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Hi, Dad! How''s everything up there?
●お盆になりました。
We''re doing OK, so far, down here.
Look, I got two wonderful gifts from your
old friends.
They remind me of your everydays effort,
your feelings of fear, gratitude, curiosities...
well, sort of everything.
Ponder and think about you.
I''m now same age as Mum.
Can you believe it?
I wonder how she felt in her last year.
Since I''m getting older,
I now started to understand you guys even more.
I think my view towards your attitudes
about wartime has been changed gradually.
I love you even more.
Say Hello to Mum from me.
I love both of you forever.
(アポストロフィーがどうしても"に変換されてしまうー。
何度直しても、言うことをきかないー(ToT))
●いやぁ、照れくさい時は、英語に限るナーσ(^_^;
お盆を前にして、父の古いお友達お2人から、
素晴らしい贈り物をいただきました。
1つは、父と共に旧制中学で学ばれ、
薬学の専門家になられたS先生からのデータファイル。
ご自身で、多くの著作、またエッセイをものされる
先生は、旧制中学同窓会会報『槌音(つちおと)』を
編集してらっしゃいました。
趣味で俳句やらエッセイやら日本画やらを
やっていた父も、喜んでエッセイを載せて
いただき、当時は私もよく読んでおりました。
この度、掲載されたものを個人別ファイルに
落とし込んで下さったようで、
父の文章をまとめて送って下さいました。
もう1つは、静岡平和資料館での活動仲間で
あったNさんからの、新しい詳細な資料。
ご主人の退官と共に、ご主人の故地仙台に
引っ越され、仙台でも新たなグループで
戦争体験を残すための活動を精力的に
行ってらっしゃいます。
前もってお願いがあり、
父が残した戦争画をも、
この新しい仙台の資料に掲載して下さいました。
この2つの贈り物が、実はものすごーく
リンクしている感じなんですよ。
●『槌音』に遺された瞬間
(父の文章を載せますね)
「グラマンF6Fヘルキャット艦載機」
昭和二十年八月十六日。終戦の翌日である。
私と弟は、袖師(そでし)の海にいた。
私たち一家は、七月七日の清水大空襲で焼け出され、庵原村(いはらむら)の山奥の農家の、納屋の二階に仮住まいしていた。
一階は農具置き場と馬小屋、二階は、以前は蚕室だったそうだ。
焼け出されて以来、風呂に入っていなかった。
農家の母屋には、五右衛門風呂があったが、入ることはできなかった。焚口(たきぐち)が半ば外にあり、薪を焚く焔や煙が見えてしまうので、狙い撃ちされる恐れがあったからだ。
終戦の玉音放送は、母屋の庭で聞いた。
日中は重苦しい空気があったが、日が暮れると、雰囲気は一変した。
山間(やまあい)の小さな村は、どの家も電燈を灯し、庭先に光が溢れていた。こんなにも電燈とは明るいものだったのか。空襲に怯え、真っ暗な夜を過ごしてきた者にとって、それは眩しいくらいの明るさだった。
一夜明けて、弟と袖師の浜へ出た。
腰まで海に浸かり、水を掻いていたその時、突然目の前にグラマンが現れた。
背筋が凍った。
興津(おきつ)の山陰から、音もなく近づいてきたのである。
逃げたかった。だが、蛇に睨まれた蛙のように、身体が動かなかった。
落ち着け。戦争は終わったんだ。下手に動いたら、撃たれるかもしれない。落ち着け。
私は、そのまま立ち尽くしていた。
グラマンは、二、三回旋回すると、悠然と飛び去って行った。
暑い日だった。
●リンクする『翼下の記憶~1945仙台空襲と艦載機空襲』
Memory of under the Wing(仙台・空襲研究会)
上に挙げたグラマンを描いた戦争画が、
父の作品です。クレヨンで描いています。
大空を自在に飛ぶグラマンに、
言い知れぬ恐怖に怯えた若き日の父の思い。
文章と合わせて、画に目をやる時、
そこにまざまざと戦争の現実が立ち上がって
くるように感じました。
この、非常にきな臭くなっている今日という日。
全国に反対の声が上がっている中、
国は、憲法はどうなるのでしょう。
私たちの国は、どこに導かれていくのでしょうか。
この本は、3人という少人数のグループで、
2年の月日をかけて仕上げたとのことですが、
びっくりするほど豊富な資料に溢れています。
米軍側から出た資料、地元で丁寧に探した資料、
また多くの方から聞き取った資料と、
よくこれほどまでのものを、
たった2年で、それも3人でまとめ上げられた
ものだ、と賛嘆するばかりです。
1,200円で頒布されていますので、
ご興味ありましたら、お申し越し下さい。
Nさんの方にご希望をお伝えします。
We''re doing OK, so far, down here.
