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始業のつどいにこぎつけた!
●親子で風邪引いて、ヒイヒイ・・・
私も爆睡でしたが、娘も18時間くらい寝た
そーで、私が部屋に行った時は寝まくって
ました。で、荷物の整理したり、義母のお相手
したりしているうちに、のこのこ起きだして、
軽く食べたりなんかしているうちに、大分
調子が戻ってきたらしい。
やっぱりちょっと心細かったのか、
みょーにべたべたしてました。
一人で不安になっちゃったのかな。
で、今朝は元気を取り戻し、6時半起きで
学校へ。途中、渋谷の駅で迷いまくり、
バスに乗って五反田に行って、
始業のつどいに出、英語のplacement test
受け、あじゃこじゃいろいろ説明受け、
クラブ紹介見て、5時近くに一日の工程終了。
で、また迷い迷いしながら、何とか
家にたどり着きました~♪
よ、よかった。ともかく、何とか
一日、終わった・・・。
私の方は、また雑貨の買い出しに
行ったり、家の中の拭き掃除したり、
食料品を買い足しに行ったり・・・で
一日終わってしまった。
明日はまた、クラス分けの試験があるそーで、
ついでに健康診断もあるそーで、
そして、その次の日はガイダンスがあるそーで、
新しい年度が始まる感、ひしひしと~・・・
てな感じ。
とりあえず今日は、学生証をもらって
帰って来ました。
写真付きのヤツで、これで4年間使う
そーですが、見ているうちに、なんか
感慨無量、の気持ちになっちゃいました。
いやぁ、不登校なりかけ人間で、
転校したりなんかで、本人も
大変な中学高校時代でしたから、
大学生になれたっての、感慨無量
なんでしょうけど、親もまた、じ~んですヨ、ほんと。
まだこの先、ちゃんと大学生として
やっていかれるのかどーか、
心配でしょーがないんですけど、
やはり親許から離す以上は、
独り立ちできるようにしてやらねばなぁ・・・。
ここ1週間ぐらいで、少しずつ
東京暮らしの基礎はできていくのでは
ないか、と思いますんで、
その先は自分で切り開いていくように
見守ってやらねば。
とは言いつつ、どうもベタベタ親子なんで、
どれくらい子離れできるのか、非常にアヤシイ
んですけどネ。
今日はとりあえず始業のお祝い、
ということで、
夕食は大量に食べました。
え~、このセットは自分用。
お椀が一つしかないんで、
自分の味噌汁は丼に入っている。
そして、食卓を置くよーなスペースは
どこにもないんで、小さい折り畳み椅子の上を
仮の食卓にしている。義母が「お祝いだから」と
夕方急に炊き込みご飯を持ってきてくれたんで、
かなり豪華っぽくなりました。スーパーの前を
通ったら、かぶが美味しそうだったんで、今日は
かぶの煮物とかぶの味噌汁。
●やっぱりカトリックの学校であった。
始業のつどい(入学式は中止で、仮の
始業式)というのが、イキナリ「聖書朗読」から
始まったそうである。
読まれたのは、マタイによる福音書5章13-16節、
「あなたがたは地の塩である」云々のところ。
で、朗読の後は神父様のお話。
その後、共同祈願というのが各学科の代表者に
よって唱えられ、さらに
アシジの聖フランシスコの「平和の祈り」を
全員で唱え、最後に聖歌を歌う・・・という、
ほとんど御ミサのような感じだったそうな。
へ~。
私自身は、1年次から入学してない編入生
だったので、こういうのには参加しませんでした。
確か、特別なセレモニーはなくて、
いきなりクラスに連れて行かれて紹介された・・・
ような記憶が。
そ、そうか。そこまで宗教的雰囲気が濃厚な
学校であったか。
ま~、高校もカトリックだったんで、
多分こういう始業式でも大して違和感を
感じなかっただろうなぁ。
娘の方は、高校までは無宗教の学校
だったもんで、あんまり慣れてはいません。
が、カトリックの学校で、必修でキリスト教学が
あることは分かってたもんですから、前々から
聖書は買ってやり、適度にお話もしてました。
んで、「へ~、ミサだよ、こりゃ・・・」とか
思いながら参加していたような。
なんか、帰宅したらすぐ、
「いい言葉だったから、すぐに
ワープロで書きたい」とか言って、
自前の聖書をさくさく広げてました。
どーやら、こういう雰囲気、合ってるよーです。
ちなみに、アシジの聖フランシスコは、
かつて映画でその生涯が紹介されました。
『ブラザー・サン・シスター・ムーン』というのです。
イタリアの裕福な家庭に生まれたフランシスコは、
信仰にめざめた後は、地位も財産も捨てて、
托鉢修道会を自ら組織し、清貧の一生を
生きた聖人として有名です。
聖フランシスコの「平和の祈り」っていうの、
すてきなお祈りです。(以下、現代語訳全文)
************
主よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように
いさかいのあるところに、許しを
争いのあるところに、平和を
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、よろこびを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように、
助け、みちびいてください
主よ、わたしになぐさめられることよりも、なぐさめることが
理解されることよりも、理解することが
愛されることよりも、愛することができますように
なぜなら、与えることによって、与えられ
自分を捨てて初めて自分を見出し
許すことによって、許され
