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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

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この日、ロ短調ミサを歌うことに意味があった……ようです。
●既にFacebookで楽しいバックステージ写真や

盗撮(!?)されたリハーサル動画とか、
大いに盛り上がった打ち上げ写真や、
さらに盛り上がりまくったらしい二次会写真やらが、
たくさんアップされていて、
随分撮ってくれたんだなぁ、と楽しく拝見
していましたが、

今回の演奏会は、個人的事情で、 
さまざまな感慨が去来する
思い出深いものとなりました。

演奏会前の週末、実は大騒動がありまして。

10年近く闘病を続けていた母方の叔父が、
ついに危ない、と言うので、
金曜日に入院先の大船の病院へ、急遽お見舞いへ。
静岡の実家を継いでいる長兄夫婦、埼玉にいる
母の義弟にあたる叔父が大船駅に集合。

長兄にあたる静岡の伯父はもう86で、
こちらもいろいろ病気を抱えているし、
82になった伯母も足を引きずってるし、で、
お世話係兼亡くなった母の代理で同行しました。

母方の家は、いわゆる昔風の大家族主義のうちで、
ともかくみんな仲が良い。何かと言うと、すぐ
兄弟姉妹が寄り集まる。さらに、実家から
歩いて1分のところに、伯母の姉一家が2軒、
軒を連ねているもんだから、お正月で実家に
お泊まりなんかすると、都合3軒のお兄さんお姉さん
のところを経巡って、みんなで遊ぶ、という状況。
大きくなってからも、ちょっと実家に立ち寄ると、
又従兄弟? はとこ? 呼び方はよく分からない関係
なんだが、いろんな人がいきなり居間で宴会してたりする。(肝心のその家の伯父とかは、出掛けてたり
する事もあるんだが、みんなあんまり気にしてない。
どの家に行っても、自分ち、の感じ)

とまあ、ともかく、直系も傍系もなく、
みんなでワイワイしている家なんです。

伯父たち兄弟は、全部で5人。
一番上の伯父は、小学生時分は、
小さい弟をいつもおんぶして……でないと、
遊びに行っちゃいけなかったそう。

祖母が身体の弱い人だったこともあり、
何かと言うと妹・弟の世話をしてたんですね。
さらに、伯父と学生結婚した伯母も、早くから
一家の切り盛りをしてて、4番目や5番目の妹弟は、
伯母からしてみると、自分が半分育てた子たち、
という感じ。

そんな感じなもので、互いへの
思い入れは、かなり深い。

病床の叔父本人はもう、かなり苦しい状態で
話も出来ないところだったけれど、
みんなでいろいろ話し掛け、2時間半ほど過ごしました。
伯父伯母は、盛んに叔父の頭を撫でていました。

兄弟5人のうち、3人が既に亡くなっており、
残った2人のうち、自分より10も若い叔父が
危篤というので、長兄の伯父はひどいショックを
受けていて、顔を見に行く決断をするまでが、
大分苦しかったようです。

うちの父が亡くなる前、お見舞いに来るのも、
とても辛かったようですね。
元々、伯父と父は、中学時代からの親友で、
「結婚するなら、こいつがいいよ」と母に
薦めたそうですから、親友にして、義弟
という二重に大切な存在だったのでしょう。

今回の叔父のお見舞いでも、
みんな、自分を置いて去っていってしまう。
自分の人生って何なんだろう、と
考え込んでしまった、と言っていました。

病床の叔父は、苦しい息をするばかりで、
何も自分からは話せなかったけれど、
手をつないだり、頭を撫でたりしながら、
伯父伯母がいろいろ話し掛けているうちに、
少し静かになったようでした。

みんな、いる。
みんなと、いるんだ。

そう感じて、安心してくれたような気がして、
嬉しかった。

人には限りがある。
それは辛いことだけど、
でも、きっと、限りがあるからこそ、
輝きがあるんじゃないのかな。

帰りがけに、病院の外で、
伯父がそう言いながら、
よく晴れ渡った空を見つめていました。

叔父の訃報は、翌日の朝、届きました。

仲良しの従妹が、電話をくれ、

「今………」

と言ったきり、絶句したのが
切なかった。

お通夜とお葬式は、斎場の手配の都合で、
少し間が空き、
結局演奏会ゲネプロ当日が葬儀、
という巡り合わせになりました。

残された叔母、娘2人がけなげに
頑張っていた。納棺する時、
叔母が泣き崩れてしまい、
娘2人たちも、こらえ切れずに号泣。

その途端、叔父叔母の結婚式で
花嫁のベールを持つお役目をした時の情景が
目に浮かびました。
クリクリした目の、本当に可愛い花嫁さんで、
おじちゃん、こんな可愛い人を見つけてきたんだぁ、
と子供心にびっくりしたものでした。

