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合唱のこと、英語のこと、本のこと、友達のこと、仕事のこと・・・とりあえず、ダラダラ続ける日記です。

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大いに泣いてやったゾ! エヘン!
●・・・って、何も威張ることではないが

叔母の葬儀に出席して、
無事帰って参りました。

もう最初っから、
どうせ泣きたくなるんだから、
思いっきり泣いてやるゾ、と
心に決めて教会へ行きました。

DSC_0491.JPG道すがら、こんなきれいな
お花が咲いていて、
あ~、花を育てるのが好きな
人だったなぁ・・・とか考えていて
(元々祖父がやたらに上手くて、菊作りが趣味。
毎年品評会に大量に出していました。その血で
しょう。ちなみに、うちの母は、てんで下手クソで、
毎年もらった鉢を枯らしてしまうので、業を煮やした
祖父に「おまえには、もうやらん」と言われて
しまってました。ハイ、その娘です。推して知るべし、
デス)

●花一杯のお式でした。
DSC_0494.JPG
静岡バッハの練習場になって
いる草深教会と同じく、
日本キリスト教会(いわゆる
長老派Presbyterianの教会。
プロテスタントの一派で、信者の中から長老を
選び、教会の運営その他を行います)です。

いろんな方からのお心づくしの花々があふれ、
やさしい雰囲気の礼拝堂になりました。
DSC_0495.JPG
叔母は、まさにお花に囲まれて
いて、眠っているよう。
お顔を見に行ったら、
見覚えのある服を着てる。
え? これって・・・ひょっとして、
昔、うちの母があげたモノじゃないの?!

従妹のY子が来たので聞いてみたら、
お気に入りの服2着の中から、これが
一番いいだろう、というので着せたんだけど・・・
との事。

嬉しくって、既に涙。
母が若い頃気に入っていた服で、
だいぶ昔に叔母にあげたのです。

ずっと大事に着てくれたんだ。
お気に入りだったんだね~。
うん、とても似合うよ。

叔父が来たんで、その話をしてたら、
実は叔父が着ている礼服も、
この間父の形見分けでもらってもらったもの。
ぴったりで、すごく着やすいんだよ、と
喜んでくれていて、二重に嬉しい。
涙もつい出ちゃうんだけど、やっぱり嬉しい。

亡くなった人が大切にしていたものを
思い出とともに、また大事にしてくれる人がいるって、
すごく、いい。

●モーセの歌

詩編90というのが詠まれたのですが、
これは伝統的にモーセが詠んだものと
考えられているものだそうです。
叔母が好きだったものだそうで。

「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
山々が生まれる前から
大地が、人の世が、生み出される前から
世々とこしえに、あなたは神。

あなたは人を塵に返し
「人の子よ、帰れ」と仰せになります。
千年といえども御目には
昨日が今日へと移る夜のひとときにすぎません。
あなたは眠りの中に人を漂わせ
朝が来れば、人は草のように移ろいます。
朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい
夕べにはしおれ、枯れて行きます。

あなたの怒りにわたしたちは絶え入り
あなたの憤りに恐れます。
あなたはわたしたちの罪を御前に
隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。
わたしたちの生涯は御怒りに消え去り
人生はため息のように消えうせます。
(後略)」

神様の永遠の時の前に
人間ははかない存在でしかないけれど
だからこそ短い年月を
良く生きられるように助けてください

そういう願いを歌ったものだと思います。

牧師さんがお話下さいましたが、
出エジプトの逸話で有名なモーセは、
約束の地カナーンへユダヤ人たちを
引き連れていくために多くの苦難をしのぎました。
エジプトを出て、砂漠を40年もさすらいました。
そして、やっとカナーンの地を見下ろす
小高い場所まで到達した時、神は
モーセに言われます。

「あなたはわたしがイスラエルの人々に
与える土地をはるかに望み見るが、そこに
入ることはできない。」

不平不満だらけで、スキあらば偶像崇拝に
ふける民衆を叱咤激励して長年導いて
きた指導者モーセは、この神の言葉の通り、
夢にまで見た約束の地を目の前にして
死ぬことになるのです。

あれだけ頑張ったのだから、
ご褒美に約束の地に入れてやれば
いいのに・・・と思うのですが、そんな
ハッピーエンドにはならないのです。

自分の望んだように生き、悔いのない
一生を終えた、と叔母が思ったかどうかは
私たちには分かりません。
叔母が、生きてきたからこそ喜びがあった、
報われた、と亡くなる瞬間に思ったかどうかも、
今となっては分かりません。

知っていらっしゃるのは神様だけですね。

でも、私たちは牧師様のお話を聞き、
また遺族代表として挨拶に立った叔父の
真摯な愛にあふれた言葉に接し、

叔母はやっぱり見事に人生を
生き切った、
とても頑張った、
そして、とてもみごとな女性だったのだ、と
思いを新たにしました。

叔父は挨拶の言葉の中で、
「手前味噌になりますが、
彼女は、快活で美しく、とても優秀で、
自慢の、そして最愛の妻でした」
と力強い声で言い切っていました。

これほど愛された人だからこそ
実り多き人生を生きられたのだ、と
本当に思えました。
おじちゃん、本当にありがとう。

棺に収められた叔母の顔は、
眠っている時の母の顔と
ほんとに、そっくりでした。

もう一度、母を見送るような気に
ふっと襲われて、やっぱり納棺は
つらかったです。笑っているような
ちょっと唇の端があがったところとか、
今にも笑顔がこぼれそうで、
いつまでも見ていたかった。

やっぱり自慢の叔母でした。
そして、やっぱり私は彼女の「長女」の
ように思いました。

娘二人には、私が長女だから、と
宣言しときました。これから、
なんでもかんでも、おしゃべりしようネ。

実家を継いだ長兄の伯父は、
訃報に最初に接した時、
怒ってました。

うちの母に続き、二番目の伯父、
そして叔母・・・と、自分より若い
弟・妹たちが先に逝ってしまったのが
とても理不尽なことに思えたようです。
「馬鹿野郎、ふざけるな」という感じでした。

でも、お式に出て、いろんな話を聞いて
いるうちに、妹の人生を振り返り振り返りして、
「そうか、おまえも頑張ったんだな」
と思えたようで、哀しみや怒りや、
そんな感情が、少しずつ緩やかに
ほどけていったように見えました。

DSC_0503.JPG斎場の外に、姿の美しい
樹が立っていました。

クスノキだそうです。
最初は大きな幹のものを一つ植えただけ
だったのに、次第に幹が分かれて大きくなり、
今年で30年経つのだそうです。まるで
兄弟のように見えました。
伯父と二人で、しばらく見惚れてしまいました。

母たち兄弟も、こんな風に根っこは
同じでも、それぞれの幹をすくすくと
伸ばしていったような気がします。

叔母の木は、きっと叔父に大事に
大事に手入れされ、大きく育ったのだと
思います。二人の娘たちと叔父を、
これからは私も自分の木だと思って
大事に大事にしていきたいと思います。
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