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千葉で告別式に出席しました。
●千葉まで行くの、早くなったんですねぇ!
とか書くと、千葉県の人に怒られそーですが、自分が頻繁に千葉に行っていたのは、まだ小学生時分で、最初は総武線快速を利用出来なかったよーな記憶がありまして。
なんか、もっと地の果てのよーな
気がしてました。すみません。
千葉駅から、グッドデザイン賞をとったというカッコイいモノレールにも乗りました。いやぁ、駅前も
未来都市化してるんですねー。
斎場の方は、なんだ、静岡の田舎と
変わらないじゃん!
って感じで緑がいっぱいで良かったです。千葉城という可愛らしいお城を見かけたり、千葉大学の近くも通りました。亡くなった従妹Mり子の父が千葉大出身なので、
(あ~、この辺にいたんだぁ!)
で、妙に嬉しかった。辺りの風景が、伯父が家を建てた麻機(あさばた)辺りの風情によく似てるんですよ。

で、ピアノの恩師の告別式です。
プロテスタント系の教会で
(Seven Days Adventusというのかな)で洗礼を受けられたので、
お式はプロテスタントの礼拝形式。
「いつくしみ深き」とか、
「主よ みもとに近づかん」を歌いました。あと一曲、先生がお好きだったという
「はるかにあおぎみる
輝きの御国に
父の備えましし
楽しき住みかあり
我らついに輝く御国にて
清き民と
ともに御前に会わん」
というのも歌いました。
488番と書いてあるんだけど、
普通の賛美歌集のものか、
賛美歌21のものか、
どっちでしょうね。
リズミカルで明るい曲でした。
先生のお顔を拝見すると、
昔の記憶がいろいろ蘇りますね。
色が白くて、皮膚が透き通るような
感じでしたが、その点あんまり
お変わりないよう。きれいなお顔でしたね。
お気に入りの譜面とドレスが
棺に入れてありました。

静岡出身の姉弟子さんお二人(ご姉妹で、実は遠縁のおうちの方。妹さんに最初の一年はピアノの手ほどきをしていただきました。お姉さまは、母の親友の1人)がいらしていて、思い出話に花が咲きました。
で、千葉のお弟子さんたちも、静岡のお弟子さんたちも、みんな口を揃えて「厳しかった~(ToT)」と。
よ、良かった。泣かされたのは、
私1人ではなかったらしい……。
なんでも、お隣の家まで
先生の怒る声が聞こえてて、
お隣の人に「あんなに怒ることは
ないんじゃないか」と言われたとか。
晩年は介護施設に入ってらしたんですけど、お弟子さんがお見舞いに来た時、ヘルパーさんがお弟子さんに、「どんな先生だったんですか~?」と無邪気にお聞きになった。で、お弟子さんがコレコレ、と話そうとした矢先、先生自ら、
「私、鬼のよーだったのよ~(≧▽≦)」
と、ほがらかにバラして(!)いたんだそーな!
ううむ、いかにも先生がおっしゃりそうなセリフではありました。
息子さんがお二人いらっしゃるんですが、ラジオで何か曲がかかると、
いきなり「はい、今の、何の音?」と聴音レッスン状態にされたそーで、うーむ、この厳しい先生が母親では、大変かもしんない!
