カテゴリー「本とか」の記事一覧
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- 2011.11.07 「おらしょ」を歌うために その2
- 2011.11.02 「おらしょ」を歌うために
- 2011.02.08 オノマトペにちょっとハマっている
- 2010.11.14 豆腐のふわふわ食べると、ね、眠い・・・
- 2010.10.27 寒いよ~寒いよ~
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●うかうかとトンデモないモノにはまってしまった。
先日遠藤周作にハマって喜んで
いたというのに、今度はもっと
めんどーなモノにハマってしまった。
『日本の聖書~聖書和訳の歴史』
海老澤有道著
講談社学術文庫
1989年刊
既に相当古い本で、アマゾンでは
新刊で出てこない。まー自分も
昔、古本で見付けた本なんだけど。
(アマゾンの中古商品では出てきます)
学術論文の類なんで、
読むのがめんどーで、
積ん読状態で長年置いてあった
ブツなんですが、ついフラフラと
手に取ってしまった。さあ、大変。
●「てんたさん」って何~~~!?
ぺらぺらめくっていたら、
最後の方に付録として、
「主の祈り」の変遷例ってぇのがあった。
「天にまします我らの父よ
願わくは 御名の尊まれんことを
御旨の天に行われるごとく
地にも行われんことを・・・」
というヤツで、
「お祈りするには、どう言えばいいですか?」
と問われたキリストが、弟子に教えた祈りの文句で、
キリスト教では一番重要な祈りとされています。
現代語訳では、
「天にいらっしゃる私たちの父よ」という
形になっていて、最近はこの現代語訳で
唱えることになっている。
のだが、中学時代に叩き込まれて
しまった文語訳の方がしっくりきてしまうので、
たまに教会に行った時、むにゃむにゃ・・・
になってしまったりするのですが。
閑話休題。
で、本の付録では、キリシタン時代に
始まるこのお祈りの文句の訳し方の
移り変わりが、ずらっと並べられている。
で、しょっぱなに1591年刊のものがあって、
「我等をてんたさんに放し玉ふ事なかれ」
と書いてある。
て、てんたさん?
・・・って、何???
幕末の浦上四番崩れという
キリシタン弾圧時代のも、
「テンタサン」になってる。
なんじゃらほい?
私の知ってる文語訳では、
「我等を試みにひきたまわざれ」ってとこで、
現代語だと「わたしたちを誘惑に遭わせず」。
要するに、悪の誘惑に負けないようにしてください、
である。
・・・ということは、「てんたさん」は、
「誘惑」・・・か? 「サンタさん」とかじゃなく?
「誘惑」って言ったら、英語の
temptationだよねぇ・・・・
で、念のためウルガータ訳(ラテン語聖書)を
引っ張り出してみた。
で、案の定、元の言葉はtemptationっぽい
ヤツでした。音訳・・・したらしいですネ。
一番最初にザビエルとマラッカで
出会った日本人ヤジロウの訳では、
当時の仏教主流の日本人にわかり
やすいように、父なる神が「大日」(大日如来)と
訳されたりなんかした、という話で、
その後、なるべく仏教語は使わない
ようにしよう運動があり、どーしても
訳しにくいものは、音訳していた。
そのおかげさまで、
「おらしょ」の歌詞の中でも、
ラテン語のO gloriosa Domina(輝ける聖母よ)
が「ぐるりよおざ どみぬ」になってたりする。
当初、どうしても、「ぐるりよおざ」がナットク
いかなかったのか、口が回らなかったのですが、
最近じゃ、反射的に「ぐるりよおざ」と
言ってしまふ。日本民族の血・・・か?
●まあともかく、ハマっちゃったんで
頭からせっせと読んでいます。
歴史年表と首っ引きで、
「なるほど、ザビエルが来た年(1549)は、
徳川家康幼名松平竹千代が、今川氏の
人質になって静岡に来た年なのか~」とか、
キリストがよくたとえ話で使う
いちじくの木は、実はザビエルが
来た当時は、日本にはなかったんで、
「柿」に書き換えたり、時刻表示も、
24時間制が採り入れられるのは
明治になってからなんで、古い訳文では
「辰の刻に・・・」なんてのがあったりするとか、
へーへーほーほー、の嵐です。
ちなみにいちじくは、バリニャーニが
遣欧少年使節と一緒に再来日した時に、活版
印刷機などとともに持ち込んだらしいです。
江戸時代には、「南蛮柿」「唐柿」「蓬莱柿」と
呼んでいたんだそーです。
すっかり、大昔から日本にある植物だと
思い込んでいた。
●隠れキリシタンに必須なのはマリア信仰
で、今回演奏する「おらしょ」IIの歌詞も、
キリエ→聖母賛歌→あわれみの賛歌
→アヴェ・マリア→信仰宣言(クレド。当時は
「けれど」とも)→アーメン、イエズス、マリア→
キリエ
という流れになっていて、聖務日課みたいな
感じの作りなのかなぁ?
と考えていましたが、「マリア観音」というのが
有名なように、日本のキリシタン信仰では、
マリア様重視。カトリック国のイタリアなんかも
マリア様重視だから、そのせいかな、と
思っていたら、
イエズス会によって全国的に組織された
信心会は、「御上天の聖母の組」と
呼ばれるもので、要するに日本教会は
「被昇天の聖母」に捧げられたもの
という位置づけだったかららしいです。
ちっとも知らなかった。
●まったく知らない思想を翻訳するのは
そりゃあ、並大抵の苦労ではなかった
と思います。すごい勢いで翻訳事業がなされた
ようですが、残念ながら、禁教時代の資料は、
弾圧のためにあまり残っていません。
なんたって「邪宗門」とか言われちゃった時代です。
それでもいろいろな人の訳本が今に
伝えられています。
仏教用語を流用すると、
間違って理解されてしまうからというので、
独自にさまざまな訳語が開発されました。
現代でも通用するようなものもあるのでしょうけど、
今では何のことやら? の言葉も多い。
例えば「洗礼者ヨハネ」を訳すのに、
「洗礼」という言葉が発明される以前は、
「施浸者」という訳語が考え出されました。
これで「しづめもの」と読むそうです。
確かに水に沈めて清めるワザを施す人
なんだけど、どーもアヤシい雰囲気のある言葉
になっちゃってる。
また、キリストが人の身体に巣くっていた
汚れた霊やアクマを追い出し、
その人の病を治してくれる奇跡が
新約聖書に出て来ますが、この
いわゆるエクソシズムを説明するのが
難しい。「悪魔」とか「魔」という言葉は、
仏教語として古くから使われていたんだけど、
どちらかというと「天魔」の類で、
キリスト教の悪魔とはちょっと違う。
で、困った訳者の人、「邪気」とか
「汚穢乃悪魔」として、ルビで「フケツノアクマ」
としてたりする。
「フケツノアクマ」って見た瞬間に、
頭のフケをボリボリやってるマンガ的な
アクマを想起してしまう・・・。
●とまあ、楽しい本なのであるが。
専門書なので、例文として引用されているのが、
例えば「ルカ9:12」とか、場所しか
書いてない。聖書を引っ張り出して、
どーいう内容だったかチェックしないと
先に進めない。で、スマホに仕込んである
日英対訳聖書(欽定訳と共同訳というスグレもの)
で急いで探し、「あ~ここか~」とやる。
用語でわからないものは、またまた
スマホでwikipediaにアクセスして
「ほ~なるほど~」とやる。
スマホ様々である。
本日スマホで見付けた「ほーほー」モノは、
日本語訳聖書の中でも有名な
ギョツラフ訳ヨハネ福音書が、なんと、現在
聖書協会から朗読CD込みで、
絶賛発売中であること!
