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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

カテゴリー「ともだち」の記事一覧
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I am really delighted to receive your blessings for my 56th birthday through Facebook and messages!  Thank you all!  You guys are really marvelous!

Facebook並びにメッセージで、私の56回目の誕生日にお祝いを寄せていただき、本当にありがとうございました!
素晴らしい友人に恵まれていることに感謝デス!

For me, my 55th year was a special year.

私にとって、55歳というのは、実は特別な
思い入れのある年でした。

My mum passed away when she became 55 with cerebral infarction 13 days after her 55th birthday.  I and my dad were so shocked with her sudden death and kept struggling to overcome her death for almost 3 years.

私の母は、55歳の誕生日を迎えた13日後に、
脳梗塞でこの世を去りました。
私と父は、母の急逝に大きな衝撃を受け、
その後3年程は、母の死を乗り越えようと、
あがき続けました。

And my dad (now he was gone, too ) was always worried about my health since then,  because my characteristics and everything are too resemble to Mum.  Well, that was natural since I share the half of her genes, so the same physical problems may occur.  And my secret wish was this:  Get over the 55 years which my mum could not accomplish, with good health and try to be happy everyday.

そして父は(今では父も亡くなりましたが)
母の死後、常に私の健康を心配ばかりしていました。
性格も何も、母にそっくりな私が心配でならなかった
のでしょう。親子ですから、遺伝子も半分もらって
います。同じような健康問題が起こる可能性は
十分あります。
そんなわけで、人にはあまり言ったことは
ありませんが、私の長年のひそかな願いはコレ。

母が超えられなかった55歳という年を
健康に超え、かつ、毎日ゴキゲンで過ごすこと。

And now I went over my year of 55 and delighted to challenge the 56th year with vigor.  I am sure my parents are relieved and smiling in the heaven together for seeing me walk further with happy strides with every friend supporting my days.

そして今、無事に55歳という年を超え、
56歳という年に元気いっぱいで挑戦できる
ことを、とっても嬉しく思っています。
両親も天国で、ホッとしながら、ニコニコ
見守ってくれてるんじゃないかな~(≧▽≦)
と思います。だって、私の歩みの一歩一歩を
をささえてくれる
ステキな友達がいますものね。

Thank you again for your heartfelt wishes!

皆様の心温まるお言葉に、感謝!


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●甘かった………(-_-;)

お互いスマホがあるから、簡単に会えるだろー、
とタカをくくっていたカナダの友人Craigが、
ちゃっかり迷ってくれましたー。

共通の友人であるH崎さんのお見舞いを兼ねて、
実に17年ぶりくらいに静岡にやってくると言うので、
楽しみに待ってたんですが~、

10年ぶりくらいに来ても、私より
ずっと道に詳しく、サクサクこちらを案内
してくれちゃったりする超絶方向感覚を誇る
Torbjornと似たよーなもんだ、と何となく
思い込んでいましたが(どっちも寒い国から来る
スパイならぬ友達!)、

「迷っちゃって、あっちに行ったりこっちに
行ったりしちゃったよー」………て、もしもし、
それは迷子の基本でしょーがっ!
言われた場所から動かないの!(ああ、母親の気分)

元々、静岡に住んでた頃から、ほとんど日本語を
覚えようとしなかった人なんで、
「改札口」の「カイ」と、「東海道線」の「カイ」で
混乱しちゃったんだって。

そ、そー言われてみれば、
同じ発音だネ………そうかぁ、そんな風に
認識したこと、なかったヨ(^。^;)

日本人は、「かいさつぐち」と聞けば、
自然と「改札口」という漢字で認識するから、
絶対「トーカイ」の「カイ」と間違えることはない。
ナルホド、サウンドだけで聴いてる外国人には、
わけわかんないんだぁ。ちゃんとticket barrierとか
書いてやれば良かったのだが、咄嗟にその英語が
出て来なかったんで、ま、いいや、分かるだろう、と
Kaisatsu-guchiとかメールに書いてしまったのが
失敗だったな。

