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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

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●日曜・月曜でお葬式に伺いました。

合唱の先輩S田さんの奥様のご葬儀に参列させていただきました。

会場に入ると、
ブラームスの「ネーニエ」が流れていました。

私たちも学生時代にソーノでやった曲でしたが、柏葉会合唱団出身で、就職後も社内の合唱団やジュネスで歌っていらした奥様も歌われた思い出の曲だそうです。一人娘のお嬢様も、学生合唱団で歌われたそうで、家族の絆とも言える特別な曲なんですね。

Ach, das shone muss sterben,
(美すら滅びねばならない)

(*ドイツ語入力キーボードがないため、読みにくいかと思いますが、ご容赦を。)

という冒頭を、喪主のご挨拶の中で引用されていました。

ネット上に訳詞がありました。

「美しき者とて滅びねばならぬ!
それこそが人々と神々を支配する掟
(中略)
見よ! 神々が泣いている
女神たちもみな泣いている
美しきものが色あせることに
完全なるものも死にゆくことに
愛する者の口より出ずる嘆きの歌は素晴らしいものだ
なぜなら凡人たちは音も立てずに
冥界へと降りてゆくのだから」
  (フレデリック・フォン・シラーの詩より)

棺の中の奥様は、とっても可愛いらしい方で、まるで眠っているよう。
一緒に収められた写真の中に、
まだ2つか3つのお嬢様を抱っこしたS田さんと奥様の満面の笑みがありました。

●ご本人のお許しを得て書いていますが

まだ54歳という若すぎる死……。

お嬢様が大学を卒業され、就職して独立されるのを待ち、安心して逝かれた、と思いたいです。

お通夜の後と、告別式の際に、
詳しいご説明がありましたが、

奥様は、脳が萎縮していくという
神経難病をここ十年ばかり患っておられ、七年ほど前から介護施設に入所されていたそうです。

お嬢様が中学生になられた頃から、言動がそれまでとは違い、おかしい、ということで精密検査を受け、病が発見されたそうです。

その当時のご家族の不安と焦燥は
想像するに余りあります。

思春期のお嬢様は、どんなに
お辛かったでしょう。

年頃のお嬢様と、ご病気の奥様。
お二人を支えるために、
歯を食いしばっておられたに
違いないS田さん。

ご自分の苦しさを、
ほとんど口にされる事のない
S田さんは、
この長い年月を、
歌を支えに、
歌う友と共にあることを
大切になさり、
堪えてこられたのかもしれません。

新見南吉の小さなお話を
思い出しました。

デンデンムシノ カナシミ

 イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。
 アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。
「ワタシハ イママデ ウツカリシテ イタケレド、ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ イルデハ ナイカ」
 コノ カナシミハ ドウ シタラ ヨイデセウ。
 デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ ヤツテ イキマシタ。
「ワタシハ モウ イキテ イラレマセン」
ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。
「ナンデスカ」
ト オトモダチノ デンデンムシハ キキマシタ。
「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ イルノデス」
ト ハジメノ デンデンムシガ ハナシマシタ。
 スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。
「アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス。」
ソレヂヤ シカタナイト オモツテ、ハジメノ デンデンムシハ、ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。
「アナタバカリヂヤ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス」
 ソコデ、ハジメノ デンデンムシハ マタ ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。
 カウシテ、オトモダチヲ ジユンジユンニ タヅネテ イキマシタガ、ドノ トモダチモ オナジ コトヲ イフノデアリマシタ。
 トウトウ ハジメノ デンデンムシハ キガ ツキマシタ。
「カナシミハ ダレデモ モツテ イルノダ。ワタシバカリデハ ナイノダ。ワタシハ ワタシノ カナシミヲ コラヘテ イカナキヤ ナラナイ」
 ソシテ、コノ デンデンムシハ モウ、ナゲクノヲ ヤメタノデ アリマス。

(青空文庫 所載)