で、価格は7,000円もするので、
とても手が出ないのであるが、
なんと、朗読CDの試聴が出来る!
ギョツラフ訳は、アメリカに漂着した日本人
漁民3名の協力を得て作られたもの。
尾張の人たちで、ちょっと尾張訛りが
訳文にも入っているそう。
「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。」
という、あの有名な冒頭の一節が、
「はじまりに かしこいものござる。
このかしこいもの、ごくらくともにござる。」
になっています~。
言葉(logos)が「かしこいもの」になったり、
神(Theos)が「ごくらく」になってるあたり、
教養人とかじゃなくて、ごくふつーの庶民の
持つ日本語知識が元になっているから、こうなった
のではないか、とのお話。
神学的には、いろいろツッコミがある
聖書ですが、朗読を聴くと、逆に
当時の日本の息吹きが感じられるような気がするなぁ。
朗読も、いい雰囲気です。言葉付きが素朴で、
これはこれで、いいな。
現代の私たちが見ると、
「和風だね」と感じるような世界が、
当時のキリシタンにとっては「宇宙」だったわけで、
そこにもたらされた遠い異国の宗教と、
熱烈な信仰心の塊ともういうべき青い眼のパードレたち。
これまで聴いたこともない教えと、
彼らが示す新しい言葉、音楽、神への熱意。
そういったすべてのものが、キリシタン信仰を
受け容れた人々の新たな「宇宙」になっていった。
彼らの眼に映ったのは、
一体何だったのか。
なぜそこまで、この新しい教えに
殉じて生きられたのか。
このところ、毎日そんなことばかり考えています。
学術書で合唱曲のイメージアップという
ミョーな方向に走っているわけですが、
こーゆー本からすくいあげるイメージというの、
意外とリアルで、私にはおもしろいのです。
●おまけの豆知識
先述の「浦上四番崩れ」ですが、
江戸末期から明治初期に起こった長崎県での
大規模なキリシタン弾圧事件のこと。
浦上地区で起こった弾圧の四番目、という意味です。
1867(慶応3年)の話で、これ、諸外国で
大ヒンシュクを買いました。
ちょうど岩倉使節団が欧米訪問に旅立ったのですが、
キリシタンを弾圧する限り、条約改正は難しい、
というのがわかり、慌てて本国に打電。
これによって、日本のキリシタン弾圧は終わりをみました。
1873(明治6年)にはキリシタン禁制が解かれ、
1614(慶長19年)以来、259年ぶりにキリスト教が
公認され、隠れキリシタンからカトリックに復帰した
人もたくさんいたのでした。(もっとも、土俗化して
カトリックとは別の信仰形態になってしまった「かくれ」を
維持する人もまだ残っているそうです)
*「浦上四番崩れ」「どちりなきりしたん」などについては、
wikipediaにかなり詳しい解説が掲載されています。
先日遠藤周作にハマって喜んで
いたというのに、今度はもっと
めんどーなモノにハマってしまった。
『日本の聖書~聖書和訳の歴史』
海老澤有道著
講談社学術文庫
1989年刊
既に相当古い本で、アマゾンでは
新刊で出てこない。まー自分も
昔、古本で見付けた本なんだけど。
(アマゾンの中古商品では出てきます)
学術論文の類なんで、
読むのがめんどーで、
積ん読状態で長年置いてあった
ブツなんですが、ついフラフラと
手に取ってしまった。さあ、大変。
●「てんたさん」って何~~~!?
ぺらぺらめくっていたら、
最後の方に付録として、
「主の祈り」の変遷例ってぇのがあった。
「天にまします我らの父よ
願わくは 御名の尊まれんことを
御旨の天に行われるごとく
地にも行われんことを・・・」
というヤツで、
「お祈りするには、どう言えばいいですか?」
と問われたキリストが、弟子に教えた祈りの文句で、
キリスト教では一番重要な祈りとされています。
現代語訳では、
「天にいらっしゃる私たちの父よ」という
形になっていて、最近はこの現代語訳で
唱えることになっている。
のだが、中学時代に叩き込まれて
しまった文語訳の方がしっくりきてしまうので、
たまに教会に行った時、むにゃむにゃ・・・
になってしまったりするのですが。
閑話休題。
で、本の付録では、キリシタン時代に
始まるこのお祈りの文句の訳し方の
移り変わりが、ずらっと並べられている。
で、しょっぱなに1591年刊のものがあって、
「我等をてんたさんに放し玉ふ事なかれ」
と書いてある。
て、てんたさん?
・・・って、何???
幕末の浦上四番崩れという
キリシタン弾圧時代のも、
「テンタサン」になってる。
なんじゃらほい?
私の知ってる文語訳では、
「我等を試みにひきたまわざれ」ってとこで、
現代語だと「わたしたちを誘惑に遭わせず」。
要するに、悪の誘惑に負けないようにしてください、
である。
・・・ということは、「てんたさん」は、
「誘惑」・・・か? 「サンタさん」とかじゃなく?
「誘惑」って言ったら、英語の
temptationだよねぇ・・・・
で、念のためウルガータ訳(ラテン語聖書)を
引っ張り出してみた。
で、案の定、元の言葉はtemptationっぽい
ヤツでした。音訳・・・したらしいですネ。
一番最初にザビエルとマラッカで
出会った日本人ヤジロウの訳では、
当時の仏教主流の日本人にわかり
やすいように、父なる神が「大日」(大日如来)と
訳されたりなんかした、という話で、
その後、なるべく仏教語は使わない
ようにしよう運動があり、どーしても
訳しにくいものは、音訳していた。
そのおかげさまで、
「おらしょ」の歌詞の中でも、
ラテン語のO gloriosa Domina(輝ける聖母よ)
が「ぐるりよおざ どみぬ」になってたりする。
当初、どうしても、「ぐるりよおざ」がナットク
いかなかったのか、口が回らなかったのですが、
最近じゃ、反射的に「ぐるりよおざ」と
言ってしまふ。日本民族の血・・・か?