日本に住んでたんだから(それも、かなり長い!)、
少しは漢字も覚えればよかったのにぃ、と
話してたんですが、最初に日本に来た時、
小さい頃から、どんどん漢字を覚えて、
子供でも3,000字は覚えないと使い物にならなくて、
さらに大人になると、もっともっと大量に覚えないと
日本語は使えない、と言うのを知って、

「………ウソだろ? ムリだよ、ムリ!
絶対ムリだから!_| ̄|○」

と漢字学習を放棄しちゃったんですネ~(^_^;)

おっかしいなぁ、ESSの専門家として、
今も毎日せっせと人に英語を教えてるくせに、
他の国の言葉はダメなのかい!
カナダ人なので、他には多少フランス語が
出来るんだけど、どーも日本語とは相性が
悪かったらしい。

●ともあれ、何とか出会えたので、駅前のTully''sでお茶会

時間を取って、3人でご飯したいね、と
H崎さんと言ってたんだけど、
いざ、久しぶりの来日となると、
毎日のようにいろんな友達と会う約束が
入ってしまって、ディナーはムリに。

で、お茶会となったわけですが、

話し始めてみると、
あれやこれや、話す事ってたくさんあるものだねぇ。

ちょうどお茶会直前も、英語俳句の校正を
やってたりしたもんだから、これこれこういう
仕組みの詩で、5-7-5だから、トータルで17個前後しか
単語を使えないので、これだ、という単語を
見つけ出すのが、苦しい………けど楽しい、とか、

前に書いたスペリング本の表紙を
スクリーンショットした奴を見せて、
単語の語源を調べて解説するのが
おもしろくて、例えばWednesdayの
語源が北欧神話のWodinから来てるために、
[d]を真ん中に入れるのだ、みたいな事を
書いた話などでウケを取りました。

「昔教えた日本人の生徒さんたちも、
みんなウェドネスデイって言って覚えてたネ~。僕もそうだったなぁ(^_^;)」
みたいな話が出た。ニャルホド、世界的に
みんな、そーやって覚えてるんだな、
ウェドネスデイ。

だいたい英語のスペリングっての、
例外、例外、例外の嵐で、
てんでシステマチックでない。
いろんな言語から借入した言葉だらけ
だから、いろんな言語のルールに則った
スペルを踏襲してる。

過去に何度か、英語の書き方ルールに統一
しよう、という動きもあったんだけど、
てんでうまくいかず、今に至る………という歴史が
あるんで、一朝一夕には、この例外だらけルールは
改定されない。仕方ないんで、みんなウェドネスデイ
と呟きながら書く、と。

●年寄りの自覚を持たないとネ~、の話をした。

Craigは私より4つ下で、やっと50sになって
1年目なのだが、友達と話すことは、
「もう若くはないんだ、とちゃんと認めて、
そこから先の人生をどう楽しんでいくか」
みたいになっているのだそうな。

自分たちの親の世代は
そろそろ80代で、そのほとんどが
これから先10年も20年も、
元気はつらつで「イエーっ!」みたいな
ワケはないのであり、

彼らが去った後は、彼らの子供である
自分たち世代が、「老人」と呼ばれる世代になる。

当たり前のことなんだけど、
その当たり前を受け入れてadmitするのには
抵抗がある。他人と比較して、
「アイツよりは、俺の方が若く見える」と
胸をなで下ろしたりしてみても、
だからと言って、自分の年齢が若返るわけではない。

気持ち的には、まだ30代や40代の尻尾を
付けているのが50代で、「まだ若い」とか
思っている。「まだ」が付いた時点で、
もう若くないんだけどさ。

Craigが言うには、20代や30代の自分を
振り返って、そのいたらなさを冷静に
受け止められるようになったところが、
折り返し地点なんじゃないかな、との事。

うーん、確かにそうかもしれないネ。

若い頃は、自分の人生なんだから、
自分の自由意志でなんとかしてやろう、
と躍起になってあがいていたけれど、
なかなか思い通りにはいかなくて、
自分を責めたり、周りを責めたりして
ひどく苦しがっていた。
後になって振り返ってみると、
結局のところ、自分の人生は、
自分だけで決めて築き上げてきたわけじゃなくて、
さまざまな要因が複雑にからまりあって、
自分の意志を超えたところで、
今の、あるべき道に導かれてきているんじゃないか、
と思えるようになる。
悩んだり苦しんだりした事にも、
何か大事な意味があったのかもしれない。
若い頃は、これが自分の生きる道なんだ、
と闇雲に思い込んでいた事も、
今思えば、自分で自分をごまかして
いたのかもしれない。