 我らがエースS田さんは、このでんでん虫のように、お友達に
つらいとも、苦しいとも、
おっしゃることはありませんでしたが、

少しだけご事情をお聞きしていた
私は、皆で歌っている時、
皆で飲んで騒いでいる時、
S田さんが朗らかに笑って
おられるのを見ると、
とてもホッとしたものです。

男らしく困難に
立ち向かい続けた先輩の
雄々しい姿は、
本当に立派でした。

でも、時々は、
私たち仲間のところへ来て、
でんでん虫のように、
つぶやいて下さいね。

これからも、みんなで
歌い続けていくことが
互いの支えとなっていきますように。

大した助けにはならないかも
しれないけれど、
そして、一人一人の哀しみは、
やっぱり自分が背負っていくもの
なのかもしれないけど、

でも、いつでも手を伸ばして下さい。
みんながいます。

いつも、手を伸ばして下さい。
みんなで歌う
歌があります。
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●合唱関係の催しに行くと

知ってる人だらけー!

つい、あっちこっちに引っかかって、「今どうしてるのー?」「今日出るのー?」みたいな話に花が咲いてしまいます。

長年地元で活動していると、
大きなイベントなどで一緒に
歌ったことがあったり、
お互いトラ状態で行き来が
あったりしますもんね。

で、あちこちで挨拶しながら、ともかく入場。



今回は二階席で聴いてみることに
しました~(^_^)ノ
二階席の一番いいとこは、審査員席で、それぞれ譜面台が配置されてます。



これは二階のラウンジから外を
見たところ。前方左手にあるのが
JR清水駅で、駅からホールまで
屋根付きの通路がついてます。



夜、駅の方から見ると、こんな感じ。写真では色がうまく出てませんが、ホール左手が海の色のブルー、
右手がみかん色。ヒジョーに清水っぽい配色になっております。

●今日はアンサンブルメンツの

O井さんところと、I東くんところの両雄対決を聴きに来たんですが、
どーせなら、混声合唱を全部聴き、最後に同声合唱も聴いてしまえ~!!

ということで、MっちゃんとAちゃんを誘い、3人で観戦(?)。

いやぁ、いろいろ聴けて、おもしろかったです!

●課題曲はビクトリアが多かった

課題曲は、
①ビクトリアのO Magnum mysterium
②コープランドのHave Mercy on Us, O My Lord
③鈴木憲夫作曲まどみちお作詞『地球ばんざい』から「どうしてだろうと」
④旭井翔一作曲宮沢賢治詩 宮沢賢治の詩による『幻想小曲集』より「屈折率」[平成24年度 合唱組曲作品公募入選作 第23回朝日作曲賞]

の4つのうち1つ。

で、まあ、一番有名な①が一番多かったです。歌ったことのある人が多いものを選曲してるのかなぁ。

①は各団体とも、いい感じに仕上がっているみたいで、それほど大きな差はつかないかな~、というところ。

やっぱり県大会を勝ち上がってくる団体ばかりなので、粒が揃っています。

②のコープランドを選んでるとこも多かったんですけどぉ、あのぉ、コンクールで英語曲はあんまりやらない方がいいような気がしました。

ラテン語などに比べると、言葉がてんで立ってない感じなんですよ~(ToT)同じ団体がラテン語で歌ってると、ちゃんとそれなりにラテン語っぽい言葉が聞こえるんですけどぉ………。

曲想にもよるんでしょうけれど、なんか、vocalizeで歌ってるみたいで、英語っぽく聞こえないのです。
Lordの語尾とか、rもdも聞こえないので、すみませんが、しばらく英語で歌っていると気が付きませんでした(/_;)

どうしても英語って、頭の中で
カタカナに読み替えちゃうクセが
あるんじゃないか、と思います。

最初に習った中学時代に、
外国語というものに慣れていない
のに無理やり詰め込まれているので、まずカタカナ読みになりやすいです。

大人になってから、歌うために
発音を習ったドイツ語やラテン語は、スペルに対して、ここはこう発音する、という風に文字1つずつに対応して発音する、という風になっているんですが、

一番馴染みがある英語は、
カタカナ英語もたくさんあるため、
どうしても日本語の発音に
引っ張られてしまう気がします。

先程のLordも、ちゃんと辞書で
発音記号を調べ、一文字ずつ
より正確な発音をする、みたいな
こと、意外とやっていないと思います。(だって、なんとなく、読めちゃうもんねー!!)

