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ありがとうございました。
●急なんですが
23日の夕方に急変しまして、
夜8時6分に亡くなりました。
22日の時点では、低めながらも、まだ
安定しているような感じだったのですが、
23日の午後くらいから、あれよあれよ、と
いう間に血圧が下がっていきました。
正直、もうちょっとは保つような気が
してたんですけどね。まあ、それは
私の希望的観測だったんでしょうけど。
●声を掛けるのは難しい
いかにもうろうとしていても、
最後まで意外と耳は聞こえていたりする
もので、声を掛けてあげて下さい、と
看護婦さんに言われたのですが。
なかなかそういう状態の相手に
声をかけるのって、何を言っていいんだか
わかんない・・・。声が出ない。
簡単なことなのに、勇気がいる。
「大丈夫」とか「頑張って」と言うのは、
こんな状態の時に言っても、自分でも
空しい気がする。
でも、自分がすっごく具合の悪い時も、
黙っていられるより、声を掛けられたり、
触ってもらったりした方が安心した覚えがある。
放っておかれると、なんだか、
暗くて深ぁい暗黒の底に
ひとりで投げ出されるような気がする。
どんなにあがいても、
その恐ろしさから、抜け出せない。
ただ、吸い込まれる。
自分は、独りで
「そこへ」吸い込まれる。
はっと気づくとひどい寝汗をかいていました。
もっとも、声を掛ける側は、
何をどう話していいやら、
本当に途方に暮れたりする。
それで、苦肉の策ですが、句集を一冊
持って行きました。
親友で親類でもある実家の伯父のです。
父と私の俳句の師匠でもあり、父の碁敵でも
あったりしますが、広々としたステキな句を
作るので、大好き。
私が部屋に行った時、かなり呼吸するのが
大変なのか、肩を大きく上下させていました。
いやがっていた呼吸マスクも自分ではずす
力がないような。
正直、困った。
こんな状態で、句集を読んでも、
仕方がないんじゃないか。
だいたい、こちらも息が詰まって声が出ない。
しばらく、じっと見ていたんですけど、
やらないより、やった方がいい事もあるし、
朗読して、状態が悪くなったら中止すれば
いいんだし、ええい、ままよ。
で、最初の句から詠み始めました。
句会の読み上げの時のように、
ゆっくり、ゆっくり、気持ちを込めて、
言葉を丁寧に発音し、
同じ句を二度ずつ。
実家の伯母は、俳句の朗読が
それはもう素晴らしい。柔らかい声で
読み上げられると、何度でも聞いていたい。
なかなかおばちゃんみたいに
読めないんだけど、読んでいるうちに、
自分自身が句の美しさに引き込まれ、
夢中でいくつも読み続けました。
ふと気づくと、
父の呼吸がとてもゆるやかな、
落ち着いたものになっていました。
聞いてるんだ。ちゃんと。
心が、ちゃんと聞いてるんだ。
そんな気がしました。
「つばくろに開け放たれし通し土間」
●最後は本当に眠るようにあちらへ
逝ってしまったようです
この前、
「兄弟で写真を撮って来たんだ」
と言ってました。
既に上の兄たちは、あちら側に
逝ってしまっているのに。
ひょっとしたら、もう、向こうとこちらを
夢うつつに行き来していたのかもしれません。
この2ヶ月近くは、本当に
濃厚な時間だったような気がします。
入院する前から、少しずつ進行してきた
わけですが、その最後にこんな時間が
与えられるなんて、本当にお恵みって
あるんだなぁ、と感じます。
父も私も、とても楽しかったような気がします。
小さくて、可愛らしいような人ですが、
その小さい人のおひざが、
幼かった私の、一番の特等席でした。
煙草の煙で、いくつもの輪を作るのが
とても上手で、それが見たくて、よくねだりました。
愛情を言葉にするのは
下手だったけれど、
言葉にできないもどかしさと共に、
いつも黙って私を見守ってくれました。
一緒にいてくれて、本当にありがとう。
楽しかったね。
●全部終わってからブログで報告しようか・・・
とも思っていたのですが、
知らないうちに、どんどん読者の幅が
広がっていて、いろんな方が
私たち親子をブログを通して
見守ってくださっていた事を今日知りました。
皆さんの「がんばれ」があったから、
私たち親子は、大切な時間を
大切に過ごすことが出来たと思います。
本当に有難うございました。
●お知らせ
1月26日(火) 17:30 通夜
1月27日(水) 10:20 出棺
13:00 葬儀
あいネットホール江尻台
静岡市清水区江尻台町1-1
tel 054-371-6400
なお、誠に勝手ながら故人の遺志により、
ご香典・ご供物・ご供花の儀は、固く
ご辞退申し上げます。
お詣りは、本人も喜んで
くれると思いますので、お時間がありましたら、
どうぞ御遠慮なく。また弔電も有難く。
●最後に・・・。
11時過ぎ、ホールの一室に安置し、
外へ出ました。
降るような星空でした。
きっと、ずっと忘れないでしょう。
23日の夕方に急変しまして、
夜8時6分に亡くなりました。
22日の時点では、低めながらも、まだ
