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畏友アリ、遠方ヨリ来タルアリ
●お参り続きなのでアル
ここんとこ、父へのお参りがお二人続きで
ありまして、それもまあ、何とも遠方より
来ていただきまして、本当に有難いことデス。
●カメラマンさん
28日には、相方の友人でカメラマンのKさんが、
なんと西湖のほとりから車でばぁ~っと。
(下手すると、自転車でだだぁ~っと
駈け降りてきてしまうよーなお元気な
方なんであるが、この日は車)
だいぶ以前になるのですが、
うちに遊びに来て下さり、
碁を打たれる方なんで、すっかり
父と仲良しになってしまいました。
そろそろ、また碁を打ちに行こうかなぁ、と
思っていらしたところだとかで、
わざわざお参りに来て下さいました。
私たちは碁が全くダメなもんで、
父はつまらなかったみたですが、
こういう碁敵友達というのは、
なんか、ずっと続くみたい。
Kさんは、お仕事ではグラビアでも
新幹線の写真でも、何でも撮影されますが、
ご自分がテーマにされているのは、
富士山の樹海。
なもんだから、ご自宅は神奈川の方に
あるんだけど、西湖のほとりにも
小さなおうちを持っていて、よく
そちらから樹海に入って写真を
撮っていらっしゃるようです。
写真展なんかやられると、
それはもう、おおお~・・・みたいな
樹海写真がオンパレード。
うちでも一枚大きな額に入ったのを
買わせていただいたんだけど、
父に取り上げられてしまい、
ずぅっと父の部屋に飾られていました。
●父の晩年の親友
30日には、上尾市から父の晩年の親友K林さんが、
ご高齢にもかかわらず、いらして下さいました。
遠方のこともあり、父とは文通が主だったの
ですが、静岡の平和資料館で知り合いになり、
以来文通200通とか!
私はお目にかかった事がなかったので、
どんな方なのかなぁ、と思っていましたが、
蓋を開けてみたら、とぉっても気さくで、
とぉっても楽しく、また、何でも興味を持ったら
徹底的に調べていく、という大変エネルギッシュな
方でした。
父も、調べ出すと、何でも夢中になって、
ああでもない、こうでもない、とその話しか
しない・・・みたいな人でしたから、
「一目会ったその日から」大の親友づきあいに
なってしまったよう。
で、よくよく聞いてみたら、同じ中学の
同級生だったそうで、多分文系と理系の違いから
在学中は別々のクラスで面識がなかった・・・
のではないか、もっと早くに知り合っていれば
良かった、とお互いに慨嘆しあったよう。
経営コンサルタントのようなお仕事を
長くなさっており、全国を回って、その
土地土地の町おこしなどにも関わり、また
各地で講演、業界紙に執筆と、多方面に
わたって活躍していらしたようで、
今日またいろいろとお送り下さったのですが、
当意即妙の文章に大ウケし、「絵心がない」
と非常にご謙遜の、すっばらしいスケッチに
唸り、う~む、父の友人関係とは、かくも
面白いものであったか、と改めて驚嘆。
どうもね、私、母への思い入れが強くて、
こりゃぁ、すっごいマザコンなんだな、とか
思っていたんですが、最近、父への思い入れも
か~なり強力で、ああ、ファザコンでも
あったかぁ! と思いを新たにしておるところ
なんですがね。
とりあえず、おっもしろい両親であった、と
つくづく思ったりしちゃってます。
で、未だに母の親友さんたちと
ツーカーでおしゃべりしてたりするし、
最近は父の親友さんたちとも
楽しくおしゃべり出来ちゃったりする。
目上の方々に対して、とっても
おこがましいのですけれど、
こうやって、人と人とのつながりが
切れることなくつながっていくというのは、
やっぱり両親の残してくれた大きな遺産であるし、
私も伝えていかなくちゃいけないなぁ、と
思っています。
ちなみに、K林さんが送って下さった絵は、
こんな感じ。左のは、昭和20年頃までお住まいだったご自宅の図。一時期ラジウム薬局という看板を掲げて薬種商をお父様が営んでいらしたそう。「ラヂウム」という右→左書きの
文字に、時代を感じさせますね~。
それにしても、図面をちゃんと引ける方は、
やっぱり線がキッチリしているなぁ。
本当は横長の絵なんですけど、手で
持って、携帯でぱしゃっとやったんで、
縦位置で、もひとつ奥行きが見えない
感じに映っちゃって申し訳ない。
静岡鉄道音羽町駅踏切付近の図。
向こうに見えるのは清水山。
今では、周りの建物が建て替えられているので
少し違うような気もするんですが、基本、こういう
雰囲気ですね、今も。先日叔母のお供で、延命酢を
買いに行きながら、このヘンを車で流しましたが、
私の子供時代からはあんまり変化ないような。
すんません、横位置で見てやって
下さい。これは、音羽町辺りに昔
あった火力発電所の図、です。
パースがきれいで、広々~とした
すてきな絵です。
先日、Kをる先輩とK子先輩に「てれんこさん」の
カラーコピーをお送りしたところなんですが、
久しぶりに自分の絵を見てみたら、うう、いろいろ
気になるところが。修行が足りません~。
あのお話は、枚数制限もあって、(一応タリーズの
絵本大賞に応募してみたが、ここはプロ・セミプロの
登竜門であったらしく、とてもじゃないが通らなかった)
書き足りない感、アリアリ。まあ、イントロ篇という