というわけで、すみません、
自分が英語オタクなもんだから、
どーしても気になってしまいましたです。

この間聴いたお江コラさんの
黒人霊歌Sometimes I feel like a motherless child(これ、男声の課題曲に入ってるんだー)は、非常に
美しい英語で、じぃん、と来ました。

んですから、きっと、やり方次第で、英語の曲も、英語っぽくなるんじゃないか、と思います。

来年英語曲をやられる団体さん、
頑張って下さいませ!

で、③④の日本語曲は、ほとんどの団体が敬遠されたみたいで、千葉のVOCE ARMONIAさんが③をやっただけでした。(④は静大混声がやってたみたいなんだけど、時間が合わなくて聞けなかった。残念)

で、VOCE ARMONIAさんの③、これが、も~~のすごく良かった!

ついじぃん、と来て、涙が出そうになりました。

ともかくものすごくうまかった。というか、技巧に走っているという風には聴かせない、何か揺るぎないものを感じさせる、素晴らしい演奏。

課題曲一曲聴いただけで、勝負あった、って感じです。

自由曲は、松下耕さんの
O lux beata Trinitas
Jubilate Deo
という宗教曲二曲だったんですが、

これがむちゃくちゃ難しい!
コンクール用に書かれたんじゃないか? って感じの、松下節、ブイブイの二曲。

途中変拍子まくるわ、八声だか十六声だか、みたいな複雑な作りになっていて、テンポ速いし、目が回りそう。

が、キチンと仕上がっていて、
うーむ、満を持して、って感じでした。

結局混声部門では、全国大会に行くことになったのは、この団体さんと浜松合唱団さんだけ。いや、お見事でした。

私が気に入ったのは、ここは個人個人の力量もとても高いのだけど、全体のバランスがとても良く、どこにも無理がないところ。

並び方は、男声が後ろ、女声が前で統一で、女声の声を男声が柔らかく常に支えてあげている感じに聞こえました。

無理なく、全てがうまくブレンディングされている感じの音色がとても心地よく響きました。

●いろんな曲が聴けて楽しかった!

自由曲は、松下耕さんの曲も多かったですが、LauridsenのO Nata Luxをやった団体があり、懐かしかった~(≧▽≦)

やっぱりLauridsenはいいですよねぇ。この曲、またやりたいなぁ。

Eric Whiticareのもありました。ずっぽりWhiticareっぽい音色のlux aurumqueというの。いい雰囲気でしたよ。

寺山修司の詩による6つのうた「思い出すために」(信長貴富作曲)というステキな曲もありました。これは、新日鐵住金で聴きたいな~(≧▽≦)

浜松合唱団がやった混声合唱とピアノのための「なんにもない」(谷川俊太郎作詞・大竹くみ作曲)[2013 舫の会委嘱作品]の第4曲「なんにもない」が、ピアノが*ジャコパス(ジャコ=パストリアス)してて、むっちゃかっこよかった~(≧▽≦)

*ええと、ジャコパスというのは、ジャズベースの伝説的な人でして、普通ベースといったら、伴奏楽器なわけですが、それをメインのメロディー楽器として使い、超カッコいい曲を作っちゃう人で~(≧▽≦)とりあえず、大・大好きなのでありました。

