、今打ったばかりの
餃子の皮を大量にお土産に
下さいました!

昔、父の患者さんだった方なんで、
私たちにも気を遣って下さるみたい。



有り難く頂いて、ホクホク帰ってきました。

これで餃子でも、ワンタンでも、春巻でも、
作り放題ですー。

他のお料理にも使えるなぁ、と
思っていたら、ご主人が、
「ほうとうにも使えるよ~」
と。

なるほど、その手もあったか!
ウフフ、楽しみだぁ。

●オマケの小ネタ

MRIを娘が受ける前に、
注意書きをいただいて、
ほほぉ。



磁気を使って身体の内部を診る
検査なので、金属を身につけていると、困るんだそーだ。

最近は、骨折した部位に、金属片が入っていたりもするわけで、その場合は前もって申し出るんですけど。

意外と気がつかないで、というものがいろいろあるみたい。

下着に付いてる金具なんてのも御法度だけど、ラメ入りのジェルネイルなんてのが難物。ネイルサロンできれいに塗ってもらい、キラキラのお飾りを付けてある爪ですネ。

ラメに金属が含まれているんで、付けたままでの検査は出来ないんだって。

お化粧品にも、金属成分が入っているものが結構あるそうで、特にマスカラ、アイライン、アイシャドーの類はダメ。うまく撮影できない可能性もあるけど、発熱してやけどすることがあるんだそーだ!

うう、目の回りだけやけどなんて、
目パンダどころの騒ぎじゃないし、下手すると、目そのものが危ない。

ネイルも、指先だけ全部やけどになったら、生爪はがしみたいになるのかも~(^◇^;)

金属の他にも、熱を発するモノが
マズい。

ヒートテック素材のシャツだとか、
耳ツボシール、ホッカイロ、エレキバン、遠赤下着。いくらでもありますなー。

病院で検査ってぇと、スカスカのお仕着せの服を着せられて、なるべく何にも付けない状態にされるものですが、こーいう危険がいろいろあるからなんだなぁ。てんで考えたことなかったよ。

ふぅむ、勉強になった。
●ここんところ お別れが続く

4月は長野の伯母を見送ったばかり。
5月は、相方がずっと親しくさせていただいた恩師が亡くなった。
親しい友人でご家族を亡くされた方もあり、
なぜか別れが続くシーズンになっている。

出会いがあれば、別れもあるものだけど、
年をとるということは、つくづく
別れを重ねることだ、と思うことがある。
その時々に、後悔や嘆きや、一人では抱えきれない
いろいろなものを、誰もが抱え込んで年を重ねていく。

生きていれば、やり直しがきくこともある。
けれど、亡くなってしまった人には、
もうやり直しをしてもらうことができない。
ああすればよかった、
こうすればよかった、
と必ず思うものだけれど、
それをやり直す機会は、もうない。

だからこそ、人は
亡くした誰かをいとおしみ、
いつまでも忘れることがない。
心の中でいとおしく反芻しつづけることでしか
人は前に進むことができない。

14日に、親しいうちのおじさんが亡くなった。

子供の頃から可愛がってもらい、
最近は畑でとれた
輝くばかりの野菜を毎年たくさんもらっていた。

ここの家は、母の小学校の同級生のうちで、
ご夫婦は同級生どうしで結婚している。

おじさんは、80歳だった。

ということは、亡くなった母が今生きていたら
80になっているのだ。

不思議な感慨を覚えた。

80になっている母を想像するのが難しいのだ。
母の姿は、亡くなった時のままで、私の中に固定されていて、
それ以上年をとることがない。

それが幸福なことなのかどうか、
私にはわからないが、

あと二年すると、母が亡くなった年になる。
私は、母が到達したところまでに、
その年で追いつけるのだろうか。

●このご一家とは不思議な御縁で

親族同様のおつきあいをしてきた。

おばさん(とは普段呼ばないが)が
長い間、うちに勤めてくれていたため、
ほとんど家族同様なのだ。

小学生時分は、ほとんど家事をやってくれていたので、
私はおばさんの料理で大きくなったようなものだ。

一人息子がいて、こちらは兄貴分みたいなもので、
父の葬儀の時も、「大丈夫?」と駆けつけてくれた。
税理士なので、相続税の計算でわからなくなると、
「兄貴、助けて~」
で来てもらい、さんざんこき使ってしまった。

子供の頃は、うちの母が私たち二人を連れて
あちこち旅行に出かけてくれた。
兄弟のようにして過ごした時間が懐かしい。
平安の昔だったら、乳母子(めのとご)関係かもしれないね。

亡くなったおじさんは、タクシーの運転手さんを昔やっていた。
普段は忙しくて、家に遊びに行っても、なかなか
おじさんには会えなかったが、一度だけ
街の中でおじさんに会った。

それはまだ私が15,16歳の頃だと思う。
うちに新しく勤めた若い人(その頃うちは眼科医院で、
看護婦さんたちは住み込みの人もいた)を連れて
買い物か何かに行ったんだと思う。

で、二人して帰り道がわからなくなってしまった。
要するに、迷子!

荷物は多いし、道は不確かだし。

で、ままよ、でタクシーをつかまえた。

まだ子供だったから、一人でタクシーに乗るなんて
贅沢は考えたこともなかったが、他に思いつかなかった。

タクシーに乗ったら、
「あれ~、○ちゃんじゃないか。どうしたの~?」
と運転手さんが後ろを振り返ってニッコリ。

おじさんが人懐こい顔で笑ってる。
途端にほ~っとした。

気恥ずかしかったけど、うちまで送ってもらった。

大人になって、母を亡くして、
一人っ子だったので実家に帰り、生活しはじめた。
おじさんは退職して悠悠自適に、畑仕事を始めていた。

毎年それはもう、輝くばかりの、大粒のトマトを
たくさんくれた。

それは、夏の息吹そのままで、
こんなに美味しいトマトは、どこを探してもなかった。
たまねぎやじゃがいもも、その時々に採れるものを、
毎年たくさんいただいた。

でも、私の中では、やっぱりトマトが最高で、
毎年楽しみに待っていた。
その時期になると、スーパーで美味しそうなのを見かけても、
「いやいや、そろそろおじさんのトマトが
もらえるはず!」
と買わずに帰ったりした。
あんまり好きなので、絵に描いておじさんに
贈ったりしたこともあった。

私にとっては、おじさんのトマトは、
おじさんの人懐こい笑顔と同じ。
大好きだった。

今年はもう、夏が来ても
あのトマトには会えない。

そうやって、年々、
何かが変わっていく。

変えたくなくても、
変わってしまう。

後戻りのできないことの
なんと 多いことか。

思い出の中で、
鮮やかな赤だけが
蘇る。
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