カテゴリー「英語ネタとか」の記事一覧
- 2024.11.22 [PR]
- 2018.05.24 うっかり、また未更新記録を作った。
- 2017.12.31 一年間の感謝を込めてエッセイを書きました。
- 2017.03.03 実はちょっと俳句にハマっている
- 2017.01.28 つい夜中にハイに入ってしまった!
- 2015.12.13 修行に励みつつ、年末忘年会を目指す
×
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●毎日文章は書いてたりするんですが~σ(^_^;
ブログにまとめる文章が
ここんとこ全く書けませんでした。
Bostonから舞い降りた
美女Eちゃん率いる
TRICHORの白熱ジャズライブとか、
静岡の夜はこれでなくっちゃ!
の、これまた超盛り上がりの
K田トリオライブとか、
合唱では、今年も始まった
夏のジョイ・オブ・ミュージック音楽会に向けての
連休初日合同練習
(あーんど呑み会)、
クラブOB合唱団の
夏の陣~東京都合唱祭参加~の
出陣式(みたいな初日
練習あーんど呑み会)、
などなど、
例年通りネタは
ゴロゴロしてたんですがね。
●実は新しいお仕事体制を
準備中………つーか、
そろそろ始動中。
以前から英語のお仕事
が出来ないかなぁ、
それも地元で………と
考えていて、多少
就活めいた事もして
みたのですが、
年齢とか時間帯とか、
なかなか折り合わず、
自分のやりたい事と、
求職状況が合致せず、
これはもう、
自分で起業した方が
いいのかなぁ………とか
考えていたんですが、
校正とか家事とか
やってるうちに、
なんか、ウヤムヤに。
↑
ダメじゃん!(-_-;)
………とか言ってるうちに、
昔からの友人がやって
いる英会話スクールから、
ひょんな具合に
翻訳ジョブが
いろいろ飛び込んで
きました。
で、こういう風な
事をやりたいと
思っているんだけど………
と相談してました。
………ら、それなら、と
スクールのHP上に、
翻訳ジョブのページを
新たに作ってくれ、
また、講師としての
お仕事も回してくれる、
という体制にしてくれました。
やった~!
(≧▽≦)(≧▽≦)(≧▽≦)
相談してみて、
ほんと、良かった!
世話好きさん、万歳!
↑
この「翻訳請け負います」の
ページデザインも、爽やか
でいい感じ~(≧▽≦)
小さなスクールですが、
結構いろんな生徒さんが
来られます。
今月は早速
ネイティブの先生の
フォローアップ・レッスン
をやる事になりました。
この年になって、
久々にやるので、
しっかり準備しないと
ダメですが、
ご縁があって
新しい事を始められるのは、
ホントに嬉しい事です。
今から
ワクワクドキドキです。
●つい先だって
母校の1日講座で、
「『ハリー・ポッターと呪われた子』における愛と友情について」というのを
お聴きしてきました。
講師は英文科名誉教授のシスターT。
在学中は学科も違いましたし、
全く存じ上げなかった方
なんですが、
偶然書店で私が書いた
『ハリー・ポッターで読む
伝説のヨーロッパ魔術』
という本(今となっては
相当古い本!)を見つけられ、
著者略歴から卒業生と
分かり、当時の学長先生に
お知らせ下さった、という
大恩人です。(ちゃっかり
大学で講演会なるものも
やらせていただいた!)
以来、母校に足繁く通い、
ついで(?)に娘も
国文科に通わせて
いただきました。
そのシスターTの授業。
初めてお聴きした
シスターTの英語は
とっても美しく、
響きにあふれていました。
あ~、全部英語で
講義してもらいたい~(≧▽≦)
耳にとっても心地良い!
他の方々もいらしたので、
お茶会でも自分の話だけ
するわけにはいかなかった
のが残念なので、
そのうち修道院に
伺いたいなぁ、と
考えています。
英語専門の
研究者ですから、
困った時のシスター頼みが
出来る?!
昔お世話になった
中高の英語の恩師の
シスターBと、
同じシスターだからなのか、
何か似たものを感じ、
いつまででもお話していたい
ように思うんですよ。
今でもシスターBとお散歩した
新宿御苑の美しさが
目に焼き付いているのですが、
よく四ッ谷の修道院へ
ご機嫌伺いに行ったものです。
原著を探しに上智の生協
に行ったり、
「これが美味しいのよ~」と
評判の鯛焼き屋さんに
連れて行って下さり、
一緒にアツアツを頬張った
ことなど、目に浮かびます。
形見分けでいただいた
英語の祈祷文集とか、
時々開いたりします。
英語を楽しい、
と思うようになったのも、
シスターBとの心温まる
交流があったからかも
しれません。
新しい仕事や、
新しい出会いも、
シスターが肩を押して
下さっているよう。
こんな風に
毎日ワクワクドキドキ
で歩いて行けるのは、
やっぱりいろんな人に
支えられてきたから
なんじゃないかな。
今日も元気に
いろいろ取っ組んでみようっと。
ブログにまとめる文章が
ここんとこ全く書けませんでした。
Bostonから舞い降りた
美女Eちゃん率いる
TRICHORの白熱ジャズライブとか、
静岡の夜はこれでなくっちゃ!
の、これまた超盛り上がりの
K田トリオライブとか、
合唱では、今年も始まった
夏のジョイ・オブ・ミュージック音楽会に向けての
連休初日合同練習
(あーんど呑み会)、
クラブOB合唱団の
夏の陣~東京都合唱祭参加~の
出陣式(みたいな初日
練習あーんど呑み会)、
などなど、
例年通りネタは
ゴロゴロしてたんですがね。
●実は新しいお仕事体制を
準備中………つーか、
そろそろ始動中。
以前から英語のお仕事
が出来ないかなぁ、
それも地元で………と
考えていて、多少
就活めいた事もして
みたのですが、
年齢とか時間帯とか、
なかなか折り合わず、
自分のやりたい事と、
求職状況が合致せず、
これはもう、
自分で起業した方が
いいのかなぁ………とか
考えていたんですが、
校正とか家事とか
やってるうちに、
なんか、ウヤムヤに。
↑
ダメじゃん!(-_-;)
………とか言ってるうちに、
昔からの友人がやって
いる英会話スクールから、
ひょんな具合に
翻訳ジョブが
いろいろ飛び込んで
きました。
で、こういう風な
事をやりたいと
思っているんだけど………
と相談してました。
………ら、それなら、と
スクールのHP上に、
翻訳ジョブのページを
新たに作ってくれ、
また、講師としての
お仕事も回してくれる、
という体制にしてくれました。
やった~!
(≧▽≦)(≧▽≦)(≧▽≦)
相談してみて、
ほんと、良かった!
世話好きさん、万歳!
↑
この「翻訳請け負います」の
ページデザインも、爽やか
でいい感じ~(≧▽≦)
小さなスクールですが、
結構いろんな生徒さんが
来られます。
今月は早速
ネイティブの先生の
フォローアップ・レッスン
をやる事になりました。
この年になって、
久々にやるので、
しっかり準備しないと
ダメですが、
ご縁があって
新しい事を始められるのは、
ホントに嬉しい事です。
今から
ワクワクドキドキです。
●つい先だって
母校の1日講座で、
「『ハリー・ポッターと呪われた子』における愛と友情について」というのを
お聴きしてきました。
講師は英文科名誉教授のシスターT。
在学中は学科も違いましたし、
全く存じ上げなかった方
なんですが、
偶然書店で私が書いた
『ハリー・ポッターで読む
伝説のヨーロッパ魔術』
という本(今となっては
相当古い本!)を見つけられ、
著者略歴から卒業生と
分かり、当時の学長先生に
お知らせ下さった、という
大恩人です。(ちゃっかり
大学で講演会なるものも
やらせていただいた!)
以来、母校に足繁く通い、
ついで(?)に娘も
国文科に通わせて
いただきました。
そのシスターTの授業。
初めてお聴きした
シスターTの英語は
とっても美しく、
響きにあふれていました。
あ~、全部英語で
講義してもらいたい~(≧▽≦)
耳にとっても心地良い!