安定しているような感じだったのですが、
23日の午後くらいから、あれよあれよ、と
いう間に血圧が下がっていきました。
正直、もうちょっとは保つような気が
してたんですけどね。まあ、それは
私の希望的観測だったんでしょうけど。
●声を掛けるのは難しい
いかにもうろうとしていても、
最後まで意外と耳は聞こえていたりする
もので、声を掛けてあげて下さい、と
看護婦さんに言われたのですが。
なかなかそういう状態の相手に
声をかけるのって、何を言っていいんだか
わかんない・・・。声が出ない。
簡単なことなのに、勇気がいる。
「大丈夫」とか「頑張って」と言うのは、
こんな状態の時に言っても、自分でも
空しい気がする。
でも、自分がすっごく具合の悪い時も、
黙っていられるより、声を掛けられたり、
触ってもらったりした方が安心した覚えがある。
放っておかれると、なんだか、
暗くて深ぁい暗黒の底に
ひとりで投げ出されるような気がする。
どんなにあがいても、
その恐ろしさから、抜け出せない。
ただ、吸い込まれる。
自分は、独りで
「そこへ」吸い込まれる。
はっと気づくとひどい寝汗をかいていました。
もっとも、声を掛ける側は、
何をどう話していいやら、
本当に途方に暮れたりする。
それで、苦肉の策ですが、句集を一冊
持って行きました。
親友で親類でもある実家の伯父のです。
父と私の俳句の師匠でもあり、父の碁敵でも
あったりしますが、広々としたステキな句を
作るので、大好き。
私が部屋に行った時、かなり呼吸するのが
大変なのか、肩を大きく上下させていました。
いやがっていた呼吸マスクも自分ではずす
力がないような。
正直、困った。
こんな状態で、句集を読んでも、
仕方がないんじゃないか。
だいたい、こちらも息が詰まって声が出ない。
しばらく、じっと見ていたんですけど、
やらないより、やった方がいい事もあるし、
朗読して、状態が悪くなったら中止すれば
いいんだし、ええい、ままよ。
で、最初の句から詠み始めました。
句会の読み上げの時のように、
ゆっくり、ゆっくり、気持ちを込めて、
言葉を丁寧に発音し、
同じ句を二度ずつ。
実家の伯母は、俳句の朗読が
それはもう素晴らしい。柔らかい声で
読み上げられると、何度でも聞いていたい。
なかなかおばちゃんみたいに
読めないんだけど、読んでいるうちに、
自分自身が句の美しさに引き込まれ、
夢中でいくつも読み続けました。
ふと気づくと、
父の呼吸がとてもゆるやかな、
落ち着いたものになっていました。
聞いてるんだ。ちゃんと。
心が、ちゃんと聞いてるんだ。
そんな気がしました。
「つばくろに開け放たれし通し土間」
●最後は本当に眠るようにあちらへ
逝ってしまったようです
この前、
「兄弟で写真を撮って来たんだ」
と言ってました。
既に上の兄たちは、あちら側に
逝ってしまっているのに。
ひょっとしたら、もう、向こうとこちらを
夢うつつに行き来していたのかもしれません。
この2ヶ月近くは、本当に
濃厚な時間だったような気がします。
入院する前から、少しずつ進行してきた
わけですが、その最後にこんな時間が
与えられるなんて、本当にお恵みって
あるんだなぁ、と感じます。
父も私も、とても楽しかったような気がします。
小さくて、可愛らしいような人ですが、
その小さい人のおひざが、
幼かった私の、一番の特等席でした。
煙草の煙で、いくつもの輪を作るのが
とても上手で、それが見たくて、よくねだりました。
愛情を言葉にするのは
下手だったけれど、
言葉にできないもどかしさと共に、
いつも黙って私を見守ってくれました。
一緒にいてくれて、本当にありがとう。
楽しかったね。
●全部終わってからブログで報告しようか・・・
とも思っていたのですが、
知らないうちに、どんどん読者の幅が
広がっていて、いろんな方が
私たち親子をブログを通して
見守ってくださっていた事を今日知りました。
皆さんの「がんばれ」があったから、
私たち親子は、大切な時間を
大切に過ごすことが出来たと思います。
本当に有難うございました。
●お知らせ
1月26日(火) 17:30 通夜
1月27日(水) 10:20 出棺
13:00 葬儀
あいネットホール江尻台
静岡市清水区江尻台町1-1
tel 054-371-6400
なお、誠に勝手ながら故人の遺志により、
ご香典・ご供物・ご供花の儀は、固く
ご辞退申し上げます。
お詣りは、本人も喜んで
くれると思いますので、お時間がありましたら、
どうぞ御遠慮なく。また弔電も有難く。
●最後に・・・。
11時過ぎ、ホールの一室に安置し、
外へ出ました。
降るような星空でした。
きっと、ずっと忘れないでしょう。
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あちらからはお兄様がお迎えに来ていらしたんでしょう。
かわいい娘の声に送られて、幸せに、安心して旅立たれたんだと思います。
ご冥福をお祈りします。
うりょちゃん、頑張ったね。
これからしばらくはお忙しいでしょう。体調を崩さないように、しっかり食べてね。