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一年間の感謝を込めてエッセイを書きました。
またしばらくご無沙汰しました。大晦日です。波乱の1年でしたが、無事に新年を迎えられることに感謝しつつ、小さなエッセイを書きました。2017年度の「1日1句」日英俳句の本に監修者の1人として載せていただく予定です。
●書き続けること
今年も一年、英語俳句とともに駆け抜けることができ、嬉しい達成感とともに年末を迎えました。
ONE DAY ONE HAIKUの英訳アシスタントも、気がつけば、もう三年です。その間、日本語の俳句の持つ豊かな行間を、いかにして英語の中で表現することができるか、全ての句がチャレンジだったように思います。
無論、ネイティブスピーカーではないので、どうしても的確な語にたどり着けないもどかしさを感じることもままあり、Sさんという強力なバックアップがあることを心頼みに、何とか毎月続けてまいりました。
知の冒険、というと、大げさかもしれませんが、私にとっての英語俳句は、まさにそれであり、自分の限られた能力で何ができるのか、限界を超えていくことができるのか、苦しくもあり、また極上の楽しみでもあります。来る年もまた、楽しい冒険にお招きしていただくのをわくわくしながら待っています。
それにつけても、毎日毎日、珠玉の芸術作品を作り続け、かつ日々を心ゆくまで楽しんでおられるYさんには、脱帽するばかりです。
実はこっそり、毎日俳句に挑戦してみたことがあります。呻吟し、時にはうっかり忘れそうになり、それでも一月ほどは続けてみたのですが、これは我が任にあらず、とついに投げ出してしまいました。やはり、人はそれぞれその才で生きるのではないか、とYさんの春秋に触れるにつけ、思われます。継続こそ力なり、とよく言われますが、まさにその通りです。これがなかなか難しい。
私が続けていることと言えば、日記ぐらいです。結婚した当初から続けているもので、かれこれ二十七年くらいになります。当初は、お食事日記で、毎日食べたものをメモする程度でした。娘が生まれてからは育児日記、離乳食日記になり、次第にメモだけでは飽き足らなくなり、昨今流行りのエッセイ漫画ではないですが、漫画を添えたおもしろ日記に発展しました。(*エッセイ漫画は、昨今大変な流行を見せている漫画の一ジャンルで、テーマはガン闘病、妊娠、自閉症など、さまざまです。)
今では、家族が病気になれば、毎日の体調や食事の様子を書き、おもしろいエピソードがあれば、それを漫画にし、仕事の進み具合を書いたり、もらいものがあれば、それも欄外にメモしたり、と、ともかく何でもアリの日記帳になりました。
最初のうちは、結婚前からお食事メモを付けていた主人が主に書いていたのですが、そのうち面倒になってきたらしく、私にお任せ状態になり、今では、「あの仕事のゲラはいつ頃来たんだっけ?」とか、「去年歯が痛くなったのは、いつだったっけ?」とか、何でも日記をチェックして、いつ頃の出来事なのか確認するようになりました。家族の情報源として頼りにされるようになると、どんな細かいことでも書いておかないと、急場に間に合いません。
本来日記というものは、個人的なもので、家族で共有するようなものではないのですが、我が家の場合は、これが「掲示板」になっているようですね。日記の内容は、ごくごくありふれたもので、日記を日常的に書かれる方でも、あまりにささいな事であえて書かない程度のものかもしれません。書かなければ、多分、おぼろげな記憶の中で、「ああ、そう言えば、前にそんなことがあったなぁ。いつの話だったっけ?」とうやむやのうちに忘れてしまうようなことばかりですが、漫画ではその人の表情や、台詞がありますから、目にすればおもしろいもので、その当時に交わした会話の端々まで、鮮明によみがえってきます。今では我が家の日記帳シリーズは、すっかり家族の「愛読書」のような存在になり、時折古いノートを引っ張り出しては、家族で楽しんでいます。
Yさんの素晴らしい作品群に比べれば、何ともお恥ずかしいような日記帳ですが、多分、継続しているだけで、家族にとっては大切な記憶の積み重ねになっていくのではないか、と思います。
どんな小さなものでも、書くこと、書き続けることができるのは、人間に許された大きな特権です。日記をめくるたびに、ほんのささいな事柄を積み重ね続けて、家族というものが次第に形になっていくような気がします。新しい年を綴る日記は、果たしてどのようなものになっていくのでしょうか。これもまた、私のチャレンジの一つなのかもしれません。
·Writing May Empowered by the Spirits of Continuation
I am glad to welcome the year-end with happy sense of achievement with English haiku associated.