………とまあ、そういう話をしてたんですけど、
何か、天の見えざる配剤みたいなものに、
素直に目を向けられるようになる、というのが
よく年を取る、という事なのかもしれないネ。

Craigの子供の頃、80のおじいちゃんが、
「人生の前半の40年よりも、後半の40年の方が、
もっともっと楽しい。わしは今、楽しくて仕方ない」
とニッコリ話してくれて、その時は「ウソだろ?」と
思ったけど、今になってみると、そういう人生の方が
価値があるのかも、と思えるようになったんだって。
そのおじいちゃんは、彼にこう語った翌日、
大往生を遂げたそう。人生、今が一番の花、
という気持ちで逝けるなんて、なんて幸せな
おじいちゃんだろう。

日々学生たちと接している彼は、
学生たちから若さを分けてもらっている感じで、
それはそれで、老け込まないんでいいんだけれど、

今、自分が人生に対して抱いている感慨は、
決して彼らとは共有出来ないんじゃないかな、
とも言っていた。Craig自身も、若い時には、
年寄りが長い年月の間にやっと悟った
年を取る事の意義なんか、気付きもしなかったから、
若者たちに、それを悟れとは言えない。
それが分かった時は、もう人間は
肉体的なターニングポイントを越えてしまっている。

若さの絶頂期に、精神も絶頂期を迎えられれば
いいのにねぇ~。なかなか自分の思い通りには
ならないのが、人生ってヤツの醍醐味なのかな。

ともあれ、こんな話が出来る友達が
いる、っていうのは、人生が与えてくれた
大切な宝物だ。

次はいつ会えるか、てんでわからないけれど、

遠い海の果ての国に離れて暮らしていても、
ネットもメールもあるという有り難い時代のおかげで、
keep in touch出来る。

朋アリ遠方ニテ頑張ッテイルノダ。
こちらも頑張って生きないとね。
●大分しばらくぶりの更新です。

アリス草薙と結婚式フィーバーの後、ず~~~っとご無沙汰で、
「そろそろ催促をしようと思っていたところデス」と
先日もI東クンに脅し(?)を入れられたところでしたが、
な~んか、書くネタが出て来なかったというか、
何というか。

スケジュール帖を見直してみたら、
演奏会の後、日本語校正と英語校正の嵐が
続いていたみたいでーす。

そうか、忙しかったんだな、アタシ。

うんうんo(^-^)o

………風邪も引いたしねー(T_T)

●で、大忙しの波は、一旦引いた。

が、年末から年明けにかけて、
また地獄の校正ウィークがあるよーで、
里帰りする娘をも巻き込んで、突貫工事となる予定デス。

………なんか、毎年、年末年始は
突貫工事だなぁ‥……(^_^;)

で、まあ、時間のある時に集中して、
自分の書きたいモノを書かないと、
いつまで経っても終わらないので、
コソコソと書いているんですが。

年内にともかく、
最後まで行き着く!

と、自分で締切を決めてみた。

締切がないと、いつまでもダラダラ
やってるんだよなぁ。

ちなみに、夏に受けた通訳案内士筆記試験は、
予想通り、歴史だけ合格してました♡
来年受験し直すと、歴史のテストは1回免除になるので、
お得デス。

けど、余裕がなくて、地理も一般常識も、
な~んも勉強してまへん。

ヤバい。

年明けから気合い入れ直しだ!

奇跡が起こって筆記試験全てが合格になって
いた場合、今頃は実技試験でパニックになって
いたハズで、この忙しさでは、到底パニックに
至る程準備が出来なかったと思いますので、
逆に、通らなくてラッキーだった………と、
思うことに決めた! 決めたんだってば!

