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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

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声のアイデンティティー
●旧友の声は格別である

ということに2日前に気がついた。

25年くらい全く音信不通になっていた
友人と、Facebookを通して
めぐり合い、感激していた。

彼女はボストンでご主人に巡り合い、
結婚して一女をもうけ、あちらで
頑張っているらしい・・・ってことは
分かっていたんだけど、

その後どーしているやら。

・・・で、気がついたら25年。
これはイカン。

幸いFacebookでは、友達の名前を
検索して、相手がアカウントを持って
いれば、そこにコンタクトを取ることが
可能なんで、偶然うまい具合に巡り合った。


最近は頻繁に日本に来ている、という
話なんで、早速「会おう」ということになった。
そろそろ介護世代なので、親御さんの
介護のために来るんだろうな、と思って
いたが、やはりお母さんのお世話のよう。

とりあえず、ランチを食べて、その後
私が出る合唱の練習をちょっと見学したい、
という話になって、ほくほくしていたのだが。

お母さんの具合がちょっと悪くなった
みたいで、出かけるのは難しいかも
しれない、という電話が2日前に入った。

会えたらもうけもの・・・みたいな状況。
まあ、仕方がない。病人優先です。
大事なお母さんだものね。



●画面上の文字だけのつきあい

遠方に住んでいる人や、
Facebookなどを通じて知り合った
友人など、画面上のメッセージの
文字だけが頼りのつきあいで
そう過不足はないように思っていたが、

久しぶりに聞いた彼女の声に、
彼女の表情や、しぐさや、
思い出や、何やらが、瞬時にして
現実的なものになるのを感じた。

鮮やか。としか言いようがない。

まだ実際に顔を見たわけではないのだけれど、
電話越しに声を聴いただけで、
目の前に彼女がいて、いきいきと話して
いるように感じてしまった。

声を聴く、というのは、
ひょっとすると相手の全人格を
聴いているのかもしれない。

だから、歌を聴いたり、
舞台を見たり、朗読を聴いたりする
ことで、感動してしまうのかもしれない。

ネット上だけの友達というのは、
相手の書いた文字に載せて、
「この人はこんな感じの声じゃないか」
と想像しながら、読んでいるような
気がする。

元々実際に知っている友人、
いわゆるリアル友なら、
まず相手の顔があって、表情があって、
長年慣れ親しんだ相手の声がある。

それらが画面上に映された
メッセージを超えて、
実際に相手の話した雰囲気で
こちらに「聞こえない」声として届く。
だからこそ、文字だけのやり取りでも、
なんとか格好がつく。
それほど相手から乖離してはいない
ような気がする。

実際には会ったことがないけれど、
ネット上ではかなり親しい友達、と
思っている人の場合、

顔は写真で知っていても、
声がないのが、やはりどこか淋しい。
実際の声を知らないために、
画面の文字を見ても、その人の「声」
そのものが聞こえない。

みんな、そういう事を感じているからこそ、
オフ会で交流を暖めていくんじゃないのかな~。

実は静岡で知り合った人たちのオフ会が
これまで何度かあったのだけど、
スケジュールが合わなかったり、
体調不良だったりで、まだ一度も行けてない。

本当に残念。
やっぱり、みんなの「声」をしっかり聴きたいネ。
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