Already three years has passed with the job of assisting the edition. Through these years, every haiku I encountered was the challenge for me to brush up my English skills, reading between the lines of the original Japanese haiku, making it happen to create the suitable expressions with English.
Unfortunately, I am not a native speaker of English, those efforts are sometimes made me feel tormented and felt small while I was editing. With great support of Ms. S, I could convince me that I can proceed every month.
Editing English haiku is, not exaggerated I hope, undaunted challenge of wisdom for me indeed. Wondering whether I could complete this task with my limited abilities, or how I could overcome that limitation through my effort. English haiku is, let''''s say, a burden for my ability, though a burden with such bliss I cannot experience from any other things. I hope I will be invited to join this adventure of knowledge next year too.
That reminds me of the great effort of Mr. Y''''s life with creative minds. I admire his lively everyday life, I admire his tireless effort of creating artistic haikus every day.
Actually, I once challenged to write haiku every day. Moaning with labor, sometimes forgot to think about making, I could continue this effort without knowing anybody and I totally gave up in the end. Men will live with their own special talent. Mr. Y with haiku spirit, I, with probably another spirit. There is an old saying "Continuation is the might". I believe in this. Though it is really difficult to continue something, even though the subject of continuation was the best thing you want to continue.
The only thing I am making effort to continue is keeping a diary. This custom has been kept from the beginning of my married life until now, for about 27 years. First it started as a memo for every day''''s meal, after my daughter was born, the subject changed to her growth including baby food memos. While raising the child, the mere memos turned into a diary with one-framed “manga” expressing the daily events, the "manga essay" for my family. (*In Japan, one of the popular trends of manga is the type expressing the daily life with a touch of essay these days, and call them "essay manga". Subjects are varied from cancer survival, pregnancy, autism, and much more.)
When a family member is poor in health, the diary turned into caring memos including every meal how much he/she could eat with their medical conditions. When something funny or happy events occurred, the manga will show its worth with drawing a funny scene. Or I could memo the progress of our writing works, keep the memo of the gifts which someone gave us. Well, my diary includes everything.
For the first few years, the diary kept mainly by my husband since he kept his meal memos before our marriage.
However, he was tired of writing diaries, and when I started the manga diary, he was happy to read them and check what it said such as "When the last galley proof came?" or "When was the last dentist check with tooth pain last year?" and so on. For his information also, I have to keep my manga diary and make sure all the family member can check and learn what they need.
A diary may very private by nature in the common sense, and usually not shared by family members. So our diary is totally peculiar but special for us like a family bulletin board. The contents are really nothing but daily life. Probably most of the diary keepers do not dare write those simple things. Those things are easily forgotten if you don''''t write and sometimes you will recall the event vaguely and wonder what and when that was. But with manga expressing the person''''s look with the actual speech of that moment, you can remember the scene pretty clearly. Our diary series are now our family''''s best-read book in the shelf and we sometimes read old diaries in turn and smile together.
It''''s really a small and not artistic writings compared to the brilliant arts of Mr. Y, though, I believe it will be the most precious memorial accumulation of our history.