死ぬことによって、永遠の生命を与えられるからです
私も爆睡でしたが、娘も18時間くらい寝た
そーで、私が部屋に行った時は寝まくって
ました。で、荷物の整理したり、義母のお相手
したりしているうちに、のこのこ起きだして、
軽く食べたりなんかしているうちに、大分
調子が戻ってきたらしい。
やっぱりちょっと心細かったのか、
みょーにべたべたしてました。
一人で不安になっちゃったのかな。
で、今朝は元気を取り戻し、6時半起きで
学校へ。途中、渋谷の駅で迷いまくり、
バスに乗って五反田に行って、
始業のつどいに出、英語のplacement test
受け、あじゃこじゃいろいろ説明受け、
クラブ紹介見て、5時近くに一日の工程終了。
で、また迷い迷いしながら、何とか
家にたどり着きました~♪
よ、よかった。ともかく、何とか
一日、終わった・・・。
私の方は、また雑貨の買い出しに
行ったり、家の中の拭き掃除したり、
食料品を買い足しに行ったり・・・で
一日終わってしまった。
明日はまた、クラス分けの試験があるそーで、
ついでに健康診断もあるそーで、
そして、その次の日はガイダンスがあるそーで、
新しい年度が始まる感、ひしひしと~・・・
てな感じ。
とりあえず今日は、学生証をもらって
帰って来ました。
写真付きのヤツで、これで4年間使う
そーですが、見ているうちに、なんか
感慨無量、の気持ちになっちゃいました。
いやぁ、不登校なりかけ人間で、
転校したりなんかで、本人も
大変な中学高校時代でしたから、
大学生になれたっての、感慨無量
なんでしょうけど、親もまた、じ~んですヨ、ほんと。
まだこの先、ちゃんと大学生として
やっていかれるのかどーか、
心配でしょーがないんですけど、
やはり親許から離す以上は、
独り立ちできるようにしてやらねばなぁ・・・。
ここ1週間ぐらいで、少しずつ
東京暮らしの基礎はできていくのでは
ないか、と思いますんで、
その先は自分で切り開いていくように
見守ってやらねば。
とは言いつつ、どうもベタベタ親子なんで、
どれくらい子離れできるのか、非常にアヤシイ
んですけどネ。
今日はとりあえず始業のお祝い、
ということで、
夕食は大量に食べました。
え~、このセットは自分用。
お椀が一つしかないんで、
自分の味噌汁は丼に入っている。
そして、食卓を置くよーなスペースは
どこにもないんで、小さい折り畳み椅子の上を
仮の食卓にしている。義母が「お祝いだから」と
夕方急に炊き込みご飯を持ってきてくれたんで、
かなり豪華っぽくなりました。スーパーの前を
通ったら、かぶが美味しそうだったんで、今日は
かぶの煮物とかぶの味噌汁。
●やっぱりカトリックの学校であった。
始業のつどい(入学式は中止で、仮の
始業式)というのが、イキナリ「聖書朗読」から
始まったそうである。
読まれたのは、マタイによる福音書5章13-16節、
「あなたがたは地の塩である」云々のところ。
で、朗読の後は神父様のお話。
その後、共同祈願というのが各学科の代表者に
よって唱えられ、さらに
アシジの聖フランシスコの「平和の祈り」を
全員で唱え、最後に聖歌を歌う・・・という、
ほとんど御ミサのような感じだったそうな。
へ~。
私自身は、1年次から入学してない編入生
だったので、こういうのには参加しませんでした。
確か、特別なセレモニーはなくて、
いきなりクラスに連れて行かれて紹介された・・・
ような記憶が。
そ、そうか。そこまで宗教的雰囲気が濃厚な
学校であったか。
ま~、高校もカトリックだったんで、
多分こういう始業式でも大して違和感を
感じなかっただろうなぁ。
娘の方は、高校までは無宗教の学校
だったもんで、あんまり慣れてはいません。
が、カトリックの学校で、必修でキリスト教学が
あることは分かってたもんですから、前々から
聖書は買ってやり、適度にお話もしてました。
んで、「へ~、ミサだよ、こりゃ・・・」とか
思いながら参加していたような。
なんか、帰宅したらすぐ、
「いい言葉だったから、すぐに
ワープロで書きたい」とか言って、
自前の聖書をさくさく広げてました。
どーやら、こういう雰囲気、合ってるよーです。
ちなみに、アシジの聖フランシスコは、
かつて映画でその生涯が紹介されました。
『ブラザー・サン・シスター・ムーン』というのです。
イタリアの裕福な家庭に生まれたフランシスコは、
信仰にめざめた後は、地位も財産も捨てて、
托鉢修道会を自ら組織し、清貧の一生を
生きた聖人として有名です。
聖フランシスコの「平和の祈り」っていうの、
すてきなお祈りです。(以下、現代語訳全文)
************
主よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように
いさかいのあるところに、許しを
争いのあるところに、平和を
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、よろこびを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように、
助け、みちびいてください
主よ、わたしになぐさめられることよりも、なぐさめることが
理解されることよりも、理解することが
愛されることよりも、愛することができますように
なぜなら、与えることによって、与えられ
自分を捨てて初めて自分を見出し
許すことによって、許され
死ぬことによって、永遠の生命を与えられるからです
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