他の方々もいらしたので、
お茶会でも自分の話だけ
するわけにはいかなかった
のが残念なので、
そのうち修道院に
伺いたいなぁ、と
考えています。
英語専門の
研究者ですから、
困った時のシスター頼みが
出来る?!
昔お世話になった
中高の英語の恩師の
シスターBと、
同じシスターだからなのか、
何か似たものを感じ、
いつまででもお話していたい
ように思うんですよ。
今でもシスターBとお散歩した
新宿御苑の美しさが
目に焼き付いているのですが、
よく四ッ谷の修道院へ
ご機嫌伺いに行ったものです。
原著を探しに上智の生協
に行ったり、
「これが美味しいのよ~」と
評判の鯛焼き屋さんに
連れて行って下さり、
一緒にアツアツを頬張った
ことなど、目に浮かびます。
形見分けでいただいた
英語の祈祷文集とか、
時々開いたりします。
英語を楽しい、
と思うようになったのも、
シスターBとの心温まる
交流があったからかも
しれません。
新しい仕事や、
新しい出会いも、
シスターが肩を押して
下さっているよう。
こんな風に
毎日ワクワクドキドキ
で歩いて行けるのは、
やっぱりいろんな人に
支えられてきたから
なんじゃないかな。
今日も元気に
いろいろ取っ組んでみようっと。
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またしばらくご無沙汰しました。大晦日です。波乱の1年でしたが、無事に新年を迎えられることに感謝しつつ、小さなエッセイを書きました。2017年度の「1日1句」日英俳句の本に監修者の1人として載せていただく予定です。
●書き続けること
今年も一年、英語俳句とともに駆け抜けることができ、嬉しい達成感とともに年末を迎えました。
ONE DAY ONE HAIKUの英訳アシスタントも、気がつけば、もう三年です。その間、日本語の俳句の持つ豊かな行間を、いかにして英語の中で表現することができるか、全ての句がチャレンジだったように思います。
無論、ネイティブスピーカーではないので、どうしても的確な語にたどり着けないもどかしさを感じることもままあり、Sさんという強力なバックアップがあることを心頼みに、何とか毎月続けてまいりました。
知の冒険、というと、大げさかもしれませんが、私にとっての英語俳句は、まさにそれであり、自分の限られた能力で何ができるのか、限界を超えていくことができるのか、苦しくもあり、また極上の楽しみでもあります。来る年もまた、楽しい冒険にお招きしていただくのをわくわくしながら待っています。
それにつけても、毎日毎日、珠玉の芸術作品を作り続け、かつ日々を心ゆくまで楽しんでおられるYさんには、脱帽するばかりです。
実はこっそり、毎日俳句に挑戦してみたことがあります。呻吟し、時にはうっかり忘れそうになり、それでも一月ほどは続けてみたのですが、これは我が任にあらず、とついに投げ出してしまいました。やはり、人はそれぞれその才で生きるのではないか、とYさんの春秋に触れるにつけ、思われます。継続こそ力なり、とよく言われますが、まさにその通りです。これがなかなか難しい。
私が続けていることと言えば、日記ぐらいです。結婚した当初から続けているもので、かれこれ二十七年くらいになります。当初は、お食事日記で、毎日食べたものをメモする程度でした。娘が生まれてからは育児日記、離乳食日記になり、次第にメモだけでは飽き足らなくなり、昨今流行りのエッセイ漫画ではないですが、漫画を添えたおもしろ日記に発展しました。(*エッセイ漫画は、昨今大変な流行を見せている漫画の一ジャンルで、テーマはガン闘病、妊娠、自閉症など、さまざまです。)
今では、家族が病気になれば、毎日の体調や食事の様子を書き、おもしろいエピソードがあれば、それを漫画にし、仕事の進み具合を書いたり、もらいものがあれば、それも欄外にメモしたり、と、ともかく何でもアリの日記帳になりました。
最初のうちは、結婚前からお食事メモを付けていた主人が主に書いていたのですが、そのうち面倒になってきたらしく、私にお任せ状態になり、今では、「あの仕事のゲラはいつ頃来たんだっけ?」とか、「去年歯が痛くなったのは、いつだったっけ?」とか、何でも日記をチェックして、いつ頃の出来事なのか確認するようになりました。家族の情報源として頼りにされるようになると、どんな細かいことでも書いておかないと、急場に間に合いません。
本来日記というものは、個人的なもので、家族で共有するようなものではないのですが、我が家の場合は、これが「掲示板」になっているようですね。日記の内容は、ごくごくありふれたもので、日記を日常的に書かれる方でも、あまりにささいな事であえて書かない程度のものかもしれません。書かなければ、多分、おぼろげな記憶の中で、「ああ、そう言えば、前にそんなことがあったなぁ。いつの話だったっけ?」とうやむやのうちに忘れてしまうようなことばかりですが、漫画ではその人の表情や、台詞がありますから、目にすればおもしろいもので、その当時に交わした会話の端々まで、鮮明によみがえってきます。今では我が家の日記帳シリーズは、すっかり家族の「愛読書」のような存在になり、時折古いノートを引っ張り出しては、家族で楽しんでいます。
Yさんの素晴らしい作品群に比べれば、何ともお恥ずかしいような日記帳ですが、多分、継続しているだけで、家族にとっては大切な記憶の積み重ねになっていくのではないか、と思います。
どんな小さなものでも、書くこと、書き続けることができるのは、人間に許された大きな特権です。日記をめくるたびに、ほんのささいな事柄を積み重ね続けて、家族というものが次第に形になっていくような気がします。新しい年を綴る日記は、果たしてどのようなものになっていくのでしょうか。これもまた、私のチャレンジの一つなのかもしれません。
·Writing May Empowered by the Spirits of Continuation
I am glad to welcome the year-end with happy sense of achievement with English haiku associated.
Already three years has passed with the job of assisting the edition. Through these years, every haiku I encountered was the challenge for me to brush up my English skills, reading between the lines of the original Japanese haiku, making it happen to create the suitable expressions with English.
Unfortunately, I am not a native speaker of English, those efforts are sometimes made me feel tormented and felt small while I was editing. With great support of Ms. S, I could convince me that I can proceed every month.
Editing English haiku is, not exaggerated I hope, undaunted challenge of wisdom for me indeed. Wondering whether I could complete this task with my limited abilities, or how I could overcome that limitation through my effort. English haiku is, let''''s say, a burden for my ability, though a burden with such bliss I cannot experience from any other things. I hope I will be invited to join this adventure of knowledge next year too.
That reminds me of the great effort of Mr. Y''''s life with creative minds. I admire his lively everyday life, I admire his tireless effort of creating artistic haikus every day.
Actually, I once challenged to write haiku every day. Moaning with labor, sometimes forgot to think about making, I could continue this effort without knowing anybody and I totally gave up in the end. Men will live with their own special talent. Mr. Y with haiku spirit, I, with probably another spirit. There is an old saying "Continuation is the might". I believe in this. Though it is really difficult to continue something, even though the subject of continuation was the best thing you want to continue.
The only thing I am making effort to continue is keeping a diary. This custom has been kept from the beginning of my married life until now, for about 27 years. First it started as a memo for every day''''s meal, after my daughter was born, the subject changed to her growth including baby food memos. While raising the child, the mere memos turned into a diary with one-framed “manga” expressing the daily events, the "manga essay" for my family. (*In Japan, one of the popular trends of manga is the type expressing the daily life with a touch of essay these days, and call them "essay manga". Subjects are varied from cancer survival, pregnancy, autism, and much more.)
When a family member is poor in health, the diary turned into caring memos including every meal how much he/she could eat with their medical conditions. When something funny or happy events occurred, the manga will show its worth with drawing a funny scene. Or I could memo the progress of our writing works, keep the memo of the gifts which someone gave us. Well, my diary includes everything.
For the first few years, the diary kept mainly by my husband since he kept his meal memos before our marriage.
