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やっぱりイイものはイイのだ!
●久しぶりにヘミングウェイ
英語ネタ本の参考資料に、
ヘミングウェイの『老人と海』を
読んでいるんですが、高校時代に
読んだ時より、ずっとずっと、静かに
じわじわと、じ~んとします。
昔はもちろん日本語訳で読んだのですが、
なんか、「良かった」というのは覚えているんだけど、
それほど心に沁みる文章であった・・・という
印象がない。
今回Kindleで読み直していったら、
簡潔で、ほんと、さりげない文体なんだけど、
一つ一つの文章が心に沁みるようです。
●「モリー先生との火曜日」
Mienaちゃんに紹介した
Mitch Albomさんの「モリー先生との火曜日」も
同時進行で読んでるんですけど、
こっちもまた、ものすごく、いい。
こちらは、ドキュメンタリーみたいなもので、
難病に冒されて、死を待つ身の上の
恩師と、著者本人との「最後の授業」とも
言うべき、深い対話を淡々と綴ったモノ。
大学時代に実の親子のように親しかった
先生と、卒業後もずっとつきあいたい、と
心の底で思いつつも、17年も音信不通に
してしまった自分。
大学時代に描いていた夢に挫折し、
他の道を選び、多忙な日々に埋没し、
恩師の事も、学生時代に描いた理想も、
忘れ去っていた自分。
ひょんな事から、恩師がASLという
難病に冒され、余命いくばくもない事を
知り、ともかく駆け付けた。17年間も
放りっぱなしだったこと、また、今この
瞬間も、先生に駆け寄って抱きしめること
よりも、自分の手近の仕事を済ますため
に、携帯で連絡を取り続けている自分。
自分が望んでいた人生は、
本当にこういうものだったのか?
苦い後悔。先生へのすまなさ。
そんな思いを飲み込みながら、
先生を見た。
先生は、病み疲れていたけれど、
変わらぬ笑顔で自分を抱きしめてくれた。
涙を流して、「やっと帰って来てくれたね」
と言った。
まるで、聖書の「放蕩息子」の話のよう。
著者は、自分の弱さ・ずるさをもさらけ出し
ながら、そんな自分の全てを受け入れて
くれる先生の最後を看取ることに決め、
毎週火曜日に、かつて大学で教室に
講義を受けに通った時のように、
先生の下へ通い続ける。
単位はもらえないが、
先生はとっておきの講義をしてくれた。
次第に筋肉が動かなくなり、最後は
こういう形で終わるだろう、と淡々と
語りつつ、先生は打ちひしがれてはいない。
死ぬその瞬間まで、自分がこうして
生きている事には、何か意味がある。
自分と、自分を愛してくれる人たちの
ために、とっておきのプレゼントを
しなくてはいけない。
それが先生の講義だった。
卒業式は、先生の葬儀。
主人公は、次第に衰えていく
恩師の姿に心を痛めつつも、
真に生きるとは、どういうことなのか、
先生の姿から学び取っていく。
『老人と海』もそうですが、
本当に「生きる」というのは、
どういうことなのか。
素晴らしい作品は、必ず
そういう問い掛けをしてくれます。
●ショパンのプレリュードを練習しはじめた
昨日、他のものを弾いていて、
ふとショパンを弾きたくなって、
アルフレッド・コルトー版の
プレリュード集(全音)を引っ張り出して
みました。
しばらく弾いていないので、
もちろん指がついていかないのですが、
大好きな4番を弾きたくなって、
今日も練習してみました。
歯が立たない難しい曲もたくさん
あるんですが、
3番をアルペジオの練習用に
せっせとやってみたり、
18番や20番は、やっぱりかっこいいな~、で
弾いてみたり、
で、21番の美しい川の流れの
ような音にハマり、何度も弾いてみたり・・・。
冷房はかけてあるけど、
すっかり汗をかきました。
一番好きな4番は、抑えた中に、
非常に深いものがある曲で、
一音一音の彩りが、すごく好き。
コルトー先生の解説によると、
「この前奏曲集の中で、苦悩から生まれた詩人の
物悲しく熱に浮かされたような、情感の溢れる
この作品ほどはっきりと哀しみを表した音楽は
ないであろう。この曲にはそれまで音楽が
