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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

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今年もありがとうございました!
●あ~ま~り~にも

盛りだくさんの一日でした。第10回
Joy of Music(2009年8月8日)、
無事開催、大騒ぎ、そして打ち上げに次ぐ
打ち上げ、どんちゃん、どんちゃんの一幕
でございました。

アンサンブル参加のために、県内は
もとより、県外各地から駆けつけて
下さったツワモノ、実に30名あ~んど
指揮者様で31名(去年より、さらに
大所帯! どこまで大きくなるんだ~)。
ほんとに、ほんとに、ありがとう!
そして、お疲れ様でした!

前日急に体調を崩され、無念のリタイア
をされたピアニストのM藤先生、
ご親族の入院でやはり静岡下りを
断念されたコロボックル組のK嶋様。
かえっていろいろお心遣いいただき、
申し訳ございませんでした。また是非
ご一緒させていただきたく存じます。

今回初めて静岡下りを敢行された
コロボックルのY本様、また新声会の
打ち上げで、「ノリ」で私にノセられて、
つい静岡下りしてしまったマッハ先輩、
また名古屋組初参加の方々、御苦労を
おかけしました。Noahちゃん、
ちゃっかり自己PRして歌ってましたね。
まあ、たまには実家にも顔を出しがてら、
合唱もやろうネ。

とりあえず、静岡組一同、
(特に女声は)うっとりの歌声に聞き惚れ、
既に味をしめまくっておりますので、
県外組の皆さまも、これに懲りずに
またどしどしおいでくださいませ。

とは言え、
来てみたら、Lauridsenときのまき2曲
・・・で3曲だけのハズが、ハレルヤだ、ドレミの歌だ、
マイバラードだ、と曲数はどんどん増えるし、
その上打ち上げでまた第九なんか歌うし、
男声愛唱歌の「いざ立て」は当然のように
出てくるし、でまあ、目の回るような一日
だったのでは・・・と思いますが。

この暑いのに、ほんま、よーやる・・・
とハタから見れば思われるような
状態でしたが、静岡組代表の感想と
いたしましては、(ええと、いろいろ
有象無象の「しまった、間違えて勝手に
作曲して歌ってしまった」だの「本番に
なったら舞い上がった」だのの声は
無視して))

とりあえず、むっちゃくちゃ楽しかった!
デアリマス。今年もまた、至福の一日
でありました。

これも、皆様おひとりおひとりのお気持ち
が集まったればこそ、だと思います。
おかげさまで、感激した主宰者C恵嬢を
泣かせることが出来ました。また泣かせ
ましょう。

どうやら来年は小ホールで、歌中心の
集まり・・・になりそーな気配です。
すでに指揮者様からも「来年は
小ホールでやるゾ」宣言が出ておりました
です。

皆様からも、次のお誘いはいつ?
発言が、どんどこ入っておりました。
こ、これはまた、がんばれ、って事ですよね?
(宴会の途中、抜けられた方々からも、
そのようなメールが嵐のように参りました。
こっちはまだ飲んだくれてるという・・・)

でもまあ、こ~んな楽しい事、
やめられませんね。
指揮者さまには、今年は何度も
練習を見ていただき、大変御苦労を
おかけしましたし、猛暑の中の本番で、
申し訳ないばかりなんですが・・・。

この指揮で、このメンバーで、
こ~んな楽しい飲み会が出来て・・・・
なら、来年もまたイケるような気が
しています。

いろいろと抜けてるものですから、
ご不満もおありかと思いますが、
「まあ、しょうがない奴じゃ」くらいに
思っていただいて、さらにおつきあい
いただければ嬉しいです。

え~、あちこちから「強引に誘われた」
とか、「だまされた」とか、いろいろ
虚偽の告発(なのか?)がなされて
おりましたがぁ、きっと、気のせいでしょう、
うん。

また次回、楽しくやりましょう!