However, he was tired of writing diaries, and when I started the manga diary, he was happy to read them and check what it said such as "When the last galley proof came?" or "When was the last dentist check with tooth pain last year?" and so on. For his information also, I have to keep my manga diary and make sure all the family member can check and learn what they need.
A diary may very private by nature in the common sense, and usually not shared by family members. So our diary is totally peculiar but special for us like a family bulletin board. The contents are really nothing but daily life. Probably most of the diary keepers do not dare write those simple things. Those things are easily forgotten if you don''''t write and sometimes you will recall the event vaguely and wonder what and when that was. But with manga expressing the person''''s look with the actual speech of that moment, you can remember the scene pretty clearly. Our diary series are now our family''''s best-read book in the shelf and we sometimes read old diaries in turn and smile together.
It''''s really a small and not artistic writings compared to the brilliant arts of Mr. Y, though, I believe it will be the most precious memorial accumulation of our history.
Actually, It''''s our great privileges to write, continue to write something. While I''''m reading the diary, I recognize, through those records of trivial piles of every day’s event the family itself has been created year after year and I wonder how the next year''''s diary will be. The diary is also a great challenge of my life.
●書き続けること
今年も一年、英語俳句とともに駆け抜けることができ、嬉しい達成感とともに年末を迎えました。
ONE DAY ONE HAIKUの英訳アシスタントも、気がつけば、もう三年です。その間、日本語の俳句の持つ豊かな行間を、いかにして英語の中で表現することができるか、全ての句がチャレンジだったように思います。
無論、ネイティブスピーカーではないので、どうしても的確な語にたどり着けないもどかしさを感じることもままあり、Sさんという強力なバックアップがあることを心頼みに、何とか毎月続けてまいりました。
知の冒険、というと、大げさかもしれませんが、私にとっての英語俳句は、まさにそれであり、自分の限られた能力で何ができるのか、限界を超えていくことができるのか、苦しくもあり、また極上の楽しみでもあります。来る年もまた、楽しい冒険にお招きしていただくのをわくわくしながら待っています。
それにつけても、毎日毎日、珠玉の芸術作品を作り続け、かつ日々を心ゆくまで楽しんでおられるYさんには、脱帽するばかりです。
実はこっそり、毎日俳句に挑戦してみたことがあります。呻吟し、時にはうっかり忘れそうになり、それでも一月ほどは続けてみたのですが、これは我が任にあらず、とついに投げ出してしまいました。やはり、人はそれぞれその才で生きるのではないか、とYさんの春秋に触れるにつけ、思われます。継続こそ力なり、とよく言われますが、まさにその通りです。これがなかなか難しい。
私が続けていることと言えば、日記ぐらいです。結婚した当初から続けているもので、かれこれ二十七年くらいになります。当初は、お食事日記で、毎日食べたものをメモする程度でした。娘が生まれてからは育児日記、離乳食日記になり、次第にメモだけでは飽き足らなくなり、昨今流行りのエッセイ漫画ではないですが、漫画を添えたおもしろ日記に発展しました。(*エッセイ漫画は、昨今大変な流行を見せている漫画の一ジャンルで、テーマはガン闘病、妊娠、自閉症など、さまざまです。)
今では、家族が病気になれば、毎日の体調や食事の様子を書き、おもしろいエピソードがあれば、それを漫画にし、仕事の進み具合を書いたり、もらいものがあれば、それも欄外にメモしたり、と、ともかく何でもアリの日記帳になりました。
最初のうちは、結婚前からお食事メモを付けていた主人が主に書いていたのですが、そのうち面倒になってきたらしく、私にお任せ状態になり、今では、「あの仕事のゲラはいつ頃来たんだっけ?」とか、「去年歯が痛くなったのは、いつだったっけ?」とか、何でも日記をチェックして、いつ頃の出来事なのか確認するようになりました。家族の情報源として頼りにされるようになると、どんな細かいことでも書いておかないと、急場に間に合いません。
本来日記というものは、個人的なもので、家族で共有するようなものではないのですが、我が家の場合は、これが「掲示板」になっているようですね。日記の内容は、ごくごくありふれたもので、日記を日常的に書かれる方でも、あまりにささいな事であえて書かない程度のものかもしれません。書かなければ、多分、おぼろげな記憶の中で、「ああ、そう言えば、前にそんなことがあったなぁ。いつの話だったっけ?」とうやむやのうちに忘れてしまうようなことばかりですが、漫画ではその人の表情や、台詞がありますから、目にすればおもしろいもので、その当時に交わした会話の端々まで、鮮明によみがえってきます。今では我が家の日記帳シリーズは、すっかり家族の「愛読書」のような存在になり、時折古いノートを引っ張り出しては、家族で楽しんでいます。
Yさんの素晴らしい作品群に比べれば、何ともお恥ずかしいような日記帳ですが、多分、継続しているだけで、家族にとっては大切な記憶の積み重ねになっていくのではないか、と思います。
どんな小さなものでも、書くこと、書き続けることができるのは、人間に許された大きな特権です。日記をめくるたびに、ほんのささいな事柄を積み重ね続けて、家族というものが次第に形になっていくような気がします。新しい年を綴る日記は、果たしてどのようなものになっていくのでしょうか。これもまた、私のチャレンジの一つなのかもしれません。
·Writing May Empowered by the Spirits of Continuation
I am glad to welcome the year-end with happy sense of achievement with English haiku associated.
Already three years has passed with the job of assisting the edition. Through these years, every haiku I encountered was the challenge for me to brush up my English skills, reading between the lines of the original Japanese haiku, making it happen to create the suitable expressions with English.
Unfortunately, I am not a native speaker of English, those efforts are sometimes made me feel tormented and felt small while I was editing. With great support of Ms. S, I could convince me that I can proceed every month.
Editing English haiku is, not exaggerated I hope, undaunted challenge of wisdom for me indeed. Wondering whether I could complete this task with my limited abilities, or how I could overcome that limitation through my effort. English haiku is, let''''s say, a burden for my ability, though a burden with such bliss I cannot experience from any other things. I hope I will be invited to join this adventure of knowledge next year too.
That reminds me of the great effort of Mr. Y''''s life with creative minds. I admire his lively everyday life, I admire his tireless effort of creating artistic haikus every day.
Actually, I once challenged to write haiku every day. Moaning with labor, sometimes forgot to think about making, I could continue this effort without knowing anybody and I totally gave up in the end. Men will live with their own special talent. Mr. Y with haiku spirit, I, with probably another spirit. There is an old saying "Continuation is the might". I believe in this. Though it is really difficult to continue something, even though the subject of continuation was the best thing you want to continue.
The only thing I am making effort to continue is keeping a diary. This custom has been kept from the beginning of my married life until now, for about 27 years. First it started as a memo for every day''''s meal, after my daughter was born, the subject changed to her growth including baby food memos. While raising the child, the mere memos turned into a diary with one-framed “manga” expressing the daily events, the "manga essay" for my family. (*In Japan, one of the popular trends of manga is the type expressing the daily life with a touch of essay these days, and call them "essay manga". Subjects are varied from cancer survival, pregnancy, autism, and much more.)
When a family member is poor in health, the diary turned into caring memos including every meal how much he/she could eat with their medical conditions. When something funny or happy events occurred, the manga will show its worth with drawing a funny scene. Or I could memo the progress of our writing works, keep the memo of the gifts which someone gave us. Well, my diary includes everything.
For the first few years, the diary kept mainly by my husband since he kept his meal memos before our marriage.
However, he was tired of writing diaries, and when I started the manga diary, he was happy to read them and check what it said such as "When the last galley proof came?" or "When was the last dentist check with tooth pain last year?" and so on. For his information also, I have to keep my manga diary and make sure all the family member can check and learn what they need.
A diary may very private by nature in the common sense, and usually not shared by family members. So our diary is totally peculiar but special for us like a family bulletin board. The contents are really nothing but daily life. Probably most of the diary keepers do not dare write those simple things. Those things are easily forgotten if you don''''t write and sometimes you will recall the event vaguely and wonder what and when that was. But with manga expressing the person''''s look with the actual speech of that moment, you can remember the scene pretty clearly. Our diary series are now our family''''s best-read book in the shelf and we sometimes read old diaries in turn and smile together.