●まあともかく、ハマっちゃったんで
頭からせっせと読んでいます。
歴史年表と首っ引きで、
「なるほど、ザビエルが来た年(1549)は、
徳川家康幼名松平竹千代が、今川氏の
人質になって静岡に来た年なのか~」とか、
キリストがよくたとえ話で使う
いちじくの木は、実はザビエルが
来た当時は、日本にはなかったんで、
「柿」に書き換えたり、時刻表示も、
24時間制が採り入れられるのは
明治になってからなんで、古い訳文では
「辰の刻に・・・」なんてのがあったりするとか、
へーへーほーほー、の嵐です。
ちなみにいちじくは、バリニャーニが
遣欧少年使節と一緒に再来日した時に、活版
印刷機などとともに持ち込んだらしいです。
江戸時代には、「南蛮柿」「唐柿」「蓬莱柿」と
呼んでいたんだそーです。
すっかり、大昔から日本にある植物だと
思い込んでいた。
●隠れキリシタンに必須なのはマリア信仰
で、今回演奏する「おらしょ」IIの歌詞も、
キリエ→聖母賛歌→あわれみの賛歌
→アヴェ・マリア→信仰宣言(クレド。当時は
「けれど」とも)→アーメン、イエズス、マリア→
キリエ
という流れになっていて、聖務日課みたいな
感じの作りなのかなぁ?
と考えていましたが、「マリア観音」というのが
有名なように、日本のキリシタン信仰では、
マリア様重視。カトリック国のイタリアなんかも
マリア様重視だから、そのせいかな、と
思っていたら、
イエズス会によって全国的に組織された
信心会は、「御上天の聖母の組」と
呼ばれるもので、要するに日本教会は
「被昇天の聖母」に捧げられたもの
という位置づけだったかららしいです。
ちっとも知らなかった。
●まったく知らない思想を翻訳するのは
そりゃあ、並大抵の苦労ではなかった
と思います。すごい勢いで翻訳事業がなされた
ようですが、残念ながら、禁教時代の資料は、
弾圧のためにあまり残っていません。
なんたって「邪宗門」とか言われちゃった時代です。
それでもいろいろな人の訳本が今に
伝えられています。
仏教用語を流用すると、
間違って理解されてしまうからというので、
独自にさまざまな訳語が開発されました。
現代でも通用するようなものもあるのでしょうけど、
今では何のことやら? の言葉も多い。
例えば「洗礼者ヨハネ」を訳すのに、
「洗礼」という言葉が発明される以前は、
「施浸者」という訳語が考え出されました。
これで「しづめもの」と読むそうです。
確かに水に沈めて清めるワザを施す人
なんだけど、どーもアヤシい雰囲気のある言葉
になっちゃってる。
また、キリストが人の身体に巣くっていた
汚れた霊やアクマを追い出し、
その人の病を治してくれる奇跡が
新約聖書に出て来ますが、この
いわゆるエクソシズムを説明するのが
難しい。「悪魔」とか「魔」という言葉は、
仏教語として古くから使われていたんだけど、
どちらかというと「天魔」の類で、
キリスト教の悪魔とはちょっと違う。
で、困った訳者の人、「邪気」とか
「汚穢乃悪魔」として、ルビで「フケツノアクマ」
としてたりする。
「フケツノアクマ」って見た瞬間に、
頭のフケをボリボリやってるマンガ的な
アクマを想起してしまう・・・。
●とまあ、楽しい本なのであるが。
専門書なので、例文として引用されているのが、
例えば「ルカ9:12」とか、場所しか
書いてない。聖書を引っ張り出して、
どーいう内容だったかチェックしないと
先に進めない。で、スマホに仕込んである
日英対訳聖書(欽定訳と共同訳というスグレもの)
で急いで探し、「あ~ここか~」とやる。
用語でわからないものは、またまた
スマホでwikipediaにアクセスして
「ほ~なるほど~」とやる。
スマホ様々である。
本日スマホで見付けた「ほーほー」モノは、
日本語訳聖書の中でも有名な
ギョツラフ訳ヨハネ福音書が、なんと、現在
聖書協会から朗読CD込みで、
絶賛発売中であること!
で、価格は7,000円もするので、
とても手が出ないのであるが、
なんと、朗読CDの試聴が出来る!
ギョツラフ訳は、アメリカに漂着した日本人
漁民3名の協力を得て作られたもの。
尾張の人たちで、ちょっと尾張訛りが
訳文にも入っているそう。
「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。」
という、あの有名な冒頭の一節が、
「はじまりに かしこいものござる。
このかしこいもの、ごくらくともにござる。」
になっています~。
言葉(logos)が「かしこいもの」になったり、
神(Theos)が「ごくらく」になってるあたり、
教養人とかじゃなくて、ごくふつーの庶民の
持つ日本語知識が元になっているから、こうなった
のではないか、とのお話。
神学的には、いろいろツッコミがある
聖書ですが、朗読を聴くと、逆に
当時の日本の息吹きが感じられるような気がするなぁ。
朗読も、いい雰囲気です。言葉付きが素朴で、
これはこれで、いいな。
現代の私たちが見ると、
「和風だね」と感じるような世界が、
当時のキリシタンにとっては「宇宙」だったわけで、
そこにもたらされた遠い異国の宗教と、
熱烈な信仰心の塊ともういうべき青い眼のパードレたち。
これまで聴いたこともない教えと、
彼らが示す新しい言葉、音楽、神への熱意。
そういったすべてのものが、キリシタン信仰を
受け容れた人々の新たな「宇宙」になっていった。
彼らの眼に映ったのは、
一体何だったのか。
なぜそこまで、この新しい教えに
殉じて生きられたのか。
このところ、毎日そんなことばかり考えています。
学術書で合唱曲のイメージアップという
ミョーな方向に走っているわけですが、
こーゆー本からすくいあげるイメージというの、
意外とリアルで、私にはおもしろいのです。
●おまけの豆知識
先述の「浦上四番崩れ」ですが、
江戸末期から明治初期に起こった長崎県での
大規模なキリシタン弾圧事件のこと。
浦上地区で起こった弾圧の四番目、という意味です。
1867(慶応3年)の話で、これ、諸外国で
大ヒンシュクを買いました。
ちょうど岩倉使節団が欧米訪問に旅立ったのですが、
キリシタンを弾圧する限り、条約改正は難しい、
というのがわかり、慌てて本国に打電。
これによって、日本のキリシタン弾圧は終わりをみました。
1873(明治6年)にはキリシタン禁制が解かれ、
1614(慶長19年)以来、259年ぶりにキリスト教が
公認され、隠れキリシタンからカトリックに復帰した
人もたくさんいたのでした。(もっとも、土俗化して
カトリックとは別の信仰形態になってしまった「かくれ」を
維持する人もまだ残っているそうです)
*「浦上四番崩れ」「どちりなきりしたん」などについては、
wikipediaにかなり詳しい解説が掲載されています。
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●「おらしょ」の譜面の最後に
参考文献がいろいろ載っていたんですが、
そのどれもうちにはなくって・・・。
で、自分にとっては隠れ切支丹のバイブル
遠藤周作に回帰しています。
『沈黙』とか『イエスの生涯』とかに戻っても
いいんですが、
『沈黙』を書く契機となった最初の
長崎への旅から始まる紀行文・随筆集
『切支丹の里』にどっぷりはまってみることにしました。
中公文庫に入っているのですが、
初版が昭和49年で、
私の持っているのが7刷で
昭和55年。
アマゾンでチェックしたところ、
新刊本としては扱われておらず、
古書扱い。ふつーの古書としては安くて、1円から、
コレクター商品としては、1,700円から、だそーです。
このヘンの仕組み、よくわかりません。
短いものなので、「おらしょ」本番前までに
読み込んでみるかなぁ・・・と引っ張り出して
みました。案の定、ハマっています。
「哀しげに摩滅し、足指の痕を青黒く(黒+幼の古い字で
書いてある)残した一枚の踏絵を見た感動から、
キリシタン時代の殉教者、転んだ宣教師、隠れキリシタンの
たどった道を、長崎、島原の僻村までたずね歩き、弱きものを
裁く父の宗教が優しく赦す母の宗教へと、日本の風土と
歴史の中で変貌してゆく様を、真摯な取材と文献の中から
考察してゆく。傑作『沈黙』や『イエスの生涯』を貫く著者の
思想が展開する独自の紀行・作品集。」
という解説が裏表紙に付いています。
殉教をした者、殉教の道を選ばず、転んだ者。
その一人一人の心の襞を追い、
何者にも屈せぬ強い意志で命を捨てたように
見える者、心弱さのゆえに裏切り者となり、
歴史の中に沈黙とともに埋没していった者。
強者があり、弱者がある殉教の歴史。
しかし、その一人一人の心が
単純に真っ白であったり、真っ黒であったわけではないはずだ。
揺らぎ、傷つき、時に光を求め、あるいは光に背を向け、
ためらいと悩みと、決意とあきらめと、
それらの錯綜の中に、切支丹として生きることの現実があった。
カトリックの信者である遠藤にとっては、
迫害にあった時、自らの身を犠牲にして
信仰を守りきれるのか?