Look, I got two wonderful gifts from your
old friends.
They remind me of your everydays effort,
your feelings of fear, gratitude, curiosities...
well, sort of everything.
Ponder and think about you.
I''m now same age as Mum.
Can you believe it?
I wonder how she felt in her last year.
Since I''m getting older,
I now started to understand you guys even more.
I think my view towards your attitudes
about wartime has been changed gradually.
I love you even more.
Say Hello to Mum from me.
I love both of you forever.
(アポストロフィーがどうしても"に変換されてしまうー。
何度直しても、言うことをきかないー(ToT))
●いやぁ、照れくさい時は、英語に限るナーσ(^_^;
お盆を前にして、父の古いお友達お2人から、
素晴らしい贈り物をいただきました。
1つは、父と共に旧制中学で学ばれ、
薬学の専門家になられたS先生からのデータファイル。
ご自身で、多くの著作、またエッセイをものされる
先生は、旧制中学同窓会会報『槌音(つちおと)』を
編集してらっしゃいました。
趣味で俳句やらエッセイやら日本画やらを
やっていた父も、喜んでエッセイを載せて
いただき、当時は私もよく読んでおりました。
この度、掲載されたものを個人別ファイルに
落とし込んで下さったようで、
父の文章をまとめて送って下さいました。
もう1つは、静岡平和資料館での活動仲間で
あったNさんからの、新しい詳細な資料。
ご主人の退官と共に、ご主人の故地仙台に
引っ越され、仙台でも新たなグループで
戦争体験を残すための活動を精力的に
行ってらっしゃいます。
前もってお願いがあり、
父が残した戦争画をも、
この新しい仙台の資料に掲載して下さいました。
この2つの贈り物が、実はものすごーく
リンクしている感じなんですよ。
●『槌音』に遺された瞬間
(父の文章を載せますね)
「グラマンF6Fヘルキャット艦載機」
昭和二十年八月十六日。終戦の翌日である。
私と弟は、袖師(そでし)の海にいた。
私たち一家は、七月七日の清水大空襲で焼け出され、庵原村(いはらむら)の山奥の農家の、納屋の二階に仮住まいしていた。
一階は農具置き場と馬小屋、二階は、以前は蚕室だったそうだ。
焼け出されて以来、風呂に入っていなかった。
農家の母屋には、五右衛門風呂があったが、入ることはできなかった。焚口(たきぐち)が半ば外にあり、薪を焚く焔や煙が見えてしまうので、狙い撃ちされる恐れがあったからだ。
終戦の玉音放送は、母屋の庭で聞いた。
日中は重苦しい空気があったが、日が暮れると、雰囲気は一変した。
山間(やまあい)の小さな村は、どの家も電燈を灯し、庭先に光が溢れていた。こんなにも電燈とは明るいものだったのか。空襲に怯え、真っ暗な夜を過ごしてきた者にとって、それは眩しいくらいの明るさだった。
一夜明けて、弟と袖師の浜へ出た。
腰まで海に浸かり、水を掻いていたその時、突然目の前にグラマンが現れた。
背筋が凍った。
興津(おきつ)の山陰から、音もなく近づいてきたのである。
逃げたかった。だが、蛇に睨まれた蛙のように、身体が動かなかった。
落ち着け。戦争は終わったんだ。下手に動いたら、撃たれるかもしれない。落ち着け。
私は、そのまま立ち尽くしていた。
グラマンは、二、三回旋回すると、悠然と飛び去って行った。
暑い日だった。
●リンクする『翼下の記憶~1945仙台空襲と艦載機空襲』
Memory of under the Wing(仙台・空襲研究会)
上に挙げたグラマンを描いた戦争画が、
父の作品です。クレヨンで描いています。
大空を自在に飛ぶグラマンに、
言い知れぬ恐怖に怯えた若き日の父の思い。
文章と合わせて、画に目をやる時、
そこにまざまざと戦争の現実が立ち上がって
くるように感じました。
この、非常にきな臭くなっている今日という日。
全国に反対の声が上がっている中、
国は、憲法はどうなるのでしょう。
私たちの国は、どこに導かれていくのでしょうか。
この本は、3人という少人数のグループで、
2年の月日をかけて仕上げたとのことですが、
びっくりするほど豊富な資料に溢れています。
米軍側から出た資料、地元で丁寧に探した資料、
また多くの方から聞き取った資料と、
よくこれほどまでのものを、
たった2年で、それも3人でまとめ上げられた
ものだ、と賛嘆するばかりです。
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