Actually, It''''s our great privileges to write, continue to write something. While I''''m reading the diary, I recognize, through those records of trivial piles of every day’s event the family itself has been created year after year and I wonder how the next year''''s diary will be. The diary is also a great challenge of my life.
●書き続けること
今年も一年、英語俳句とともに駆け抜けることができ、嬉しい達成感とともに年末を迎えました。
ONE DAY ONE HAIKUの英訳アシスタントも、気がつけば、もう三年です。その間、日本語の俳句の持つ豊かな行間を、いかにして英語の中で表現することができるか、全ての句がチャレンジだったように思います。
無論、ネイティブスピーカーではないので、どうしても的確な語にたどり着けないもどかしさを感じることもままあり、Sさんという強力なバックアップがあることを心頼みに、何とか毎月続けてまいりました。
知の冒険、というと、大げさかもしれませんが、私にとっての英語俳句は、まさにそれであり、自分の限られた能力で何ができるのか、限界を超えていくことができるのか、苦しくもあり、また極上の楽しみでもあります。来る年もまた、楽しい冒険にお招きしていただくのをわくわくしながら待っています。
それにつけても、毎日毎日、珠玉の芸術作品を作り続け、かつ日々を心ゆくまで楽しんでおられるYさんには、脱帽するばかりです。
実はこっそり、毎日俳句に挑戦してみたことがあります。呻吟し、時にはうっかり忘れそうになり、それでも一月ほどは続けてみたのですが、これは我が任にあらず、とついに投げ出してしまいました。やはり、人はそれぞれその才で生きるのではないか、とYさんの春秋に触れるにつけ、思われます。継続こそ力なり、とよく言われますが、まさにその通りです。これがなかなか難しい。
私が続けていることと言えば、日記ぐらいです。結婚した当初から続けているもので、かれこれ二十七年くらいになります。当初は、お食事日記で、毎日食べたものをメモする程度でした。娘が生まれてからは育児日記、離乳食日記になり、次第にメモだけでは飽き足らなくなり、昨今流行りのエッセイ漫画ではないですが、漫画を添えたおもしろ日記に発展しました。(*エッセイ漫画は、昨今大変な流行を見せている漫画の一ジャンルで、テーマはガン闘病、妊娠、自閉症など、さまざまです。)
今では、家族が病気になれば、毎日の体調や食事の様子を書き、おもしろいエピソードがあれば、それを漫画にし、仕事の進み具合を書いたり、もらいものがあれば、それも欄外にメモしたり、と、ともかく何でもアリの日記帳になりました。
最初のうちは、結婚前からお食事メモを付けていた主人が主に書いていたのですが、そのうち面倒になってきたらしく、私にお任せ状態になり、今では、「あの仕事のゲラはいつ頃来たんだっけ?」とか、「去年歯が痛くなったのは、いつだったっけ?」とか、何でも日記をチェックして、いつ頃の出来事なのか確認するようになりました。家族の情報源として頼りにされるようになると、どんな細かいことでも書いておかないと、急場に間に合いません。
本来日記というものは、個人的なもので、家族で共有するようなものではないのですが、我が家の場合は、これが「掲示板」になっているようですね。日記の内容は、ごくごくありふれたもので、日記を日常的に書かれる方でも、あまりにささいな事であえて書かない程度のものかもしれません。書かなければ、多分、おぼろげな記憶の中で、「ああ、そう言えば、前にそんなことがあったなぁ。いつの話だったっけ?」とうやむやのうちに忘れてしまうようなことばかりですが、漫画ではその人の表情や、台詞がありますから、目にすればおもしろいもので、その当時に交わした会話の端々まで、鮮明によみがえってきます。今では我が家の日記帳シリーズは、すっかり家族の「愛読書」のような存在になり、時折古いノートを引っ張り出しては、家族で楽しんでいます。
Yさんの素晴らしい作品群に比べれば、何ともお恥ずかしいような日記帳ですが、多分、継続しているだけで、家族にとっては大切な記憶の積み重ねになっていくのではないか、と思います。
どんな小さなものでも、書くこと、書き続けることができるのは、人間に許された大きな特権です。日記をめくるたびに、ほんのささいな事柄を積み重ね続けて、家族というものが次第に形になっていくような気がします。新しい年を綴る日記は、果たしてどのようなものになっていくのでしょうか。これもまた、私のチャレンジの一つなのかもしれません。
·Writing May Empowered by the Spirits of Continuation
I am glad to welcome the year-end with happy sense of achievement with English haiku associated.