うーむ、空しいな(-_-;)………。

●で、今日は恒例のコーラちゃんデート♡

校正の嵐の最後辺りに、コーラちゃんからも
英語校正の依頼があり、そのお仕事のお礼も
兼ねて、ごはんに行こう!
と誘われまして、

清水駅前銀座通りにある「はしもと」へGO!

いつもは、いろいろお土産をもらうばかりなので、
今回は久々に小豆カイロを作りました。



先日手のひらに不具合が出て手術したので、
仕事の時のアームレスト代わりになるかな、と
思って作ってみたのですが、
「あ、早速アイマスクにしてみよう」
との事。さすが、専門家。すぐに自分の身体で
実験するとこなんか、うちの父と一緒でアル。



こちらは、豪華な突き出し。

突き出しというよりは、コース料理の
1品目っぽい。
三ヶ日ミカンのスパークリングワインと一緒に
ハグハグしたのですが、ミカンなんで、
お料理に対してちょっと甘い!
という感じで、すぐに日本酒にチェンジ。

地元の銘酒が勢揃いしてて、どれにしようか
迷ったんだけど、結局磯自慢と初亀をグビグビ。
2人で3合ほど頂き、ホワホワ~(≧▽≦)









合鴨ロースも、豚角煮も、太刀魚のポテト巻も絶妙で、
そして、アンキモがやたら分厚かった!



初めて食べたのが、鯵の雷豆腐というヤツ。



お豆腐の上に、鯵と天かすが載っていて、
これまた後を引いた。

どれもこれも美味しくて、
2人で「美味しいネ、美味しいネ」と
舌鼓を打っていましたが、何と言っても、
金目鯛の唐揚げの汁浸しが♡♡♡♡
トロトロの眼肉まで美味しく頂きました~!



締めは、「これが食べたい」と駄々をこね、
いくら丼(小さいのです、小さいの! 大もあったけど、
ガマンした!)。



はあぁぁ、堪能したぁ!
美味しかった~(≧▽≦)

で、大いに盛り上がり、
ああでもない、こーでもない、と
おしゃべりし倒し、ハッ、と気づいたら、
2時間半も食べながらしゃべっておった。

で、例によって、またお土産ももらってしまった。
今回のお土産は、見せた途端に、
「これ、アタシの~! アタシの~!」と、
娘が握って離さないよーな可愛いサンダルとか
ジーンズがメインであり、どーも私の手元に
残りそーなのは、こちらの写真のブツだけのよーな
具合である。



英英辞典ならまだしも、仏仏辞典なんだよな、コレ。(-_-;)

こんなもの、まともに引けるよーになる日が、
いつか来るんだろうか。
●ついに、華燭の典、大挙行~(≧▽≦)

まずは、おめでとうの嵐を
最高のカップルMiena & Georgeに!
拍手~~~ヽ(^0^)ノ



そして、はるばる日本に駆け付けてきた
Georgeのご家族様にも拍手~!



さらに、いつも楽しいMiena Familyに拍手~!



●思い起こせば、このご一家との出会いは保育園であった。

ご縁をいただいたのは、娘が入園した
うちから歩いて2分の聖母保育園。
清水カトリック教会内にありまして、
その頃娘らは、小さな手を合わせて、
カタコト交じりの主の祈りなんか唱えていたものでした。
うちのは、その後大学に入るまでキリスト教とは
ご縁がなかったんで、お祈りの言葉はすっかり
忘れていたようですが~σ(^_^;

ともあれ、その保育園で、娘のお世話をしてくれた
優しい年長さんがMienaちゃんでした。
保護者会の会長さんだったお父さん、
その跡目を相続(?)した相方とともに、
家ぐるみのおつきあいが始まりました。

その後、お母さんのいくちゃんがリーダー
となって始まったスキップファミリーという
グループが出来まして、
主婦仲間で取材した県内の遊び場を
イラスト満載の本で紹介するという
「遊び場ガイド」なるものが出版されました。