という命題は、非常に身近で、大きなものだったのだと思う。
迫害の時代にあったなら、
自分もまた堪えきれずに転んだであろう。
自分は弱き者、転んだ者、また隠れた者に近い。
そんな思いが、『沈黙』という作品に
結実したのだと思う。
私もまた、長年キリスト教を身近に感じ続けながら、
未だに自らその世界に入ることにためらい続けている。
果たして自分は信仰者であると声高らかに宣言できる
ほどの者なのか。
自らの業を自覚すればするほど、入ってはいけないような
気がずっとしていた。
最近は、次第に自分の中の
規制が緩んできてきるのか、
真っ白でなくても、入っていいか、と
思ったりもするようになった。
ただし、それは、死んで後、救われたいから、
というわけでもないように思う。
未だに私は、自分が何をキリストに求めているのか、
よくわかっていない。
そういうわけで、まだしばらくは
教会の周りでうろうろしているだけの状態を
続けそうな私である。
どうも固い話になっちゃったな。
ま、たまにはいいか。
参考文献がいろいろ載っていたんですが、
そのどれもうちにはなくって・・・。
で、自分にとっては隠れ切支丹のバイブル
遠藤周作に回帰しています。
『沈黙』とか『イエスの生涯』とかに戻っても
いいんですが、
『沈黙』を書く契機となった最初の
長崎への旅から始まる紀行文・随筆集
『切支丹の里』にどっぷりはまってみることにしました。
中公文庫に入っているのですが、
初版が昭和49年で、
私の持っているのが7刷で
昭和55年。
アマゾンでチェックしたところ、
新刊本としては扱われておらず、
古書扱い。ふつーの古書としては安くて、1円から、
コレクター商品としては、1,700円から、だそーです。
このヘンの仕組み、よくわかりません。
短いものなので、「おらしょ」本番前までに
読み込んでみるかなぁ・・・と引っ張り出して
みました。案の定、ハマっています。
「哀しげに摩滅し、足指の痕を青黒く(黒+幼の古い字で
書いてある)残した一枚の踏絵を見た感動から、
キリシタン時代の殉教者、転んだ宣教師、隠れキリシタンの
たどった道を、長崎、島原の僻村までたずね歩き、弱きものを
裁く父の宗教が優しく赦す母の宗教へと、日本の風土と
歴史の中で変貌してゆく様を、真摯な取材と文献の中から
考察してゆく。傑作『沈黙』や『イエスの生涯』を貫く著者の
思想が展開する独自の紀行・作品集。」
という解説が裏表紙に付いています。
殉教をした者、殉教の道を選ばず、転んだ者。
その一人一人の心の襞を追い、
何者にも屈せぬ強い意志で命を捨てたように
見える者、心弱さのゆえに裏切り者となり、
歴史の中に沈黙とともに埋没していった者。
強者があり、弱者がある殉教の歴史。
しかし、その一人一人の心が
単純に真っ白であったり、真っ黒であったわけではないはずだ。
揺らぎ、傷つき、時に光を求め、あるいは光に背を向け、
ためらいと悩みと、決意とあきらめと、
それらの錯綜の中に、切支丹として生きることの現実があった。
カトリックの信者である遠藤にとっては、
迫害にあった時、自らの身を犠牲にして
信仰を守りきれるのか?
という命題は、非常に身近で、大きなものだったのだと思う。
迫害の時代にあったなら、
自分もまた堪えきれずに転んだであろう。
自分は弱き者、転んだ者、また隠れた者に近い。
そんな思いが、『沈黙』という作品に
結実したのだと思う。
私もまた、長年キリスト教を身近に感じ続けながら、
未だに自らその世界に入ることにためらい続けている。
果たして自分は信仰者であると声高らかに宣言できる
ほどの者なのか。
自らの業を自覚すればするほど、入ってはいけないような
気がずっとしていた。
最近は、次第に自分の中の
規制が緩んできてきるのか、
真っ白でなくても、入っていいか、と
思ったりもするようになった。
ただし、それは、死んで後、救われたいから、
というわけでもないように思う。
未だに私は、自分が何をキリストに求めているのか、
よくわかっていない。
そういうわけで、まだしばらくは
教会の周りでうろうろしているだけの状態を
続けそうな私である。
どうも固い話になっちゃったな。
ま、たまにはいいか。
●五反田の小アクマ・・・になる予定
の、A野さんに教えるために、最近けっこー国文学系に
ハマっていたりする。
現代国語の問題集なんか、かなり難しい
論文風のモノがあったりするし、
大学の方からは、入学までに、これこれの本を
読んでおけ~という膨大なリストが来たりしていて、
あああ、国文科って、やっぱり読むのが基本なんだがね!