表したことのない最も感動的な絶望のイメージが
漂っている。
打ちひしがれた長いすすり泣きを表す右手にゆっくり広がる嘆き声のうめくような執拗さがある一方、
左手は和音を単調なリズムで静かに淡々と
繰り返しているようにみえる。しかし、半音階的な
わずかずつの下行によって1音1音とハーモニーを
解体していく変化は、より敏感に、より深く
心にしみ通るような感じを持たせ、ずきずき痛む
傷が深まり、激しくなる耐え難い苦悩の切り口が
蘇り、ショパンがストレットとフォルテの指示だけで
強調する狂わんばかりの高揚の瞬間に至る。
そして、この苦悩の激しさによって打ちのめされ、
力なくメロディーの流れは再び内にこもり、
悲しみに打ちひしがれた2度音程の静けさに
再び入り、それはこの曲全体に忘れ難い
調子を与えている。それから短く、非常に不安な
休符の後に、ぽっかり口を開いた墓穴の入口に
永遠を感じさせるような3つのゆっくりした
かすかな響きの和音が来る。」
私自身は、この曲を絶望の果て、という
風には見ません。見方が甘いのかも
しれませんが、何か、そういう深い
絶望を超越したところにある、
透明な哀しみのようなものが、
根底に流れているような気がします。
半音階的に、さりげなく展開していく
和音が、人生のさまざまな襞のように
思います。
この和音の移り変わりに、どうしようもなく
惹かれて、何度も弾くのですが、
テクニック的に甘いので、なかなか
全ての和音の音を同時に打鍵できない。
コルトー版では、各曲の、テクニカルに
難しい部分もしっかり指摘されており、
それを解消するためには、こういう
練習をすればいい、というのも、
必ず譜面付きで示されており、
なるほど、そうか、と非常に納得します。
私の手では、ショパンの和音の全ては
なかなか掴みきれないで、
手が攣りそうになっちゃうことも
しばしばなんですが、
やっぱり、この人の音世界は、
何とも言えません。
テクニックはないので、
どうしてもゆっくりしか
出来ないのだけど、この4番などは、
特に早弾きすると、
その早いパッセージの中に、
何か大事なものがこぼれ落ちていく
ような感じ。
速度指示はLargoになっているので、
ゆったりの曲ですが、それよりも
ちょっとゆっくり、じっくり、
音の世界に浸っているのが
私には合っているような気がします。
良いモノに出会い、
そしてまた、時を経て、
出会い直していける。
人生って、そう捨てたもんではないみたいです。
英語ネタ本の参考資料に、
ヘミングウェイの『老人と海』を
読んでいるんですが、高校時代に
読んだ時より、ずっとずっと、静かに
じわじわと、じ~んとします。
昔はもちろん日本語訳で読んだのですが、
なんか、「良かった」というのは覚えているんだけど、
それほど心に沁みる文章であった・・・という
印象がない。
今回Kindleで読み直していったら、
簡潔で、ほんと、さりげない文体なんだけど、
一つ一つの文章が心に沁みるようです。
●「モリー先生との火曜日」
Mienaちゃんに紹介した
Mitch Albomさんの「モリー先生との火曜日」も
同時進行で読んでるんですけど、
こっちもまた、ものすごく、いい。
こちらは、ドキュメンタリーみたいなもので、
難病に冒されて、死を待つ身の上の
恩師と、著者本人との「最後の授業」とも
言うべき、深い対話を淡々と綴ったモノ。
大学時代に実の親子のように親しかった
先生と、卒業後もずっとつきあいたい、と
心の底で思いつつも、17年も音信不通に
してしまった自分。
大学時代に描いていた夢に挫折し、
他の道を選び、多忙な日々に埋没し、
恩師の事も、学生時代に描いた理想も、
忘れ去っていた自分。
ひょんな事から、恩師がASLという
難病に冒され、余命いくばくもない事を
知り、ともかく駆け付けた。17年間も
放りっぱなしだったこと、また、今この
瞬間も、先生に駆け寄って抱きしめること
よりも、自分の手近の仕事を済ますため
に、携帯で連絡を取り続けている自分。
自分が望んでいた人生は、
本当にこういうものだったのか?