It''''s really a small and not artistic writings compared to the brilliant arts of Mr. Y, though, I believe it will be the most precious memorial accumulation of our history.
Actually, It''''s our great privileges to write, continue to write something. While I''''m reading the diary, I recognize, through those records of trivial piles of every day’s event the family itself has been created year after year and I wonder how the next year''''s diary will be. The diary is also a great challenge of my life.
●1つ前のblog更新で書き忘れましたが
今年はワタクシ、しっかり計画的でアル!
なんとなれば、昨年締切ギリギリで
ヒイヒイ提出した苦い経験を覚えていて、
今年はワークロードがどーなるか、を
前もって検討し、ちゃーんと2月いっぱいで
申告書類を仕上げ、(校正作業ですぐには出掛けられ
なかったが)2月28日(月)には、きっちり
提出する事を得たからでアル。
ちょっと夏休みの計画表通りに
宿題を仕上げた小学生の気分なのでアル。
拍手ー!(≧▽≦)(≧▽≦)(≧▽≦)
父の病院経理をやってた時代は、
2月25日を過ぎないと、
国から昨年12月分のお金が振り込まれない
ので、1年の総収入を計算出来ない!
というのを良いことに、
2月後半から始めて3月10日前後に
申告する………のを常としてましたが、
今は年内に源泉徴収票来た分で計算
すればいいんで、早くやれるハズ………
なんだけどな。
というわけで、のんびりしてないで、
さっさと手を切る!
を目標にして、頑張って仕上げました。
最後の最後で、申告書に書く時に
計算間違いしたりするので
(計算方式の勘違いとか、よくやる)
申告書記載及び計算は、国税庁の
申告ページにおまかせ~♪
提出は、医療費控除書類チェックをして
もらうために申告会場持ち込みにしました。
カンペキにE-taxでやってみた年も
ありましたが、カードリーダライタを
据え付けるのが意外と面倒だったり、
送信で失敗があったりと、ストレスが
あったので、計算だけしてもらって、
プリントアウトしたのを持ち込むか郵送、
の形でやっています。
この形だと、比較的ストレスフリー………な気がするな。
受付で提出日のはんこを捺してもらえば済むし。
会場でパソコン借りて、その場入力というのも
試しました。比較的空いていれぱ、
これもそう悪くない。手書きしていた時代に比べると
超・早い。
とりあえず、これで1年間は
おさらばだ、と思うと嬉しい。
●で、俳句の話。
つい先頃、昨年1年間の俳句を
まとめたY田さんの句集
『一日一句 One Day One Haiku』(日英)
の編集が終わり、めでたく刊行となりました。
またしても、英語監修者として
関わらせていただき、
巻末エッセイや、ちっちゃなイラスト1作も
載せていただき、悦に入っています。
この句集、挿絵は画家でいらっしゃる
Y田さんご夫人の手になるスケッチで、
これがまた、どれも素敵な味わいなのです。
仕上がった句集を拝見して、
好きなものを5つくらい選んでみて、
というお話があり、じっくり
読み返しているのだけれど、
どの句も、英語句の形を整えるため、
かなり読み込んだものばかりで、
どれもこれも愛しくてならない。
なかなか5つに絞れない~(泣)
もう少し考えてみようっと。
●で、大先達の労作に刺激されて
さらに、Androidアプリで、
「写真に1句」
という嬉しいものを発見してしまったので、
自分の撮った写真に句を添えて遊んでいるところ。
きっかけは、C蔵コンサート会場に向かう
時に撮った写真が気に入り、
ふと発句したことから。
風光る
今日のこの日の
歌声やよし
最後の「よし」は、「良」「佳」「美」など、
どの字にしようか迷った挙げ句、
読む人にお任せで、ひらがなに。
で、日本語で発句して、
英語句も作れそうなのは、
ちょっと練習中。
先達に言祝ぎ申す春隣
solemnly said my congratulations
to the man I respect
spring is closing by--
※Y田さんのお誕生日と句集発刊を祝して
雲雀鳴く
新しき本のぬくもり
俳句本
skylark is singing--
the feel of newly published
ONE DAY ONE HAIKU
※珍しく雲雀が鳴く日、待望の句集到着。
手触りを楽しむ。
水ぬるむ
足下(そっか)に土の
やわらかき
water warms up a little
felt softness of soil
under my foot
※春の雨が通り過ぎた後、庭の土がゆるんでいた。
イメージ出演は、鉢のカエルさんたち。
桜待ちて
食せよとかや
友笑う
do I have to wait
for sakura blossomy and munch?
smiling face of a good old friend
※「先に買っちゃったから、あげる」と
A嬢から誕生日祝い。桜が咲くまで
食べちゃダメ?
調子にのって、Y田さんに幾つかお送りしてたら、
「句会に出してみたら?」のお誘いが~σ(^◇^;)
立派な句はもともとムリですが、
思いついた時に書いていこうかなぁ。
↑
俳句の師匠(一応いる)である伯父に、
またぞろ手を出しているとバレると、
またしごかれるので、ビクビク………。
↑
1日50句作れ、とか言われちゃうんだよなー。
もぉ、頭の上がらない先達ばかりで困る!
今年はワタクシ、しっかり計画的でアル!
なんとなれば、昨年締切ギリギリで
ヒイヒイ提出した苦い経験を覚えていて、
今年はワークロードがどーなるか、を
前もって検討し、ちゃーんと2月いっぱいで
申告書類を仕上げ、(校正作業ですぐには出掛けられ
なかったが)2月28日(月)には、きっちり
提出する事を得たからでアル。
ちょっと夏休みの計画表通りに
宿題を仕上げた小学生の気分なのでアル。
拍手ー!(≧▽≦)(≧▽≦)(≧▽≦)
父の病院経理をやってた時代は、
2月25日を過ぎないと、
国から昨年12月分のお金が振り込まれない
ので、1年の総収入を計算出来ない!
というのを良いことに、
2月後半から始めて3月10日前後に
申告する………のを常としてましたが、
今は年内に源泉徴収票来た分で計算
すればいいんで、早くやれるハズ………
なんだけどな。
というわけで、のんびりしてないで、
さっさと手を切る!
を目標にして、頑張って仕上げました。
最後の最後で、申告書に書く時に
計算間違いしたりするので
(計算方式の勘違いとか、よくやる)
申告書記載及び計算は、国税庁の
申告ページにおまかせ~♪
提出は、医療費控除書類チェックをして
もらうために申告会場持ち込みにしました。
カンペキにE-taxでやってみた年も
ありましたが、カードリーダライタを
据え付けるのが意外と面倒だったり、
送信で失敗があったりと、ストレスが
あったので、計算だけしてもらって、
プリントアウトしたのを持ち込むか郵送、
の形でやっています。
この形だと、比較的ストレスフリー………な気がするな。
受付で提出日のはんこを捺してもらえば済むし。
会場でパソコン借りて、その場入力というのも
試しました。比較的空いていれぱ、
これもそう悪くない。手書きしていた時代に比べると
超・早い。
とりあえず、これで1年間は
おさらばだ、と思うと嬉しい。
●で、俳句の話。
つい先頃、昨年1年間の俳句を
まとめたY田さんの句集
『一日一句 One Day One Haiku』(日英)
の編集が終わり、めでたく刊行となりました。
またしても、英語監修者として
関わらせていただき、
巻末エッセイや、ちっちゃなイラスト1作も
載せていただき、悦に入っています。
この句集、挿絵は画家でいらっしゃる
Y田さんご夫人の手になるスケッチで、
これがまた、どれも素敵な味わいなのです。
仕上がった句集を拝見して、
好きなものを5つくらい選んでみて、
というお話があり、じっくり
読み返しているのだけれど、
どの句も、英語句の形を整えるため、
かなり読み込んだものばかりで、
どれもこれも愛しくてならない。
なかなか5つに絞れない~(泣)
もう少し考えてみようっと。
●で、大先達の労作に刺激されて
さらに、Androidアプリで、
「写真に1句」
という嬉しいものを発見してしまったので、
自分の撮った写真に句を添えて遊んでいるところ。
きっかけは、C蔵コンサート会場に向かう
時に撮った写真が気に入り、
ふと発句したことから。
風光る
今日のこの日の
歌声やよし
最後の「よし」は、「良」「佳」「美」など、
どの字にしようか迷った挙げ句、
読む人にお任せで、ひらがなに。
で、日本語で発句して、
英語句も作れそうなのは、
ちょっと練習中。
先達に言祝ぎ申す春隣
solemnly said my congratulations
to the man I respect
spring is closing by--
※Y田さんのお誕生日と句集発刊を祝して
雲雀鳴く
新しき本のぬくもり
俳句本
skylark is singing--
the feel of newly published
ONE DAY ONE HAIKU
※珍しく雲雀が鳴く日、待望の句集到着。
手触りを楽しむ。
水ぬるむ
足下(そっか)に土の
やわらかき
water warms up a little
felt softness of soil
under my foot
※春の雨が通り過ぎた後、庭の土がゆるんでいた。
イメージ出演は、鉢のカエルさんたち。
桜待ちて
食せよとかや
友笑う
do I have to wait
for sakura blossomy and munch?