で、どういうわけか、
そこで山ほどイラストを描かされるという羽目に
陥り、以来、なぜか郁ちゃんの頼みは断れない………
という、蛇に睨まれた可哀想なカエル状態に(ウソ)。

今回の結婚式では、かなり以前から
この日は出席して、ついで(なのか?!)に
通訳して、と厳命されており、
えーとその、ワクワクっつーか、
ドキドキしながら、その日を迎えたのでありました。

※ちなみに、このご一家でだけ、かなり古いあだ名
「うりょちゃん」というのが通用している。
Mienaちゃんにもしっかり伝染しているのだが、
幸いまだGeorgeにはバレていない。まあ、バレても
発音しづらいだろう、とタカをくくっている。

だがしかし、うっかり新しいメアドを教えてしまい、
その由来が、母が昔付けたあだ名であることをバラし
てしまったので、既にウケは取ってしまったがσ(^_^;

私の名前の発音は、実は英語にはないモノでして、
昔っから、発音を英語ネイティブに教えるのが難しい。
ローマ字表記に従って発音するのは、まず不可能。
許容範囲ということで、lee-yokぐらいでいいヨ、と
最初はお願いします。そのうち言い慣れてちゃんと
言えるようになったりするのが、不思議なんだけど。

……閑話休題。

●あったかファミリーのあったかぁい結婚式

上の写真にある豪華な雰囲気のお寺本堂、
Mienaのおじいちゃんがご住職をなさっている
お寺です。お式では、おじいちゃん・おじちゃん・いとこさんの三代のお坊さんたちが荘厳な雰囲気の中、
お経を唱えられ、めでたく指輪の交換も
行われました。

Georgeのお母さんと妹さんは感激されたのか、
もうお式が始まる前からジィーンとなっていて、
2人で肩寄せ合いながら、ずっと泣いていた。

お父さんも、こみ上げてくるものがあったのか、
涙ぐんでいる。うう、あったかいファミリーや。

実はこのご家族、Georgeが子供の頃に別れてまして、
お父さんお母さんは、それぞれ別のパートナーと
暮らしている。日本では少ないけど、欧米では
結構多いかな。

ご家庭によって事情は異なるのでしょうけど、
夫婦としてはうまくいかなくなってしまったけれど、
人間として、友達としては認め合っていて、
子供たちの成長をあたたかく見守ってくれている。

長い年月の間には、いろいろ葛藤もあったのでしょうけれど、
だからこそ、息子が愛する人を見つけ、新しい船出を
するこの日を、とても大切なものに思っている、
というのをひしひしと感じました。

●場所を移して盛大な披露宴!

まずは2人の成長記録を追った記録フィルム仕様の
ステキな映像上映。主演MienaとGeorgeって感じです。

これを見て、またGeorgeの両親がウルウルに
なっていて、うん、うん、そうでしょうとも、と
私も心の中でしきりに頷いてしまいました。

うちの娘が結婚する、なんて言い出した日には、
きっと自分もウルウルだろうなぁ。

今回の披露宴は、余興は一家揃っての演奏のみ。
(父と息子のギターデュオに、母のフルート、
さらに兄嫁といとこさんの歌! 多才な一家です)

スピーチは中高のお友達1名と、Georgeのお父さんのみ。
私のお役目は、このお2人の通訳サポートです。
(Mienaパパのスピーチ通訳は
Mienaちゃん。他に新郎新婦のスピーチもありましたが、こちらは、
ロンドンのお友達で、日本語・英語・ドイツ語を駆使するtrilingualな
ステキな女性が通訳サポート)

アメリカ留学中に知り合ったという、日本人の現代アートを
やられているお嬢さんが披露宴ではカメラマンとして
大活躍。

なんと言いますか、親しい人々が、親族も友達も、
それぞれお役目を与えられ、しっかりこの日を
盛り上げる一翼を担っているという感じで、
みんなが楽しみながら、全力投球でカップルを
サポートする、という感じでしたネ。

いくちゃんのお姉ちゃんの、ともいちゃんにも、
多分20年ぶりくらいかな? で会いましたが、
相変わらず元気いっぱいに、ゲスト名簿持って
取り仕切っていて、お互いに「変わらないネ~(≧▽≦)」
と驚いた、と。

●で、懸案の翻訳業務ですが。

スピーチ担当者お2方にご迷惑をかけ、
前もって(つーか、結局前日になったが、まあ、
そんなもんでしょう。こういう心情溢れるものは、
なかなか文章にまとめるのが大変だものね)原稿を
メールしてもらったので、私としては、
すっごく助かりました!

