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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

フォースよ、来たれ~!
●また、待ったなしの状態になってる………。

富士ベートーヴェンコーラスのロ短調ミサ本番、ついに間近になってしまいました~~~(ToT)

明日(土)がゲネプロ、明後日(日)本番でございます。

昨日、あわくって、『宗教音楽対訳集成』(井形ちづる・吉村 恒訳、吉村 恒編、国書刊行会)を引っ張り出し、ともかく全部の曲に訳を振り、(まだやってなかったという、不勉強のいったりきたりは、ひとまずおいといて!)焦って勉強。

まだまだ口が回らないとこがあって、ちょっと青い。

バッハは器楽的、と言われますが、
確かにそーだよなー、と練習してると実感します。

普通、このへんで息継ぎさせてくれるでしょー………ってところで、
なんの、まだまだ!
とばかりに、次のメリスマの嵐が
襲ってくる。
んで、これでもか、これでもか、と
盛り上げ曲線を上げていく。

フーガ部分など、やたらに
フレージングが長くって、
息つくヒマもない。

その上、一瞬でも気を抜くと、
自分がどこにいるのか
てんで分からなくなっちゃう。

マンガ家の原稿落ちじゃないけれど、往々にして、この「落ち」が起こりがち。

万一「落とした」場合は、
自分のパートのラインだけを
見ててもダメ。余計わけわかんなくなる。

他のパートが、今、何をやってるのか、を大急ぎで把握し、自分の
相対性な位置情報をゲットする。

これをしないと、
いつまで経っても「落っこちた」ままで、仕舞いには、「真っ白に
燃え尽きた」状態で、曲の終わりを迎えてしまう。

ともかく、気合いと集中力を
維持し続けないと、
バッハおじさんのイジワルな罠に
すぐハマってしまうのだ。

フォースよ、降臨して~!

●イタリア語訛りが今回邪魔しておる。

この間やったMagnificatも同じ仕組みだったのですが、

ロ短調ミサでは、ミサ典礼文の
一節ずつを細かく分け、
その一節ごとに一曲ずつ、
という仕組み。

例えばGloriaという曲がありますが、
ミサの式次第では、
Gloria in excelsis Deo
(いと高きところには神の栄光)
に続いて、延々と賛美の言葉が
語られるのが常です。

が、ロ短調ミサでは、
この短い部分(単語が4つしかない!)の繰り返しだけで、
前奏を含めて100小節の曲になっている。

この詞と対句になっている
et interra pax hominibus bonae voluntatis
(地には善意の人に平和あれ)
は、一応Gloriaから連続している
形になっているけど、別立ての
76小節の作品になっている。

つまり、1曲1曲に配される
詞数が極端に少なく、
ほとんど同じ言葉の繰り返しで
曲が構成されているわけ。

ブラームスのドイツ・レクイエムなんかに比べると、一曲の中で
覚えておくべき単語がひっじょーに
少ないんで、その点、
ひっじょーに助かる!!

んだけど、ここに1つ問題が。

元々、中高時代がカトリック系なので、ミサ典礼文も、一番記憶力のある10代で丸暗記している(ただし、日本語でのみ、なのだが)。毎日朝礼で歌っていた聖歌集には、グレゴリオ聖歌も入っていて、なんとなくラテン語の典礼文も、一般の人よりは馴染んでいる。

んだが、長年、ラテン語の読みは、
ほとんどイタリア語に近い
ラテン語読みでやってきており、
この年になると、今さら
修正するのが難しい。

なんだけど、今回の本番までに、
無理やり読み方を変更しなくちゃ
いけなくなった。

イタリア語風じゃなく、
ドイツ語風の発音で統一しているので、修正するよーに!
というお達しがぁっ!(ToT)(ToT)(ToT)