smiling face of a good old friend
※「先に買っちゃったから、あげる」と
A嬢から誕生日祝い。桜が咲くまで
食べちゃダメ?
調子にのって、Y田さんに幾つかお送りしてたら、
「句会に出してみたら?」のお誘いが~σ(^◇^;)
立派な句はもともとムリですが、
思いついた時に書いていこうかなぁ。
↑
俳句の師匠(一応いる)である伯父に、
またぞろ手を出しているとバレると、
またしごかれるので、ビクビク………。
↑
1日50句作れ、とか言われちゃうんだよなー。
もぉ、頭の上がらない先達ばかりで困る!
●前回更新の後、
また疲れが出たのか、風邪なのか、
何なのか、よく分からないまま、
夜になると微熱が出てヒイフウの日々が。
昨年来の疲れがまだ抜け切れてないところに、
慰問だ何だ、と騒いでいたので、
身体の方が「ちょっと、待ったァッ!」と
叫んでいたのかもしれない。
無理矢理タスクを片付けようとしても、
てんで能率も上がらないし、
大病になっても困るので、
おとなしく家に閉じこもる。
生まれつき体質は弱い!
てんで威張れないが、
「無病息災」じゃなくて、
「一病息災」でいけ、と言われてるよーな
一族なので、疲れたら、寝る。
母方の遺伝で腎臓系統が強くないのは
分かっているので、「疲れが来たな!」と
思ったら、とりあえず寝る。
それでも若い頃に比べると
貧血もないし、鼻出血が止まらなくて
死ぬ思いをする(血小板が少ない体質なので、
一度出血すると止まらなかった)事も
なくなったので、本人的には
逆に昔より安定しているよーな気がする。
人と比べると、低め安定なのかもしれないが、
身体は買い替えも出来ないので、
今あるモノを大事に使おう、と。
●で、調子が上がってきたので
ここんとこ3~4日間ぐらい、
せっせと英語の宿題をやっていた。
恒例となっている
英語俳句の校正なのだが、
俳句そのものについては、
既にチェックを終えていて、
自分のエッセイも書いてあるので、
残りは巻末の内容説明コメント集のチェックのみ。
のみ、なんだけどね………。
昨年中が、例年になく
日本語の校正が多い年だったため、
どうしても英語校正に時間が取れず、
巻末コメント集のチェックをなおざりに
していたツケが、ついに回ってきてしまった。
1ヶ月分ずつ、出来たところまで
俳句とコメントを送って下さるので、
その時ちゃんとやっておけばいいものを、
昨年は貯めに貯めて、約1年分手付かず。
ワタシ、バカよね~おバカさんよね~♪
と思わず歌ってしまいたくなる分量。
σ(^◇^;)
で、さすがに1日2日でコンプリートは
出来ないので、覚悟を決めて今週は体当たり。
昨夜めでたく仕上がったものだから、
夜中だと言うのに、ハレルヤ状態。
ハイになり過ぎているので、
FBにコメント来てたのを見つけて有頂天になり、
コメントし返しまくる。
で、ふと時計を見て、2時近い事を
初めて知り、アワワσ(^◇^;)
すみません、学会の帰りに静岡駅に
立ち寄られ、駅ビルでお寿司と
しぞーかおでん名物黒はんぺんをお買い上げいただいた
ドクトル、お疲れのところを
コメントいただいたのに、
怒涛の真夜中過ぎコメント返しを
してしまいました。お許し下さい。
↑
甲府に行かれるというお話だったので、
甲府~静岡ルートをご案内したところ、
ご採用。ご丁寧にコメントを下さったのでしたー。
m(__)m
●いかん、いかん!
夜中に騒いでどーするんだ!
というワケで慌ててベッドに
入ったのですが、まだ興奮気味で、
お気に入りの本
Heidegger and a Hippo Walk Through
Those Pearly Gates
by Thomas Cathcart, Daniel Klein
「ハイデッガーとカバさんが一緒に天国の門に
たどり着いたら」
をちょっと読み直して、大爆笑。
この本は、「死とはなんぞや?」という
哲学の一大命題をジョークを交えた軽やかな文章
で読ませてくれる、楽しい本。
大分以前ですが、New Yorkerのベストセラーにも
なりました。
表題は、アメリカンジョークによくあるパターンの
踏襲で、HeideggerとHippoが韻を踏んでるところが
既に爆笑。
ワタクシ的に嬉しいのは、著者のお2人、
ナチスドイツから逃れてニューヨークに
渡ったドイツの実存神学者パウル・ティリッヒ
のお弟子さんに当たるところ。実際に
ティリッヒの授業を受けているそうで、
すんごくうらやましい。
↑
カトリックの大学にいるのに、
プロテスタント神学者ティリッヒを
卒論のテーマに選んじゃった
うかつ者はワタシです。
ついこの間までは、
『昔ばなしの謎~あの世とこの世の神話学』
古川のり子著 角川ソフィア文庫
を夢中になって読んでいたんですが、
うっかり読了してしまったので、
また英語の本に戻ったりしてるワケで。
古川のり子さんの本、初めて読みましたが、
知らない昔話の話型がいろいろ出てきて、
ものすごくおもしろかったです。
吉田敦彦さんのお弟子だそうで、
ナルホド、道理で、しっかりした研究内容。
後でノートを取っておこうかな。
巻末の参考文献リストを眺めては
次はどれにいこうかな、と楽しく迷っているところ。
とりあえず昨夜はHeidegger and ....を
ちょっと読んで、ゴキゲンに爆睡しました♪
●ともあれ………
やるべき事を、1つずつ
クリアーするの、大好きらしいです。
To Do リストを作って、
出来たところから
チェックマークを付けてくの、
好きなんだよなぁ。
達成感というの、
かなり脳内麻薬を誘発する
代物ですね。
昨日のハイな状態を始終キープするのは、
体力的にもしんどいのですが、
やれば何とかなる、というので
毎日前へ進めるものなのかもしれない。
今日の写真は、
昨日ウキウキして描いたイラスト一枚。
タイトルは、
「幸せの黄色い目玉焼き」
脳天気なパーソナリティーそのもの、か。
また疲れが出たのか、風邪なのか、
何なのか、よく分からないまま、
夜になると微熱が出てヒイフウの日々が。
昨年来の疲れがまだ抜け切れてないところに、
慰問だ何だ、と騒いでいたので、
身体の方が「ちょっと、待ったァッ!」と
叫んでいたのかもしれない。
無理矢理タスクを片付けようとしても、
てんで能率も上がらないし、
大病になっても困るので、
おとなしく家に閉じこもる。
生まれつき体質は弱い!