その場しのぎでなく、ちゃんとやりたい、
という気持ちも強かったので、前もって
お2方の文章をじっくり拝見して翻訳し、
本番で噛まないよーに、朗読練習もせっせと
やってしまった。

披露宴が始まるまでに少し時間的な余裕もあったので、
お2人とそれぞれ打ち合わせも出来たので、
タイミングの取り方も悪くなかったと思いますが、

えーとその、予想以上にお2人とも
こみ上げちゃって、涙・涙のスピーチになりました。

うん、そうだよね!(^-^;)

私も朗読練習しながら、
あ~、私も、親友の結婚式で代表スピーチになったら、
あんなこともあった、こんなこともあった……と
いうのがブワッと目の前に浮かんじゃって、
言葉にならないかもしれない。

娘の結婚式なんて言ったら、
スピーチ前にフィルムで小さい頃なんか
見て、昔がよみがえり、あんなこと、こんなこと、そんなこと、ああだこうだ、とそれこそ思い出の波に
ドンブラコッコしてしまうに違いない!

とかとか、スピーチを書いたお2人の気持ちを
推し量っては、どう読んだら、その気持ちが
うまく伝わるかな……と考え込んじゃいました。

せっかくのお2人の気持ちが、
日本語でも、英語でも伝えられるといいな。

とりあえず、出来うる限りのことをしよう。
至らないけど、ベストを尽くそう。
そう思いつつ、マイクを握りました。

幸いにして、会場の皆さんに、
お2人の心を伝えるお手伝いが何とか出来たようです。
その場で、ささっ、と原稿を見ないで訳すことが
出来れば、もっと格好いいんですけどネ~σ(^_^;

まあ、自分なりのベストです。


↑友人代表スピーチ


↑Georgeパパさんスピーチ


↑お寺でのお式次第解説集

●オマケ写真集







Mienaパパ作成のWelcomeシリーズ。ほんまに
器用な人や………。設計士さんなので、
なんでもさささっと設計してしまう。
この前お宅に伺ったら、ものすご可愛いトカゲさん
シリーズのペーパークラフトがあった。
ウルトラシリーズとかゴジラシリーズも、
言えば、チャッチカ作ってくれそう。

引き出物というか、お土産シリーズ。
凝りに凝ってます!





イギリスのアフタヌーンティーを
イメージした美味しそうなものシリーズで、
さりげなく名前入りになってたりする。





Fortunum & Masonの紅茶は、
その名も「ウェディング・ブレックファースト」。
パッケージの説明によると、ウィリアム王子と
キャサリン妃の結婚を記念して作られた
スペシャルブレンドだとか。





お気に入りは、
鏡開きしたお酒を入れる升と、

披露宴のお席に置かれたカードホルダー。
ちゃんとG & Mマーク。
これ、ちょうどpaperweightになるな♡

さらに、こんな手作り品も。



手作りハーブにカード添え。
イギリスの言い伝え通り、花嫁に贈られる
縁起物が書いてあり、ちゃんとハーブの
中に6ペンスが入っています。



そして、究極にうれしいのは、
2人が、ゲスト1人1人にしたためた
御礼のカード。

これ、出来そうで、なかなか出来ないよネ!

ファミリー揃って手作り上手な人々ですが、
そんな温かい気持ちのこもった特別な日に、
友人として参加できて、本当に幸せでした。

愛しあうこと、
そして、
愛し続けることを
2人はきっといつまでも忘れないでしょう。

おめでとう!