ちなみに息子さんたちは音楽家にはならずじまい。でも、上の方は、長く東工大で数学をおしえてらっしゃった方で、やっぱり音楽は数学とつながってるよーな気がします。
先生も息子さんも、弁が立って、
けっこー言いたい放題でおもしろいので、きっと親子の会話は
丁々発止だったんだろーなー。
●千葉と静岡両方で教えていた
のは、どーしてなんだろーなー
………と思っていたのですが、
何せ弟子になったのが、
まだ年長さんくらいの感じだったもんで、オトナの話はてんで聞いていなかった。
今回いろいろお話を聞いて、
あー、そういう事なのかー、と
初めて納得。
戦時中に2人の息子さんを
生んだ先生ですが、
終戦と同時くらいに、
ご主人がやっていた会社が倒産。
なんでも、軍需関係の会社だったらしいです。
で、子供2人を育てつつ、ご自分が
一家の家計を支えていかなければならなくなった。それで、実家のあった静岡と、一家を構えた千葉の両方でレッスンを始めた……んだそうですよー。
なるほど、そういう御事情があったんですねぇ。大変だったんだろうな。
最初は実家の親戚を中心に弟子を集め、だんだんそれからそれへ、と人数を増やしていったんですね。最盛期は千葉で50人くらい、静岡でも20人くらい教えていたんだそーです。音大にいった人もたくさんいるんでしょうねー。なんか、千葉のお弟子さんの中には、あのGクレフのピアノを弾いてらした榊原大さんもいるんだそーです。うわぁ、有名人もいるんだぁ!
千葉のお弟子さんが、昔の演奏会プログラムを持って来て下さり、
榊原さんのお顔も拝見しました。その時は芸大在学中だったみたいですが、1人だけバーバーショップかなんか、弾いておられたみたい。やっぱりなぁ。
磐田バッハに所属されてるハチさんの、可愛らしいお写真も拝見しましたぁ。(以前おしゃべりしていた時、偶然ピアノの先生の話になって、「厳しかったよね~」で盛り上がりました)
告別式で初めてお目にかかった千葉のお弟子さんたちと、たくさんおしゃべりをしました。
全くこれまで接点がなかった方たちでしたが、先生という強力なキャラクターに、それぞれ影響を受け、たくさんの思い出がある、というところで、なんだかすごく親しみを覚えてしまい、思いの外話が盛り上がってしまいました。
今日は久しぶりにピアノの蓋を開け、発表会で弾いたなつかしのショパンの大円舞曲なんか、弾いてみました。てんで指が回ってなくて、ひどいもんでした。少しチェルニーくらいからやり直さないと、先生のカミナリが落ちそうだー!
とか書くと、千葉県の人に怒られそーですが、自分が頻繁に千葉に行っていたのは、まだ小学生時分で、最初は総武線快速を利用出来なかったよーな記憶がありまして。
なんか、もっと地の果てのよーな
気がしてました。すみません。
千葉駅から、グッドデザイン賞をとったというカッコイいモノレールにも乗りました。いやぁ、駅前も
未来都市化してるんですねー。
斎場の方は、なんだ、静岡の田舎と
変わらないじゃん!
って感じで緑がいっぱいで良かったです。千葉城という可愛らしいお城を見かけたり、千葉大学の近くも通りました。亡くなった従妹Mり子の父が千葉大出身なので、
(あ~、この辺にいたんだぁ!)
で、妙に嬉しかった。辺りの風景が、伯父が家を建てた麻機(あさばた)辺りの風情によく似てるんですよ。
で、ピアノの恩師の告別式です。
プロテスタント系の教会で
(Seven Days Adventusというのかな)で洗礼を受けられたので、
お式はプロテスタントの礼拝形式。
「いつくしみ深き」とか、
「主よ みもとに近づかん」を歌いました。あと一曲、先生がお好きだったという
「はるかにあおぎみる
輝きの御国に
父の備えましし
楽しき住みかあり
我らついに輝く御国にて
清き民と
ともに御前に会わん」
というのも歌いました。
488番と書いてあるんだけど、
普通の賛美歌集のものか、
賛美歌21のものか、
どっちでしょうね。
リズミカルで明るい曲でした。
先生のお顔を拝見すると、
昔の記憶がいろいろ蘇りますね。
色が白くて、皮膚が透き通るような
感じでしたが、その点あんまり
お変わりないよう。きれいなお顔でしたね。
お気に入りの譜面とドレスが
棺に入れてありました。
静岡出身の姉弟子さんお二人(ご姉妹で、実は遠縁のおうちの方。妹さんに最初の一年はピアノの手ほどきをしていただきました。お姉さまは、母の親友の1人)がいらしていて、思い出話に花が咲きました。
で、千葉のお弟子さんたちも、静岡のお弟子さんたちも、みんな口を揃えて「厳しかった~(ToT)」と。
よ、良かった。泣かされたのは、
私1人ではなかったらしい……。
なんでも、お隣の家まで
先生の怒る声が聞こえてて、
お隣の人に「あんなに怒ることは
ないんじゃないか」と言われたとか。
晩年は介護施設に入ってらしたんですけど、お弟子さんがお見舞いに来た時、ヘルパーさんがお弟子さんに、「どんな先生だったんですか~?」と無邪気にお聞きになった。で、お弟子さんがコレコレ、と話そうとした矢先、先生自ら、
「私、鬼のよーだったのよ~(≧▽≦)」
と、ほがらかにバラして(!)いたんだそーな!