てんで威張れないが、
「無病息災」じゃなくて、
「一病息災」でいけ、と言われてるよーな
一族なので、疲れたら、寝る。
母方の遺伝で腎臓系統が強くないのは
分かっているので、「疲れが来たな!」と
思ったら、とりあえず寝る。
それでも若い頃に比べると
貧血もないし、鼻出血が止まらなくて
死ぬ思いをする(血小板が少ない体質なので、
一度出血すると止まらなかった)事も
なくなったので、本人的には
逆に昔より安定しているよーな気がする。
人と比べると、低め安定なのかもしれないが、
身体は買い替えも出来ないので、
今あるモノを大事に使おう、と。
●で、調子が上がってきたので
ここんとこ3~4日間ぐらい、
せっせと英語の宿題をやっていた。
恒例となっている
英語俳句の校正なのだが、
俳句そのものについては、
既にチェックを終えていて、
自分のエッセイも書いてあるので、
残りは巻末の内容説明コメント集のチェックのみ。
のみ、なんだけどね………。
昨年中が、例年になく
日本語の校正が多い年だったため、
どうしても英語校正に時間が取れず、
巻末コメント集のチェックをなおざりに
していたツケが、ついに回ってきてしまった。
1ヶ月分ずつ、出来たところまで
俳句とコメントを送って下さるので、
その時ちゃんとやっておけばいいものを、
昨年は貯めに貯めて、約1年分手付かず。
ワタシ、バカよね~おバカさんよね~♪
と思わず歌ってしまいたくなる分量。
σ(^◇^;)
で、さすがに1日2日でコンプリートは
出来ないので、覚悟を決めて今週は体当たり。
昨夜めでたく仕上がったものだから、
夜中だと言うのに、ハレルヤ状態。
ハイになり過ぎているので、
FBにコメント来てたのを見つけて有頂天になり、
コメントし返しまくる。
で、ふと時計を見て、2時近い事を
初めて知り、アワワσ(^◇^;)
すみません、学会の帰りに静岡駅に
立ち寄られ、駅ビルでお寿司と
しぞーかおでん名物黒はんぺんをお買い上げいただいた
ドクトル、お疲れのところを
コメントいただいたのに、
怒涛の真夜中過ぎコメント返しを
してしまいました。お許し下さい。
↑
甲府に行かれるというお話だったので、
甲府~静岡ルートをご案内したところ、
ご採用。ご丁寧にコメントを下さったのでしたー。
m(__)m
●いかん、いかん!
夜中に騒いでどーするんだ!
というワケで慌ててベッドに
入ったのですが、まだ興奮気味で、
お気に入りの本
Heidegger and a Hippo Walk Through
Those Pearly Gates
by Thomas Cathcart, Daniel Klein
「ハイデッガーとカバさんが一緒に天国の門に
たどり着いたら」
をちょっと読み直して、大爆笑。
この本は、「死とはなんぞや?」という
哲学の一大命題をジョークを交えた軽やかな文章
で読ませてくれる、楽しい本。
大分以前ですが、New Yorkerのベストセラーにも
なりました。
表題は、アメリカンジョークによくあるパターンの
踏襲で、HeideggerとHippoが韻を踏んでるところが
既に爆笑。
ワタクシ的に嬉しいのは、著者のお2人、
ナチスドイツから逃れてニューヨークに
渡ったドイツの実存神学者パウル・ティリッヒ
のお弟子さんに当たるところ。実際に
ティリッヒの授業を受けているそうで、
すんごくうらやましい。
↑
カトリックの大学にいるのに、
プロテスタント神学者ティリッヒを
卒論のテーマに選んじゃった
うかつ者はワタシです。
ついこの間までは、
『昔ばなしの謎~あの世とこの世の神話学』
古川のり子著 角川ソフィア文庫
を夢中になって読んでいたんですが、
うっかり読了してしまったので、
また英語の本に戻ったりしてるワケで。
古川のり子さんの本、初めて読みましたが、
知らない昔話の話型がいろいろ出てきて、
ものすごくおもしろかったです。
吉田敦彦さんのお弟子だそうで、
ナルホド、道理で、しっかりした研究内容。
後でノートを取っておこうかな。
巻末の参考文献リストを眺めては
次はどれにいこうかな、と楽しく迷っているところ。
とりあえず昨夜はHeidegger and ....を
ちょっと読んで、ゴキゲンに爆睡しました♪
●ともあれ………
やるべき事を、1つずつ
クリアーするの、大好きらしいです。
To Do リストを作って、
出来たところから
チェックマークを付けてくの、
好きなんだよなぁ。
達成感というの、
かなり脳内麻薬を誘発する
代物ですね。
昨日のハイな状態を始終キープするのは、
体力的にもしんどいのですが、
やれば何とかなる、というので
毎日前へ進めるものなのかもしれない。
今日の写真は、
昨日ウキウキして描いたイラスト一枚。
タイトルは、
「幸せの黄色い目玉焼き」
脳天気なパーソナリティーそのもの、か。
●修行、マイブームになってるかも。
師走を迎え、平常運転で仕事中……ま、例年の事ですが。
今年は早々とネット通販で年賀状印刷も出来、
とは言え、例によって宛名を手書きしないと
気が済まないので、保留中なんだが、ブツは
手元にあるので、その点安心。
来年の干支はお猿さんで、娘の年回り……なんで、
気合いを入れて自分でイラストを起こそうかなぁ、 と思ったんだけど、なんか、もう一つ可愛いのを
思いつかないので、既成テンプレートをアレンジ
するにとどまった。ま、いいか。
結構可愛い雰囲気なんで、気に入ってます。
それよりも、年末だと言うのに、
音楽と英語の修行に毎日忙しかったりする。
このままソーニョの忘年会前まで、
ジタバタやってるんだろうなー。
●磐田ではメサイア修行中
既に何度も本番ステージを踏んだ
曲ではあるんだけど、
やっぱり何度やっても、この曲集は楽しいし、
やっぱりヤル事がたくさんある。
宗教曲ではラテン語典礼文や
ドイツ語を歌う機会が圧倒的に多く、
英語は少ないわけだけど、メサイアは英語。
クラシック曲の英語は基本的に
イギリス英語なので、イギリスっぽく発音
するのを練習中。
11月の結婚式以来、今年はイギリス英語づいて
いるのだが、さらに歌っぽく母音を
使うために、あいまい母音(アとエの中間くらいの
ヤツで、発音記号では[e]のひっくり返ったヤツ。
辞書で確認していくと、実はこの母音、英語では
山ほど使われている事が分かる)をどの程度あいまい
なところでやるか、悩む。
第2部冒頭に来るBehold the Lamb of God(見よ、神の子羊を)に出て来るthat taketh away(世から取り去られた)の[away]の語頭の[a]がこのあいまい母音。
26番のAll we like sheep have gone astray(私たち人は、フラフラと勝手にさまよってっちゃう羊のようなものだ、というところ)の[astray]の冒頭の[a]もコレ。
どちらも、いわゆるアエイオウの母音で鳴らすのとは
ちょっと違うのが英語スピーキングだけど、歌では、
はっきり「ア」ではないにしろ、あんまりあいまいだと、
響きが前に飛ばない。
ま、大して目立つところでもないし、
そもそも英語には日本語にない母音もあったり
するんで、そうそう厳密には発音出来ないのだが、
歌として考えた時、きれいに鳴らせると
カッコイいよねぇ………というので、ただ今検討中。
[away]は、41番のLet us break our bonds asunderでも、
メリスマ導入部にあって、メリスマは[away]の[e]でタカタカ、タカタカ動く。これも難しい~(ToT)日本語っぽい「エ」になりやすくて、コワい。
かと思うと、ハレルヤコーラスのAを鳴らした後の減6下がりのC♯が浮きやすいから注意、とか、キッチリ、マエストロに聴かれてしまって、あわわ、注意、注意! と
慌てたり~。
てな感じで、昨日は、1部の終わりからハレルヤまで、
都合11曲も一気通貫された。またお腹空いた~(ToT)
●で、英語つながりで俳句校正中。
1日1句、3日で3句、3句進んで2句下がらない!