●台風18号が静岡市清水区を直撃した!

というニュースが、
10月6日(月)のNHK7時のニュースのトップを飾って(?)しまったので、

あちこちからお見舞いの
メールを頂きましたー!

普通、うちのとこより
台風でエラい目に遭う
沖縄のCさと、四国の
みーちゃんから「大丈夫?」メールが入り、

続いて埼玉の叔父、
千葉にお住まいの
Berklee先輩H乃さんからも!

皆様、
ご心配をおかけしました。
どうもありがとうございます!

台風被害でトップニュース、というのも、なんだかなぁ、
ですが……(^_^;)

http://www.at-s.com/news/detail/1174129990.html

静岡新聞でも、あちこちの
被害状況が挙がっており、
所によっては、
「ちびまる子ちゃん」でも
紹介された、かつての
「七夕豪雨」に匹敵する
被害が出たようです。

①さった峠辺りの山崩れは、
「ああ、ヤッパリね……」
という気はしますが、
(何しろ昔から何度も
山崩れがあった所で、
「東海道の親不知」とか、
ネットニュースでも書かれていた。広重が描いた富士山の絶景ポイントである峠の下の方)



②静清バイパスの清水インター辺りが冠水しちゃって、
ボートで救出………というのに
びっくり。

で、上記2ヶ所は、
我が家からは大分離れている
場所で、

①は、元々の清水市内ではなく、お隣の興津と由比の間のポイントなんで、うちからだと車なら20~30分、徒歩と電車を乗り継いで1時間弱かかる。

②は、車ならせいぜい10~15分圏内だけど、歩いて行くと、1時間位みないと、の場所。サッカーで有名な清水東高校の方ですね。

地図で見てみると、巴川を挟んでインター辺りから川の東側が冠水したよーです。上流から見て、左岸かな?

うちの付近は、右岸で、
かつての七夕豪雨の時は
こちら側も随分浸水があったのですが、今回は助かりました。

9月27日の慰問コンサートの後、家の前までマイカーで帰り、今回は飲まないで車で帰る、というI東クンの車にみんなで乗り、ここがうち、ここがうちのお墓のあるお寺、ここが母校の小学校、と紹介して回ったんですが、

お墓のあるお寺から20メートル弱下った広い通り沿いに小学校があり、うちから徒歩2分。この広い通りが七夕豪雨ではちゃっかり浸水したところであります。

I東クンの感想によると、
七夕豪雨の浸水域と
それを分けた坂の上、
というので、もっと急な
坂の上のような気がしてましたが、そーでもないんですね、だそーで、

はい、私もそう思います。
大した高低差はない、
ごくなだらかな坂なんですが、それだけで違うものなんですね。

ちなみに、自転車で上がろうとすると、うちの前辺りは
結構皆さん、気合い入れて
漕いでます。やはり、多少
脚力が必要なんでしょうね。
おばあちゃんなんか、自転車から下りて押して歩いていますから。

とまあ、こんな具合で、
ともかく事なきを得ましたデス。

アンサンブルの皆さんにも
お見舞いメールしようかな、
と思ってたんだけど、
結構自分のところに
ひっきりなしにお見舞いが
来てしまい、時間がなくなり、静岡バッハ練習でケッコー会ってしまったりしたもんだから、なし崩しに。
すんまへん。

東海道線がしばらく回復しないようなので、富士川のくみちゃんは、こちらに来られないよなー。U田さんが、現在函南勤務なので、ひょっとしたら夜勤でそのまま、静岡に帰れなくなっているんじゃないか、とか、

アンサンブルメンバーではないけど、バスのY先生が、夜勤明けで帰ろーとしたら、バイパスやらいろんな道路が動かず(6日は東名も新東名も動かず、大いに泣きを見てしまった、かわいそうな知人がちらほら)、麻畑街道で身動きとれなくなっていたりとか。

それぞれ、大変な台風体験をされたことと思います。お見舞い申し上げます。

今度はまた台風19号が
続いて襲来するようで、
緩んだ地盤が心配な
今日この頃なのでした。

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