●同声合唱は、女声合唱4団体の一騎打ち……でありました。

結局前評判通り、湘南はまゆうさんが全国大会進出に決まったのでしたが、他の3団体も、それぞれものすごくうまくて、思わずうーん、と唸ってしまいました。

湘南はまゆうさんの自由曲、
「女声合唱とピアノのための おかる勘平」北原白秋作詞・信長貴富作曲も、ものすごかったですが、

埼玉La Merさんの「無声慟哭」(西村朗作曲)も、ものすごかった。どちらも感動しました。

千葉Luna Voceさんの
女声合唱のためのコンポジション
「日本の民謡 第二集」から(松下耕作曲)の「三原ヤッサ節」も、おおおー、でした。(ここも全国大会進出です)

どの団体も、これでもか!
という難曲に挑戦し、
それぞれ独自の色あいに
仕上げていて、
全国大会には選出されなかったけれど、それぞれに「すごい!」というワザの数々を聴かせて下さいました。

いやぁ、いいものをたくさん聴かせていただきましたデス。ありがとうございました。自分も頑張らないとですねー。
●木下牧子の曲として

大変親しまれている合唱曲で、
我がソーニョでも練習しているのですが、

先日の練習の時(そして恒例の
練習終了後の呑み会でも)、
この詩はどういうことを謳っているのか、というので、みんなで
ああだこうだ、言ってたんですが。

今日調べてみました。

●まず「測量船」ありき

「鴎」では、空に浮かぶ鴎たちの姿が美しく描かれているわけですが、
鴎に「自由のスピリッツ」あるいは
「魂」の姿を見る……という三好の思いは、

第一詩集「測量船」の冒頭「春の岬」に既に現れているそうです。

「春の岬 旅のをはりの鴎どり
浮きつつ遠くなりにけるかも」

これは、教科書にも載っていたことのある有名なものだそうで、

研究者によると、
若山牧水の

「白鳥は悲しからずや
空の青海の青にも染まずただよふ」

の本歌取りになっているんだ
そうです。

短歌と現代詩の狭間で、
そのどちらにも惹かれながら
葛藤し、どちらにも拘泥せず、
自らの詩境を切り開いていこうとした三好の思いが、牧水の歌を原点として出発しているのではないか、みたいな事が書いてありました。

魂の姿を白い鳥に例える、
というので思い出したのは、
ヤマトタケルノミコトが
亡くなったシーン。
ヤマトタケルの魂が死んで
白い鳥になって飛び去っていった……
というのがありましたよね。

哀しくも美しいシーンとして
記憶に残っています。

●「鴎」は昭和21年生まれ

「ついに自由は彼らのものだ
 彼ら空で恋をして
 雲を彼らの臥所とする
 ついに自由は彼らのものだ
 太陽を東の壁にかけ
 海が夜明けの食堂だ
 ついに自由は彼らのものだ

 ついに自由は彼らのものだ
 彼ら自身が彼らの故郷
 彼ら自身が彼らの墳墓
 ついに自由は彼らのものだ
 太陽を西の窓にかけ
 海が日暮れの舞踏室だ
 ついに自由は彼らのものだ

 ついに自由は彼らのものだ
 ひとつの星を住みかとし
 ひとつの言葉で事足りる
 ついに自由は彼らのものだ
 朝焼けを明日の歌とし
 夕焼けを夕べの歌とす
 ついに自由は彼らのものだ」

「鴎」の詩全編です。

この詩は、終戦直後の昭和21年に発刊された詩集「砂の砦」に収録されたものだそうです。

終戦を迎え、ついに長い戦争から解放された、という思いが込められているのでしょうか。「砂の砦」というタイトルも深いですね。

「鴎」を歌っていらっしゃる合唱人のブログに、いくつか解説がありまして、その中にこういう話が載っていました。

三好は戦時中、家族を養うため職業詩人として戦争賛美、戦意高揚の詩を書いていたそうです。(そのため戦後、批判の対象になったのですね)