苦い後悔。先生へのすまなさ。
そんな思いを飲み込みながら、
先生を見た。
先生は、病み疲れていたけれど、
変わらぬ笑顔で自分を抱きしめてくれた。
涙を流して、「やっと帰って来てくれたね」
と言った。
まるで、聖書の「放蕩息子」の話のよう。
著者は、自分の弱さ・ずるさをもさらけ出し
ながら、そんな自分の全てを受け入れて
くれる先生の最後を看取ることに決め、
毎週火曜日に、かつて大学で教室に
講義を受けに通った時のように、
先生の下へ通い続ける。
単位はもらえないが、
先生はとっておきの講義をしてくれた。
次第に筋肉が動かなくなり、最後は
こういう形で終わるだろう、と淡々と
語りつつ、先生は打ちひしがれてはいない。
死ぬその瞬間まで、自分がこうして
生きている事には、何か意味がある。
自分と、自分を愛してくれる人たちの
ために、とっておきのプレゼントを
しなくてはいけない。
それが先生の講義だった。
卒業式は、先生の葬儀。
主人公は、次第に衰えていく
恩師の姿に心を痛めつつも、
真に生きるとは、どういうことなのか、
先生の姿から学び取っていく。
『老人と海』もそうですが、
本当に「生きる」というのは、
どういうことなのか。
素晴らしい作品は、必ず
そういう問い掛けをしてくれます。
●ショパンのプレリュードを練習しはじめた
昨日、他のものを弾いていて、
ふとショパンを弾きたくなって、
アルフレッド・コルトー版の
プレリュード集(全音)を引っ張り出して
みました。
しばらく弾いていないので、
もちろん指がついていかないのですが、
大好きな4番を弾きたくなって、
今日も練習してみました。
歯が立たない難しい曲もたくさん
あるんですが、
3番をアルペジオの練習用に
せっせとやってみたり、
18番や20番は、やっぱりかっこいいな~、で
弾いてみたり、
で、21番の美しい川の流れの
ような音にハマり、何度も弾いてみたり・・・。
冷房はかけてあるけど、
すっかり汗をかきました。
一番好きな4番は、抑えた中に、
非常に深いものがある曲で、
一音一音の彩りが、すごく好き。
コルトー先生の解説によると、
「この前奏曲集の中で、苦悩から生まれた詩人の
物悲しく熱に浮かされたような、情感の溢れる
この作品ほどはっきりと哀しみを表した音楽は
ないであろう。この曲にはそれまで音楽が
表したことのない最も感動的な絶望のイメージが
漂っている。
打ちひしがれた長いすすり泣きを表す右手にゆっくり広がる嘆き声のうめくような執拗さがある一方、
左手は和音を単調なリズムで静かに淡々と
繰り返しているようにみえる。しかし、半音階的な
わずかずつの下行によって1音1音とハーモニーを
解体していく変化は、より敏感に、より深く
心にしみ通るような感じを持たせ、ずきずき痛む
傷が深まり、激しくなる耐え難い苦悩の切り口が
蘇り、ショパンがストレットとフォルテの指示だけで
強調する狂わんばかりの高揚の瞬間に至る。
そして、この苦悩の激しさによって打ちのめされ、
力なくメロディーの流れは再び内にこもり、
悲しみに打ちひしがれた2度音程の静けさに
再び入り、それはこの曲全体に忘れ難い
調子を与えている。それから短く、非常に不安な
休符の後に、ぽっかり口を開いた墓穴の入口に
永遠を感じさせるような3つのゆっくりした
かすかな響きの和音が来る。」
私自身は、この曲を絶望の果て、という
風には見ません。見方が甘いのかも
しれませんが、何か、そういう深い
絶望を超越したところにある、
透明な哀しみのようなものが、
根底に流れているような気がします。
半音階的に、さりげなく展開していく
和音が、人生のさまざまな襞のように
思います。
この和音の移り変わりに、どうしようもなく
惹かれて、何度も弾くのですが、
テクニック的に甘いので、なかなか
全ての和音の音を同時に打鍵できない。
コルトー版では、各曲の、テクニカルに
難しい部分もしっかり指摘されており、
それを解消するためには、こういう
練習をすればいい、というのも、
必ず譜面付きで示されており、
なるほど、そうか、と非常に納得します。
私の手では、ショパンの和音の全ては
なかなか掴みきれないで、
手が攣りそうになっちゃうことも
しばしばなんですが、
やっぱり、この人の音世界は、
何とも言えません。
テクニックはないので、
どうしてもゆっくりしか
出来ないのだけど、この4番などは、
特に早弾きすると、
その早いパッセージの中に、
何か大事なものがこぼれ落ちていく
ような感じ。
速度指示はLargoになっているので、
ゆったりの曲ですが、それよりも
ちょっとゆっくり、じっくり、
音の世界に浸っているのが
私には合っているような気がします。
良いモノに出会い、
そしてまた、時を経て、
出会い直していける。
人生って、そう捨てたもんではないみたいです。
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