さらにその毎日俳句の日本語を
英語俳句にも翻訳しちゃおう、つーか、
英語俳句でもちゃんとした体裁に整えた
三行詩にしよう~!(≧▽≦)!
の試みも、ついに最後の月に突入。
先程、11月分の直しをして、
ブルガリア友のSさんにも分かりやすいように、
説明文をせっせと英作文したところです。
この試み、以前から1日1句で年365個の
俳句を作ってまとめてしまおう!
という驚異的な試みをなさっているYさんの
新しい試みで、なんと、ご自分の喜寿の祝代わりに、
自分で日英俳句365を作ってしまおう!
という超人的句集撰集。
日本語でだって毎日つくるなんて、
並みの人には出来ないワケで、
ワタシには絶対ムリ。
それを英語にするってんだから、
ホント、この大先達には頭が上がりません。
現在Yさんが作った英語俳句を、
SさんとワタシとYさんの三すくみ、じゃなくて、
鼎(かなえ)談合スタイルで、
ああでもない、こーでもない、と
やってるわけで、日本語の句や解説を読めない
Sさんに向けて、この句は、こういう雰囲気の情景で
あるとか、Yさんの食べたホッケというのは、
これこれこーいう魚である、とか、
あるいはYさんの菜園で採れたチンゲンサイとは、
これこれこーいうモノであるとか、
せっせと解説を施しているワケで。
いやもう、これでもか、と
英作文の嵐で修行中なのです。
1日1句の基本構造は、日々の暮らしの中で
出会った事を句にする、というものですから、
読んでいくと、そうか、この日は湯豆腐を
ハフハフ食されたんだなぁ、とか、
畑の野菜がよく実ったんだなぁ、とか、
この日はコンサートに行かれたのね、とか、
郷里岡山の叔父様の具合が悪くて心配なんだな、とか、
Yさんの毎日に寄り添っていくような感じがあって、
これが何とも楽しく、またいろいろ考えさせられたりする。
日本語で味わった句の行間を読んで、
そこに的確な英語を当てはめて、
英語ネイティブの人が読んでも、
オリジナル俳句の世界を体感してもらいたい、
という壮大な実験なんですが、
やっているうちに、
日本語の特徴的な部分も見えてきて、
そこがまた興味深い。
●日本語は、感情移入がハゲシイ!
ロボット工学の世界など技術系の世界でも
言われてきたことですが、日本人は
人間以外の機械やら動植物やらに感情移入して、
人間と同じように扱う傾向が強いデス。
ワタシも、自分のタブレットを
「タブちゃん」と呼んだりすることで、
なおいっそう親しみが湧き、大事にしよう、
と考えたりします。
日本ではロボット開発でも、
丹誠込めて作るそのロボットたちに
愛称をつけたり、親しく話し掛けたりして、
人間に近いモノとして愛情を寄せます。
古来八百万の神々が森羅万象に宿る、と
感じてきた多神教的土壌があるからかもしれませんし、
仏教的教えでも、人も動物も、輪廻の中で
生きる互いに身近な存在と考えるせいかもしれません。
この、人も機械も、動物も、植物も、
み~んな家族~(≧▽≦)的な考え方は、
欧米人にはちょっとハテナ?
のようで、キリスト教のように、
人とそれ以外の存在を厳然と分ける思想には
馴染まないらしいデス。
厳密に言うと、キリスト教ではいくら愛しい
ペットでも、人間と同じように死んだら天国に
行く………とは考えないんで、伝統的にはペットの
ためのミサを上げるって事はないようです。
けど、自分の家族同様のペットに対する思い入れは
欧米人だろうが日本人だろうが変わりはないんで、
「いいんだ、うちのコは人間と同じ扱いで!」と
割り切ったりしてるのかもしれません。
(教会モノのジョークで、人間でないペットに
ミサはあげられませんよ、と懇々と諭していた
神父サンが、もしあげてくれたら、大金を寄付するのに
なぁ、と言われて手のひらを返す、というネタが!)
で、英語を見ていると、人間に使える単語と、
人間以外のモノに使える単語に、厳然と境界線が
あったりするように最近思えてきました。
日本語では、例えば「大根足」と言ったりします。
白くてぷっくりした女性の足を、
福々しく太い大根に見立てているわけですが、
こういう表現を、そのまま英語に置き換え、
「大根のような足」と言っても、英語だと
なんか、違和感があるんですヨ。
無論、「大根」そのものが、海外ではあまり一般的で
ない場合も多いんですけど(ボストンでは、
ダイヤコーンか何かと呼ばれて、スーパーの
店頭にありましたけどネ)、一般的野菜だった
としても、そういう「見立て」に野菜が
使われる事はほとんどないように思えます。
あるいはもっと身近な例で探してみましょう。
ペットのワンちゃんやネコちゃんの
「おてて」、と言えば、つまり前脚を「見立て」で
言っていると、すぐ分かりますが、これが英語では
通用しない。犬猫の前脚は前脚であって、人間の「手」
とは別モノなんです。
とは言え、それじゃあ欧米人が全く感情移入する
事がないか、と言えば、そういうワケではありません。
自分の車に愛称をつけてたり、ペットに子供と同じ
ように話し掛けたりもします。
ただ、英語俳句のような、たった三行の
小さな詩の中で、瞬時に言わんとする
事を分かってもらうためには、日本的な
「見立て」をそのまま移入しても、
なんか、ヘン………な雰囲気になっちゃうのは
否めないようです。
日本語俳句の形式を踏襲するので、
基本的に5-7-5で、
単語数は極端に切り詰めなければなりませんから、
見た瞬間に、「ガッテン!」にならないと、
興ざめしちゃうんですよねぇ。
なもんだから、1単語で日本語の行間を
推し量れるようなモノを探し当てるために、
日々、ウーン、ウーンと唸るワケなのであります。
「これだっ!」
って言うのを見つけた瞬間が、そりゃあもう、快感デス。
それが見つかるまでは、
「修行だ。精神力だ。絞り出せ~!」
と自らをムチウチまくるわけで。
時折、
「あ~、どうしてこんな難しいモノに
関わっちゃったんだろう~(ToT)」
と頭抱えてのた打ってますが、
1句出来ると、「やった、やったのヤッターマン~♪」と
調子に乗る生来のお調子者なんで、
ま、続けられる、と。
あ~、
いつかこの修行の甲斐あって、
英作文の名手になれれば、
いいのになぁ……………_| ̄|○
師走を迎え、平常運転で仕事中……ま、例年の事ですが。
今年は早々とネット通販で年賀状印刷も出来、
とは言え、例によって宛名を手書きしないと
気が済まないので、保留中なんだが、ブツは
手元にあるので、その点安心。
来年の干支はお猿さんで、娘の年回り……なんで、
気合いを入れて自分でイラストを起こそうかなぁ、 と思ったんだけど、なんか、もう一つ可愛いのを
思いつかないので、既成テンプレートをアレンジ
するにとどまった。ま、いいか。
結構可愛い雰囲気なんで、気に入ってます。
それよりも、年末だと言うのに、
音楽と英語の修行に毎日忙しかったりする。
このままソーニョの忘年会前まで、
ジタバタやってるんだろうなー。
●磐田ではメサイア修行中
既に何度も本番ステージを踏んだ
曲ではあるんだけど、
やっぱり何度やっても、この曲集は楽しいし、
やっぱりヤル事がたくさんある。
宗教曲ではラテン語典礼文や
ドイツ語を歌う機会が圧倒的に多く、
英語は少ないわけだけど、メサイアは英語。
クラシック曲の英語は基本的に
イギリス英語なので、イギリスっぽく発音
するのを練習中。
11月の結婚式以来、今年はイギリス英語づいて
いるのだが、さらに歌っぽく母音を
使うために、あいまい母音(アとエの中間くらいの
ヤツで、発音記号では[e]のひっくり返ったヤツ。
辞書で確認していくと、実はこの母音、英語では
山ほど使われている事が分かる)をどの程度あいまい
なところでやるか、悩む。
第2部冒頭に来るBehold the Lamb of God(見よ、神の子羊を)に出て来るthat taketh away(世から取り去られた)の[away]の語頭の[a]がこのあいまい母音。
26番のAll we like sheep have gone astray(私たち人は、フラフラと勝手にさまよってっちゃう羊のようなものだ、というところ)の[astray]の冒頭の[a]もコレ。
どちらも、いわゆるアエイオウの母音で鳴らすのとは
ちょっと違うのが英語スピーキングだけど、歌では、
はっきり「ア」ではないにしろ、あんまりあいまいだと、
響きが前に飛ばない。
ま、大して目立つところでもないし、
そもそも英語には日本語にない母音もあったり
するんで、そうそう厳密には発音出来ないのだが、
歌として考えた時、きれいに鳴らせると
カッコイいよねぇ………というので、ただ今検討中。
[away]は、41番のLet us break our bonds asunderでも、
メリスマ導入部にあって、メリスマは[away]の[e]でタカタカ、タカタカ動く。これも難しい~(ToT)日本語っぽい「エ」になりやすくて、コワい。
かと思うと、ハレルヤコーラスのAを鳴らした後の減6下がりのC♯が浮きやすいから注意、とか、キッチリ、マエストロに聴かれてしまって、あわわ、注意、注意! と
慌てたり~。
てな感じで、昨日は、1部の終わりからハレルヤまで、
都合11曲も一気通貫された。またお腹空いた~(ToT)
●で、英語つながりで俳句校正中。
1日1句、3日で3句、3句進んで2句下がらない!