でも、素朴に神国日本を信じていたとか、そういうわけではないようです。

旧制高校の学徒出陣前に、著名人を招いて講演会を開き、これをはなむけとする、という催しがあったそうで、三好も講師として招かれました。

三好は、「なぜ君たちのような若者が戦場に行かなければならないのか」と言って号泣し、しばらく話すことが出来なかった、と伝えられています。

鴎の白い姿は、旧制高校生が夏に着た真っ白な夏服(白ランと言うそうです)を指しているのではないか、という指摘もありました。

こうして見ると、私には、
「鴎」は、若者の魂の象徴のように思えます。

学徒として動員され、ついに
戦場に散っていった
無数の若者たち。
戦死することによってしか、
自らの運命から逃れられなかった若者たち。

洋上に舞う白い鴎たちの姿に
三好は、若者たちの魂を見たのだと思います。

●おまけの「ついに」

練習中、印象的な滑り出しを飾る
「ついに」という言葉を、どう表現すればいいのか、という話になり、

指揮者様が、英語なら、
at last
finallyか、
あるいはeventuallyだろうか、

というお話をなさり、私は
うろ覚えながら、何となく
eventuallyだとニュアンスが違うんじゃないでしょうか、みたいな事を
申し上げまして。

で、家に帰ってから
Merriam-Websterで調べ直してみました。

eventuallyは、同義語に
sooner or laterがありましたんで、どうやら「遅かれ早かれ」「結局のところは」みたいな言葉のようで、例文でも、
「いろいろすったもんだしたが、結局この計画は頓挫した」みたいなのが出てましたんで、

「終わりよければ全てよし」的なニュアンスはなく、なんか、否定的なニュアンスで終わりを迎えた……という時によく使われる言葉のようでした。

私はat lastとくると、「やった、ついに! ほっとした~」みたいなイメージで、それほどネガティブなイメージでは使わないです。私の中では、「鴎」冒頭の「ついに」はat lastで歌いたいかなぁ、と思います。

鴎を戦死した若者たちの象徴と考えると、戦争に追いやられて、死んでしまった……というネガティブなイメージもあるかとは思うんですけど、三好自身の鴎の姿に対する美しい称揚、さらにキノマキさんの選んだ音形、を鑑みると、決して否定的に彼らの死を捉えてはいないように思います。

彼らの魂は、
ヤマトタケルのように
白い翼を翻して今も洋上に
在るのかもしれません。

「ひとつの星を住みかとし
ひとつの言葉で事足りる」

世界がそのようになれたら
どんなにいいでしょう。
「戦争」という言葉は
私たちの魂には
不要な言葉なのではないでしょうか。


●千葉まで行くの、早くなったんですねぇ!

とか書くと、千葉県の人に怒られそーですが、自分が頻繁に千葉に行っていたのは、まだ小学生時分で、最初は総武線快速を利用出来なかったよーな記憶がありまして。

なんか、もっと地の果てのよーな
気がしてました。すみません。

千葉駅から、グッドデザイン賞をとったというカッコイいモノレールにも乗りました。いやぁ、駅前も
未来都市化してるんですねー。
斎場の方は、なんだ、静岡の田舎と
変わらないじゃん!
って感じで緑がいっぱいで良かったです。千葉城という可愛らしいお城を見かけたり、千葉大学の近くも通りました。亡くなった従妹Mり子の父が千葉大出身なので、
(あ~、この辺にいたんだぁ!)
で、妙に嬉しかった。辺りの風景が、伯父が家を建てた麻機(あさばた)辺りの風情によく似てるんですよ。



で、ピアノの恩師の告別式です。

プロテスタント系の教会で
(Seven Days Adventusというのかな)で洗礼を受けられたので、
お式はプロテスタントの礼拝形式。

「いつくしみ深き」とか、
「主よ みもとに近づかん」を歌いました。あと一曲、先生がお好きだったという
「はるかにあおぎみる
輝きの御国に
父の備えましし
楽しき住みかあり