ううむ、いかにも先生がおっしゃりそうなセリフではありました。
息子さんがお二人いらっしゃるんですが、ラジオで何か曲がかかると、
いきなり「はい、今の、何の音?」と聴音レッスン状態にされたそーで、うーむ、この厳しい先生が母親では、大変かもしんない!
ちなみに息子さんたちは音楽家にはならずじまい。でも、上の方は、長く東工大で数学をおしえてらっしゃった方で、やっぱり音楽は数学とつながってるよーな気がします。
先生も息子さんも、弁が立って、
けっこー言いたい放題でおもしろいので、きっと親子の会話は
丁々発止だったんだろーなー。
●千葉と静岡両方で教えていた
のは、どーしてなんだろーなー
………と思っていたのですが、
何せ弟子になったのが、
まだ年長さんくらいの感じだったもんで、オトナの話はてんで聞いていなかった。
今回いろいろお話を聞いて、
あー、そういう事なのかー、と
初めて納得。
戦時中に2人の息子さんを
生んだ先生ですが、
終戦と同時くらいに、
ご主人がやっていた会社が倒産。
なんでも、軍需関係の会社だったらしいです。
で、子供2人を育てつつ、ご自分が
一家の家計を支えていかなければならなくなった。それで、実家のあった静岡と、一家を構えた千葉の両方でレッスンを始めた……んだそうですよー。
なるほど、そういう御事情があったんですねぇ。大変だったんだろうな。
最初は実家の親戚を中心に弟子を集め、だんだんそれからそれへ、と人数を増やしていったんですね。最盛期は千葉で50人くらい、静岡でも20人くらい教えていたんだそーです。音大にいった人もたくさんいるんでしょうねー。なんか、千葉のお弟子さんの中には、あのGクレフのピアノを弾いてらした榊原大さんもいるんだそーです。うわぁ、有名人もいるんだぁ!
千葉のお弟子さんが、昔の演奏会プログラムを持って来て下さり、
榊原さんのお顔も拝見しました。その時は芸大在学中だったみたいですが、1人だけバーバーショップかなんか、弾いておられたみたい。やっぱりなぁ。
磐田バッハに所属されてるハチさんの、可愛らしいお写真も拝見しましたぁ。(以前おしゃべりしていた時、偶然ピアノの先生の話になって、「厳しかったよね~」で盛り上がりました)
告別式で初めてお目にかかった千葉のお弟子さんたちと、たくさんおしゃべりをしました。
全くこれまで接点がなかった方たちでしたが、先生という強力なキャラクターに、それぞれ影響を受け、たくさんの思い出がある、というところで、なんだかすごく親しみを覚えてしまい、思いの外話が盛り上がってしまいました。
今日は久しぶりにピアノの蓋を開け、発表会で弾いたなつかしのショパンの大円舞曲なんか、弾いてみました。てんで指が回ってなくて、ひどいもんでした。少しチェルニーくらいからやり直さないと、先生のカミナリが落ちそうだー!
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