と思いを新たにしているところであります。
だいたい自分は国文科に行かなかったもんだから、
こーゆー分野のモノは、読み逃しているモノも結構多い。
今頃になって、改めていろいろ見つけては読んでみている、
というわけ。
●青空文庫
・・・という、なんとものどかなネーミングのサイトがありまして、
今、これがおもしろい。
何か?ってぇと、著作権が切れたものなどを中心に、
名作を読ませてくれるボランティアサイト。
底本をボランティアで入力して、テキストファイルやHTMLファイルに
してくれてあり、読むのはどうぞご自由に・・・なのである。
宮沢賢治なんか、160個ぐらいファイルがある。
昨日は若山牧水の紀行で、「木枯紀行」というのを読んだ。
富士五湖周辺を周遊する話で、各地でやたら飲んでいる。
途中で、土地の人と知り合って、その家に泊めてもらったり、
友人たちと落ち合ってワイワイやったり。まだ雪はないけど、、
終日木枯らしが吹いているという十一月頃の旅の話。
牧水は、富士の姿が大好きで、そのために一家で沼津に引っ越して
しまった人。この旅の中でも、富士山の美しさをさまざまに描いている。
飲んで騒いでばかりいるかと思うと、「あ、そうだ、歌も詠まなくちゃ」と
ハタと気づいて、さくさく詠み出す。
それこそ、10や20はお手の物で、どんどん湧き出してくる。スゴイ。
ちょっと前に、実家の伯父から、学生時代に友達と2人で北海道まで
無銭旅行をした話をおもしろおかしく聞かせてもらったとことがありました。
あの時代の旅の臭い・・・・好きだなぁ。知らない時代、知らない雰囲気の
はずなんだけど、なぜか読んだり聴いたりするだけで、情景が目に浮かんでくる。
はりはりとわが踏み裂くやうちわたす
枯野がなかの路の氷を
という歌がありました。やっぱり、牧水っていいよね。
●オノマトペはマンガの原動力なんではないか?
A野の大学から来た推薦図書の1つが、コレ。
著者は小野正弘さんというオノマトペ研究の第一人者!
ともかく、楽しい。語り口の緩急が、非常にナイス。大爆笑しながら、読んでます。
オノマトペって、なんじゃらほい?
という方のために解説しておくと、よーするに、擬音語+擬態語の総称、と
思って下さってかまわんです。「ゴトゴト」も「ぴかぴか」も「シュボっ」も「がーん」も
「さくさく」も「きらり」も、全部そーです。およそ日本人なら誰でも使うモノであります。
古くは万葉集の頃から、日本人はさまざまな様子や物音を、こういう形で
表現するワザに長けていたらしく、そこに一番大切な心の形容が成されている
場合もままある。「じーんときた」の「じーん」ももちろんオノマトペ。英語なんかでは、
こーゆー奥ゆかしい(?)表現はない。英語でオノマトペと言ったら、ほとんど
動物の鳴き声ばっかりで、非常につまらないのでアル。
著者の小野先生、1958年生まれとあるんで、ほとんど我々世代の方。
で、やっぱりむちゃくちゃマンガに造詣(?)が深い。
つーか、マンガというのは、オノマトペ研究には欠かせないよーにも見える。
おもしろかったのが、「ゴルゴ13」がタバコに火を点ける時に定番で用いられる
「シュボッ」は、いつから使われるようになったか・・・? の研究!
小野先生の予想では、連載当初からではないか?・・・だったんだけど、
これが、なかなか。ず~~~~っと第1巻から読み進めてみても、
一向に登場しない。やっと「シュボッ」に出会ったのは、第11巻・・・なんだけど、
これ、ゴルゴじゃない! カンケーない刑事同士が互いにタバコに火を点けてやっているシーン。
ゴルゴ本人のタバコが「シュボッ」になるのは、第35巻!「独裁者の晩餐」という
回でようやく・・・なんですと。ご、ご苦労様でした~~~!
(ちなみに、小野先生の一番のお気に入りのオノマトペは、
「ぷにぷに」だそうです。ネコの肉球のあの、ぷにぷに・・・・)
ゴルゴがタバコに火を点けるなら、この音だな!
っていうのに、作者のさいとうたかをさんも、長年描いていて、
やっと巡り会ったのかもしれませんネ~。
つらつら考えてみたんですが、現代のマンガというのは、
動きを表すためには、オノマトペが必要不可欠なんです。
かつてののらくろ三等兵辺りや、サザエさん・イジワルばあさんの世界では、
ほとんどオノマトペは画面に登場しません。現代のオノマトペを多用するマンガに
慣れた私たちが読むと、非常に絵が「止まっている」感じがします。むろん、
中心線その他、人物の動きを示す描線が今のマンガには非常に多いわけですが、
そういう現代マンガでも、オノマトペを付さないと、実は私たち読者は、
そこに登場人物の動き(身体・心両方とも)を感じられないように思います。
試しに、オノマトペ抜きで読んでみて下さい。ヘンですから。(実は今、
家にあるマンガを確認して、せっせと分析して喜んでいる。オノマトペをほとんど
使わずに、見事に画面を動かしているのは「チェーザレ」の総領冬美ぐらいかな~)
考えると、不思議なものです。私たちは、マンガを見て、そこに
映画のような動き、三次元的動き、あるいはエモーショナルな動きを
感じています。本当は二次元に描かれたものなのに、とても生き生きと
生きて動いているように読んでいます。不思議です。今まで気づかなかった
けれど、実はオノマトペが果たしている役割って、非常に大きいかもしれません。
●おまけ
青空文庫で、和辻哲郎の随筆を読みました。
これが、傑作! 短いものなので、すっと読めますヨ~。
是非、check it out! して下さい。題名は「土下座」です。
●風邪気味なんで、豆腐のふわふわ
・・・をここんとこ連チャンで食べて
るんですが、どぉも、食べるとほっこり~♪
気分になって、お腹の底からあったまるのか、
ね、眠い・・・。
何回か作って分かったんですが、
どうやら豆腐の水切り具合が甘いと、
ちゃんと固まらないよーです。
すっかり秋野のお気に入りになって
しまったので、毎日作っていたんですが、
美味いけど、眠い~・・・。
校正も進んだことだし、今日は
早く寝ちゃおうかな~。
●Kindle2010ベスト10
毎月Amazon.comでは、その月の
ベストを選ぶらしいんですが、
先程その宣伝を見ていたら、
すごくおもしろそーなモノを
見付けてしまった。
丁寧なレビューが付いていたので、
まずそれを読み、これは好きそうだ・・・と
思って、早速こーらちゃんにもご注進。
今日は確か学会に行ってるハズだから、
まだパソコンは開けてないかな~。
で、どんなブツかと申しますと、
科学ドキュメンタリーです。
The Immortal Life of
Henrietta Lacks
by Rebecca Skloot
$11.99
(ヘンリエッタ・ラックス 不死の生)
最初、SFかしらん?
