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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

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「おらしょ」を歌うために その2
●うかうかとトンデモないモノにはまってしまった。

先日遠藤周作にハマって喜んで
いたというのに、今度はもっと
めんどーなモノにハマってしまった。

『日本の聖書~聖書和訳の歴史』
海老澤有道著
講談社学術文庫
1989年刊

既に相当古い本で、アマゾンでは
新刊で出てこない。まー自分も
昔、古本で見付けた本なんだけど。
(アマゾンの中古商品では出てきます)

学術論文の類なんで、
読むのがめんどーで、
積ん読状態で長年置いてあった
ブツなんですが、ついフラフラと
手に取ってしまった。さあ、大変。

●「てんたさん」って何~~~!?

ぺらぺらめくっていたら、
最後の方に付録として、
「主の祈り」の変遷例ってぇのがあった。

「天にまします我らの父よ
願わくは 御名の尊まれんことを
御旨の天に行われるごとく
地にも行われんことを・・・」

というヤツで、
「お祈りするには、どう言えばいいですか?」
と問われたキリストが、弟子に教えた祈りの文句で、
キリスト教では一番重要な祈りとされています。

現代語訳では、

「天にいらっしゃる私たちの父よ」という
形になっていて、最近はこの現代語訳で
唱えることになっている。

のだが、中学時代に叩き込まれて
しまった文語訳の方がしっくりきてしまうので、
たまに教会に行った時、むにゃむにゃ・・・
になってしまったりするのですが。

閑話休題。

で、本の付録では、キリシタン時代に
始まるこのお祈りの文句の訳し方の
移り変わりが、ずらっと並べられている。

で、しょっぱなに1591年刊のものがあって、

「我等をてんたさんに放し玉ふ事なかれ」

と書いてある。

て、てんたさん?
・・・って、何???

幕末の浦上四番崩れという
キリシタン弾圧時代のも、
「テンタサン」になってる。

なんじゃらほい?

私の知ってる文語訳では、
「我等を試みにひきたまわざれ」ってとこで、
現代語だと「わたしたちを誘惑に遭わせず」。

要するに、悪の誘惑に負けないようにしてください、
である。

・・・ということは、「てんたさん」は、
「誘惑」・・・か? 「サンタさん」とかじゃなく?

「誘惑」って言ったら、英語の
temptationだよねぇ・・・・
で、念のためウルガータ訳(ラテン語聖書)を
引っ張り出してみた。
で、案の定、元の言葉はtemptationっぽい
ヤツでした。音訳・・・したらしいですネ。

一番最初にザビエルとマラッカで
出会った日本人ヤジロウの訳では、
当時の仏教主流の日本人にわかり
やすいように、父なる神が「大日」(大日如来)と
訳されたりなんかした、という話で、
その後、なるべく仏教語は使わない
ようにしよう運動があり、どーしても
訳しにくいものは、音訳していた。

そのおかげさまで、
「おらしょ」の歌詞の中でも、
ラテン語のO gloriosa Domina(輝ける聖母よ)
が「ぐるりよおざ どみぬ」になってたりする。

当初、どうしても、「ぐるりよおざ」がナットク
いかなかったのか、口が回らなかったのですが、
最近じゃ、反射的に「ぐるりよおざ」と
言ってしまふ。日本民族の血・・・か?

●まあともかく、ハマっちゃったんで

頭からせっせと読んでいます。
歴史年表と首っ引きで、
「なるほど、ザビエルが来た年(1549)は、
徳川家康幼名松平竹千代が、今川氏の
人質になって静岡に来た年なのか~」とか、

キリストがよくたとえ話で使う
いちじくの木は、実はザビエルが
来た当時は、日本にはなかったんで、
「柿」に書き換えたり、時刻表示も、
24時間制が採り入れられるのは
明治になってからなんで、古い訳文では
「辰の刻に・・・」なんてのがあったりするとか、

へーへーほーほー、の嵐です。

ちなみにいちじくは、バリニャーニが
遣欧少年使節と一緒に再来日した時に、活版
印刷機などとともに持ち込んだらしいです。
江戸時代には、「南蛮柿」「唐柿」「蓬莱柿」と
呼んでいたんだそーです。
すっかり、大昔から日本にある植物だと
思い込んでいた。

●隠れキリシタンに必須なのはマリア信仰

で、今回演奏する「おらしょ」IIの歌詞も、
キリエ→聖母賛歌→あわれみの賛歌
→アヴェ・マリア→信仰宣言(クレド。当時は
「けれど」とも)→アーメン、イエズス、マリア→
キリエ

という流れになっていて、聖務日課みたいな
感じの作りなのかなぁ?