我らついに輝く御国にて
清き民と
ともに御前に会わん」

というのも歌いました。
488番と書いてあるんだけど、
普通の賛美歌集のものか、
賛美歌21のものか、
どっちでしょうね。
リズミカルで明るい曲でした。

先生のお顔を拝見すると、
昔の記憶がいろいろ蘇りますね。
色が白くて、皮膚が透き通るような
感じでしたが、その点あんまり
お変わりないよう。きれいなお顔でしたね。

お気に入りの譜面とドレスが
棺に入れてありました。



静岡出身の姉弟子さんお二人(ご姉妹で、実は遠縁のおうちの方。妹さんに最初の一年はピアノの手ほどきをしていただきました。お姉さまは、母の親友の1人)がいらしていて、思い出話に花が咲きました。

で、千葉のお弟子さんたちも、静岡のお弟子さんたちも、みんな口を揃えて「厳しかった~(ToT)」と。

よ、良かった。泣かされたのは、
私1人ではなかったらしい……。

なんでも、お隣の家まで
先生の怒る声が聞こえてて、
お隣の人に「あんなに怒ることは
ないんじゃないか」と言われたとか。

晩年は介護施設に入ってらしたんですけど、お弟子さんがお見舞いに来た時、ヘルパーさんがお弟子さんに、「どんな先生だったんですか~?」と無邪気にお聞きになった。で、お弟子さんがコレコレ、と話そうとした矢先、先生自ら、

「私、鬼のよーだったのよ~(≧▽≦)」

と、ほがらかにバラして(!)いたんだそーな!

ううむ、いかにも先生がおっしゃりそうなセリフではありました。

息子さんがお二人いらっしゃるんですが、ラジオで何か曲がかかると、
いきなり「はい、今の、何の音?」と聴音レッスン状態にされたそーで、うーむ、この厳しい先生が母親では、大変かもしんない!

ちなみに息子さんたちは音楽家にはならずじまい。でも、上の方は、長く東工大で数学をおしえてらっしゃった方で、やっぱり音楽は数学とつながってるよーな気がします。

先生も息子さんも、弁が立って、
けっこー言いたい放題でおもしろいので、きっと親子の会話は
丁々発止だったんだろーなー。

●千葉と静岡両方で教えていた

のは、どーしてなんだろーなー
………と思っていたのですが、

何せ弟子になったのが、
まだ年長さんくらいの感じだったもんで、オトナの話はてんで聞いていなかった。

今回いろいろお話を聞いて、
あー、そういう事なのかー、と
初めて納得。

戦時中に2人の息子さんを
生んだ先生ですが、
終戦と同時くらいに、
ご主人がやっていた会社が倒産。
なんでも、軍需関係の会社だったらしいです。

で、子供2人を育てつつ、ご自分が
一家の家計を支えていかなければならなくなった。それで、実家のあった静岡と、一家を構えた千葉の両方でレッスンを始めた……んだそうですよー。

なるほど、そういう御事情があったんですねぇ。大変だったんだろうな。

最初は実家の親戚を中心に弟子を集め、だんだんそれからそれへ、と人数を増やしていったんですね。最盛期は千葉で50人くらい、静岡でも20人くらい教えていたんだそーです。音大にいった人もたくさんいるんでしょうねー。なんか、千葉のお弟子さんの中には、あのGクレフのピアノを弾いてらした榊原大さんもいるんだそーです。うわぁ、有名人もいるんだぁ!