●静岡は歴史の宝庫でございます

090809_1612~01.JPG名古屋のM井さんとちょっと
お話していましたが、静岡はまさに
歴史の宝庫でございます。

何しろ古代遺跡(登呂遺跡)から
徳川・明治時代のものまで、いろいろ
そのヘンに点在しているのです。
今回はあまり観光のお時間が取れなかった
県外組の方々、次回は歴史巡りなどいかがでしょう?
家康が幼年時代を過ごしたお寺とか、
日光東照宮に移される前に祀られていた
日本平東照宮とか、
羽衣の松で有名な三保の松原とか、
次郎長の生家だとか、やたらありますよ~。

上記の写真は、今回コロボックルのY本さんが
見つけて下さり、「これはいい」ってんで、
マッハさん・S田さんとご一緒に宿泊したホテルの
パンフから採ったのですが。

ホテルガーデンプレイスという
新しいビジネスホテルでして、徳川慶喜公が
大政奉還の後お住まいになって
いたお屋敷の跡に出来た料亭「浮月楼」に
付設されております。

ここは元々幕府の代官屋敷
(静岡は天領でしたから)で、
明治元年から20年間慶喜公が住まわれた
場所です。建物は火災のために当時の
ものは焼失してしまいましたが、お庭は
慶喜公時代のままの落ち着いた佇まいを
お楽しみいただけます。

東海の名園と謳われたそうで、
伊藤博文、井上薫、西園寺公望など
お歴々が贔屓にしていたんだそうです。
昭和12年には、ウィーンからワインガルトナー
がやって来て演奏会が催され、庭の風情を
愛でてピアノ曲も作っていった・・・
とパンフレットに書いてありました。

ホテルのお部屋の方は、なかなか
快適なつくりで、シングルルームも
2人使いが出来るようになっているのか、
むちゃ広いダブルベッドがでん、と。
朝起きぬけに、思いっきりストレッチ
してみましたが、余裕しゃくしゃくでした。
どれだけ寝相が悪くても、OKみたいな。

お風呂も(外国人向けに大きいのか)、
たっぷりの長さがあり、足をゆったり
伸ばせたのが嬉しかったです。

シングルだと少し割高かな?
という気もしなくもないですが、
ツインで割り勘にすれば、一人3800円
くらいのお部屋もありました。オススメです。
慶喜公遺愛のお庭を散策するもよし、
ゆったりベッドで転げまわるのもよし、
という感じです~。ちなみにY本さん情報に
よりますと、「朝食もナイス!」だそうです。

このホテルは、今回の1次会会場
「炙の介」にほど近く、繁華街の真っただ中
にあるのですが、落ち着いたいい雰囲気
でした。飲んで騒いで、そのままバタンキュー
できる・・・という利点もあるよーな。

ちなみに、宴会は3次会までいきました。
終わったの、12時過ぎでした。え~と、
5時過ぎから飲んでたよーな。
もういいや、ってとこまで飲んでるハズ
なのに、どーして場所を変えると、また
飲みだしてしまうのでしょーか。
皆さん、酒豪にもほどがあります。

●次郎長と言えば

090805_1640~01.JPG実は、うちの母のお墓があるお寺にも、
ひそかに次郎長ゆかりのエピソード
がございます。

家から歩いて1分なんで、お参りに
超便利。本日9日は祥月命日なんで、
娘とお参りしてきましたが、まあ暑くて
お花が気の毒って感じではありますね。

で、このお寺は臨済宗のお寺で、禅叢寺(ぜんそうじ)
と申しますが、その昔、次郎長がまだやんちゃな
子供時分、ここにあった寺子屋に来させられていた
ことがあったんだそーです。が、てんでまじめにやらず、
とんでもないイタズラばかりしているもんだから、追い出されてしまった、というエピソードを先代住職さんから
お聞きしたことがあります。

その上、このお寺には次郎長の子分の大政だったか
小政だったかのエピソードもありました。
いわゆる出入り(喧嘩)がいろいろあったようで、
(浪曲にも出てくる「都鳥の吉兵衛」がここで
殺された、という記念碑が立ってる場所も近くに
ありますね~)禅叢寺の裏手の方の竹藪から
竹を切りだして、喧嘩用の竹やりを作った・・・
なんて話も聞きました。

Mどりお姉さまのおじいさまが、子供の頃、お年を
召して好好爺になった次郎長さんからお菓子を
もらったというエピソードも昨夜お聞きしましたが、
地元にはいろいろなエピソードがあるものですね。
ちなみに下の写真は、娘が打ち水しているところ
であります。「載せるな」と隣で怒ってますが、
構わず載せてしまおうっと。090809_1524~02.JPG
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