と考えていましたが、「マリア観音」というのが
有名なように、日本のキリシタン信仰では、
マリア様重視。カトリック国のイタリアなんかも
マリア様重視だから、そのせいかな、と
思っていたら、

イエズス会によって全国的に組織された
信心会は、「御上天の聖母の組」と
呼ばれるもので、要するに日本教会は
「被昇天の聖母」に捧げられたもの
という位置づけだったかららしいです。

ちっとも知らなかった。

●まったく知らない思想を翻訳するのは

そりゃあ、並大抵の苦労ではなかった
と思います。すごい勢いで翻訳事業がなされた
ようですが、残念ながら、禁教時代の資料は、
弾圧のためにあまり残っていません。
なんたって「邪宗門」とか言われちゃった時代です。
それでもいろいろな人の訳本が今に
伝えられています。

仏教用語を流用すると、
間違って理解されてしまうからというので、
独自にさまざまな訳語が開発されました。
現代でも通用するようなものもあるのでしょうけど、
今では何のことやら? の言葉も多い。

例えば「洗礼者ヨハネ」を訳すのに、
「洗礼」という言葉が発明される以前は、
「施浸者」という訳語が考え出されました。
これで「しづめもの」と読むそうです。
確かに水に沈めて清めるワザを施す人
なんだけど、どーもアヤシい雰囲気のある言葉
になっちゃってる。

また、キリストが人の身体に巣くっていた
汚れた霊やアクマを追い出し、
その人の病を治してくれる奇跡が
新約聖書に出て来ますが、この
いわゆるエクソシズムを説明するのが
難しい。「悪魔」とか「魔」という言葉は、
仏教語として古くから使われていたんだけど、
どちらかというと「天魔」の類で、
キリスト教の悪魔とはちょっと違う。
で、困った訳者の人、「邪気」とか
「汚穢乃悪魔」として、ルビで「フケツノアクマ」
としてたりする。

「フケツノアクマ」って見た瞬間に、
頭のフケをボリボリやってるマンガ的な
アクマを想起してしまう・・・。

●とまあ、楽しい本なのであるが。

専門書なので、例文として引用されているのが、
例えば「ルカ9:12」とか、場所しか
書いてない。聖書を引っ張り出して、
どーいう内容だったかチェックしないと
先に進めない。で、スマホに仕込んである
日英対訳聖書(欽定訳と共同訳というスグレもの)
で急いで探し、「あ~ここか~」とやる。

用語でわからないものは、またまた
スマホでwikipediaにアクセスして
「ほ~なるほど~」とやる。

スマホ様々である。

本日スマホで見付けた「ほーほー」モノは、
日本語訳聖書の中でも有名な
ギョツラフ訳ヨハネ福音書が、なんと、現在
聖書協会から朗読CD込みで、
絶賛発売中であること!

で、価格は7,000円もするので、
とても手が出ないのであるが、
なんと、朗読CDの試聴が出来る!

ギョツラフ訳は、アメリカに漂着した日本人
漁民3名の協力を得て作られたもの。
尾張の人たちで、ちょっと尾張訛りが
訳文にも入っているそう。


「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。」

という、あの有名な冒頭の一節が、

「はじまりに かしこいものござる。
このかしこいもの、ごくらくともにござる。」

になっています~。
言葉(logos)が「かしこいもの」になったり、
神(Theos)が「ごくらく」になってるあたり、
教養人とかじゃなくて、ごくふつーの庶民の
持つ日本語知識が元になっているから、こうなった
のではないか、とのお話。


神学的には、いろいろツッコミがある
聖書ですが、朗読を聴くと、逆に
当時の日本の息吹きが感じられるような気がするなぁ。
朗読も、いい雰囲気です。言葉付きが素朴で、
これはこれで、いいな。

現代の私たちが見ると、
「和風だね」と感じるような世界が、
当時のキリシタンにとっては「宇宙」だったわけで、
そこにもたらされた遠い異国の宗教と、
熱烈な信仰心の塊ともういうべき青い眼のパードレたち。
これまで聴いたこともない教えと、
彼らが示す新しい言葉、音楽、神への熱意。
そういったすべてのものが、キリシタン信仰を
受け容れた人々の新たな「宇宙」になっていった。

彼らの眼に映ったのは、
一体何だったのか。
なぜそこまで、この新しい教えに
殉じて生きられたのか。

このところ、毎日そんなことばかり考えています。

学術書で合唱曲のイメージアップという
ミョーな方向に走っているわけですが、
こーゆー本からすくいあげるイメージというの、
意外とリアルで、私にはおもしろいのです。

●おまけの豆知識

先述の「浦上四番崩れ」ですが、
江戸末期から明治初期に起こった長崎県での
大規模なキリシタン弾圧事件のこと。
浦上地区で起こった弾圧の四番目、という意味です。

1867(慶応3年)の話で、これ、諸外国で
大ヒンシュクを買いました。
ちょうど岩倉使節団が欧米訪問に旅立ったのですが、
キリシタンを弾圧する限り、条約改正は難しい、
というのがわかり、慌てて本国に打電。
これによって、日本のキリシタン弾圧は終わりをみました。
1873(明治6年)にはキリシタン禁制が解かれ、

1614(慶長19年)以来、259年ぶりにキリスト教が
公認され、隠れキリシタンからカトリックに復帰した
人もたくさんいたのでした。(もっとも、土俗化して
カトリックとは別の信仰形態になってしまった「かくれ」を
維持する人もまだ残っているそうです)

*「浦上四番崩れ」「どちりなきりしたん」などについては、
wikipediaにかなり詳しい解説が掲載されています。
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