さらにその毎日俳句の日本語を
英語俳句にも翻訳しちゃおう、つーか、
英語俳句でもちゃんとした体裁に整えた
三行詩にしよう~!(≧▽≦)!
の試みも、ついに最後の月に突入。
先程、11月分の直しをして、
ブルガリア友のSさんにも分かりやすいように、
説明文をせっせと英作文したところです。
この試み、以前から1日1句で年365個の
俳句を作ってまとめてしまおう!
という驚異的な試みをなさっているYさんの
新しい試みで、なんと、ご自分の喜寿の祝代わりに、
自分で日英俳句365を作ってしまおう!
という超人的句集撰集。
日本語でだって毎日つくるなんて、
並みの人には出来ないワケで、
ワタシには絶対ムリ。
それを英語にするってんだから、
ホント、この大先達には頭が上がりません。
現在Yさんが作った英語俳句を、
SさんとワタシとYさんの三すくみ、じゃなくて、
鼎(かなえ)談合スタイルで、
ああでもない、こーでもない、と
やってるわけで、日本語の句や解説を読めない
Sさんに向けて、この句は、こういう雰囲気の情景で
あるとか、Yさんの食べたホッケというのは、
これこれこーいう魚である、とか、
あるいはYさんの菜園で採れたチンゲンサイとは、
これこれこーいうモノであるとか、
せっせと解説を施しているワケで。
いやもう、これでもか、と
英作文の嵐で修行中なのです。
1日1句の基本構造は、日々の暮らしの中で
出会った事を句にする、というものですから、
読んでいくと、そうか、この日は湯豆腐を
ハフハフ食されたんだなぁ、とか、
畑の野菜がよく実ったんだなぁ、とか、
この日はコンサートに行かれたのね、とか、
郷里岡山の叔父様の具合が悪くて心配なんだな、とか、
Yさんの毎日に寄り添っていくような感じがあって、
これが何とも楽しく、またいろいろ考えさせられたりする。
日本語で味わった句の行間を読んで、
そこに的確な英語を当てはめて、
英語ネイティブの人が読んでも、
オリジナル俳句の世界を体感してもらいたい、
という壮大な実験なんですが、
やっているうちに、
日本語の特徴的な部分も見えてきて、
そこがまた興味深い。
●日本語は、感情移入がハゲシイ!
ロボット工学の世界など技術系の世界でも
言われてきたことですが、日本人は
人間以外の機械やら動植物やらに感情移入して、
人間と同じように扱う傾向が強いデス。
ワタシも、自分のタブレットを
「タブちゃん」と呼んだりすることで、
なおいっそう親しみが湧き、大事にしよう、
と考えたりします。
日本ではロボット開発でも、
丹誠込めて作るそのロボットたちに
愛称をつけたり、親しく話し掛けたりして、
人間に近いモノとして愛情を寄せます。
古来八百万の神々が森羅万象に宿る、と
感じてきた多神教的土壌があるからかもしれませんし、
仏教的教えでも、人も動物も、輪廻の中で
生きる互いに身近な存在と考えるせいかもしれません。
この、人も機械も、動物も、植物も、
み~んな家族~(≧▽≦)的な考え方は、
欧米人にはちょっとハテナ?
のようで、キリスト教のように、
人とそれ以外の存在を厳然と分ける思想には
馴染まないらしいデス。
厳密に言うと、キリスト教ではいくら愛しい
ペットでも、人間と同じように死んだら天国に
行く………とは考えないんで、伝統的にはペットの
ためのミサを上げるって事はないようです。
けど、自分の家族同様のペットに対する思い入れは
欧米人だろうが日本人だろうが変わりはないんで、
「いいんだ、うちのコは人間と同じ扱いで!」と
割り切ったりしてるのかもしれません。
(教会モノのジョークで、人間でないペットに
ミサはあげられませんよ、と懇々と諭していた
神父サンが、もしあげてくれたら、大金を寄付するのに
なぁ、と言われて手のひらを返す、というネタが!)
で、英語を見ていると、人間に使える単語と、
人間以外のモノに使える単語に、厳然と境界線が
あったりするように最近思えてきました。
日本語では、例えば「大根足」と言ったりします。
白くてぷっくりした女性の足を、
福々しく太い大根に見立てているわけですが、
こういう表現を、そのまま英語に置き換え、
「大根のような足」と言っても、英語だと
なんか、違和感があるんですヨ。
無論、「大根」そのものが、海外ではあまり一般的で
ない場合も多いんですけど(ボストンでは、
ダイヤコーンか何かと呼ばれて、スーパーの
店頭にありましたけどネ)、一般的野菜だった
としても、そういう「見立て」に野菜が
使われる事はほとんどないように思えます。
あるいはもっと身近な例で探してみましょう。
ペットのワンちゃんやネコちゃんの
「おてて」、と言えば、つまり前脚を「見立て」で
言っていると、すぐ分かりますが、これが英語では
通用しない。犬猫の前脚は前脚であって、人間の「手」
とは別モノなんです。
とは言え、それじゃあ欧米人が全く感情移入する
事がないか、と言えば、そういうワケではありません。
自分の車に愛称をつけてたり、ペットに子供と同じ
ように話し掛けたりもします。
ただ、英語俳句のような、たった三行の
小さな詩の中で、瞬時に言わんとする
事を分かってもらうためには、日本的な
「見立て」をそのまま移入しても、
なんか、ヘン………な雰囲気になっちゃうのは
否めないようです。
日本語俳句の形式を踏襲するので、
基本的に5-7-5で、
単語数は極端に切り詰めなければなりませんから、
見た瞬間に、「ガッテン!」にならないと、
興ざめしちゃうんですよねぇ。
なもんだから、1単語で日本語の行間を
推し量れるようなモノを探し当てるために、
日々、ウーン、ウーンと唸るワケなのであります。
「これだっ!」
って言うのを見つけた瞬間が、そりゃあもう、快感デス。
それが見つかるまでは、
「修行だ。精神力だ。絞り出せ~!」
と自らをムチウチまくるわけで。
時折、
「あ~、どうしてこんな難しいモノに
関わっちゃったんだろう~(ToT)」
と頭抱えてのた打ってますが、
1句出来ると、「やった、やったのヤッターマン~♪」と
調子に乗る生来のお調子者なんで、
ま、続けられる、と。
あ~、
いつかこの修行の甲斐あって、
英作文の名手になれれば、
いいのになぁ……………_| ̄|○
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