ううう、ドイツ語圏で作曲してたバッハだから、演奏当時は
ラテン語もドイツ語風に読んでいただろう、という事なんですねー。

真っ青。

長年「チェ」で読んできた「ce」が「セ」になったりするのだが、とっさに口が「チェ」になっちゃうんだよー。

in excelsis Deo

とか、何度も何度も出てくるんで、
相当気を付けないと、うっかり
間違えちゃう。練習では何とかなるんだけど、本番で舞い上がったら、
「チェ」で言っちゃいそーで、
非常にコワい。

「チェ」の方が、響きとしては
「セ」より前に飛ばしやすいので、
言い間違った途端に、先生の
鋭い視線が飛んできそう。キャーッ!

過去に、ウィーンくんだりまで
連れて行っていただき、
「水のいのち」なんか楽友協会ホールで歌わせていただいたという、
非常に古い付き合いの先生なので、
私の声など全て聞き取られてしまう。コワいよー、怖いよー!

と言うわけで、ともかく全曲をチェックして、イタリア語読みで
叫んでしまいそーなところは、
仕方ないので、大きくカタカナ
表記を書き入れてみました(カンペ状態だなぁ)。

譜面のカタカナを見て、 
とっさに修正できれば、
きっと、何とかなる……んじゃ………ない………のかなぁ…………。

あ~、ホンット、フォースが欲しい!!

●おまけ……クレドCredoは感慨深い。

クレドの「唯一の神を信じます。父と子と聖霊を信じます。唯一の教会を信じます」のくだりを見ていると、いつも1人で感慨にふけってしまいます。

これ、ニケーア信条とか、信仰告白とか言われてますが、

西暦325年に召集された公会議で議論され、381年のコンスタンチノープル公会議で承認されたそーで、

要するにキリスト教の骨子となるような重要な教義を信仰します、と宣言するもの。

今ではキリスト教と言えば、父と子と聖霊で三位一体が当たり前になっていて、この言葉、語呂がいいもんだから、TVの合体ヒーローものとかでも、盛んに流用されてたりしますが、

元々原始教会(イエスの弟子やその後継者の時代ね)では、三位一体論は確立されていませんでした。

キリスト教がローマの国教となり、教会の力が大きくなるに従って、信仰する人も増えていったんだけど、そのうち、イエスは神なのか? 人なのか? どーなのか?
というのが大きな議論に発展。

父なる神はいいとして、子なる神って、それじゃあ唯一の神が2人いるってことになっちゃうんじゃ?
イエスは神に一番近いけど、やっぱりあくまでも人間だったんじゃないの?  と考える一派も出てきました。

で、ケンケンガクガクの騒ぎがあって、結局最終的に三位一体論派が勝って、それ以外の考え方をする人たちは「異端だ!」と排斥されることになった。

だから、クレドの信仰宣言では、
三位一体の神を信ずること、また、
三位一体の教えを標榜するカトリック教会こそを正統と認め、
それだけを信仰する、と宣言しているところが重要だったのであります。

こういった論争華やかなりし時代は、異端として迫害されることを
怖れる人々や、異教徒から改宗した
人々が、ちゃんとした教えを信仰します、と宣言することが必要だったわけで、そのへん、キリスト教史的には、とっても興味深いものがあります。

バッハの時代は、ドイツでは
既にプロテスタント信仰が盛んだったので、カトリック教会への忠誠を誓うクレドはどうなのかなぁ、とか
考えていましたが、どうやら
バッハやバッハの属する地域社会は、プロテスタントのうちでも
一番カトリックの伝統を重要視する
ルーテル派(世界史の授業の、宗教改革のとこに出てくるルターね)なので、かなりカトリック色が強いため、カトリックのミサ典礼を使っている、ということみたいですねー。

どーも自分の専攻分野がこっちなもんだから、未だに時折、キリスト教史の資料なんか読んだりするんですが、教会史と宗教音楽の発展史をちゃんとタイアップして勉強すると、かなりおもしろくハマれそーな気がするな~。

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