と思ったんですが、どーもそうじゃない
らしい・・・。
実はこれ、全世界のバイオテクノロジー
発展の基礎に関わる、一つの細胞を
巡る物語なのです。
ヘンリエッタ・ラックスというのは、
ごく普通の、黒人女性。五人の子供の
母。貧しい家庭の人。そして、30歳の
若さで、子宮頸ガンで亡くなった女性。
1951年の事でした。
死の1ヶ月ほど前、彼女のガン細胞が、
研究者の手によって摘出され、培養液に
漬けられました。
それまで人間の細胞を人工的に培養する
ことは出来ませんでした。ところが、
ヘンリエッタの細胞は、研究所での培養に
成功し、以後、世界中のさまざまな研究所で
ヒト細胞研究のために使われるように
なりました。現在でも、彼女の細胞は、
何千億という単位で、世界中に散らばり、
さまざまなワクチン研究、またヒトゲノム研究、
その他もろもろの分野で使われる基本的な
素材とされているのです。
通常彼女の細胞は、HeLa細胞と
言い習わされています。彼女のファースト
ネームとラストネームから採られた記号です。
ですが、年月が経つにつれて、彼女の
名前は忘れられ、ヘンリエッタ・ラックス
ではなく、Helen Laneと誤解されたり
するようになりました。
ともあれ、彼女の細胞は、バイオ分野の
研究には欠かせないものとなり、その
研究を基として、世界的に流通するポリオ
ワクチンなどが作られ、製薬会社には
巨万の富が。ところが、です。
実はこのヘンリエッタさんの一族は、
現代でも生きており、皮肉なことに、
その貧しさのゆえに、ろくな医療も
受けられないような境遇にあるんだそうです。
既に亡くなって久しいヘンリエッタさんは、
培養細胞という形で、言わば不死性を
獲得したように見えます。が、不死となった
ヘンリエッタさんは、人格をもたない細胞
としてしか、不死になれなかった。
ヘンリエッタさんを構成していた「私」という
総合体、「私」という意識は、細胞として
生き続け、世界中で増殖している
ヘンリエッタさん細胞にとって、
どんな意味があるのか。
作者のレベッカさんは、高校時代の
生物の授業の時、バイオテクノロジーの
基礎とも言うべきヒト培養細胞のモトは、
ヘンリエッタ・ラックスという一人の黒人
女性から出たものだ、というのを先生から
聞かされ、いつか、この女性のための本を
書きたい、と長年温めていたそうです。
今、ついついプロローグを全部読んで
しまったところ。
いろいろ考えさせてくれる本のようです。
●今入ってきたホットな写真
O石さんが愛用のiPhoneで
撮影してくれた可愛らしい花畑~♪
先週藤枝に美味しいお蕎麦を
食べに行った帰りに遭遇したそーです。
昔懐かしいソフィア・ローレンと
マルチェロ・マストロヤンニ主演の
映画『ひまわり』みたい~。
あれ? でも、今、11月だよ!?
ちなみに場所は、焼津から静岡方向に
150号線を走り、日本坂トンネル手前辺りだって。
150号線沿いに一面のひまわりだって!
なんか、最近、みんなそれぞれ、
ご自慢の写真を送るのが、流行ってるな~。
●私の撮った写真も載せよう
え~、このコがベースギターを
抱えた渡り鳥・・・じゃなくって、
シロクマ君です!
帽子がひしゃげてて、おとぼけ
状態・・・なのが、何とも愛らしいデス。
現在、私のワークステーション
(そんな大層なモンではないが)の
アイドルをやっています。
彼が足蹴にしているのは、
筆入れです。で、パソコンが
足蹴にしているのは、写経台です。
いえその、写経はしないんですけどネ、
ちょうどパソコンを打ったり、何か書いたり
するのに、ちょうど便利なんですよ。
イラスト描くのにも、ちょうどいい角度なんで
重宝なんです~。
2つ持ってるんだけど、1つは先日
秋野にとられてしまった。便利がってます。
真っ平らなデスク上でやるより、ちょっと
角度が付いてる方がパソコン(特に小さいのだと)
を打つのにも便利。2つつなげて使おうかな、と
思っていたら、いつの間にか取り上げられていた。
くそ~、油断もスキもないな~。
ああ、ブログを書いているうちに、
ちょっと眠気が去った。
とは言え、すでに11時半なんで、
仕事は切り上げて、お風呂入って
寝ます~。お休みなさい~。
・・・をここんとこ連チャンで食べて
るんですが、どぉも、食べるとほっこり~♪
気分になって、お腹の底からあったまるのか、
ね、眠い・・・。
何回か作って分かったんですが、
どうやら豆腐の水切り具合が甘いと、
ちゃんと固まらないよーです。
すっかり秋野のお気に入りになって
しまったので、毎日作っていたんですが、
美味いけど、眠い~・・・。
校正も進んだことだし、今日は
早く寝ちゃおうかな~。
●Kindle2010ベスト10
毎月Amazon.comでは、その月の
ベストを選ぶらしいんですが、
先程その宣伝を見ていたら、
すごくおもしろそーなモノを
見付けてしまった。
丁寧なレビューが付いていたので、
まずそれを読み、これは好きそうだ・・・と
思って、早速こーらちゃんにもご注進。
今日は確か学会に行ってるハズだから、
まだパソコンは開けてないかな~。
で、どんなブツかと申しますと、
科学ドキュメンタリーです。
The Immortal Life of
Henrietta Lacks
by Rebecca Skloot
$11.99
(ヘンリエッタ・ラックス 不死の生)
最初、SFかしらん?
と思ったんですが、どーもそうじゃない
らしい・・・。
実はこれ、全世界のバイオテクノロジー
発展の基礎に関わる、一つの細胞を
巡る物語なのです。
ヘンリエッタ・ラックスというのは、
ごく普通の、黒人女性。五人の子供の
母。貧しい家庭の人。そして、30歳の
若さで、子宮頸ガンで亡くなった女性。
1951年の事でした。
死の1ヶ月ほど前、彼女のガン細胞が、
研究者の手によって摘出され、培養液に
漬けられました。
それまで人間の細胞を人工的に培養する
ことは出来ませんでした。ところが、
ヘンリエッタの細胞は、研究所での培養に
成功し、以後、世界中のさまざまな研究所で
ヒト細胞研究のために使われるように
なりました。現在でも、彼女の細胞は、
何千億という単位で、世界中に散らばり、
さまざまなワクチン研究、またヒトゲノム研究、
その他もろもろの分野で使われる基本的な
素材とされているのです。
通常彼女の細胞は、HeLa細胞と
言い習わされています。彼女のファースト
ネームとラストネームから採られた記号です。
ですが、年月が経つにつれて、彼女の
名前は忘れられ、ヘンリエッタ・ラックス
ではなく、Helen Laneと誤解されたり
するようになりました。
ともあれ、彼女の細胞は、バイオ分野の
研究には欠かせないものとなり、その
研究を基として、世界的に流通するポリオ
ワクチンなどが作られ、製薬会社には
巨万の富が。ところが、です。
実はこのヘンリエッタさんの一族は、
現代でも生きており、皮肉なことに、
その貧しさのゆえに、ろくな医療も
受けられないような境遇にあるんだそうです。
既に亡くなって久しいヘンリエッタさんは、
培養細胞という形で、言わば不死性を
獲得したように見えます。が、不死となった
ヘンリエッタさんは、人格をもたない細胞
としてしか、不死になれなかった。
ヘンリエッタさんを構成していた「私」という
総合体、「私」という意識は、細胞として
生き続け、世界中で増殖している
ヘンリエッタさん細胞にとって、
どんな意味があるのか。
作者のレベッカさんは、高校時代の
生物の授業の時、バイオテクノロジーの
基礎とも言うべきヒト培養細胞のモトは、
ヘンリエッタ・ラックスという一人の黒人
女性から出たものだ、というのを先生から
聞かされ、いつか、この女性のための本を
書きたい、と長年温めていたそうです。
今、ついついプロローグを全部読んで
しまったところ。
いろいろ考えさせてくれる本のようです。
●今入ってきたホットな写真
O石さんが愛用のiPhoneで
撮影してくれた可愛らしい花畑~♪
先週藤枝に美味しいお蕎麦を
食べに行った帰りに遭遇したそーです。
昔懐かしいソフィア・ローレンと
マルチェロ・マストロヤンニ主演の
映画『ひまわり』みたい~。
あれ? でも、今、11月だよ!?