千葉のお弟子さんが、昔の演奏会プログラムを持って来て下さり、
榊原さんのお顔も拝見しました。その時は芸大在学中だったみたいですが、1人だけバーバーショップかなんか、弾いておられたみたい。やっぱりなぁ。

磐田バッハに所属されてるハチさんの、可愛らしいお写真も拝見しましたぁ。(以前おしゃべりしていた時、偶然ピアノの先生の話になって、「厳しかったよね~」で盛り上がりました)

告別式で初めてお目にかかった千葉のお弟子さんたちと、たくさんおしゃべりをしました。

全くこれまで接点がなかった方たちでしたが、先生という強力なキャラクターに、それぞれ影響を受け、たくさんの思い出がある、というところで、なんだかすごく親しみを覚えてしまい、思いの外話が盛り上がってしまいました。

今日は久しぶりにピアノの蓋を開け、発表会で弾いたなつかしのショパンの大円舞曲なんか、弾いてみました。てんで指が回ってなくて、ひどいもんでした。少しチェルニーくらいからやり直さないと、先生のカミナリが落ちそうだー!
●娘のお供で東京の病院へGO!

経過観察とステロイド投薬を
お願いするために、静岡の女医さんに紹介状を書いていただいた病院へ
行ってきました~(≧▽≦)

通いやすそう、という理由で
選んだのは、東邦大学大橋病院。
井の頭線駒場東大前から徒歩、もしくは
渋谷から246沿いのバスに乗って
三軒茶屋の手前の大橋で降りる。

で、今日は渋谷駅に集合して、
バスにて発進~。

なんか、聞いた話では、
東京で眼科が良いので有名なのは、
ここと虎ノ門病院なんですって~。

てんでそんな事は知らなかったが、
野生のカンで選んで良かった!

場所もわかりやすく、担当して
下さった先生も、また美人の
女医さんでありました~(≧▽≦)

下のお名前が明日香先生なので、
私は既に「超少女明日香」(昔懐かしい和田慎二の傑作)と心の中でお呼びしておりますです。

ハキハキ、テキパキでいい女~で
ホクホク♥(深い意味はない)

それにしても、やっぱり眼科は
女医さんが多いよね。近年さらに
増えてるのかもしれないなー。
なんか、ポリクリに回ってるらしー
いかにも学生さんぽい、初々しい
集団が歩いてましたが、
(白衣が板についてなくて可愛い)、
女の子、多かったですよー。

最近は、理系女子が増えてるのかもね。

●やっぱり初診は時間がかかる!

まーこれから大病を診てもらって、
手術とかしてもらう……というわけではないので、今後娘が通えそうな曜日も鑑み、殺人的に混み合うであろう医局長が外来を担当する日を避けて、本日の受診を決めたのですがー。

予想通り、比較的空いている日だった! やりぃo(^-^)o

と言っても、全行程を終了するには、やはり2時間半は軽くかかっちゃったけどねー。最初はいろいろ状態を確認するための検査が不可欠だから、しょーがないかなー。

ま、無事に来週の予約もとれたし、病院の様子も分かったので、
後は頑張って自分で通院してもらいましょー(^_^)ノ

●すっかり飢えてしまったので

渋谷駅前まで戻り、東急文化会館9階のロゴスキーに駆け込み!







壺焼きランチ、1,470円也、というのをゆったり堪能しましたぁ(≧▽≦)











あああ、やっぱり美味しい~!

最初のスープから、とぉっても
芳醇な香りで癒やされてしまった。

黒パンが、うんうん、昔食べたのと
同じ味。

お目当ての壺焼きが、これまた、
懐かしく美味しい!

締めは、やっぱりロシア紅茶に舌鼓。

なんか、ロシアでは、ジャムをon the sideで舐めながら紅茶を飲むことはあっても、ロゴスキーで出るように最初から紅茶に溶かしてあることはない……んだそうですけど、

これ、和むんだなー。

初めてここに連れて来てくれたのは、亡くなった母で、多分私が大学1年生くらいの事だったと思います。未だにその時の情景が目に浮かびますね~。

ロシア料理なんて、全く初体験だったんで、きっと随分印象的だったんだろうなぁ。

学生時分には、ちょっとお高くて、なかなか来られませんでしたから、ほんと、数える程しか来た覚えがない。

けど、これだけの量のお料理を、
ランチでこれだけの値段で食べさせてくれるんだから、実はあまり値上げしてないんでしょーね。

ご年配の方が意外といらしているのが、微笑ましい感じ。きっと昔からのファンなんだろうなー。私と同じように、たまに無性に食べたくなるのかも。

娘もすっかりファンになっているので、またそのうち連れて行ってあげようかな~、と思いますが、

今日は食事の後に、本とか服とか、ちゃっかりたかられてしまったので、すっかりお財布が軽いです~(ToT)

ついでに、



も見つけてしまったので、軽い財布をさらに軽くしてしまった………が、今回のも面白かった!

