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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

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スペシャルな1年にしたいな!
●今年も巡ってきてしまったゾ!

確定申告の書類書きをヒイヒイやっている間に、日付が変わり、お誕生日となりましたー。

おっかしいなぁ。
何もスペシャルな事がない
………σ(^_^;
 ↑
もっとも夜明け前から、
FBとmessengerで、
そりゃもう、コッテコテに
嬉しい「お誕生日おめでとう」メッセージをたくさん
頂いたんで、既に
嬉しくってしょーがないんですけどね! 皆様、ホント、お気にかけて下さり、
ありがとうございます!

スペシャルと言えば、
①インドネシアから
新しい譜面「Lagu Lagu Indonesia」(インドネシアの唱歌3曲をアレンジしたもの。ピアノ伴奏をいじられたそうな。カラーが
美しい、南国風景の表紙になった! 中身もパワーアップしているに違いない!)がデータ送信されてきた事と、
 ↑
※唱歌だからコワくないよー、と主張しているのだが、
インドネシア語であることと(ほとんどローマ字読みなんだが!)、S田印の編曲集は、編曲者の意図した通りに歌えれば、むちゃキレイなのだが、歌いこなすのがいつも難しい、と既に静岡組メンバーに恐怖されてたりする……。
 ↑
いや、ほんと、穏やかで美しい曲ばかりなんだがーσ(^_^;みんな、おびえすぎなんでは?

②今年の東京都合唱祭でやる
曲は、上田真樹さんの
混声合唱とピアノのための組曲『夢の意味』(林望さん作詞)から「夢の意味」と「夢の名残」に決定したゾー! というお達しがN山先生から一斉配信された。
 ↑
※古謡の趣のある素敵な歌詞で、朗唱法を用いて歌うよう指示されているところもあり、千原さんのもつ中世歌謡的な彩りがあって楽しい。「夢の意味」は現実感のある調性なんだけど、attacaで入る「夢の名残」は♯がうんとこせ付いていて、ほとんどショパンの調性感。美しいオーロラが緩やかに舞う印象。むっちゃキレイ。が、例によって半音階進行とか、課題はたくさんあったりする。

とまあ、こういう具合に、2大巨頭からの、
「さあ、サボっていないで、
とっとと練習しろ!」
というお知らせ(?)が
ほぼ同時に入った事が、まずはスペシャルであったのであった。

うん、きっと、
これらはお誕生日プレゼント
なのでしょう!

そうに決まった!!
 ↑
ムリヤリだなぁ……。
(^◇^;)

●今回の誕生日は、個人的にはとても意義深いモノ、と実は思っているのでアル。

誕生日など、年1回のもので、とりあえずスペシャルなモノなんだけど、

今年は特別。

何が特別って、
自分が5並びの年になったこと。これがスペシャルなんであります。

なんでかってぇと、
母が55の誕生日を迎えた
ところで、急にこちらの世界から
アチラの世界へ飛び立ってしまったから。
 ↑
ホントにこーゆー雰囲気の
夢を見た。きれいな虹色の夢で、「あ、母は良い世界にいったんだ。大丈夫なんだ」と思いました。悲しかったけど、ホッとした。

身びいきですけど、
本当に太陽のように明るい人で、たくさんの人に愛され、
ちょっと短かったけど、実り多い人生を歩んだ人だと思います。

私にとっては、
生んでくれた母、
というよりも、
誰よりも自分をわかってくれる無二の親友のような存在でしたから、亡くした時は本当にショックでしたし、
3年間ぐらいは、何かと
いうと思い出しては
涙、涙、でした。

けど、そういうツラい
時期を過ぎてみると、
今度は自分が母に
なり変わって、
この家の太陽にならないといけないんだな、と感じました。

1人っ子ですから、
残された父を盛り上げてやらなくちゃならないし、
 ↑
娘の前でよくもまあ
恥ずかしげもなく、
超仲良しサンだったので、
母を亡くした直後は
本当に可哀相でしたね。

そのうち自分にも娘が出来た。

そうなってみると、
あ~、この子には
親を亡くす辛さは、あまり
若いうちに経験させたくないなぁ………と。

まぁ、年寄りになってから
逝くなら、面倒だな、とは
思われても、何とか付き合ってくれるでしょうから(多分)、
それまではガンバって
生きていかないとな……。

などなど、ツラツラ
年ごろ考えておりまして、
まずは母が生きた年までは、
とりあえず元気ハツラツで
いかねばっ!

と、心に期していたのでした。

で、めでたくその年を迎える
ことが出来ました。
父も、先年アチラへ送り出すことが出来ました。今頃は、
また2人でベタベタしていることでしょう。

振り返ってみると、
ああ、もう十分生きたなぁ、
みたいな気もします。
はるばると遠く来にけるかも、
みたいな?

母の年に追いついたんですもんね。

数えてみたら、母が逝ってから、26年も経ってました。

どうも、この世のどこにも
いない、という感覚ではなく、どこかへちょっと遊びに行ってるような気がするんだけど、
もう26年間も、現実には
あの声にも、あの笑顔にも
出会えてないんだよなー。

けど、多分、私の中では
いつも生きていて、
いつも隣にいて、
一緒に笑ったりなんか
してるんでしょう。

古代エジプト人は、
魂の形をいくつかに
分けて捉えていたそうで、
その人の名前renは、
その人を形作るアイデンティティーとして捉えていたそうです。だから、その人の名が
人の記憶にあるうちは、
その人が本当に死ぬことはないんだって。

うん、そういう感じだね。

自分としては、
もう十分生きた気もする瞬間もあるんだけど、
ヤッパリもうちょっと
頑張ってみたいこともある。

母は日本画を描いていた人で、亡くなる直前には、
結構認められてきてて、
いわゆる号いくら………と
値段がつくプロ作家の入口に
入っていました。
今残されている作品を
見ても、光るものが
あると思います。
だからこそ、きっと
もっと描きたいものが
たくさんあったでしょう。

母のやり残したこと。

それを少しでも
私が受け継いでいきたいな。

もっとも絵の方では、
てんで追いつけそうもないんで、別のものになっちゃうんだけどね。

でも、何がしか、
私が毎日頑張っていけば、
それは母が生きた証に
なっていくんじゃないかな、
と思う。

私が精一杯生きて、
母が生きられなかった
時間も、うんと充実した
時間にして生きていけたら、
私の中の母も、
一緒に輝いていけるような気がする。

今日は、私と母の、
新しい道の記念日。

また1年、1年、
2人で歩いていこう。
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