女の子を持った男親の常で、
2人の娘にデレデレで、
静岡に来ても幼い娘の話ばかりしていた叔父。

かと思うと、小学生の私をつかまえて、
「パチンコ、行こうかー」
なんて、いきなり連れて行ったりした、
ちょっとヤンチャな叔父。

そんな叔父が胃ガンを患って、
胃の全摘手術を受けた、というのも衝撃でした。
けれど、大変な酒豪で、手術後も
昼酒なんか嗜んじゃったりする困ったサンでした。

その後、脳梗塞、さらに腎不全で
人工透析、と、次々と病に冒され、
その度にヤキモキしていましたが、
本人は、苦しがっているところを見せたくない、と
なかなかお見舞いさせてくれず。
テニスで国体選手になったこともある人で、
基礎体力があったのでしょう、
随分長く頑張ってくれました。

お骨になっても、随分たくさん骨が残りました。
壺に並々一杯でした。
普通はもっと少ないとのことでしたから、
病気になっていなければ、
ずっと頑健なまま、好きなテニスやゴルフを
存分に楽しんだことでしょう。

●ゲネプロやリハーサル中も

ともすると、叔父のこと、
残された叔母たちのこと、
弟を見送った伯父のこと、
いろいろ考えてしまいました。

自分が歌っている時は、
音のことだけ考えていられるので
良かったんですが、

ソロ曲の数々を聴いているうちに、
ふ、と考え込んでしまった。

キリストが受けたさまざまな苦しみって、

キリストだけじゃなくて、

全ての死にゆく人が
さまざまな形で受けるものの事なんじゃないのかな。

死に向かう苦しみを乗り越えた先には、
何があるのか。

誰も死んだ後の事は知りようがないけれど、

残された者としては、

苦しみの後には、
うんと幸せな、楽しい明るさに満ちた境地が
あって欲しい、と切に思う。

だから、ロ短調ミサの中の、復活を讃える
素晴らしく楽しく、輝きに満ちた音楽こそ、
傷ついた身体を捨て去った叔父に捧げたい。

そんな気持ちに突き動かされて、
1曲1曲を、至福の音で満たしたい、
と歌い続けました。

……にしても、ソロ曲が、ぐわーん、と来るなぁ。
当日リハーサルで、BenedictusとかAgnus Deiを
聴いているうちに、涙が止まらなくなっちゃいましたよ。

●打ち上げにて

ともあれ、演奏会は1日、本当に楽しい、
充実した時間でした。

オケさんも、合唱も、ソリストさんも、
互いに自然と呼吸が合っていて、

互いの音に、ワクワクしながら、
1つ、また1つと曲を紡いでいく、あの感覚。
本当に得難い、至福のステージでした。

コンマスさんの背中を見ながら、
その呼吸に合わせて歌い出す感覚。

マエストロが振り終わって、
静かに腕を下ろす、一瞬の濃密な静寂。

どれもが私の中で、繰り返し喜びをもって
リフレインされています。

打ち上げ終了間際、お帰りになる
マエストロと、ばったり出くわし、
満面の笑みで、「いい演奏会だったね」と
おっしゃって下さった時、
思わず、実はこんな事がありました、と
叔父のことを告白してしまいました。

お話しているうちに、
「今日、この曲を私は歌うべきだったんだ。
ここで、歌うという事が、叔父に捧げられる
私の最上のものだったんだ」という思いが
溢れてしまいました


胸が熱くなって、
ついそんな話をしてしまった私の手を、
マエストロがガッシリ、握って下さいました。

音楽を続けていくことを、
いつも応援してくれるマエストロ。
そのマエストロを支えて、
いつも一緒に音楽を作っていこう
としてくれるたくさんの人。
そんな人たちに囲まれて生きられる喜び。

喜びの音楽が
最上の輝きとなって
天上に向かった叔父を包んでくれると
信じています。






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