Already three years has passed with the job of assisting the edition. Through these years, every haiku I encountered was the challenge for me to brush up my English skills, reading between the lines of the original Japanese haiku, making it happen to create the suitable expressions with English.
Unfortunately, I am not a native speaker of English, those efforts are sometimes made me feel tormented and felt small while I was editing. With great support of Ms. S, I could convince me that I can proceed every month.
Editing English haiku is, not exaggerated I hope, undaunted challenge of wisdom for me indeed. Wondering whether I could complete this task with my limited abilities, or how I could overcome that limitation through my effort. English haiku is, let''''s say, a burden for my ability, though a burden with such bliss I cannot experience from any other things. I hope I will be invited to join this adventure of knowledge next year too.
That reminds me of the great effort of Mr. Y''''s life with creative minds. I admire his lively everyday life, I admire his tireless effort of creating artistic haikus every day.
Actually, I once challenged to write haiku every day. Moaning with labor, sometimes forgot to think about making, I could continue this effort without knowing anybody and I totally gave up in the end. Men will live with their own special talent. Mr. Y with haiku spirit, I, with probably another spirit. There is an old saying "Continuation is the might". I believe in this. Though it is really difficult to continue something, even though the subject of continuation was the best thing you want to continue.
The only thing I am making effort to continue is keeping a diary. This custom has been kept from the beginning of my married life until now, for about 27 years. First it started as a memo for every day''''s meal, after my daughter was born, the subject changed to her growth including baby food memos. While raising the child, the mere memos turned into a diary with one-framed “manga” expressing the daily events, the "manga essay" for my family. (*In Japan, one of the popular trends of manga is the type expressing the daily life with a touch of essay these days, and call them "essay manga". Subjects are varied from cancer survival, pregnancy, autism, and much more.)
When a family member is poor in health, the diary turned into caring memos including every meal how much he/she could eat with their medical conditions. When something funny or happy events occurred, the manga will show its worth with drawing a funny scene. Or I could memo the progress of our writing works, keep the memo of the gifts which someone gave us. Well, my diary includes everything.
For the first few years, the diary kept mainly by my husband since he kept his meal memos before our marriage.
However, he was tired of writing diaries, and when I started the manga diary, he was happy to read them and check what it said such as "When the last galley proof came?" or "When was the last dentist check with tooth pain last year?" and so on. For his information also, I have to keep my manga diary and make sure all the family member can check and learn what they need.
A diary may very private by nature in the common sense, and usually not shared by family members. So our diary is totally peculiar but special for us like a family bulletin board. The contents are really nothing but daily life. Probably most of the diary keepers do not dare write those simple things. Those things are easily forgotten if you don''''t write and sometimes you will recall the event vaguely and wonder what and when that was. But with manga expressing the person''''s look with the actual speech of that moment, you can remember the scene pretty clearly. Our diary series are now our family''''s best-read book in the shelf and we sometimes read old diaries in turn and smile together.
It''''s really a small and not artistic writings compared to the brilliant arts of Mr. Y, though, I believe it will be the most precious memorial accumulation of our history.
Actually, It''''s our great privileges to write, continue to write something. While I''''m reading the diary, I recognize, through those records of trivial piles of every day’s event the family itself has been created year after year and I wonder how the next year''''s diary will be. The diary is also a great challenge of my life.
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