ちなみに場所は、焼津から静岡方向に
150号線を走り、日本坂トンネル手前辺りだって。
150号線沿いに一面のひまわりだって!
なんか、最近、みんなそれぞれ、
ご自慢の写真を送るのが、流行ってるな~。
●私の撮った写真も載せよう
え~、このコがベースギターを
抱えた渡り鳥・・・じゃなくって、
シロクマ君です!
帽子がひしゃげてて、おとぼけ
状態・・・なのが、何とも愛らしいデス。
現在、私のワークステーション
(そんな大層なモンではないが)の
アイドルをやっています。
彼が足蹴にしているのは、
筆入れです。で、パソコンが
足蹴にしているのは、写経台です。
いえその、写経はしないんですけどネ、
ちょうどパソコンを打ったり、何か書いたり
するのに、ちょうど便利なんですよ。
イラスト描くのにも、ちょうどいい角度なんで
重宝なんです~。
2つ持ってるんだけど、1つは先日
秋野にとられてしまった。便利がってます。
真っ平らなデスク上でやるより、ちょっと
角度が付いてる方がパソコン(特に小さいのだと)
を打つのにも便利。2つつなげて使おうかな、と
思っていたら、いつの間にか取り上げられていた。
くそ~、油断もスキもないな~。
ああ、ブログを書いているうちに、
ちょっと眠気が去った。
とは言え、すでに11時半なんで、
仕事は切り上げて、お風呂入って
寝ます~。お休みなさい~。
●いきなり木枯らし一番だ!
あ~んなにいつまでも暑かったくせに、
今度はあっという間に冬になろーとしてますネ、
今年の天気はっ!
な~に考えてるんだ~・・・って、
何も考えてないんだろーな、やっぱり。
昨日は北海道が吹雪いてましたよネ。
初雪としては例年並みの日付らしいですが、
それにしても、イキナリの吹雪はかわいそうだ。
今日は北日本が荒れるというお話でしたが、
出張で雪の嵐に巻き込まれちゃった方、
いらっしゃいませんか~?!
こちら静岡は、とりあえず昨日から
ぴーぷー北風です。
あ~、早めにユニクロ行って、
ヒートテックのダウン買っておいてよかったぁ。
ほんと、よかったぁ♪
昨年~今年初めの病院日参中、
よくお見舞いの人でユニクロの
軽いダウンを着てる人を見掛けたんですよ~。
「いいなぁ、あれ・・・楽そうだなぁ・・・」
と思っていたので、今年は早めに
ユニクロに走りました。おかげさまで、
軽くて、ぬくぬくで、薄い上に、
コンパクトにたためる(その上、むちゃ安い!)
ダウンを着ております。
は~、ハイテクって素晴らしい。
●英語の本は、一巻の終わり・・・にしました。
きっと、見返せば見返すほど、
直したい部分が出て来るに違いないので、
もう見ないことにしました~。
で、月曜日は1日かけて、挿絵イラストの
見本を描いて遊んでました~。
スクリーントーンを買ってきて、仕上げたかった
んだけど、火曜日はちょっと体調が悪くて
出掛けられなかった。仕方ないんで、
うちでおとなしくkindleを読んで過ごしました。
●Boston Globeの罠に、うまうまとはまる
英字新聞の定期購読を頼んでおくと、
毎日、毎日どんどんkindleに送りつけられて
くる。もったいないので読むしかない。
今のところ、まだ2週間の無料購読期間なんで、
止めようと思えば止められるんだけど、
意外とBoston Globeがおもしろくて、つい
読んでしまう。
自分の住んでいたところなんで、
土地に馴染みがあるから、
ローカルな話題でもついていけるし、
(そして、やっぱり、ああ、あの辺りは
今でもかなり危険な場所なのネ~、コワイ~
とか、ひとりでビクビクしている)
HarvardやMITをはじめとする
有名大学がたくさんあるところなので、
アカデミックな話やサイエンスネタ
が豊富なのも嬉しい。
書評欄や音楽評論欄も充実してます。
しばらく続けてみようかなってところです。
今週は、新刊ラッシュらしくて、
おもしろそうな本が目白押し。
で、その作者の、他の作品も紹介して
くれてるもんだから、ついメモを取って
しまい、そのままkindle storeに行って、
「ど~れ~に~し~よ~お~か~な♪」状態に!
①Oliver Sacksの
「Musicophilia」(音楽マニア)と
②Steven Johnsonの
「The Invention of Air: A Story of Science, Faith,
Revolution and the Birth of America」(空気の発明)と
③Ammon Sheaの
「Reading OED」と(オックスフォード英語辞典を読む)
「The Phone Book: The Curious History of the Book that Every One Uses But No One Reads」(電話帳を読む)
を買ってしまった~!
①のオリバー・サックスは、主に脳科学の本を
書いている人で、取材が詳細なので有名な人。
最新作は「The Mind's Eye」というのなんですが、
みんな読みたいので、古いのから。なぜ人間は
音楽なしでいられないのか、を脳の機能を通して考えて
みる、みたいな本のようです。
②のスティーブン・ジョンソンは、現代科学の発達の
各フェーズで、科学技術が人間の考え方にどんな
変化を与えてきたのか、というのがテーマの人で、
これまた山ほど著作があるので、1つずつ制覇して
いきたい・・・。
③のアモン・シーさん、これ、どう見てもペンネーム
だと思います。多分エジプトのアモン・ラーのもじり
でしょうね。ちょっと毛色の変わった読書オタクみたい
な感じの作家。オックスフォード英語辞典(ほとんど
百科事典みたいなもんで、一冊一冊が分厚い上に、
全二十冊もある)を読破して、今では全く使われて
いないようなミョーな言葉を収集して悦に入って
います。「電話帳・・・」の方は、第二作。
人生にとっては、な~んの実用性もない知識だけど、
読まずにいられないんだよ! という、まあ、オタク心を
くすぐる本であります。
困ったことに円高は一向に終わる気配がないので、
新刊本も、安く手に入ってしまう・・・ので、
どんどんkindle storeに行ってしまう・・・・。
これじゃあ、Tsutayaを避けてても、
内実はもっとひどい、かも。
その上、Aちゃんが、テルマエ・ロマエの
作者ヤマザキさんの4コママンガ
(世界を放浪しながらマンガ描きをしている
ご自身の日記風4コマ)なんか
貸してくれたりする~。
2日ぐらい読まずにガマンしてたんだが、
ついうかうかと読んでしまった。
行ってる国は違うんだけど、
なんか、自分がアメリカで感じたよーな空気が
あふれているもんだから、やたら親近感を
抱いてしまったりする。
いかん、いかん。
一冊書き上げると、つい今までの反動でか、
やたら本読みにハマる傾向がある。
とりあえず、明日オケ合わせなんだからさ~、
もちょっと練習もしろよぉ~~。
●本日のお空
このところ、急激に日脚が短くなった
気がしません?