ところでしょうか。そのうち、しっかり物語として
まとめてあげたいなぁ。
ここんとこ、父へのお参りがお二人続きで
ありまして、それもまあ、何とも遠方より
来ていただきまして、本当に有難いことデス。
●カメラマンさん
28日には、相方の友人でカメラマンのKさんが、
なんと西湖のほとりから車でばぁ~っと。
(下手すると、自転車でだだぁ~っと
駈け降りてきてしまうよーなお元気な
方なんであるが、この日は車)
だいぶ以前になるのですが、
うちに遊びに来て下さり、
碁を打たれる方なんで、すっかり
父と仲良しになってしまいました。
そろそろ、また碁を打ちに行こうかなぁ、と
思っていらしたところだとかで、
わざわざお参りに来て下さいました。
私たちは碁が全くダメなもんで、
父はつまらなかったみたですが、
こういう碁敵友達というのは、
なんか、ずっと続くみたい。
Kさんは、お仕事ではグラビアでも
新幹線の写真でも、何でも撮影されますが、
ご自分がテーマにされているのは、
富士山の樹海。
なもんだから、ご自宅は神奈川の方に
あるんだけど、西湖のほとりにも
小さなおうちを持っていて、よく
そちらから樹海に入って写真を
撮っていらっしゃるようです。
写真展なんかやられると、
それはもう、おおお~・・・みたいな
樹海写真がオンパレード。
うちでも一枚大きな額に入ったのを
買わせていただいたんだけど、
父に取り上げられてしまい、
ずぅっと父の部屋に飾られていました。
●父の晩年の親友
30日には、上尾市から父の晩年の親友K林さんが、
ご高齢にもかかわらず、いらして下さいました。
遠方のこともあり、父とは文通が主だったの
ですが、静岡の平和資料館で知り合いになり、
以来文通200通とか!
私はお目にかかった事がなかったので、
どんな方なのかなぁ、と思っていましたが、
蓋を開けてみたら、とぉっても気さくで、
とぉっても楽しく、また、何でも興味を持ったら
徹底的に調べていく、という大変エネルギッシュな
方でした。
父も、調べ出すと、何でも夢中になって、
ああでもない、こうでもない、とその話しか
しない・・・みたいな人でしたから、
「一目会ったその日から」大の親友づきあいに
なってしまったよう。
で、よくよく聞いてみたら、同じ中学の
同級生だったそうで、多分文系と理系の違いから
在学中は別々のクラスで面識がなかった・・・
のではないか、もっと早くに知り合っていれば
良かった、とお互いに慨嘆しあったよう。
経営コンサルタントのようなお仕事を
長くなさっており、全国を回って、その
土地土地の町おこしなどにも関わり、また
各地で講演、業界紙に執筆と、多方面に
わたって活躍していらしたようで、
今日またいろいろとお送り下さったのですが、
当意即妙の文章に大ウケし、「絵心がない」
と非常にご謙遜の、すっばらしいスケッチに
唸り、う~む、父の友人関係とは、かくも
面白いものであったか、と改めて驚嘆。
どうもね、私、母への思い入れが強くて、
こりゃぁ、すっごいマザコンなんだな、とか
思っていたんですが、最近、父への思い入れも
か~なり強力で、ああ、ファザコンでも
あったかぁ! と思いを新たにしておるところ
なんですがね。
とりあえず、おっもしろい両親であった、と
つくづく思ったりしちゃってます。
で、未だに母の親友さんたちと
ツーカーでおしゃべりしてたりするし、
最近は父の親友さんたちとも
楽しくおしゃべり出来ちゃったりする。
目上の方々に対して、とっても
おこがましいのですけれど、
こうやって、人と人とのつながりが
切れることなくつながっていくというのは、
やっぱり両親の残してくれた大きな遺産であるし、
私も伝えていかなくちゃいけないなぁ、と
思っています。
こんな感じ。左のは、昭和20年頃までお住まいだったご自宅の図。一時期ラジウム薬局という看板を掲げて薬種商をお父様が営んでいらしたそう。「ラヂウム」という右→左書きの
文字に、時代を感じさせますね~。
それにしても、図面をちゃんと引ける方は、
やっぱり線がキッチリしているなぁ。
持って、携帯でぱしゃっとやったんで、
縦位置で、もひとつ奥行きが見えない
感じに映っちゃって申し訳ない。
静岡鉄道音羽町駅踏切付近の図。
向こうに見えるのは清水山。
今では、周りの建物が建て替えられているので
少し違うような気もするんですが、基本、こういう
雰囲気ですね、今も。先日叔母のお供で、延命酢を
買いに行きながら、このヘンを車で流しましたが、
私の子供時代からはあんまり変化ないような。
下さい。これは、音羽町辺りに昔
あった火力発電所の図、です。
パースがきれいで、広々~とした
すてきな絵です。
先日、Kをる先輩とK子先輩に「てれんこさん」の
カラーコピーをお送りしたところなんですが、
久しぶりに自分の絵を見てみたら、うう、いろいろ
気になるところが。修行が足りません~。
あのお話は、枚数制限もあって、(一応タリーズの
絵本大賞に応募してみたが、ここはプロ・セミプロの
登竜門であったらしく、とてもじゃないが通らなかった)
書き足りない感、アリアリ。まあ、イントロ篇という
ところでしょうか。そのうち、しっかり物語として
まとめてあげたいなぁ。
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