●で、明日は練習、練習!

声だし練習用、と称して、
武満の「島よ」をやっているヨ!

という恐ろしいお話が、
ぶう子ちゃんとT井さんから
伝えられ、ひょえ~!

T井さんがご親切に、
YouTubeの参考音源を貼って
下さってたので、早速チェック、チェック。

な、なるほど、この曲か~。

まだ譜面はもらっていないが、
参考音源で、だいたい雰囲気は
つかめました。

「日本人の知らない日本語」最新刊を一気読みして大分和んだんで、
まーなんとかなるでしょー。
(相変わらず、いい加減である)

●で、明後日は告別式なんだな、これが………。

昨夜、ピアノの姉弟子で、作曲家のY子さんから、ピアノの恩師I先生が急に亡くなった、というお電話をいただきました。

おうちが千葉なんで、千葉で告別式があるっていう話。幸い、と言っていいのかどうか分からないんだけど、ちょうど東京に出て来ているので、1日延泊して、告別式に伺うことにしました。

ご実家が静岡で、お住まいが千葉なんで、両方でレッスンを持っていらした関係上、静岡と千葉にたくさんお弟子さんがいらっしゃる。

で、千葉の方が本格的だったのか、だいたい音大受験のものすごく上手い人ばっかりで、合同発表会なんかあると、ただただ、唖然とするばかり………みたいな錚々たるメンバーが千葉にはごまんといらっしゃった。だいたい先生ご自身が、芸大で教えてたこともあるんで、そーゆーちゃんとしたお弟子さんが多かったのだろう。私は、てんでそーゆー事は知らずに、何となく弟子になったクチで、案の定、てんで先生の指導についていけなかった。

よく怒られて、泣きの涙でレッスンしてましたねー。その当時は、先生のおっしゃる事がともかく高度過ぎて、なぁんも分からなかった。

大人になってから、あ! そういうことだったのか!

と分かったことがたくさんありましたっけ。

毎回のレッスンが辛くて辛くて、でもなぜか、さぼったり止めたり、とは思わずに、何とか高校時代までみていただき、その後も曲がりなりにも音楽と関わり続けてこられたのは、やっぱり先生が与えて下さったものが大きかったからかもしれないなぁ………みたいなことを、Y子さんともおしゃべりしてたんですがね。

ともかく、自分の音楽の原点を示して下さった先生です。

小学生の頃、発表会直前になると、間に合わないから、と千葉のおうちまで行って特訓……という恒例行事があったんですが。

これが、特訓でなかった。

朝イチの新幹線と総武線を乗り継いで、えっちらおっちら伺うと、
普段は鬼のように(すみましぇん!)恐ろしい先生が、満面ニコニコで、「よく来た、よく来た」と喜んで下さり、もちろんレッスンは厳しいんだけど、お昼に美味しいお寿司をとって下さり、一緒に楽しく食べちゃったりして、あれ?
なんか、いつもより優しいかも……とか思って、子供心にミョーに嬉しくなっちゃって、また次も行こう、とか思ったりして。

考えてみると、先生と過ごした時間、たくさんあって、やっぱりそれは今でも宝物のような気がするんですよね。

このところ、しばらくピアノに触ってなかったけど、また少しずつ練習してみようかな………とか、思っています。先生、不肖の弟子ですみません! けど、とりあえず音楽からは離れられないみたいなんで、ぼちぼちやってきますー。
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