今日は4時過ぎに外に出たら、
既にこんな。そりゃあもう、そろそろ
11月になるんですけどもさ。
どうもまだ、も一回ぐらい夏日になるんじゃないの?
という疑いを捨て切れない今日この頃なのでアル。
あ~んなにいつまでも暑かったくせに、
今度はあっという間に冬になろーとしてますネ、
今年の天気はっ!
な~に考えてるんだ~・・・って、
何も考えてないんだろーな、やっぱり。
昨日は北海道が吹雪いてましたよネ。
初雪としては例年並みの日付らしいですが、
それにしても、イキナリの吹雪はかわいそうだ。
今日は北日本が荒れるというお話でしたが、
出張で雪の嵐に巻き込まれちゃった方、
いらっしゃいませんか~?!
こちら静岡は、とりあえず昨日から
ぴーぷー北風です。
あ~、早めにユニクロ行って、
ヒートテックのダウン買っておいてよかったぁ。
ほんと、よかったぁ♪
昨年~今年初めの病院日参中、
よくお見舞いの人でユニクロの
軽いダウンを着てる人を見掛けたんですよ~。
「いいなぁ、あれ・・・楽そうだなぁ・・・」
と思っていたので、今年は早めに
ユニクロに走りました。おかげさまで、
軽くて、ぬくぬくで、薄い上に、
コンパクトにたためる(その上、むちゃ安い!)
ダウンを着ております。
は~、ハイテクって素晴らしい。
●英語の本は、一巻の終わり・・・にしました。
きっと、見返せば見返すほど、
直したい部分が出て来るに違いないので、
もう見ないことにしました~。
で、月曜日は1日かけて、挿絵イラストの
見本を描いて遊んでました~。
スクリーントーンを買ってきて、仕上げたかった
んだけど、火曜日はちょっと体調が悪くて
出掛けられなかった。仕方ないんで、
うちでおとなしくkindleを読んで過ごしました。
●Boston Globeの罠に、うまうまとはまる
英字新聞の定期購読を頼んでおくと、
毎日、毎日どんどんkindleに送りつけられて
くる。もったいないので読むしかない。
今のところ、まだ2週間の無料購読期間なんで、
止めようと思えば止められるんだけど、
意外とBoston Globeがおもしろくて、つい
読んでしまう。
自分の住んでいたところなんで、
土地に馴染みがあるから、
ローカルな話題でもついていけるし、
(そして、やっぱり、ああ、あの辺りは
今でもかなり危険な場所なのネ~、コワイ~
とか、ひとりでビクビクしている)
HarvardやMITをはじめとする
有名大学がたくさんあるところなので、
アカデミックな話やサイエンスネタ
が豊富なのも嬉しい。
書評欄や音楽評論欄も充実してます。
しばらく続けてみようかなってところです。
今週は、新刊ラッシュらしくて、
おもしろそうな本が目白押し。
で、その作者の、他の作品も紹介して
くれてるもんだから、ついメモを取って
しまい、そのままkindle storeに行って、
「ど~れ~に~し~よ~お~か~な♪」状態に!
①Oliver Sacksの
「Musicophilia」(音楽マニア)と
②Steven Johnsonの
「The Invention of Air: A Story of Science, Faith,
Revolution and the Birth of America」(空気の発明)と
③Ammon Sheaの
「Reading OED」と(オックスフォード英語辞典を読む)
「The Phone Book: The Curious History of the Book that Every One Uses But No One Reads」(電話帳を読む)
を買ってしまった~!
①のオリバー・サックスは、主に脳科学の本を
書いている人で、取材が詳細なので有名な人。
最新作は「The Mind's Eye」というのなんですが、
みんな読みたいので、古いのから。なぜ人間は
音楽なしでいられないのか、を脳の機能を通して考えて
みる、みたいな本のようです。
②のスティーブン・ジョンソンは、現代科学の発達の
各フェーズで、科学技術が人間の考え方にどんな
変化を与えてきたのか、というのがテーマの人で、
これまた山ほど著作があるので、1つずつ制覇して
いきたい・・・。
③のアモン・シーさん、これ、どう見てもペンネーム
だと思います。多分エジプトのアモン・ラーのもじり
でしょうね。ちょっと毛色の変わった読書オタクみたい
な感じの作家。オックスフォード英語辞典(ほとんど
百科事典みたいなもんで、一冊一冊が分厚い上に、
全二十冊もある)を読破して、今では全く使われて
いないようなミョーな言葉を収集して悦に入って
います。「電話帳・・・」の方は、第二作。
人生にとっては、な~んの実用性もない知識だけど、
読まずにいられないんだよ! という、まあ、オタク心を
くすぐる本であります。
困ったことに円高は一向に終わる気配がないので、
新刊本も、安く手に入ってしまう・・・ので、
どんどんkindle storeに行ってしまう・・・・。
これじゃあ、Tsutayaを避けてても、
内実はもっとひどい、かも。
その上、Aちゃんが、テルマエ・ロマエの
作者ヤマザキさんの4コママンガ
(世界を放浪しながらマンガ描きをしている
ご自身の日記風4コマ)なんか
貸してくれたりする~。
2日ぐらい読まずにガマンしてたんだが、
ついうかうかと読んでしまった。
行ってる国は違うんだけど、
なんか、自分がアメリカで感じたよーな空気が
あふれているもんだから、やたら親近感を
抱いてしまったりする。
いかん、いかん。
一冊書き上げると、つい今までの反動でか、
やたら本読みにハマる傾向がある。
とりあえず、明日オケ合わせなんだからさ~、
もちょっと練習もしろよぉ~~。
●本日のお空
このところ、急激に日脚が短くなった
気がしません?
今日は4時過ぎに外に出たら、
既にこんな。そりゃあもう、そろそろ
11月になるんですけどもさ。
どうもまだ、も一回ぐらい夏日になるんじゃないの?
という疑いを捨て切れない今日この頃なのでアル。
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